5-8 謁見式と舞踏会に向けて
クラウディアが登城の準備をしている間、シルヴェスターもシュタインベック家の侍従の手によって身だしなみを整えられていた。
なんだかんだで皺が寄ってしまったフロックコートやウェストコート、シャツにトラウザーズをプレスしてもらい、きっちりと着付けてもらった。
準備ができると、1台目の馬車にシルヴェスターとクラウディアが乗り、2台目の馬車には既に父ウーヴェと長兄ギルベルトが登城してしまっているため、母のビルギットと次兄ディートリヒ、3番目の兄ヒュベルトゥスが付き添いとして乗り込んだ。3台目の馬車には侍女としてクラウディアとともに王宮で生活することになった乳母のエレーヌと乳姉妹のキャロラインが乗っている。4台目の馬車に大量のトランクだ。
見た目的には一足早い輿入れの馬車行列のようになってしまっている。
エレーヌやキャロラインを含め、女性陣はクラウディアが王宮の王太子妃の部屋で生活することを大変喜んでいたが、ディートリヒとヒュベルトゥスは大変不機嫌だった。
しかも夫婦の寝室の使用許可まで出されるとは、父と長兄は何をやっていたのかとさえ思える。
ディートリヒとヒュベルトゥスとて男だ。好きな女性を前にした男の本能が分からぬわけではない。いや、分かるからこそ、クラウディアの貞操の危機と捉えて不機嫌になっているのだった。
そんなシュタインベック家の家族を乗せた馬車は、たいした時間もかからず王宮に到着した。
王宮に到着すると、一同は王家専用の広い応接間に通された。
応接間には国王と父ウーヴェ、長兄のギルベルトの他に、王妃のクレメンティア、第二王子ビンセント、第三王子プラティニが揃っていた。
クラウディアとビルギットがカーテシーで、帰城したシルヴェスターとディートリヒ、ヒュベルトゥスがボウ・アンド・スクレープの礼を取ろうとしたところで、「よいよい」と国王が片手を振った。
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。ディア、今日はこちらの不手際で怖い思いをさせてしまったね。大変申し訳ない」
そう言って国王が頭を下げると、クレメンティアとビンセント、プラティニもそれに倣った。その謝罪に驚愕したのは当のクラウディアだった。
「陛下、王妃陛下、ビンスお兄様もプラティニお兄様もどうか頭をお上げください。皆様方が謝罪されるようなことではありません」
「いいや。将来の王太子妃を守れなかったのだ。こちらにも落ち度はある。何より貴族、平民を問わず慮外者から国民を守るのは王族の責務だ」
「陛下……」
この国王と国王一家は本当に国民を大切にしていた。民を大切にし良い領地管理を行う貴族は身分の上下を問わずに大切に扱い、反対に民から搾取するような貴族はその家に古い歴史があろうと容赦なく断罪し、降爵や褫爵した。
このため、一部の貴族からは反発を招くことも多々あるが、平民からは圧倒的に支持されていた。
国王一家のその姿勢にクラウディアは身の引き締まる思いがした。将来王太子妃として王家の一員になるのだ。今日のように泣いてシルヴェスターに縋るようでは王太子妃として失格だ。自分の身は勿論、国民を守れる王太子妃にならなければならない。そのための6属性魔術と透視術の能力だ。
「陛下。私の方こそ、お詫びしなければなりません。私は力及ばず、母や祖母、公爵家の使用人たちを守ることができませんでした。剰え泣いて…………」
「ディア、それ以上は良い。家族や使用人たちを守りたかったという気持ちがあれば十分だ。それ以上のことは、今回の件ではディアは被害者なのだから」
「陛下…………」
クラウディアは深々と頭を下げた。
「さあ、皆座りなさい。今後のことを話し合おう」
国王夫妻とシュタインベック公爵夫妻がそれぞれ2人掛けのソファに座り、シルヴェスターとクラウディア、ギルベルトがクラウディアを真ん中に1つのソファに座る。ビンセントとプラティニでまた別のソファに座り、ディートリヒとヒュベルトゥスはそれぞれの主の後ろに立った。
「明日はイヴァン・ステイグリッツの謁見式と歓迎の舞踏会が開かれる。ディアには王太子妃として出席してもらう予定になっているが、大丈夫か?」
国王の問いかけにクラウディアはびくりと体を震わせた。そんなクラウディアの両手をシルヴェスターとギルベルトが包み込むように握りしめる。クラウディアは本当はイヴァンと顔を合わせるのが怖い。だが正式に王太子妃となることを国内外に発表されている今となっては式典への出席は義務である。
「はい。私は大丈夫ですわ。どちらも出席させていただきます」
クラウディアは手を握ってくれるシルヴェスターとギルベルトから力をもらって頷いたが、その手は震え続けている。そんなクラウディアをシルヴェスターとギルベルトは痛ましげに見下ろした。
「そうか。ありがとう。それから夜会ではシルとディアにファーストダンスを頼みたい。集まった貴族たちにも当の皇太子にもディアがシルの妃だと見せつけるためにな」
クラウディアがシルヴェスターを見上げると、シルヴェスターは軽く頷いてみせた。
「かしこまりました」
「問題はあの皇太子がディアにダンスの申し込みをしてきた場合だな。通常なら主催者側として受けねばならぬところではあるが…………」
「陛下!それはあんまりです。今日あれだけ怖い目にあって結界魔術も効かないというのに、至近距離で接触させるなど」
シルヴェスターが反対の意を示した。国王以外の皆が同じく反対のようでシルヴェスターの意見に頷いている。
皆に責めるような視線を向けられた国王がたじろいだ。
「私とて、ディアに怖い思いをさせたい訳でも無ければ、危険に晒したい訳でも無い。だがなぁ……夜会の主催者としては、一応国賓扱いの人物からの申し入れならそう簡単に断ることもできん。もちろん、謁見式で書状の件は正式に断りを入れるし、今日の件も抗議する。それでディアに近づくのを諦めてくれればよいが、今日の一件から考えてもそんな可愛らしい玉ではないだろう」
「あの、私なら大丈夫ですわ。先方からダンスのお申込みがあれば応じます」
「ディア!無理をしなくて良いんだよ」
「シル様、私とて好き好んで踊るわけではありません。あくまでシル様の婚約者として、準王族としてお役目を果たさなければと思うだけです。それにダンス1曲だけの間でしたら、結界魔術が効かなくてもあの方の精神操作魔術をくい止めることはできるかと……」
「ディアは真面目過ぎだ。怖い目にあわされた相手に再び接触すれば心を病むことだってあるのだぞ」
今まで黙って話を聞いていたビンセントが口をはさんだ。
「そうだねぇ。それに謁見式で婚約の申し込みを断るなら、それを更に明確にするためにも踊らない方がいいんじゃない?婚約の申し込みは断って、ダンスは受けるって対応がめちゃめちゃだよ」
プラティニの言葉に国王が呻いて胸を押さえる。
「陛下、私もビンセント殿下やプラティニ殿下のご意見に賛成でございます。本来であれば、謁見式で顔を合わせることも避けさせたいほどですが、そこはディアの責務として承知せざるをえません。ですが、それ以上のことはご容赦ください」
シュタインベック公爵夫妻が揃って頭を下げた。
「お言葉ですが、陛下、もともと招かれざる客です。謁見式と夜会、狩猟会を開くだけで歓迎としては十分ではございませんか?それから夜会や狩猟会ではシルとディアの仲の良さを見せつける事が目的と父から聞いております。マナーに反する部分もあるかと存じますが、シルとディアには数曲踊ってもらい、他からの申し込みは断るのが得策かと考えます」
ギルベルトの言葉が止めだった。
「そうだな。確かに皆の言う通りか。ディア、無茶を言ってすまなかった。夜会はシルと一緒に存分に楽しんでくれ。他の男からの申し込みは一切受けなくて構わん。シルもディアから離れるなよ」
国王が折れてそう言うと、皆が安堵の溜息をついた。
「陛下、ありがとうございます」
「言われなくてもディアから離れませんよ」
そう言って互いの目を見かわすシルヴェスターとクラウディアは既に仲の良い恋人の雰囲気を醸し出していた。
◆ ◆ ◆
「陛下、明日の結界はどうなさいます?ディアに張ってもらう予定でしたが…………イヴァン・ステイグリッツを警戒しながら結界を張り続けたらディアが持ちません。倒れてしまうでしょう」
当日の警備責任者となっていた第二王子ビンセントがそう切り出した。
「そうだね。今日の一件もあるし、ディアに結界を張らせるのは無理があるね」
「それなんだがな……」
国王は宰相に向かって頷いて見せ、ウーヴェは先程聞かされた白黒火、風、光、闇属性を持つ少年の話をした。
「ああ、あの子供のことですか」
ディートリヒは見かけたことがあったらしい。納得したように頷いた。
「ディアの結界が破られたとなれば、まだ訓練中の身ではあるが可能性があるのはジャック・フォン・シュミット男爵しかおらぬからな。試しに彼に任せてみようかと思う。それに一人前になったら彼にはディアの専属護衛に付いてもらいたいと考えている」
ディアは専属護衛という言葉に首を傾げた。確かに護衛は必要だ。自分は魔術はともかく剣術も体術も使えるわけではない。だが魔術師の護衛をつけられるとは……本来はクラウディア自身が民や騎士たちを守らなければならないのではないかと考えていたからだ。
「私に魔術師の専属護衛ですか?お言葉ですが、私もそのシュミット男爵様も守るべきは民であり、騎士様が戦いやすいよう後方支援するのがお役目なのではないですか?」
「ディア!何を言っている!?」
シルヴェスターが珍しく声を荒げた。
ウーヴェは、溜息をついて隣のビルギットに目を向けた。
「お前と母上の教育の成果が出過ぎているようだな」
「あら、私は間違ったことを教えたつもりはございませんわ。魔術師として力をつけ、お役目に応えられるようになることが、ディア自身の身を守ることに繋がります」
ウーヴェは再度溜息をつくと、国王に困ったと言わんばかりの視線を向けた。
国王は苦笑いすると
「公爵夫人。夫人のおっしゃることも間違えてはおらぬよ。だが何より大切なのはディアを敵の手に渡さぬことだ。ディアに一人で身を守れるよう教育してくれたことは感謝するが、ディアとて万能ではないのだ。一人ではどうしようもなくなった時にディアを助けられる者が必要だ。そのための専属護衛だと理解してほしい。ディアもな」
と言って、ビルギットとクラウディアを諭した。
クラウディアはまだ戸惑っているようだったが、国王の言葉に2度も逆らえるはずもなく「かしこまりました」と頷いた。
「では今からそのシュミット男爵を紹介しよう。明日は結界を張るのと同時にディアの警護にも当たってもらう予定だからな」
国王はそう言い、机上にあった鈴を鳴らして侍従を呼ぶと、近衛騎士団団長のハイラム・フォン・ベルケル侯爵とシュミット男爵を呼ぶよう命じた。
ハイラムがジャックを連れて入室してくると、クラウディアは立ち上がり流れるような美しい所作でカーテシーを披露した。
「お久しぶりでございます。ハイラム騎士団長様」
「これはクラウディア嬢。お久しぶりです。いや、美しいご令嬢に成長なさいましたな。確か先日デビュタントだったかと」
「はい」
「おい、ハイラム。ディアを口説くような真似はしてくれるなよ」
シルヴェスターがハイラムにそう牽制をかける。
「承知しておりますよ。シルヴェスター殿下。クラウディア嬢、ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
クラウディアはふわりと微笑んで、そう礼を言った。
そのクラウディアの笑顔にハイラムの隣りにいたジャックが真っ赤になった。
鯱張って姿勢を正す。
「こちらがお呼びのジャック・フォン・シュミット男爵です。ジャックご挨拶なさい」
「ジ、ジャ……ジャック・フォン・シュ、シュミット男爵と、も、申します。以降、お、お見知りおきください」
カミカミで自己紹介するジャックに王妃とビルギット、クラウディアは微笑まし気に笑みをたたえた。
「まあまあ、可愛らしい騎士様ですこと」
「クラウディアの護衛になってくださる方とお聞きしましたわ。どうぞディアをよろしくお願いいたしますね」
「初めまして。クラウディア・フォン・シュタインベックと申します。以降お見知りおきくださいませ。シュミット男爵様」
ジャックはクラウディアに話しかけられて、頭から湯気が出るのではないかと思う程耳や首筋まで真っ赤にしている。
ジャックのその態度にシルヴェスターと王子2人、シュタインベック家の3兄弟が嫌そうな顔をする。
「そんな様子で明日の警備は大丈夫なのか」
警備責任者のビンセントが苛立たし気に問いただした。
「まあまあ、誰でもクラウディア嬢の笑顔に中てられたらこうなりますよ。まだ年若い男の子ですしね。
ですが仕事はきちんと熟す子です。そこは御心配なさらず」
ハイラムはそうフォローを入れてから、ジャックを伴って退出していった。
◆ ◆ ◆
ジャックは今日本物のお姫様に出合ったと思った。
名をクラウディア・フォン・シュタインベック公爵令嬢と言い、王太子殿下の婚約者であるそうだ。
銀髪に薄紫色の瞳。ふんわりとした優しそうなご令嬢の笑みは一発でジャックの心をとらえた。
「どうだね。クラウディア嬢の印象は。うまくやっていけそうかい?」
そう問いかけるハイラムにジャックは夢見心地のまま頷いた。
「命を懸けてでもお守りするとお約束いたします」
ハイラムは苦笑を浮かべた。10歳の男児には刺激が強すぎただろうか。
「そう思うなら益々訓練に励むことだな。今の段階ではお前よりクラウディア嬢のほうが強い。うかうかしているとどちらが護衛か分からないと専属から外されるぞ」
ジャックはびくっと肩を震わせ表情を改めると頷いた。
「精一杯精進いたします」




