野分けのハープ 16
(アレが、オーシャンピープルの原始の魔女『嫉妬の顕現物』か。自我崩壊してるね。イエウ氏も『ブッ壊れてる』)
ポポヨッテの地下監獄最下層封印の間を、通気孔の格子の陰から観察するどこか擬人化した浮游魚が一尾いた。
変身術で魚に化けたゼゼミオ・スティールチズルであった。
そう長い間ではなく、一連のトゼノカ町長がラクシーン・イエウの造反によって連行される様を見ていただけだったが、早くも纏っている多重に編まれた法式が損耗しだしていた。
(早いっ、無意識の干渉? クィックムーヴ!)
ゼゼミオは迷わず魔方陣で加速し、ダクトを通って高速で撤退を始めた。ダクト内の襲ってきそうな上陸型の小さな水棲原生生物の類いは既に殲滅済みであった。
ゼゼミオは漂うそれらの死体を掻い潜って矢のように進み、複数ダクトが交錯する広い地点に作っておいて簡易な魔除けの安全地帯に入った。
底には水晶通信器を錬成して作った秘匿性と通信力の高い暗号通信器が据え置かれていた。
魚のゼゼミオは素早く暗号文をギルドに送った。
(端的でも、海底王国本国との調整には十分だろ? お気楽なのがここに来る前に、形は作れる。ふん、手柄だ。いつまでも便利扱いされない。使い棄てはごめんだっ。私達姉弟は安くはないのさ!)
ゼゼミオは安全地帯の法式を解除し、通信器も収納の魔方陣の中にしまった。あとは物理的な遮断の結界が強い監獄内から脱出して、オーシャンピープルの協力者達が用意した転送門で地上に逃れるだけだった。
(血統は関係無い)
再び高速でダクト内の宙を泳ぎだす魚のゼゼミオ。
脳裏に、遠目に弟とソルトロックで観測した『無垢』の原始の魔女、ミドリコ・アゲートティアラの力が過る。
圧倒的だった。踊り手自身のヒューマンドールを取り込んだ、あの黒い教会の傀儡。対策を取った大軍勢でも易々とは勝てない。
しかしそんな相手も為す術が無いようだった。
(ヴァルトッシェさんはミドリコの育成に夢中だ。特務だか校長だかのベチカム卿何て得体が知れない)
対応した種に変身しているから見えはするが、暗く入り組んだダクト高速で進んでゆく。
既に通ったルートから離れるとダクト内に巣くう攻撃的な小さな原生生物達が襲ってくることもあるが、探知を回避する為に魔法では直に対抗しない。
(ディフェンドシェル、剛力魔法、金属化魔法)
自身も守りと力と硬度を上げ、魚の鰭等を凶器として発達させ、小さな原生生物達を八つ裂きにして減速せずに抜けてゆく。
(最初から勘定されないのは慣れっこだが、私達は、いる!)
ダクト構造は理解している外壁近くはダクトであっても結界が強い、その手前でダクトから離れ、物資の搬出入が行われる倉庫に入る。
ここからは陸で言うところの『鼠一匹』でも結界に弾かれる。
(変身魔法)
ゼゼミオは浮游魚から没個性的な搬出業者の男のオーシャンピープルに化け直し、収納の魔方陣から搬出業者の身分証を取り出し、身に付けた。
予定より少し早いがそう間を置かず協力者の搬出業者2人来るはずだった。1人は真似はできないが身体を液体化して上水道から脱出できるらしい。
その者と入れ替わって脱出する。
(焦ったな。もうしばらく魚の姿でいればよかった)
念の為にワンドだけは持って、倉庫の物陰でオーシャンピープルに化けたゼゼミオは息を潜めた。
その、背後に、音も臭い気配も無く、体色も背景に完全に溶け込ませた、『蛸』の触手が少しずつ迫っていた。
(今回の手柄で私達の刑期はさらに減免される。2人で休暇を取ってやろうか? ふふ、この時期のユルソン地方は雨ばかりでウンザリだ。砂漠のアビサァ地方にゆこう。探知の首輪を付けられるだろうが構わない。何も無い、乾いた砂漠を2人で騎竜で走るのも悪くない)
触手が、変身したゼゼミオの魚の下半身の尾に、絡み付いた。即、『体液毒』が射ち込まれる。
「なっ?!」
激痛、麻痺。ゼゼミオの身体に衝撃が走り、変身の輪郭がボヤける。
「ディスペル」
「ふ、フリーズランスっ!」
変身や隠蔽の法式を解かれながらも、相手を確認もしないまま、痛みと痺れに耐えて氷柱の魔方を放つゼゼミオ。
相手は巨体の『蛸人族』だった。多数の氷柱でメッタ刺しにされても平然としている。
「ふぅっ、フリー」
「タイトルハック」
ワーオクトパスは集中の儘ならないゼゼミオから杖の使用権を奪い、魔法の行使を阻害し、
「スペルシール」
魔法その物を封じた。
「ぐぅっ、はぁっ、はぁっっ」
無力化され、毒を射たれ、足を絡め取られたゼゼミオはその場に倒れ込んだ。
「串刺しにする何て、激しいわねっ! ぬんっっ」
全身に力を入れ、刺さった氷柱を全て抜くワーオクトパス。ほぼ損傷は無く、『ヘコんでいただけ』であったが、わずかな傷と凍傷も再生してゆく。
周囲の暗がりに控えていたフルフェイスのオーシャンピープル兵達が姿を表す。
「勘違いしないでね? あーなーたっ?! アタシの毒は痛いけどそんなに強くないわよ? ただ、深海の大気が、陸の猿には厳しいってだけ」
「うぅぅっ、くっ。た」
「た? 何? 聞いてあげる」
「・・タコ野郎」
ワーオクトパスは無言で別の触手を振り下ろし、ゼゼミオを叩きのめして昏倒させた。
「タコ『お姉さん』のマゴンヌ副兵長よ? 覚えときなさい。お猿さん」
ワーオクトパス、マゴンヌはフルフェイスの兵達に向き直った。
「内通者はどうせ町長派か本国の密偵でしょ? 違ってもいいわ。『口実ができた』徹底的に吊るしなさい」
「ハッ! 直ちにっ」
兵達は一部は昏倒したゼゼミオを抱え、散っていった。
「このポポヨッテはラクシーン君とアタシのパラダイスになるんだから。ブシシシシッッッ!!!」
マゴンヌの奇怪な哄笑が監獄倉庫に響いていた。




