6-5 舞踏会(2)
時刻は少し巻き戻る。
最初にイヴァンとクラウディアが大広間にいないことに気が付いたのはジャックだった。
「大変です!王太子殿下!団長! クラウディア様とステイグリッツ皇太子殿下がこの大広間のどこにもいらっしゃいません!!」
イヴァンの進言にシルヴェスターとハイラムは首を傾げた。
「ジャック、どうした?クラウディア嬢ならあそこで皇太子と踊っているではないか」
ハイラムが視線を向けたフロアの中央には確かにクラウディアとイヴァンの姿がある…………ように見える。
「あれは、光魔術による幻影です!実体……本物のクラウディア様はこちらにはおられません!」
「なんだと!?パトリツ、コンラート、隊を率いてすぐにクラウディアを探せ!私も行く!!」
「あまり大事にしない方がいいね。僕の近衛隊も使って。ヴェルナー、ヒュー頼んだよ」
「私の隊も使ってくれ。ディー頼んだぞ」
「「「はっ!」」」
「ヴェルナーとディーは王宮内を探してくれ。私とパトリツ、コンラートは庭を探す。ギル、ジャック付いてこい!」
「手が足りないようでしたら私も協力します。手遅れになる前に声を掛けてください」
「ハイラム、すまない。よろしく頼む。この機会に何かある可能性もある。国王陛下と王妃陛下の護衛の手は緩めるな!」
「かしこまりました」
シルヴェスターとギルベルト、パトリツたち近衛騎士は庭に出るとまずは大広間の明かりが届く近場から探し始めたが全く姿が見当たらない。
「くそっ!もっと奥の方に入られたか!?」
「手分けをしながら、捜索範囲を広げるぞ!風属性の魔術を使える奴は風を操ってクラウディアの声を拾え!」
ギルベルトがそう指示を飛ばす。
そうして捜索範囲を大広間から離れた庭へ広げていくと、王宮内の捜索が空振りだったヴェルナーとディートリヒの隊が合流してきた。
「王宮内は空振りだったか!? 探し残しはないだろうな!?」
「夜会の招待客が入れる範囲はくまなく探しました!皇太子が滞在している部屋もです!さすがに執務区域や王族の居住区域、使用人部屋などは外しましたが」
幾何学模様を描く庭園の植え込みの陰までくまなく探してもクラウディアの姿はない。
さすがにシルヴェスターもギルベルトも焦りを隠せなくなってきた。
その時…………
「あ…………これはディアの声?」
兄妹の中でもクラウディアに次いで強い魔力を持つディートリヒが微かな女性の声を捕らえた。
「どっちだ!?」
「3時の方向!…………これは、昔よく遊んだ中庭だと思います!」
「よし急ぐぞ!」
中庭に急行したシルヴェスターたちが見た光景は凄惨なものだった。
クラウディアは上半身のドレスはおろか、中に着ているコルセットまで粉々に引き千切られ、その白い肌を淡い街灯に晒している。
よく見るとあちらこちらに切り傷があり血を流して意識を失っている。
シルヴェスターも兄弟たちも完全にキレた。
「貴様、ディアに何をした」
シルヴェスターが低い声で問いただしてもイヴァンは飄々としている。
「何、鎌鼬の使い方を教えてやっただけだ」
「鎌鼬だと?」
「クラウディア嬢は魔術の精度は高いが、実戦経験はないようだからな。魔術でどう戦うのか教えてやったまで。彼女ときたら、私の意識を奪うために土魔術で作った岩をぶつけようとしただけだからな」
イヴァンは何がおかしいのかくすくすと笑っている。
「貴様、余程白手袋を投げつけられたいらしいな」
「決闘か。それも一興だがそんな暇があるのか?早く手当てをしないとクラウディア嬢の綺麗な肌に傷跡が残るぞ」
「なっ!?そこまでひどい傷を負わせたと言うのか!?」
「さあな」
「ジャック、結界を使ってディアをやつから離すことはできる?」
ヒュベルトゥスがジャックにそう提案してみた。
「やってみます」
ジャックは、今の自分にできる最強強度の結界を発動し、クラウディアを結界で包み込むとイヴァンの腕から浮き上がらせた。
イヴァンは今一戦交える気はないようだ。ジャックが結界を使ってクラウディアを移動させるのを黙って見ている。
ジャックはクラウディアを包んだ結界が近づいてくるにつれて、結界を半透明にした。
幼いなりに上半身をはだけさせられたクラウディアの肌をシルヴェスター以外の男に見せないように気を使ったらしい。
ジャックは結界に包まれたままのクラウディアをすぽんとシルヴェスターの腕に降ろした。
「全員総攻撃!!」
ディートリヒの号令で近衛騎士たちが訓練通りに魔術と剣術を合わせた攻撃をイヴァンに仕掛ける。
その間にシルヴェスターとギルベルト、ヒュベルトゥスは後ろを向くと、ジャックに結界を解かせた。
シルヴェスターが息をのみ、ギルベルトとヒュベルトゥスは目を背けた。
それほどむごたらしい状態だった。
「ギル、ヒュー、上着を貸してくれ」
シルヴェスターは2人分の上着を借りて、そっとクラウディアの上半身を包んだ。
「ギル、人目に付かない場所を通って、ディアの部屋へ戻るぞ。ヒュー、すまないがお祖母様を呼んできてくれ」
「お祖母様を?」
「将来の王太子妃が他国の皇太子にこんな風に傷付けられたなどと他に知られるわけにはいかない。まだ王宮に来たばかりでディア専属の医者も決まっていない。ならお祖母様の光魔術で治療してもらう他無い。ディアもお祖母様になら気を許せるだろう」
「お祖母様を呼んでくるのは賛成だけど、とりあえずジャックに応急手当してもらったら?」
「ジャック、できるか」
「む、むむむむ無理です!クラウディア様は傷一つ付いてもいけない女性です。私の技術では自信がありません!」
「そうか。ヒュー急いでくれ。ジャックは訓練に励めよ。パトリツ、ディー一先ずは殺すなよ。とらえて貴族牢へぶち込んでおけ!
後はまかせるぞ!」
「はっ!」
「コンラート!お前の隊は私たちの護衛に付け!ジャックもだ」
「かしこまりました!」
コンラートの隊が抜けるのを埋めるようにパトリツやディートリヒは体制を変えていく。
だがイヴァンは自身を結界で包んで、魔術による攻撃を弾くとともに、剣による攻撃も飄々と交わしていた。
そうしてしばらく近衛騎士たちと遊んだ後、忽然と姿を消してしまった。
人目を避けてクラウディアの部屋へ戻ったシルヴェスターは、エレーヌとキャロラインを連れて寝室に入った。
一度寝台にクラウディアを寝かすと、シルヴェスターは真剣な眼差しでエレーヌとキャロラインを見つめる。
「今から何を見ても決して騒ぎ立てるな。今お祖母様を呼んでいる。彼女が登城してきたらクラウディアの治療に当たってもらうから、その前に治療しやすい服に着替えさせてくれ」
「お、お嬢様はお怪我をされているとおっしゃるのですか」
「ああ。むごい傷だ。お祖母様の魔術で早く無かったことにしてやりたい」
「かしこまりました。すぐに準備いたします」
シルヴェスターがリビングに戻るとギルベルトが母親を呼びに行っているとのことだった。
フランカ、ペトラ、エリカの侍女3人もシルヴェスターとギルベルトのただならぬ雰囲気に不安そうにしている。
シルヴェスターは侍女3人の前に立った。
「今からこの部屋で何を見ても騒ぎ立てず、口外もしないと約束できるか?」
彼の言葉に3人は背筋を伸ばす。
「かしこまりました。私どもはクラウディア様の侍女であることに誇りを持っております。婚約者であらせられる王太子殿下のお言葉であれば、クラウディア様のお言葉と同等と理解し従います」
3人を代表して一番年上のフランカがそう答えた。
「そうか、では信用するとしよう。侍女の手は必要だ。クラウディアを頼む」
「かしこまりました」
マルレーネもビルギットも取る物も取り敢えずと言った体でクラウディアの部屋へやってきた。
そこで、気を失ったまま丈の長い前開きの寝間着に着替えさせられているクラウディアの傷を見て絶句した。
エレーヌとキャロライン、フランカ達も顔色を真っ青にしている。
クラウディアの上半身は傷がないところを探す方が大変なくらい、容赦なく切り刻まれていた。
「嘘、嘘よこんなの。私のクラウディアが……こんな……」
泣き崩れたビルギットにマルレーネの厳しい声が飛ぶ。
「ビルギット、しゃんとなさい。貴女が母親でしょう。それができないのならこの部屋から出ていきなさい。治療の邪魔です。シルヴェスター王太子殿下、貴方もですよ。貴方には貴方のやるべきことがあるでしょう」
「かしこまりました。お祖母様。ディアをくれぐれもよろしくお願いいたします」
シルヴェスターが部屋を出ていくと、マルレーネは治療を開始した。浅い傷も深い傷も光の治療魔術で丁寧に1つずつ塞いでいく。
それは気の遠くなるほど時間と根気のいる作業だった。マルレーネも公爵邸から持参してきた魔力回復の水薬を飲みながら治療に当たっている。
全ての傷を塞ぎ切った頃にはもう夜が明ける時間だった。マルレーネはどうやって見分けたのか分からないが、シルヴェスターが付けた赤い跡だけは残した。イヴァンに付けられた跡は傷と一緒に綺麗に消し去った。
傷は消し去ったが、その日クラウディアが目を覚ますことは無かった。




