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12/16

11話:私はこうしてグラマン館のガラス壁の外に誰かがいると伝えられた。

【毎日昼の12時と夕方の18時の2回更新します】



 


 やがて一人去り、二人去り、談話室には誰もいなくなった。

 廊下に出た万代はそっと足下を見た。




 床材の繋ぎ目がぼんやりと明滅しているのがわかった。

 中西が教えてくれた十分後にグラマン館を揺れることを教えてくれるセンサーである。




「……探偵さん、もしもなんだけど」




 振り返ると麻奈美が立っていた。




「もしも? ……なんのこと?」




 万代はなに気ない動作で足を伸ばして床のセンサーを隠す。




「うん。もしも私になにかあったらさ、オスカーの翼の下を探してくれないかな?」




「オスカー?」




 万代は怪訝な顔で尋ねた。

 からかっているのだと思ったのだ。だが麻奈美の顔は真剣だった。




「……うん。そこにね。……すべての真実が隠されているから」




 それだけ言うと麻奈美は万代の肩をぽんと叩き歩き始めた。




「ちょ、ちょっとどういう意味?」




 万代は追いすがろうとするが、麻奈美は背を向けたまま速度を落とさない。

 堅い意志の現れだった。




「そういう意味」




 角を曲がる寸前にそれだけの返答が返ってきた。

 万代はそのまましばらく立ちつくしていたがやがて首を振り、ひとつ呼吸を整えると自室に向かった。




 ……万代が去った後に一人の人物が姿を現した。人物は床にかがみ床材の繋ぎ目をじっと見ていたが、やがて立ち上がり立ち去った。




 □




 四階に戻ると恵はすでに部屋に帰っているようで、カーテン越しに室内に明かりが漏れているのが見えた。

 そして彗や長慶、次景、そして中西の部屋も同様であった。

 言葉を残して立ち去った麻奈美の部屋は真っ暗であったが、カーテンで閉ざされていたのでその中を窺うことはできなかった。




 自室に戻った万代は着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。

 そしてしばらくすると時計を見て突然立ち上がった。

 そして床に俯せになった。




 ……軽い揺れがやって来た。

 談話室の廊下で明滅を見てから十分後のことである。




 しばらく万代はそのままの姿勢でひんやりとした床に横になっていた。




「……あ、思い出した」




 麻奈美に再会したときに思い出せなかった事柄である。

 それは麻奈美と初めて出会ったリトルヨコハマの海岸公園で麻奈美が口にした言葉だった。




「……()()()()、だった」




 今は新月。

 月明かりが乏しい上に空は曇っているようで、外は漆黒の海でなにも見えないだろう。

 なので壁全体がガラスであることのメリットはなにもない。

 万代は立ち上がってカーテンを閉めた。




 ■ ■




 深夜。万代は浅い眠りを繰り返していた。

 昨日からの様々なことが万代の頭に浮かび万代の睡眠を妨げていた。




 海岸の公園で見つかった二つの死体、空から降るサカナ、恵を襲った二つの事件、再会した麻奈美、中西が見つけたセンサー、そして謎の郵便物……。




 これらになんらかの繋がりがあるとは思えないが、それらはほぼ同時に訪れた気にかかる現象だ。

 関係するとは言い切れないが安易に無関係と断定もできない。




 そんなことをうつらうつらと考えていたのだが、だがいつしか疲れが勝り、遠くに波の音と風の音を聞きながら深い眠りへと落ちていった……。




「きゃあーーーー!」




 ――突然だった。




 最初は夢かと思った。

 だが耳に残っている叫びの余韻は明らかにこれが現実であることを告げていた。




 ……不覚!



 

 次の瞬間万代はベッドから飛び降りた。

 幸い服は着替えていない。




 廊下に出ると恵の部屋を見た。

 明かりは落とされ厚いカーテンの向こうは何事もなかったかのように静まりかえっている。




「……万代姉ちゃん?」




 怯えるようなか細い声に振り向くと、薄暗い常夜灯に照らされた車椅子が見えた。

 廊下のいちばん奥の突き当たりである。




「恵……?」




 万代は裸足のまま、一気に廊下を走り少女に駆け寄った。

 そして胸に抱きしめる。




「大丈夫よ……。もう大丈夫……」




 恵は巣立つ前の小鳥のように震えていた。




「……平気?」




 万代が尋ねると彗はコクンと腕の中で頷いた。




「大きな声出して、ごめんなさい」




 万代は恵の両肩に手を置く。




「……あなたなの? さっきの声は?」




 うん、と頷く。

 恵は両目いっぱいに涙を浮かべていたが、怯えは消えていた。




「いったい、どうしたの?」




「窓……。窓の外に誰かいたの」




 万代はぎょっとなる。

 そして恵から手を離し窓に近寄った。

 そして一瞬躊躇したあと鍵を開けて力を込めて分厚いガラス窓を思い切り開けた。

 すると両開きの扉がすっかり開く前から顔面に風圧を受けた。




「……すごい風」




 外は荒れ狂う風だった。

 万代は夜には必ず強い風が吹くと言っていた彗の言葉を思い出す。




 空に月が見えた。

 だが新月なので折れそうなほど細い月である。そして満天の星空だった。




 底が見えぬ真下から波頭が砕ける音が断続的に響いてくる。

 強風にあおられた高い波だとわかったが、星明かりだけでは海面が今どのくらいの位置にあるかはわからなかった。




 だが、少なくともこの四階までは届いていないのはわかる。

 ひょっとしたら海面が上がりこの階に侵入できる状態になっているのかと考えていたのだが、それは思い過ごしであったようだ。




 恵が見た人影は間違いなくなにかの見間違いだと思った。

 万代はつま先立ちになり身をかなり乗り出して闇夜を睨んだが、やはりなにも見えなかった。

 そして振り返ると恵の両手が万代の腰にしがみつくのが見えた。




「……どうしたの?」




「う、うん。なんでもないの。……少し怖いの」




 恵は万代にぎゅっと抱きついている。その両腕にはまだ震えが残っていた。




「……そう。でも大丈夫。外には誰もいないわ」




「うん。ごめんなさい」




 恵はぽつりぽつりと事の次第を話し出す。




 今夜はいつまでも眠くないので屋敷の中を散策しようとしていたらしい。

 そしてこの場所に来たとき開いていた窓の外に誰かがいたように見えたのだと言う。




「窓が開いていたの?」




「うん、きっと誰かが閉め忘れたんだよ。

 だから恵が閉めたの。……そのときに誰か外にいたように見えたの」




 そう言って恵は手を伸ばして窓を閉めた。再現しているつもりのようであった。




 そのとき部屋のひとつに明かりがついた。

 弁護士の中西の部屋である。

 するとそれを合図にでもしたかのように次々と各部屋の照明のスイッチが入った。




「いったいどうしたんです?」




 中西がガウン姿で現れた。その頭は寝癖で後頭部の髪が跳ね上がっている。

 外見だけするといつもの紳士とは思えない容姿だが物腰はやはり紳士であった。




 やがて次々と寝間着姿で四階の住民が現れる。長慶と次景である。




「なんでもないわ。恵がちょっと見間違いをしただけ」




 万代が説明を終えると一同は納得顔になる。




「恵……!」




 いちばん最後に現れたのは彗だった。

 恵を抱きしめる彗はぼさぼさ髪でおでこが全開であった。

 相当熟睡していたようである。

 化粧のない彗の素顔を初めて見たがそれでもやはりかなりの美人であった。




「麻奈美さんはどうしたのでしょう?」




 中西が未だ現れない麻奈美の部屋を振り返った。




「さあ、熟睡しているんだろう? 俺も夢だと思って寝返りしてたくらいだし」




 次景が大欠伸をかみ殺しながら言った。




 長慶も中西も同様のようで相槌を打っている。

 その麻奈美の部屋は真っ暗で分厚いカーテンが閉ざされたままであった。




 □




 万代は今度はしっかり着替えてベッドに横たわっている。

 恵には絶対に部屋を出ないと誓約させて内側から鍵を施錠するのを確認してから自室に戻っていた。




 恵のお陰ですっかり目が冴えてしまったが、身体を締めつけないいつも通りの楽なTシャツ一枚の姿になったことで無用な緊張がほぐれたのか割合すんなりと眠りに就くことができた。

 だがそれもわずかであった。




「うわあああーーーー!」




 まどろんでわずかの間である。

 万代は再び素足のままドアを飛び出した。

 そのまま恵の部屋に到着するとドアノブを握る。だが鍵はかかったままであった。




「恵!」




 万代は辺りをはばかりながら少し強めの声を出すと部屋の明かりが灯って、やがて車椅子姿の恵がドアを開けた。




「……万代姉ちゃん、今の声はなに?」




「良かった……」




 万代はほっと安堵の息を漏らす。




「男の人だよね? 今の声」




 万代は言われて自覚した。

 確かに今の声は男性の声である。すると次々に明かりが灯り、彗、長慶、次景が顔を出す。




「……まったく。今度は誰なんだよ?」




 次景が明らかに不機嫌な顔のままで言う。




「いないのは、ダイバーの女と中西先生か」




 長慶が顔ぶれを見ていった。




「でも今のは男の人の声よ。……まさか、中西先生!」




 彗が後ろを振り返り言う。




 この階にいる男性は長慶と次景、そして中西だけである。

 兄弟二人がいることはそのまま中西の不在を意味している。




 そのときその中西の部屋はぼんやりと明るかった。

 ベッドサイドの読書用照明の明かりに思える。

 万代は頷くと恵に部屋にいるように言い残しと中西の部屋へ向かった。




「中西先生、……大丈夫ですか?」




 鍵はかかっていた。

 だが万代が声をかけた直後、部屋の天井の照明がつき寝間着姿の中西が姿を現した。




「……ああ、みなさん、お騒がせしました。すみません」




「どうしたのです?」




 どうぞ、と招かれ万代たちは中西の部屋に入った。

 部屋の造りは万代たちと同じである。




 ベッドがあり、備え付けの必要最低限の家具があり、奥にはバス、トイレがある。

 そして部屋の中にはなにも変わった様子がない。




「ああ、どうもお恥ずかしい。私は寝ぼけていたようです」




 中西はそう言うと苦笑いをする。




「悪い夢でも?」




 長慶が尋ねる。




「あ……あ、いや、正直に言ってもみなさんに信じてもらえるかどうか?」




 中西は窓際の壁を指さした。




「……カーテンを開けてたのね?」




 万代が言う。




 壁際の床から天井まで届く長いカーテンが開かれていた。

 寝るときにカーテンを開け放したままの人間は少ない。




「ええ、まあ……なんていうか、今夜に限って気まぐれにカーテンをそのままにして寝ていたのですが……」




 中西はガラス壁に両手をつけて顔を押しつける。

 夜空を見上げているようだった。




「……見えませんね」




「なにが……?」




 万代も中西と同じようにした。

 見えるのは満天の星空だけである。




「……外に人が見えたのです」




 呟くように中西は言った。




「まさか? 先生も恵と同じことを言うんですか?」




 長慶が問いつめるように言う。




「お恥ずかしい」




 恐れ入るように中西は頭を下げた。彗と次景が壁に寄り外を眺めた。




「誰もいないわ……。四階だもの、当たり前といえば当たり前ね」




 彗が左右に首を振る。




「どういう風に見えたの?」




 万代が中西に向き直った。




「それが……、それが……、あり得ないんですよ」




 中西はベッドにどっかと腰を降ろす。その重みでその身体がわずかに上下する。




「……あり得ない?」




 万代が尋ねると中西は両手で顔を覆う。




「逆さまになって人が空へと飛んで行ったのです……」




 全員がとたんに押し黙った。言うべき言葉が見当たらないと雰囲気だった。




「……逆さま?」




 万代が呟くように尋ねると、中西は首を縦に振る。

 それは重みに負けた頭が自然に落ちたようにも見えた。




「はい……。両足を上にしてクルクルと身体を回して舞い上がるように……」




 重々しく口を開く中西を見ていると、まるで懺悔を聞く教会の神父のような気持ちになる。




「……ベッドで本を読みながらウトウトと微睡んでいたんです。するといきなり見えたのです」




 ベッドはガラス壁に向かって置かれている。枕元には点けっ放しの照明と開かれた本があった。




「……やはり中西先生の見間違いだと思うわ。なんと言ってもここは四階ですもの」




 彗の言葉に長慶と次景が頷く。




「……お恥ずかしい。きっと寝ぼけていたのだと思います」




 中西は深々と頭を下げた。




 一人去り、二人去り、……そして万代と中西だけが残された。

 万代はカーテンに手をかける。閉めようとしたのだ。




「……雨が降ったの? ……そんなことないわよね」




 万代の言葉に中西は立ち上がった。そして横に立つ。




「いえ、そんなことはないと思いますが? どうしてでしょう?」




 窓の外は雲一つない星空であった。




「水がガラスの外側を伝っているんです」




 ガラス壁の外側には万代が言う通り、多数の水が跡を引いてすべり落ちるのが見えた。




「……実はひとつ気が付いていたことがあるんです。窓の外に人の姿を見る少し前に床のランプが点滅していたのです」




「それは本当なの?」




 万代は中西を見つめた。




「はい。戸締まりを確認するためにドアの近くに来たのですが、そのときにはっきりと……」




 万代はドアの手前に向かった。そして屈んでみたが今はセンサーは消えたままであった。




 ■ ■




 昨夜は恵と中西の騒ぎ以降はなにもなかった。

 そして翌朝。朝食の後だった。万代たちの寝室がある三階の眺めが良いところを陣取り、万代は慧とコーヒーを飲んでいる。




「麻奈美さんはまだ起きないの?」




 万代が尋ねると慧が頷く。




「ええ、もしかしたら体調が悪いのかと思って村田さんたちが部屋をノックしたのだけど、返事がないらしいのよ」




 その姿は万代も見ていた。

 食事中、朝食を乗せたワゴンを押している村田姉妹が廊下を通って四階に向かったのを記憶している。




「なにかあったのかな?」




 朝食に向かう前にも万代は麻奈美の部屋を確認している。

 部屋は静まり厚いカーテンは閉ざされたままであった。




「まさか」




 慧はそう言って屈託なく笑う。




 今日もいい天気だった。ガラス壁の向こうには水平線と穏やかな海が広がっている。

 万代はぼんやりとそれを眺めていたが、にわかに起こった喧噪に気がつく。




「……なにかしら?」




 万代と慧は立ち上がる。




 すると玄関で執事の山下が十人ほどの制服姿の男たちの応対をしているのが見えた。




「警察隊みたいね」




 飲みかけのカップをそのままに万代と慧は足早にそこへ向かった。




 時計を見るとちょうど引き潮が始まった頃である。

 この時間だと外界と繋がる唯一の鉄橋は膝下の深さとは言え、まだ海面下だ。

 だから警官隊がこの時刻に現れるのは、よほど緊急を要する事態が起こったことを意味していた。




 


よろしければなのですが、評価などしてくださると嬉しいです。


私の別作品

「生忌物倶楽部」連載予定


「甚だ不本意ながら女人と暮らすことに相成りました」完結済み

「墓場でdabada」完結済み 

「甚だ遺憾ながら、ぼくたちは彼の地へ飛ばされることに相成りました」完結済み

「使命ある異形たちには深い森が相応しい」完結済み

「空から来たりて杖を振る」完結済み

「その身にまとうは鬼子姫神」完結済み

「こころのこりエンドレス」完結済み

「沈黙のシスターとその戒律」完結済み


 も、よろしくお願いいたします。

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