8.古代樹の森
追放から2週間が経ったころ、ようやく数人の領民を使用人とし て迎えいれることができた。
前の使用人たちと違って皆やる気もあるし、仕事も上手にこなしてくれるので助かっている。
とはいえ、旦那様の身の回りのお世話はわたしが率先して行っている。
今日も食事をもって部屋に向かえば、ベッドに腰かけた旦那様と目が合った。
「おはようございます旦那様。あら、窓を開けていらっしゃるのですか? 暑い時期とはいえ、朝はまだ冷えるでしょう」
「おはようございます。少し外の空気を吸いたくて」
旦那様はミラーシスの効果なのか、少しずつ回復してきていた。
ほとんど起きられなかった前とは違い、今は少しなら自力で起きていられるほどだ。
とはいえまだ体は弱いまま。
体力を作ろうにも食事も少量ずつしか取れないため、リハビリはしばらく先になりそうだ。
「さあ、お食事をお持ちしましたわ。どうぞお召し上がりください」
「毎度すみません。いただきます」
旦那様は用意されたミラーシスのスープをちびちびと飲み始めた。
そんな旦那様の小さな体を眺めて、少しだけ考える。
旦那様は16歳なのだが、同じ年の男性と比べてもかなり小さい。
一般的な女性の身長であるわたしと同じくらいか、もう少し小さいくらいだ。
恐らく体の成長に使うはずのエネルギーを生命の維持に置きかえていたからなのだろう。
(おいたわしい……。やはり彼女を頼るべきよね……)
幸いにも今は日々の看病のおかげで、容態も落ち着いている。
であれば今がチャンスだ。
わたしはそう思い口を開いた。
「旦那様。わたし、午後から少し出かけてきますわ」
「領地に行かれるのですか?」
「いえ。森の方へ行こうかと」
「げほっごほっ! も、森!?」
「ああっ! ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
盛大にむせてしまった旦那様の背をさする。
と、手を掴まれてしまった。
「ごほっ……。も、森って、古代樹の森のことじゃないですよね?」
「えっと、その森ですけれど」
「なにをバカなことを! あの森は一度入ったら出てこられないと言われているではありませんかっ!」
「ああ、そのことですか」
わたしは珍しく大声を出す旦那様に納得した。
そういえばこの時間軸ではまだ森のことをそう思っていることを忘れていた。
一度目の記憶を持っていると、認識の差を忘れてしまうことがある。
気をつけなくては。
「大丈夫ですよ。彼らは噂されるほど危険な方たちではありませんし」
「彼ら、って」
「狼族の彼らですよ」
古代樹の森に住む獣人族――狼族の人たちは恐れられている噂とは裏腹に、とても理性的な人たちだ。
自分たちに敵意のないものを傷つけることはなく、憐れに思ったものを救うこともある。情に厚く、誇り高い種族だ。
一度目の人生でわたしたちを飢餓から救ってくれたのも彼らで、彼らはわたし達の知らない知識を教えてくれた。
そして、体の弱かった旦那様も見事に治してくれたのだ。
いうなれば、わたしにとっての彼らは命の恩人だ。
返したい恩もあるし、この領地にとって彼らは必要不可欠な存在だった。
「旦那様も知っての通り、古代樹の森は未知の植物がたくさんございます。その森で生きる彼らも、我々の知らない知識を持っている。そんな彼らの協力を得られれば、旦那様の体調ももっとよくなりますわ」
「……それも予言ですか?」
「ええ」
にこりとほほえめば、旦那様は考え込むように黙ってしまった。
そしてしばしの後、決意したように顔を上げる。
「わかりました。行くというのなら私も行きましょう」
「え? でも……」
森は広大な面積を誇っているし、旦那様の体力ではたどり着けるか分からない。
それに危険も多い。正直連れていくのは……。
そう思うも、旦那様は決意をした顔で譲らなかった。
「この16年間、森からは一度の侵略もなかったとはいえ、無事だという保証はないんですよ」
「……はあい」
あまりの剣幕に、わたしはしぶしぶ頷かざるを得なかった。
◇
わたしは旦那様と、そしてなぜかミールとセージまで連れて森へとやってきた。
本当は一人でいくつもりだったのに、ずいぶんと大所帯になってしまったものだ。
「……なんであなたたちまで」
「お嬢様をお守りするのがあたしの役目ですから!」
「俺はノスティヴィア様を支える役目がありますし!」
「……」
確かに二人の言うことも一理ある。
足場の悪い森の中を旦那様が行くのなら、わたしだけでは補助できない場面もあるだろう。
「はあ」
そっくりな動きで力説する彼らに、わたしはあきらめて森へと入っていった。
森に入るとすぐ、空気が変わったのが分かった。
重いような、何かの視線にさらされているような、そんな感じだ。
先陣を切って慎重に進んでいくと、しばらくして開けた場所が見えてきた。
草木と岩などで作られたそこは、まるで隠れ里のようだ。
「ごめんくださいませ。わたしはエルピシラ。この度隣り合う領地にやってまいりました。あなたたちと敵対するつもりはありません。ただご相談があって来ましたの」
わたしはその開けた場所の手前で足を止め、中へと声をかけた。
誰もいない場所に語り掛けること、数分。
「相談、だと?」
気がつけばわたし達は囲まれてしまっていた。
人間と変わらない姿だけれど、どこか異なる雰囲気を持っている人たち。
彼らこそ、古代樹の森に棲む狼族だ。
彼らはわたし達をひどく警戒しているようで、歯茎をみせて威嚇していた。
「我らは貴様らが森に踏み入れたころから監視していた。貴様、迷うことなく我らの里を目指していたな。しかも毒草をきれいに避けていた。いったい何者だ?」
狼族は人間よりもはるかに高い運動能力と身体能力を持っているため、わたし達が森に入ったこともすぐに気がついていたようだ。
ずっとマークされていたらしい。
わたしは彼らの警戒を解くため、できるだけ柔らかい声を出した。
「さすが狼族ですね。わたしはエルピシラ。先見の聖女ですわ」
「先見の聖女……?」
「ええ。この道を行けばあなたたちに会えると知っていたの。毒草のこともね」
実はこの森が危険なのは、生息する植物のほとんどが毒をもっているからなのだ。
なんの知識もなしに入れば、里に着く前に死んでしまうだろう。
けれどわたしには一度目の記憶がある。
知っているのなら避けることができるため、危険度はぐんと下がるのだ。
(もちろんわたしの知らない毒草がないとも限らないから、入らないにこしたことはないけどね)
そんな事情など知らない狼族は困惑したように顔を見合わせた。
「我らに会いに来て、どうするつもりだった」
「どうするも何も、言ったでしょう? ご相談にきましたのよ」
「っは! 貴様らの国は、この森にずけずけと入り込む者ばかりだった。他の獣人族の中には、貴様らの国に侵略されたやつもいるんだぞ。そんな奴らがなにを相談しに来たというのだ? ……まさか十数年前の奴らと同じく、我らを駆逐してやる、などとぬかすまいな?」
「まさか!」
思わず驚いた声を上げてしまった。
何度か視察団が派遣されていたことは知っていたが、まさかそんな愚かなことをしているとは。
というか、未知の地でそんなことを堂々と口にするバカさ加減に呆れてしまう。
(品性の問題どころか、知性の問題だったのね……)
そんなやつと一緒にされてはたまったものではない。わたしはすぐに頭を下げた。
「……まずは国の者達の非礼をお詫びいたします。あの国の者達は礼を欠く行いばかりでして……。わたしどもも辟易しておりますの」
「あの国の者達……? まるで貴様らは違うとでも言うかのような口ぶりではないか」
「ええ。わたしたちは森に面した領地、スキアー辺境伯領の人間ですわ。領地の人間は皆、いわれなき罪でカタフニア王国から追放された者達。もはやあの国に属しているという意識はありません」
リーダーらしき男性は話を黙って聞いてくれた。
スキアー辺境伯領がどんな扱いをされていて、国に対してどう思っているのかを。
「……にわかには信じられん仕打ちだが、本当にそんなことが?」
「ええ」
「……」
情に厚い狼族たちにとって、わたし達のされてきたことは衝撃だったらしい。
話している途中からどんどん顔をくもらせて、話し終わるころには雰囲気まで沈んでしまった。
動物のように耳や尻尾があったら、たれきっていることだろう。
「……話は分かった。それで、相談の内容は?」
「実はですね……あ」
ここにきた目的を口にしようとしたとき、視界の端に懐かしい姿が映ったような気がした。
まさかと思って視線を向ければ、ヨレヨレの白衣を着た背の高い女性が村の奥から走ってくるところだった。しかも、満面の笑みで。
なんとなく危険を感じたのか、ミールがわたしを庇うように前にでると、リーダーらしき男性も女性に気がついたようで目を広げた。
「長! なぜここに?」
「なぜってそりゃあ面白そうな人間がきたからに決まっているだろう!」
長と呼ばれた女性はリーダーらしき男性からこちらへと視線を移した。
その金色の目はキラキラと輝いている。
「やあやあ! お前さんが先見の聖女とかいうやつだね? 聖女って普通の人間とどう違うんだい? いろいろ調べさせてくれよ!」
「……は?」
わたしの手をとりそう言った女性に、面食らった旦那様たちが思わず声をもらす。
事情を知っているはずのリーダーも頭を抱えていた。
「……長。出会い頭にそれはないと思います。というか、そうやすやすと出てこないでください」
「いいじゃないか。ウチは興味の惹かれるものに忠実なだけさね」
「それでも貴方は我ら狼族の長なのですよ? 威厳というものが……」
「かぁー! 固い! 固いんだよデュールは! お前さんら、ここじゃこいつにジャマされる。ついてきな」
「長は勝手が過ぎるんです! あっちょっ! 長ぁー!」
デュールと呼ばれた男性の声を背に、わたし達は女性に手を引かれていったのだった。
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