スマホ
学校が終わって帰宅した私は、いつものように夕方の入浴をする。
テスト週間を終えたばかりの解放感か、今日は特に湯船でのんびりしたい気分だった。
家に帰ってきているのは、私だけ。
お母さんもお父さんもいない。二人とも、今日は夜勤で不在だ。
そして、部活で忙しい弟は、まだしばらくは学校にいるのだろう。
一人暮らしのような静けさが家中に満ちている。
だとすれば、今、この時間は、私だけの特別な時間なのだ。
制服を脱衣所に置き、シャワーで体を洗い流す。
湯船に浸かる前の儀式めいた行為を終えると、待ちに待った至福の時間の始まりだ。
誰にも邪魔されることのない、この時間が私は大好きだった。
防水機能付きの最新型スマートフォンを手に取る。
去年の誕生日に、成績を上げる約束と引き換えに買ってもらった大切な相棒だ。
未だにその約束は果たせていないけれど。
私は湯船に身を沈めながら、また画面に見入っていた。
防水のスマートフォンは、いつもの相棒だった。
動画や写真が次々と流れていく画面に、指先が吸い寄せられるように動く。
長風呂は私の癖だった。ぬるま湯に浸かりながら、身近なこと。そして、世界中の出来事を追いかける。
クラスメイトたちの投稿を見ては、いいねを押す。
そして、それらは明日の話題作りのための情報収集でもある。
画面の右上に表示された電池残量が気になり始めた。
残りわずか十パーセント。
でも、まだ見たい投稿が続いている。クラスの人気者が載せた新しい投稿に、みんなが次々とコメントを付けている。
充電しながら。スマホを見よう。
そう思った瞬間から、全ては急速に進んでいった。
浴室から脱衣所へ足を踏み出す。
床が冷たい。
近くに置いていた充電器を手に取り、コンセントに差し込む。
ケーブルの長さを確認しながら、慎重に浴室まで伸ばしていく。
実は、お風呂場で充電したことは、これまでにも何度か経験があるから、どこまで伸ばせるかは把握している。
ケーブルを片手に、再び浴室へ。
「よし、届く。」
浴槽の縁に腰掛け、そっと湯船に足を入れる。温かい。
充電ケーブルをスマホに接続し、画面が明るく点灯するのを確認。
ゆっくりと体を沈めていく。スマホを持つ右手だけは、水面より上に保ちながら。
これでまた、画面の世界に戻れる。
湿った指先が画面に触れた時、防水なのに、なぜかスマホは私の手からこぼれ落ちた。今までなかったことだった。
「あっ。」
咄嗟の判断が、取り返しのつかない結果を招いた。水しぶきを上げて落ちていく端末を追いかけた私の指が、通電した水面に触れる。
その瞬間、全身を鋭い電流が走り抜けた。筋肉が硬直し、声を上げることもできない。水面に広がる波紋とともに、電気が全身を貫いていく。
体が自由に動かない。
逃げ出したい。
でも指一本すら思い通りにならない。喉から声を出そうとしても、それすらできない。
湯船の中で、私の体は電気に支配されていた。
水面に浮かぶスマホから伸びる充電ケーブルが、まるで蛇のように見えた。
意識が遠のいていく中で、私は考えた。こんな些細な、でも避けられたはずの過ちで、全てが終わってしまうのか。
今までも大丈夫だったのに、なぜ今日は。
目の前がぼやけていく。
視界の焦点がぼやけて、天井が遠ざかっていく。
でも、最期の瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、明日の予定だった。
それは、もう果たせない約束。
私の意識は、永遠の暗闇の中へと沈んでいった。




