14話:私はこうして陰謀を白日の下に晒す。
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万代が閉じこめられた頃。
青咲は日本の富山県で粉雪が舞う中に立っていた。
飛行機を三回乗り継いでやってきたのである。
迫水伯爵領から万代が寄こした電話で前名麻奈美の偽名を名乗る女性を調べた結果、この地に行き着いたのであった。
事態は緊急かつ危険をはらんでいた。
万代、そして澁瀧澤家をも巻き込む陰謀の影を青咲は突き止めたのだ。
むろん万代はそのことは知らない。
そして小高い住宅街の一角。
背後には安アパートがあり目の前には灰色をした冬の富山湾が広がっている。
「久しぶりだな」
青咲は歩いてきたスーツの上にコートを羽織った男にそう話しかけた。
男は思いを巡らした。
最初に出会ったのはもう十年以上も前だった。
「ああ。久しぶりだ」
この男を中東の紛争地域でゲリラに拉致されそうになったときに助けたのが、そのとき西側の傭兵部隊に所属していた青咲であった。
つき合いはそれから始まり、海外出張先では可能な限り面会を重ねて来たことを思い出す。
青咲が右手を差し出すと男ががっちりと握り返してきた。
相手は万代の兄でありシブタキ企業グループの重役である澁瀧澤宗一郎だった。
「いいのか? 本当に来るとは思っていなかった。分刻みのスケジュールなんだろう?」
「万代に関わることなら俺はなにがあっても来るさ。本当は俺よりも澁瀧澤家には大事な身だからな」
「……そのこと、万代は気づいているのか?」
「さあな……? お袋は俺が気づいていないと思っているのだけはわかるんだがな」
宗一郎は背後のアパートを振り返る。
「このアパートか? この部屋の住民と万代がどう関係あるんだ?」
そう言いながら宗一郎は顎で通りの向こうを示した。
そこにはシブタキグループの車が停まっているからである。どうやらあの中で話をしようという意味のようだった。
「これを見てみろ。あの部屋の主に送られたものだ」
後部座席に収まった青咲は隣の宗一郎に一通の手紙を差し出した。
それは青咲がそこの安アパートの一室のポストから勝手に抜き取って開封したものだった。
「……差出人は迫水敬一? あの変わり者の迫水か?」
青咲は頷いた。
上流社会というものは思いの外狭い世界で、宗一郎が迫水の名前を知っているのは別に不思議な話ではない。
「ふむ……ニコバレンへの招待状だな」
中にはグラマン館に招待する手紙と航空券が入っていた。
「……あの部屋に住んでいたのが迫水の娘なのか?」
「ああ、どうも庶子らしいがな」
宗一郎は複雑な顔で頷く。
「そしてずいぶん前にこの娘はニコバレンに行っていたらしい。この招待状が届くずっと前にな」
「ふむ……複雑な話だな」
「で、その迫水の屋敷に万代がいる。ボディガードの仕事だ」
「なるほど、それで迫水と万代が繋がる訳だ」
宗一郎は腕組みをする。
「ところがその娘が死んだ。なんでもとんでもなく高い海沿いの崖の上で溺死していたらしい。万代はそれを殺人だと睨んでいる」
「この安アパートに住んでいた迫水の娘がか?」
宗一郎の問いに青咲は頷く。
「ああ。別に津波が押し寄せた訳じゃない。なのに海面から数十メートルも高い場所で溺死していたらしい」
青咲は宗一郎にグラマン館の状況をかいつまんで説明する。
海の中に聳えた塔であること。
夜間には満ち潮で陸とは断絶してしまうこと。
迫水の娘が発見された場所は屋敷よりも高い位置だったこと、などである。
「……寄り回り波」
話を聞き終えた宗一郎がふいに呟く。
「なんだそれ?」
宗一郎の言葉に青咲は反応した。
「……いや、富山に来たから思い出したんだ。富山湾だけに発生する恐ろしい波だよ。大荒れした天候の後に発生する高波のことだ」
……青咲は高波という単語が引っかかった。
万代に伝えるべきヒントになるかもしれないと思ったからである。
そして青咲は宗一郎にもう一通の手紙を見せた。
「悪いが見させてもらった。……万代は見ないで捨てていたがな」
その手紙を見て宗一郎は苦笑する。
万代が麻奈美と出会った早朝に自宅のゴミ箱に捨てられていた手紙である。
「俺が万代に送った手紙か……まあ、いいだろう」
青咲は手紙の中から一枚の写真を取り出した。
「宗一郎、お前この女が誰だか知ってるか?」
結婚を前提につき合い始めた女性がいることを万代に伝えるために、手紙に同封した会田葉子という女性の写真だった。
宗一郎が自動車教習所で出会った女性である。
「野暮なこと聞くな……それは俺のプライベートな問題だ」
「……この女が八龍団の幹部のひとりである小太陽だとしたら、どう思う?」
「……確かなのか?」
宗一郎は弾かれたように青咲を見る。
『あなたには女性を見る目がないのでそれだけが心配なのです……』と母の縫が宗一郎に告げたその言葉がよみがえる。
「たぶんな。俺もいちど見ただけだがとてもよく似ている。化粧と髪型を変えればそっくりだ。もっと早く気がつけば良かったんだが、さっきまでポケットにしまいっぱなしってことに気がつかなかった」
「……富山空港に澁瀧澤の専用機がある。自由に使ってくれ」
青咲は宗一郎の言葉に頷いた。
■ ■
翌日も快晴だった。
グラマン館は昨日と同じ一日を繰り返している。だがそれは見た目だけの話である。
「万代ちゃん! 中西先生! 無事だったの……!」
外へ通じる橋に通じる玄関前に清掃用具を片手にしていた村田姉妹が、背後の気配に気づき声を上げた。
姉妹の前に元気そうな万代と中西がいた。
「ええ、お陰様でね」
屋敷の中に入ると今日も多数のビジネスマンたちの姿が見えた。
その中で雑談をしていた彗の姿があった。
彗はすぐに万代に気がつき、驚きの表情で固まった。
「どうしたの? まるで私が地獄から戻ってきたかのような顔ね。……ま、地獄の門番たちは連れてきたけどね」
扉の外にはニコバレン陸軍警察迫水伯爵領治安隊隊長のティトゥ警察少尉が、二十人の部下を従えて立っていた。
その全員が自動小銃を構えた完全武装であった。
「ティトゥ、いったいこれはどういうこと?」
足音を響かせて万代を通り過ぎた彗が豊かな胸を揺らしてティトゥの正面に立った。
両手を腰に添えた仁王立ちである。
だがそんな彗を前にしても今日のティトゥの表情はなにひとつ変わらなかった。
そして静かに口を開く。
「……今からこの屋敷を捜査します。強制捜査です。……このグラマン館で組織的に連続殺人及び殺人未遂、そして詐欺行為が行われたとの有力な情報を手にしています」
「ティトゥ! 越権行為よ!」
さっと顔を青ざめた彗が金切り声で叫ぶ。
治外法権である貴族領ではニコバレン警察の介入は通常許されていない。
しかし昨日までとは別人のように落ち着き払ったティトゥは、制服のポケットから二通の書類を取り出して彗の鼻先に広げた。
「貴族院議長のサインだけでなく陸軍参謀総長のサインも頂いております。それぞれ大統領閣下の署名入りです」
その二通はもはやこのグラマン館が治外法権ではなくなったことを意味していた。
貴族院は日本大使館に勤める中西の後輩が外交ルートを通じて議長から得たもので、陸軍の方はティトゥが上層部に直談判した結果、許しが出たものであった。
「……まずはあなたから逮捕します」
無言で立ちつくす彗にティトゥがそう宣言した。
そして警察隊がグラマン館に突入した。
□
禁断の扉が開かれた。
五階である。
万代を先頭に中西とティトゥが続く。
基本的な構造は他の階と変わらない。
違うのは入り口付近に山下夫妻の居室があることと、それ以外のスペースがすべて当主の敬一氏の部屋になっていることだった。
万代たちがここに立ち入ったのはグラマン館で起こった一連の事件に深く関係する屋敷の構造をティトゥに伝えるためだが、中西も許可されたので同行しているのである。
今、階下ではビジネスマンたちの避難誘導と同時に犯人たちの捕縛劇が行われていた。
「まずは、グラマン館が潜水艦と飛行機の構造を併せ持つことを証明してみせるわ。それがこの屋敷に最初に行われたすべての殺人事件につながるのよ」
万代が言う。
「その前にグラマン館当主である迫水伯爵に面会ね。……驚かないで。意外な展開になるはずだから」
「……こ、これは? 敬一氏はどこなのです?」
中西が部屋を見回す。だが書斎にも応接室にも……そして寝室にも当主の姿はなかったのである。
「いないわよ……中西先生がこの屋敷に来るずっと前、少なくとも家政婦の村田さんたちがニコバレンに来たときにはもう迫水敬一氏はこの世にいなかったの……」
万代の言葉の意味が中西にはわからない。
「しかし……無人の車が斜面を落ちてきた事件の直後に敬一氏は慧さんと恵ちゃんの姉妹と電話で会話をしていました……あれはいったい?」
「アリバイよ。そのときグラマン館にいた男たちの誰かが成りすましていたと思う。私も中西先生も直接話した訳じゃないし、電話なんだから顔を見たのでもない」
万代の言葉に中西はなるほどと頷いた。
そして万代は屋敷中央にある巨大な鋼鉄製の円柱に歩み寄る。
「……やはりこういう仕掛けになっていたのね」
そこにはとてもシンプルな操作盤があった。
「エアプレーンとサブマリン……。なるほどまさに飛行機と潜水艦ですね」
中西がその文字表示を見る。
操作盤はその二方向だけしか選択できないようになっていた。
今レバーは「飛行機」に合わされている。そしてそのレバーの脇には白く明滅するランプがあった。
「万代さん、これは?」
万代は中西の問いに頷いた。
それは各階の床にある十分後に屋敷が揺れることを教えるセンサーであった。
□
五階の上に屋上庭園があった。
庭園は屋敷の直径よりも少し小さくて端には手すりがある。
そして中央には二メートルほど丸い穴がぽっかり開いていた。
「そろそろね」
時計を見ていた万代がそう告げる。
中西とティトゥは万代の指示で手すりにつかまり中央にある穴を見つめていた。
「来たわ……」
万代がそう言った次の瞬間、足下が揺れた。
そして中央の穴からものすごい勢いで水流が立ち昇ったのである。
この巨大噴水はまるで火山の噴火のようであった。天高く舞い上がった水は高みまで達すると霧になり空へと消えていく。
「空から降るサカナ。そして空から降った死体……。それらはこれで説明できるわ」
「では……海岸公園の水死体はもしかしたら敬一氏ということなのですか……?」
察しが早い、と万代は思った。
中西にはすでにガウン姿の水死体が発見された件を話していたからである。
「ええ、海岸公園で引き上げられた水死体とは、こうやって殺された迫水伯爵の死体だったのよ。そして……同じ公園のホットドッグ屋に空から落ちてきた死体もこれと同じ。私の予想ではあとひとつ見つかるはず。そう遠くへは飛ばないから探してみることをお勧めするわ」
万代が見るとティトゥが了解とばかりに深く頷いた。
「……そしてこれが飛行機の構造でもあるのよ。あそこを見て!」
万代は崖の方向を指さした。
「おお……! 確かにこれは飛行機です!」
中西が興奮して叫んだ。
万代が指し示した先にはグラマン館よりも高い位置にあるはずの本来見えるはずのない駐車場と格納庫が見下ろせたのである。
逆の方角を見ると領地内にあるあの漁村が遠くに見えた。
「この屋敷は逆さまにした巨大な漏斗なの。海底から来た強い流れが地下室からこの屋上まで通じている垂直の水路をものすごい勢いで登ってくるんだけど、その力はあまりにも強力だからこうして庭園まで持ち上げるのよ。建物すべてを持ち上げるのは無理でもここの庭園だけならば可能なのね。これこそがグラマン館が飛行機の構造を持つってことの種明かし……」
「でも……海は穏やかです。嵐でもないのにそんな強い波が来るなんて……にわかには信じられませんね」
ティトゥは言う。
「その答えは『寄り回り波』よ……」
聞き慣れない言葉に中西とティトゥは互いの顔を見ていた。
万代は日本から戻った青咲に教えられていたのである。
寄り回り波は富山湾に起こる恐ろしい巨大波である。
嵐が去った数日後の穏やかな海が突然盛り上がり高潮となって沿岸を襲う大波である。
そしてこのグラマン館でも富山湾同様に四日も前に通り去った嵐の波浪が遠い海から強力な大うねりとして来襲したのである。
グラマン館の目の前の海は急に深海へと繋がる深い海で、海中の崖にぶち当たった大うねりが一気に海上へと突き上がるのであった。
「……つまりボクシングのアッパーカットみたいなものよ。海底から一気に垂直に突き上がる海流なの。ましてここは深く湾曲した崖に囲まれたいちばん奥だから相乗効果でその潮位はとんでもなく高くなるのね。そしてその力を利用したのがこの巨大噴水なのよ」
「では床の繋ぎ目にあるあのランプは、海中に仕掛けられたセンサーが反応すると点滅する仕組みになっていたのですね?」
「ええ、おそらく間違いなくそうだと思うわ。十分間もあれば屋敷のどこにいても五階のレバーは切り替えられるものね」
万代の言葉に中西は深く頷いた。
空中庭園は吹き上げる水圧が下がると次第に高度を下げ始めた。
やがて駐車場や格納庫を見上げる元の低い位置へと収まった。
万代たちは五階に戻っていた。
「……このレバーを潜水艦にしたらどうなるのでしょうか?」
中西が尋ねたので万代はレバーを潜水艦に切り替える。
だが今はランプは消灯したままである。
「今は無理ね。でも潜水艦に切り替えた場合は屋敷の全部が本当に水没するわ」
「本当ですか?」
中西は思わず万代の顔を見る。
万代はそのまま真っ直ぐに中西の後方を指さした。
「……あそこは麻奈美と名乗る女性が死んでいた場所ですね?」
「ええ、そう……。潜水艦にレバーを切り替えると逆さまの漏斗状の地下室に水は貯まらないわ。だからたぶん屋敷を襲った寄り回り波はそのままグラマン館を包んで潮位を上げるの」
「だから……おそらくあそこまで」
「ええ。そして彼女が殺された夜、中西先生の部屋から見えた外のガラス壁を伝っていた水はその高潮が残した跡なのよ」
中西が頷くのが見えた。
そしてふと気がつくと操作盤にあるセンサーのランプが明滅を始めるのが見えた。
「富山出身でその波のことをとてもよく知っていた彼女がその方法で……運命って皮肉ね」
□
三階に戻るとビジネスマンたちはすべて屋敷から退去していた。
ロビー中央には警官隊に小銃で小突かれるようにして山下夫妻、長慶、次景が床に座らされている。
……惨いな。
殺人事件の容疑者とはいえ万代はなぜだが直視するを躊躇っていた。
「……前代未聞の大事件でしたね。まさか伯爵家の人間が全員入れ替わっていたなどとは夢にも思いませんでした」
淡々とした口調でティトゥが言う。
屋敷に関わった人物の中で今回の事件の容疑から外れるのは、弁護士の中西と家政婦の村田姉妹、そして万代だけである。
……そして恵の車椅子を押す慧が現れた。
「感想はあるかしら?」
そう万代に尋ねる自称慧の顔はあくまで不敵だった。
「最悪の気分よ。テストと言われた時点で気づくべきだったわ。リトルヨコハマで他の探偵にもテストしていたなんて嘘でしょ?」
極上の笑みが万代に向けられた。
すでに仮面が剥がされたはずなのに自称慧はやはり優雅だった。
「……マヨネーズか……。ただのヒステリー少女じゃなかったってことね」
車椅子から急に二十歳も老けたような妙齢の女の声がする。
「……」
万代は無言のまま顔を背けた。
初めて見る自称恵の挑戦的な視線。
その顔にはすでに十三歳の無垢な少女の面影はなく、今までメイクで巧妙に隠されていた正体――狡猾な年増女の素顔が滲み出ていた。
よろしければなのですが、評価などしてくださると嬉しいです。
私の別作品
「生忌物倶楽部」本日18時に連載予定
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も、よろしくお願いいたします。