1.もう一度、初めから。
「シェイファー・アンビション! 貴様との婚約は破棄だ。いやそれだけじゃ生ぬるい。追放だっ! 追放!」
王城のパーティーで、第一王子であるルシオン・カタフニアが叫んだ。
彼が指を向けた先には、扇で口元を隠す一人の令嬢――シェイファー・アンビション伯爵令嬢の姿がある。
薄紫色のよく手入れされた長い髪、意志の強い光を携えたトパーズのような瞳。
思わず目を奪われるような美貌を持ったシェイファーは、自身が断罪されようとしているというのに薄く笑ったままだった。
「あら。どういうことでしょう?」
「しらばっくれるな! 貴様、本物のシェイファーではないらしいな。シェイファーを騙り、伯爵家に潜りこんだ卑しい平民だと聞いたぞ!」
衝撃の告発にざわつく会場の中で、ルシオンの後ろから青い髪の女性が進み出た。
ルシオンは青髪の女性と目を合わせると、ニヤリと笑う。
「そうだな? アナンダ」
「ええ殿下。我がマーケリー伯爵家の名にかけて、真実ですわ」
マーケリー伯爵家は今まで数々の武功をたてた家柄で、王家からも信頼されている。
その令嬢であるアナンダの言葉に、貴族たちは顔を見あわせた。
「その女の本当の名は、エルピシラ。彼女は自分がシェイファー嬢とよく似ていることに気がつき、本物が行方不明になったことを機にアンビション伯爵家に潜りこみました。そしてシェイファー嬢を騙り、多くの罪に手を染めたのです」
いわく、第一王子の婚約者であるのに多数の男と関係を持った。
いわく、アンビション伯爵をだまし贅沢ばかりだった。
いわく、使用人たちへの体罰を楽しんでいた。
などなど。
アナンダの口から知らされる罪の数々に、ざわめきが一段と大きくなる。
ルシオンの奥にいたアンビション伯爵も、同情を集める様にさめざめと泣くふりをしていた。
断罪されようとしている娘の味方をするつもりはないらしい。
この場に、シェイファーの味方などいない。
そんな光景を、シェイファー……いや、エルピシラだけは、ひどく冷めた目で見つめていた。
「もうわかっただろう。貴様が犯した罪はどれも重い。処刑では生ぬるいほどにな。よって罪人エルピシラを『スキアー辺境伯領』へと追放するのだ!」
「ふふ、よかったですわね。命までは取らないそうよ? といっても、死ぬより辛い経験をすることになるでしょうけど。なにせあの地は……『ケダモノの森』に面した、見捨てられた土地ですもの」
『ケダモノの森』とは、古代の植物が生い茂り、人間とは異なるものたち――獣人族が生きる森のことだ。
彼らは人間に敵意を抱いており、一度森に入ると生きては出られないとされている。
実際に国からも何度か兵が派遣されたことがあるが、誰も戻ってこなかったらしい。
「そんな危険な土地に、有益な民を住まわすわけにはいかない。……だからあの地には国中からいらないとみなされた者が集められているわ。貴方もめでたく仲間入りってわけ」
「ああ。仕事もできず、いてもなににもならないやつらだ。何もできないのなら、せめて体を張ってもらわなければな? 例えば……肉の壁になる、とか」
アナンダとルシオンは顔を見合わせて笑い合う。
つまるところスキアー辺境伯領の者達は、森からの侵略の際に身をもって時間稼ぐ役割を押し付けられているのだ。
「まあ、そんな土地でも一応は領主がいる。となればちょうどいい。貴様には辺境伯の子を産み、国を守る肉の壁を増やせ! 命続く限り、ずっとだ!」
いやらしく笑うルシオンに、けれどもエルピシラは今日一番の柔らかい笑みを浮かべた。
「ええ。承知いたしましたわ。それでは皆様、ごきげんよう?」
「は?」
意表をつかれた衆目の中、エルピシラはドアへと向かっていった。
進む足どりは、軽い。
(ああ、死にもどってから十年。やっと……やっと会えますね。待っていてください、旦那様!!)
背後からルシオンがなにか喚いているのが聞こえたが、エルピシラはもう止まることはなかった。
◇◇◇
わたしはエルピシラ。
第一王子たちが主張したように、シェイファーでない、ただの平民だ。
それがばれたというのに、どうしてあの場で取り乱さなかったか。
それはすでに一度、あの場を経験していたからに他ならない。
お察しの通り、わたしは一度死に、巻き戻ってきた人間なのだ。
巻き戻ったのになぜ断罪を避けなかったのかと疑問に思うかもしれない。
それを説明するには、少しだけわたしの話を聞いてほしい。
そもそもあの場であげられた罪のほとんどは、まったく身に覚えがないものだ。
シェイファーを騙ったという部分だけは合っているけれど、それすらわたしが望んでのことではなかった。
全ての始まりは、八歳のころ。
街のはずれでおばあ様とおじい様と共に暮らしていたわたしは突然、アンビション伯爵家につれていかれた。
第一王子の婚約者に内定していたシェイファーがいなくなり、自分の地位を危惧した伯爵が娘のみがわりにするために連れ去ったのだ。
わたしは、シェイファーによく似ているらしい。
当然帰してほしいと願ったけれど、言うことを聞かねばおじい様とおばあ様を殺すと脅され、帰ることはかなわなかった。
その日からわたしは名を奪われた。
エルピシラではなく、シェイファーとなることを強要されたのだ。
待っていたのは地獄のような日々だった。
令嬢としての立ち居振る舞いを身につけろと詰め込まれるレッスン。
その合間にこなさなくてはいけない、家と家業の商会の雑用。
もちろん、うまくできなければしつけという名の体罰が待っている。
そんな環境でいろんな男と関係をもつだなんて、とてもじゃないがムリな話だ。
もうわかっただろう。全ては冤罪なのだ。
とはいえ一度目の人生では抗う術などあるはずもなく、わたしはそのままこの地――スキアー辺境伯領へ追放された。
いらないと捨てられてしまえば、すぐに死ぬのだと思っていた。
けれど意外なことに、ここの生活は穏やかなものだった。
この地に生きる人々は皆、わたしと同じように罪をきせられて捨てられた者ばかりだったからだ。
支え合い、助け合い。厳しくとも共に生きていく中で受けた傷を癒していく。
そんな幸せな時間だった。
――でも、そんな時は長くは続かない。
追放されてから二年後。
この地は国のスケープゴートにされ……領地ごと燃やされてしまった。
肌を焼いていく炎の熱さ。愛した民たちの……旦那様の断末魔。
そのすべてが聞こえているのに、動けなくなっていくやるせなさ。
ああ。もし生まれ変われるのならば。やり直せるのならば。
……彼らを助けたい。すべての脅威を防ぐ盾になれたら……。
薄くなっていく意識の中そう思いながら、わたしの人生は幕を閉じた。
――はずだった。
どういう訳か、気がついたら伯爵邸につれていかれる前日の小さな体に巻き戻っていた。
どうしてそんなことが起こったのかは分からない。
けれど、チャンスだと思った。
もう一度辺境の地へ向かい、あの悲劇を食い止めるチャンスだ、と。
だからわたしは、一度目の人生と同じ道を辿った。
追放される未来は変えず、裏で悲劇を食いとめるべく策を張り巡らせながら、このときをずっと待っていたのだ。
◇
いつ壊れるか分からない馬車に揺られること、四日。
追い出されるようにして外に出ると、目の前には立派な構えに対してボロボロに荒れた屋敷があった。
中に入ると、侍女長だという女につれられて奥の部屋へ向かう。
ボロボロのベッドとボロボロのソファだけが置かれた狭い部屋だ。
「やあ。貴女が私の妻になるのだね。……具合が悪くて、横になったまま失礼するよ」
わたしたちが入ってきたことに気がついたのか、ベッドに横たわっていた人影がゆっくりと起き上がった。
彼こそがこの屋敷の主、そしてわたしの旦那様となるノスティヴィア・スキアー様。
薄いグレーの髪に、水色の瞳をもつ少年だ。
けれど旦那様には少年のはつらつとした様子はない。
不自然なまで白く、やせ細った四肢。濃い諦めの色が滲む瞳。
辺境伯という地位にありながら、あまりに悲惨な状況に泣きそうになる。
(……ダメよ。泣いたらダメ。だって今は、悪女を演じなくてはいけないのだから)
この部屋にはまだ侍女長がいる。
だからまだ、本当の自分を見せてはいけない。
わたしは気持ちを切り替え、いかにも高慢な振る舞いで旦那様を眺める。
「ふうん? あなたが辺境伯様、ねぇ。……ずいぶん幼そうだけど、歳はいくつなの?」
「……十六ですが」
「あら、意外。もっと幼いのかと思ったわ。でも、それなら大丈夫そうね」
ゆっくりとベッドへと向かい、旦那様の頬をゆっくりと撫でた。
「それではさっそく……初夜をいたしましょうか。旦那様?」
「!?」
「あら、どうして驚くのかしら? わたしはあなたの子供を産め、と命じられてここへと来たのだけど」
目を見開く旦那様をよそに、控えていた侍女長を振りあおぐ。
「あなた。いつまでそこにいるつもり? もしかして、主人の交わりを見るのが趣味なのかしら?」
「なっ、ち、違います!」
「あらそう? ならどうして出ていかないの? わたし、仕事のできない使用人をおいておくつもりなどないわよ? ……それとも、罰を受けたいのかしら?」
嗜虐心をにじませた視線を向けてあげれば、侍女長は不快そうに眉をひそめた。
恐らく、明日の朝には屋敷中に噂が広められているだろう。
噂通りの色欲魔で、体罰好きな女だ――と。
(それでいいわ)
むしろ、そう思ってくれないと意味がない。
「……失礼しました。すぐに出ていきます」
侍女長は不愉快さを隠そうともしないまま出ていった。
わたしはそれを確認してから旦那様の上から退く。
念のため、部屋の外にも誰もいないことを確認すると――流れるように跪いた。
「……先ほどの不敬、つつしんで謝罪いたします。使用人たちに素を見せる訳にいかず、無礼な真似をいたしました」
旦那様が息を飲んだ音が聞こえた。
わたしの変わりように驚いているのだろう。
「ご挨拶が遅くなりました。わたしはエルピシラ。王都では稀代の悪女と呼ばれておりましたが、罪のほとんどはでっち上げられたものです。わたしにはあなたを害す気はございませんので、ご安心を」
「私を、害しに来たわけではない?」
「ええ。むしろその逆にございます」
「逆……?」
「はい。わたしはあなた様を守るための盾となるべく、参上いたしました」
もう誰も死なせない。もうなにも奪わせない。
自分の大切なものは、自分で守ってみせる。
その一心で、死に戻ってからの十年間を耐え続けてきたのだから。
「すみません、言っている意味が分からないのですが……」
ふってきた声に、顔を上げる。
旦那様の顔には戸惑いの色が浮かんでいた。
(いきなりこんなことを言われても、そうなるわよね)
わたしには記憶があるけれど、他の人に前世の記憶があるとは限らない。
というか、旦那様の様子を見るに、ないのだろう。
「そもそもなぜ、使用人の前であのようなことを?」
「……だって、彼らはあなたの味方という訳ではないのでしょう? 屋敷を見たらすぐにわかりますわ」
「!」
屋敷の主人が過ごすにはあまりに狭い部屋。
埃を被った廊下。荒れ果てた外観。
仕事を真面目にこなす人間がいないというのは、一目見れば分かる。
「屋敷は荒れているのに、使用人たちの格好はそれなりのものでした。それはつまり、彼らには使用人としての矜持がないということ。転じて、あなたへの忠誠もないのでしょう」
もしも忠誠心があったら、屋敷がこんなありさまになっているわけがない。
それに前世で判明したことだが、この屋敷にいる使用人は王家側の人間だった。
この地で起こることを監視し、都へと報告するのが彼らの役目なのだ。
つまり、使用人たちは敵。
そんな人たちに、わざわざ素の自分をさらす必要はない。
「わたし、旦那様を害す者達には容赦いたしませんの。噂通りの悪女だと思わせておいたほうが、油断してくれるかもしれないでしょう?」
にこりとほほえめば、水色の瞳が戸惑ったように揺れた。
「私のために、自分の悪評を利用するということですか?」
「端的にいえば、そうですわね」
「……私に、そんな価値はないですよ。領主であるのに、民も地も守れない、こんな私など」
旦那様は自嘲気味に笑った。
……旦那様は底抜けに優しい。悪女と噂のわたしでも、すぐに受け入れてくれるほどに。
わたしはそれに救われた。
一度目の人生で生きることを諦めなかったのは、旦那様がいてくれたからだ。
けれど旦那様の優しさは、他人に対してのみだった。
(自分のことは……全て諦めてしまっているのよね)
自由のないこの屋敷で、病に侵された体で。
希望など持てるはずもなかったのだろう。
……それでも。
わたしは旦那様の細い肩を掴んで目をあわせた。
「旦那様。あなたはわたしにとって、かけがえのない存在です。だから、そんな顔をされないでください」
「……どうして初対面の私に、そこまで?」
「あなたが、生きる意味を教えてくれたから」
きっぱりと伝えれば、水色の瞳が見開かれる。
わたしはそれに構わず、さらに言い募った。
「あなたを害すものがわたしの敵。あなたに降りかかる火の粉はすべて退け、自由に生きられる道を切り開いてみせますわ。そのための種も、すでに蒔いてありますの」
「種……?」
「ええ」
この地を、人を守るための策を、十年もの間準備してきた。
後は折を見て芽吹かせればいい。
作っておいた協力者も、時と共に集まってくるだろう。
だからわたしは、にっこりと笑って宣言する。
「いくら口で言っても、信じてもらうのは難しいでしょう。ですので、行動で示そうかと。手始めに、屋敷の環境から整えてみせますわ」
そう。守るべき場所にきた今、我慢のときは過ぎた。
反撃のときが、やってきたのだ。
(まずは使用人からよ。一度目の人生で大切なものを奪った人たちを、ゆっくり、じっくり、追いつめてあげるわ!)
この日から、わたしの守るための復讐がはじまったのだ。
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