12話:私はこうして麻奈美と再会した。
【毎日昼の12時と夕方の18時の2回更新します】
慧の姿を見つけた陸軍警官隊が一斉に敬礼をした。
真ん中にいるのはティトゥ警察少尉だった。
ここの領地の入り口に当たる検問所にいた四十代の小太りでこの地の治安を守る隊長である。
「なにか良からぬものを見つけたようです」
執事の山下がそう彗に伝えた。
「良からぬもの? ……なにかしら?」
彗が尋ねるとティトゥは部下たちが重そうに運んできたオリーブ色の大きな袋を見せた。
ごついファスナーがついた寝袋状の袋である。
万代は……嫌な予感がした。それはどう見ても遺体袋としか思えなかったからである。
「今朝の定期巡回で部下が見つけたのです」
流暢な日本語で話すティトゥは部下に命じてファスナーを開かせた。
すると……。
「……麻奈美……さん!」
万代は思わず声を出していた。
袋の中にいたのは目をつむり肌が青ざめた麻奈美であった。
「……どうして? ……どうして?」
彗は口を押さえていた。
万代は歩み寄りかがんだ。麻奈美の顔には乾いた前髪が張りついている。
「どこで見つかったの?」
万代はティトゥを見上げた。するとティトゥは崖の上を指さした。
「発見場所はあそこです」
そこはこのグラマン館の最上階とほぼ同じ高さだった。
駐車場や格納庫の真下付近。
昨日無人の車が滑り落ちてきたところからわずか数メートルのところで、ここから見上げるにはかなり首の角度を上げなければならない場所だった。
まだ現場検証を行っているようで数名の警察隊の制服が見え隠れしている。
「詳しくは調べてみなければ断定できませんが、死因は溺死だと思います。
死亡推定時刻はおそらく昨夜から今朝にかけてです」
「溺死……? 崖の上なんでしょ?」
「はい……そうなのですが、溺死だと思います。
私も長い間警察官をしているので間違いないと思います」
麻奈美の状態を見れば確かにおぼれ死んだように見える。
胸元まで開かれたファスナーからのぞける衣服も濡れているのがわかる。
「信じられないわ……。麻奈美さんはダイバーなのでしょ?」
彗が力なく言う。
……ダイバーの麻奈美が溺死する。
だがそのことはあり得ないことではない。
視界がゼロに近い漆黒の海で波の中に巻き込まれたら上も下も区別がつかないからである。
ましてここは夜間に強風が吹くのだ。波の高さは相当だと思える。
だが……万代の頭の中にいくつもの疑問が渦巻く。
ここの潮位の差はかなり激しい。だがそれでも玄関と橋がある三階部分までだと聞いている。
そこで麻奈美が溺れたとしても発見された崖の上ははるか頭上でなのである。
……そしてそれよりも奇怪なのは、なぜ麻奈美がグラマン館の外にいたか、である。
……なにか、ある。万代はそう結論した。
「やはりこちらに関わりのある方でしたか……」
ティトゥが彗と山下に質問している。
もちろん麻奈美についてである。名前、住所、来館目的……そんなところだった。
万代は隙を見てそっと写真を撮影した。
□
騒ぎはすぐに伝わった。
ティトゥを先頭にした警察隊の一部が四階に現れたからである。
通常、警察隊にはここまでできる権利はない。その権利を楯に執事の山下は拒否したが彗が認めたのである。
だが彼らを見つめる長慶や次景は複雑な眼差しだった。はっきり言えば明らかに不満顔である。
すぐさまマスターキーが用意され麻奈美の部屋が調べられたが、ものの五分もしないうちに警察隊は廊下へ出てきた。麻奈美の所持品がバッグひとつだけだったからである。
玄関に戻るとすでに遺体袋はなくなっていた。残りの警察隊がすでに持ち去ったからであった。
「……この事件は不幸な事故だと思われます。調査は引き続き行いますが伯爵閣下にはそのように伝えて頂けますか?」
最敬礼をしながら報告するティトゥに彗と山下が頷いた。
「待って。殺人の線はないの?」
万代がするどく問う。
「……ありません。溺れ死んだ人間をあんな崖の上まで担いで行く犯人はいませんよ。もしこれが殺人事件だとして私が犯人ならば、森の中にでも埋めます」
ティトゥが答える。その態度に迷いは見えない。
それは見方を変えれば仕方がないことで、確固たる証拠がない限り彼らには領主一族を捜索する権利がないためである。
「それはおかしいわ。仮に事故だとしてもなぜあんな崖の上で死んでいるの? そのことの説明がつかないじゃない」
万代は無理だとわかっていたが、そう言わざるを得なかった。
だが目の前の警察少尉は首を横に振るだけであった。
警察隊が去った後、万代の周りに人の姿はなかった。
万代は呆然として坂を登り小さくなる警察隊の姿を見つめていた。
知り合いの死。
そういうものをもういくつも経験してきた万代だったが、相変わらずこういうことに慣れてない。
相手は昨日出会ったばかりで直接会話した時間は三十分にも満たない。
でも……悔しい。
やり場のない怒りだった。万代はぐっと拳を握りしめた。手のひらの中で爪が皮膚に突き刺さる。
「……思いついたことがあるのですが」
振り向くといつの間にか弁護士の中西が立っていた。
辺りに気を配り誰の姿も見当たらないことを確認すると万代の横に並んだ。
「もしかしたら……なのですが、私が昨夜見たものは麻奈美さんだったのではないでしょうか?」
「……奇遇ね。私も同じことを考えていたわ」
万代は怒りを悟られぬようにできるだけ冷静に告げる。
「……と、言うことは私が見たのは見間違いや幻なんかじゃなかったと言うことですね? でも……どういうことでしょう? 四階、いや五階の高さまで波が達するなんてことはあるのですか?」
「……ないわ。大地震の大津波ならあり得るかもしれないけど」
万代はまだ水滴が滴る橋を見ている。その下では渦を巻いて潮位を下げる海があった。
■ ■
「恵、ひとりで出かけてたの?」
昼近くのことである。
姿が見えないので探し始めたとき、ガラス壁越しに橋を渡って帰ってくる恵の姿を見つけたのである。
玄関ロビーまで降りた万代は出迎えながら恵にそう話しかけた。
「うん、だってお兄ちゃんたちがもう安全だから大丈夫って言ってたよ」
屈託のない笑顔である。
兄たちに被疑があることは少しもわかっていないようであった。
「ちょっと……。まだそうと決まった訳じゃないわ」
万代は車椅子の持ち手を掴む。
ロビーには村田姉妹がモップがけをしていた。
警察隊が海水だらけの靴で大挙押し寄せたのでその後始末であった。
「私の側から離れないで、って言ってあるでしょ? 本でも読んであげるから」
「ええー、だってもうお昼だよ」
言われて時計を見ると確かに昼食の時間が迫っていた。
万代は車椅子を押してスロープを登り始めた。
すると当主の敬一氏から恵の出迎えを命じられていたと思われる山下と途中で出くわしたため恵を押しつけた。恵は必ず父親と食事をするからだった。
そして万代は安堵した。五階に預ければ恵は絶対に安全だからである。
ロビーに戻った万代は村田姉妹に男連中の居場所を尋ねた。
無責任なことを言う長慶たちに釘を刺しておこうと思ったからである。
「さっき二階に降りるのを見たわよ」
村田姉妹はそう教えてくれた。
万代は礼を言って立ち去ろうとした。だが人を探しているのは万代だけではなかった。
「……中西先生? さあ見ていないけど」
姉妹は中西を捜していた。
万代は記憶を辿る。今朝、警官隊が去るときにこの場所で別れたきりである。
「先ほどから姿が見えないのよ。今朝の件もあるでしょ? だから心配で」
今朝の件とはもちろん麻奈美のことであった。
□
二階の談話室で長男の慶と次男の景の姿を見つけた。
なにやら話し合っているようでテーブルの上には多数の資料が無造作に広げられている。
「……お取り込み中に悪いけど」
万代はそう言ってドアを開けた。
長慶と次景はギョッとして散乱している書類を隠す。
万代はそれに興味を示さない。どうせ午後から始まる商談の契約に関する資料に違いないからである。
「なんだお前は。勝手に入って来るな!」
長慶が怒ったように言う。……実際に怒ってるようだった。
「ちょっと訊きたいことがあるのよ……。どうして恵に、もう安全だ、なんて言うの? 事件はなにも解決していないのよ」
二人の兄弟は顔を見合わせた。
「……だってもう大丈夫だろう?」
「犯人は死んだんだ。私はそう思っている」
そして意外なものでも見るように万代を見る。
「ちょっと、どういう意味? それじゃあなたたちは麻奈美さんが犯人だって言うの?」
そんなことは絶対にあり得ない。万代は憤慨して言った。
「……だってそうだろう? 最近海辺で見かけた怪しい人物はダイバーだったって話じゃないか」
次景のその言葉に長慶も頷く。
「根拠のない話ね。あなたたちの脳みそってその程度?」
呆れた顔で万代が言う。
「根拠? 私にはお前が言い掛かりをつけているとしか思えんな」
お話にならない。万代はそう思った。
……もっとも彼らのどちらか、または両方が恵を狙う犯人だとすれば、そう言って恵を油断させるのは当然の手段だろう。
そのときであった。
廊下の奥から足早に彗と山下がやって来るのが見えたのである。
「……ここにいたのね。ティトゥから連絡があったのだけど妙な話になっているのよ」
「妙……?」
彗の言葉を万代が聞き返した。
「麻奈美さんが勤めているリゾート会社に身元を問い合わせたら、……前名麻奈美という人物はいない、ってことなのよ」
「どういうこと?」
万代は怪訝な顔になる。なにか嫌な予感がした。
「それだけじゃないのよ。ティトゥが言うには日本の大使館に確認したら、そのような日本人は該当しないらしいの……」
「……つまり偽名?」
万代の言葉に彗は頷いた。
「どうりでな……。俺は最初からおかしい女だと思っていたんだ。やっぱりダイバーのあの女が恵を狙っていたんだろ」
次景の言葉に長慶も頷く。
「そうかもしれないですね」
執事の山下も同意を示した。
「動機は? 仮に麻奈美さんが海辺で目撃されたダイバーだとしても彼女には恵を狙う動機がないわ。あの人は赤の他人なんだから恵にもしものことがあっても、なんのメリットもないのよ」
万代が目つきするどく兄弟たちを睨む。
「知らん。私が殺人を企むような悪人の動機なんぞ知るか。……だが突発的に見ず知らずの人を殺す人間は大勢いるんだがな」
長男の慶が勝ち誇ったかのように腕組みをする。
「あの女が犯人か……。ちょっと美人だから惜しかったが……。ま、人を殺そうと考える人間だから天罰が下ったんだろうな。自業自得ってやつだよ」
絶対に負けを認めた訳ではないが、万代は敗北感を味わっていた。
悔しさで噛み締めた下唇の皮膚は今にも破れそうであった。
□
万代はベッドに横たわっていた。
シャワーで濡れた肩までの黒髪をクシャクシャにかき回す。
水を吸ったシーツが冷たく感じられたが、今はそっちの感覚に神経を使いたくなかった。
ステンレス鋼素材で鏡のようになっている天井には伸びやかな肢体を持つ万代の全裸が映っていた。
「前名麻奈美……偽名か」
万代は自分と同じように唇を動かす天井の自分を不思議な気持ちで眺めていた。
「前名……麻奈美。まえな……まなみ。まえな……。まえな……!」
万代は突然半身を起こした。
そしてベッド脇のサイドテーブルの引き出しを慌ただしく漁りペンとメモ帳を取り出す。
―― 前名 → ぜんめい → 全明
―― 麻奈美 → まなみ → 真実
「……そうか、そういう意味なのね」
万代はメモにそう書き記すとひとり呟いた。
……『全ては明らか、それが真実』
……それは、Kei Sakomizu宛に送られた郵便物に同封されていたメッセージであった。
「送り主はわかったけど……」
わからないものがまだあることに万代は気づいている。
四人いるサコミズケイの誰に送ったか、そして腕時計に小さく掘られた『K・S』のイニシャル……。
万代はペンを放り出すと再びベッドに仰向けに転げた。
「ひゃっ……! なによ、もう!」
飛び起きた万代は悪態をついてベッドを蹴飛ばす。
シーツが濡れてとても冷たくなっていたことに今更ながら気がついたからである。
■ ■
『もしも私になにかあったらさ、オスカーの翼の下を探して……』
……昨夜、最後に会ったときに麻奈美はそう言っていた。
誰もいない二階の談話室に入った万代は、さっそくアカデミー賞のオスカー像を調べた。
目の前にある像はレプリカだと教えられている。
高さは三十センチほどの男性の裸体像で手には剣を持っていた。
そしてその背には当然ながら翼は……ない。
「像に仕掛けがある、ってことじゃなさそうね」
万代は像を手に取って叩いたりひっくり返したりしてみたが、内部に空洞があるとはとても思えなかった。バーカウンターの辺りも探してみたがボトルやグラスなどがあるだけだった。
「だとすると……あそこ?」
万代は三階の玄関ロビーへ登っていた。
ロビーは今日もやって来た大勢の商談客で賑わっている。
応接スペースには長慶や次景の姿があった。
談笑しているスーツ姿の一団の脇をすり抜けて万代はロビー中央の噴水に向かった。
そこにはガラス製の透明な太い円柱がありその上に大きなオスカー像があった。
「派手なことは……できないわね」
辺りには数十人の人の目がある。
正面から噴水の水の中に立ち入ったり像を倒したりすればたちまち注目を浴びてしまう。
万代は屋敷を貫く太い柱の影で素足になった。
そして像の背後から水に足を踏み入れた。
「……どういうこと?」
万代は腕組みをして考え込んでしまった。
像を近くで子細に調べてもなにかを隠すようなスペースはなかった。
それにこの像は太いボルトで留められているので麻奈美もこれを外して持ち上げて、中になにかを隠したとは考えられなかった。
切り口が違うのかもしれない……。
「……そうか、翼だ!」
万代は小さく叫んだのだった。
よろしければなのですが、評価などしてくださると嬉しいです。
私の別作品
「甚だ不本意ながら女人と暮らすことに相成りました」完結済み
「墓場でdabada」完結済み
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「沈黙のシスターとその戒律」完結済み
も、よろしくお願いいたします。