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10話:私はこうしてKei宛に届いた郵便物を目撃する。

【毎日昼の12時と夕方の18時の2回更新します】






 グラマン館に戻った。

 落陽はもう山陰に隠れ辺りはそろそろ夜の気配が漂い始めている。

 潮位は高くなっていたが橋に到着したときは、まだ二階部分の半分ほどであった。




「……しまった。帰りそびれた」




 麻奈美が呟いた。玄関ロビーの中でのことである。




 ビジネスマンたちのほとんどがもう帰社していた。

 今残っているのはプレゼンの後片付けをしている食品会社の人間たちだけである。

 麻奈美が属するリゾート会社らしきスタッフの姿はどこにも見られなかった。




「点呼もしないで帰っちゃったって訳?」




 万代が呆れたように麻奈美を見る。




「……私、いてもいなくてもいい下請けの下請けだから」




 つまり孫請けだから途中でいなくなってもバレないほど存在感がないため、スタッフ全員が引き上げる際に不在なのがわからなかったらしい。

 各方面の専門家を集めた企業プロジェクトではこういう事態はよくある話である。




「部屋、余ってるんでしょ? 泊めてあげたら? どうせ明日にはその会社の人たちがまた来るんだろうし」




 万代が彗を見る。




「ええ、いいわ」




「ホント? 助かる! ……なんだかかえって得しちゃったみたいだな。このグラマン館に泊まれるなんてね」




 麻奈美は彗を両手で拝むような仕草をする。




「全然問題ないわ。そうね……山下に言って手配させるわ」




 慧は微笑んだ。




「山下さん、って?」




 麻奈美が恵に尋ねた。




「執事。いやーな人」




 後ろを見上げた恵が舌を出して言った。




 万代と彗は思わず苦笑する。彗の車椅子は今は麻奈美が押していた。

 麻奈美にも恵くらいの妹が日本にいるのだが長期入院しているとのことであった。

 そのことから恵に妹を重ねているのだろうと万代は思ったのであった。




□ 




 屋敷の中央を貫く鋼鉄製の太い柱の向こうに人が集まっているのが見えた。

 昼に弁護士の中西が本を読んでいた場所である。

 今いるのは長男の慶、次男の景、そして執事の山下であった。




「どうしたの?」




 彗がその集まりに話しかけた。

 三人の男たちがテーブルを囲んで起立したままなにやら話し込んでいたからである。




「……訳がわからない郵便が送られてきたんだ」




 長男である長慶が顔を上げた。




「訳がわからない、ってなに?」




 慧の問いに次景が折れ目がついた紙を広げた。

 そこには宛先が英文で印字してある。




「え? 『Kei Sakomizu』 ……誰宛なの? 兄さんたち?」




 彗が驚いた顔で二人の兄たちを見た。




 長男の迫水(けい)と次男の迫水(けい)はともに首を横に振る。

 だとすると残るは長女の(けい)か次女の(けい)のどちらか宛となる。




「お前たちのどっちかだと思うんだが……これに見覚えあるか?」




 次景がテーブルを指さした。

 そこには開封された小さな紙製の箱があり、中には年代物の腕時計が一個収まっていた。

 大きさからして男性用のようだった。彗は首を横に振る。




「……メーカー名も書いてないわ。きっとオーダーメードね。……私には心覚えはないわ」




 文字盤を見て彗がいう。

 裏蓋にもやはりそれらしい文字はない。

 そして時計を末娘の恵に手渡すが恵も「知らない」と首を振る。




「……ちょっといい?」




 万代は恵から腕時計を受け取った。

 調べると時計は象嵌が細かく相当の高級品に思えたが、彗が言うようにメーカー名やブランド名が一切ない。

 だが……あることに気がついた。




「イニシャルが掘ってあるわよ」




 万代はそれを箱に戻しながら言う。




「どこだ?」




 慌てたように時計を取り上げた長慶が文字盤や裏蓋を子細に調べる。

 次景も彗も山下もそれを覗き込む。




「バンドの方よ。バンドの縁に小さくあるのがわかる?」




 時計を受け取った万代が金属バンドに刻まれた文字を指さした。

 文字はバンドの縁にかなり小さく刻まれているのがわかる。




「K・S ……私たちのイニシャルだわ」




 彗が口を押さえて言う。




「でもこの時計は男性用だから女性陣には関係ないと思うけど」




 万代は二人の兄を見る。




「俺は知らないぞ。それに俺の時計はスポーツ用だ」




 怒ったように次景が言う。

 そして自分の左手にはめられた腕時計を見せる。確かにその手には次景の太い腕に似合うごついスポーツウォッチがあった。




「……私のとも違う」




 青ざめた顔になった長慶がワイシャツをまくり左手を見せた。

 控えめのデザインがされた革バンドの紳士用腕時計がある。




「どういうこと……?」




 彗が箱に戻された時計を見た。




「……伯爵の時計って可能性は? 宛先はあなたたちだけどイニシャルだけなら迫水敬一さんも当てはまるけど」




 万代はこの場にいる全員の顔を見てそう告げた。

 兄弟たちは無言で互いに顔を見合わせる。




「……違うと思うわ。だって父は腕時計などしないもの」




 しばらくして彗が発言した。




「ああ、そうだった。オヤジは時間にしばられるのが嫌いだから腕時計も嫌いだったな」




 次景がそう言うと長慶も山下も、ああ、そう言えば……。と同意している。




「そうなの? 恵?」




 万代が車椅子の恵に尋ねる。




「うん。よく覚えていないけど、たぶんお父様は腕時計はしてなかったと思うよ」




 そのときだった。




「……これはなにかしら?」




 彗が箱の蓋を手に取った。

 蓋の裏側に二つ折りの小さなメモらしき紙が挟まっていたのだ。

 彗は紙を広げた。そして一瞬の沈黙の後に怪訝な顔になる。




「なにが書いてあるの?」




 万代が尋ねると彗はそれを広げて見せた。




「……()()()()()()()()()()()。……なんだこれ?」




 次景が声を上げて読む。そこには日本語で印刷された短い文があった。

 万代は紙を手に取り照明に透かしてみたが特別変わったところはない。




「……この短い文章そのものが、この時計を送った人間がこれを受け取るべき人物に伝えたいメッセージって考えるのが普通ね」




 万代は迫水兄妹の四人の顔を見て言った。




 真に受け取るべき人物が誰なのかはわからなかったが、これを送った人物は間違いなくサコミズケイになにかのメッセージを伝えたいことがあるに違いない。

 万代はそう思っていた。




 □




 ……結局この郵便物は嫌がらせだろうという結論になった。

 誰の顔にも疑問や戸惑いが浮かんでいたが、一人去り、二人と去った……。




「本当に誰も見覚えがないのかな?」




 一同が去った後に万代は彗に話しかけた。




「どうでしょうね? 少なくとも私は覚えがないわ」




「きっと頭が変な人だよ。変な人がいるんだよ……」




 恵が万代にしがみついた。

 その身体はわずかに震えている。




「怖い……。恵に嫌なことする人が送ったんだよ……」




 恵は自分を襲う人物が腕時計を送りつけたと思っているようだった。




 だがそれは違うと万代は思った。

 恵を狙うのは間違いなくこの屋敷の住民である。

 だが先ほどの郵便物は明らかに外部の者だと思われた。




 郵便物犯人の真意はわからない。

 だが一連の恵との事件とはどうしても関連する部分が感じられないからであった。




 恵の車椅子は慧が押していた。

 万代はその後ろでやや遅れるようにゆっくりと歩を進めた。




 ロビー中央付近でモップがけをしている村田姉妹の姿を見たからである。

 姉妹は熱心に清掃をしているように見えるが実は興味津々で万代に視線を送っているのがわかる。




「ねえ、万代ちゃん。なにが送られてきたの?」




 万代が真横に来たとき姉妹の片方が話しかけてきた。

 もちろん姉なのか妹なのかは見分けがつかない。




「腕時計よ」




「腕時計? なぜ?」




 万代は差し障りのない程度に説明をする。

 四人いるサコミズケイの誰かに送られてきたこと。

 そして腕時計はオーダーメイドで男性用だったことなどである。




「オーダーメイド? じゃあきっと旦那様のものよ」




 村田姉妹は口々に説明を始める。

 伯爵は相当の時計好きで既製品は決して身につけなかったと言うのであった。




「でも、慧たちは敬一氏が腕時計は身につけていなかったと言ってるわ。時間にしばられるのが嫌だとか言っていたみたいね」




 万代の言葉に村田姉妹は同時に首を傾げる。




「じゃあきっと旦那様の趣味が変わったのよ。なにしろ病気だし。私たちもこのニコバレンに来てから旦那様に会ってないから知らなかったけど、きっとそうよ」




 姉妹たちは互いに頷き合って納得しているようだった。 




 □




 四階の空き部屋に麻奈美は宿泊することになった。

 麻奈美は先ほどの郵便物騒動の間ずっとロビーで待っており、万代たちが戻って来たときには噴水のオスカー像を眺めていたのであった。




「このグラマン館に泊まれるなんて夢のようだよ」




 部屋の案内をした万代に麻奈美はそう言った。

 幼い頃から元俳優のガトー・グラマン氏が建てたこの屋敷に来ることは夢だったらしい。




「私の父がね、グラマンが出演した『南太平洋の決闘』のファンだったんだ。だから私もなんとなく影響されてね」




 麻奈美はまるで少女のように目を輝かせていた。




「あなた……この屋敷の顧問弁護士と気が合いそうよ」




 万代はそれだけ告げると麻奈美の部屋を後にした。

 夕食の前にシャワーを浴びようと思ったからである。




 廊下に出るとその中西弁護士が見えた。

 スロープをこの四階から三階へと降りる途中の姿で腰から徐々に沈むように去って行く。




「……」




 これと言った理由はなかったがなんとなく気になった万代はそのまま弁護士を追った。

 三階に降りると弁護士はロビー中央付近でかがみ込み床を見ている。

 それはまるで地面のアリの巣でも観察しているように見えた。




「……なにをしているんです? ずいぶん熱心なようだけど」




 側まで来ても中西が気がつかないので万代は声をかけてみた。




「ああ、万代さんですか。なに、少し面白いことに気がついたんです」




 そう言って中西はそのままの姿勢で万代を見上げた。




「おもしろいこと?」




「はい」




 中西が手招きするので万代もかがみ込んだ。

 そして中西が指さす床材の繋ぎ目を見つめる。

 だが特になにかある訳ではない。万代は怪訝な顔で中西を見つめた。




「ここは明る過ぎますね。こうしたらよく見えると思います」




 中西は手のひらで繋ぎ目に影を作った。




「……どういうこと? 光っているわね」




 繋ぎ目の一部がゆっくりぼんやりと白く明滅しているのである。




「最初に気がついたのはこの上の四階でした。ちょうどこの真上が私の部屋のドア付近なのです」




「真上?」




 無論、中西の部屋が見える訳ではないが、思わず万代は天井を見上げた。

 そこには無数のシャンデリアが並んでいる。




「ええ、それでもしかしたらこの三階にもあるのではないかと思い来てみたのです」




「確かに面白い。全然気がつかなかったわ。……でもこれには意味があるの?」




 中西が自分の腕時計を見つめながら立ち上がった。

 そして万代もつられて立ち上がる。




「まだ時間があるようです。……どうです? 二階へ行ってみませんか?」




 そういって中西がスロープに向かって足早に歩き出す。

 万代はその背を追った。




 二階は相変わらずカーテンがすべて閉められていた。

 もっともこの階は今完全に水没していたはずであるし、陽はすっかり落ちて辺りは真っ暗な夜なので例えカーテンを開けてもなにも見えないのは間違いない。




「ああ、あそこ辺りだと思います」




 中西は応接室と食堂の中間の廊下で立ち止まった。




「あったわね」




 中西と並んでかがんだ万代の目の前で床の繋ぎ目がぼんやり光っていた。




「でも……これにはなんの意味があるの?」




 万代は先ほどと同じ質問を繰り返した。




「そろそろ時間です。できれば床に腰を下ろしてください」




 時計を見て中西がそう告げた。

 万代は不審に思いながらも中西を見習って両膝を抱える体育座りの姿勢で床に座る。




「……どういうこと?」




 万代はバランスを崩しかけ片手を床につけた。……床が揺れていたのだった。




「お昼に話したことを覚えてますか?」




 万代はコクンと頷いた。




 昼間、中西がときどき揺れを感じると言っていたのを思い出したのである。

 この揺れはわずかで堅い床の上などでじっとしていないと感じることはない。

 例え横になってもベッドの上では気づかないだろうと万代は思った。




「この揺れはこの床の光が点滅し始めて約十分後に必ず訪れるのです。そして揺れが収まると光は消えるのです」




 揺れはすでに収まっている。

 そして床を見ると今はランプは光っていなかった。




「……だから時計を見てたのね? ……じゃあいったいこの揺れはなに?」




 中西は首を横に振る。




「わかりません。でも……」




「でも?」




「揺れが起こる以上、なにかがこのときに屋敷に起こっているのだと思います」




「そうね。これが地震予知の機械だったらものすごいことだけど、残念ながらそんな機械はまだ実用化されていない。だからこれは地震じゃない……」




 中西は頷いた。




「……でもこのランプの点滅は十分後に訪れる揺れを確実に知らせる。……つまりこれは揺れを予告するセンサーってこと?」




 中西は再び頷いた。




 たぶんその考えは間違っていない。

 だが揺れが生じることを知らせるセンサーであればもっと人目に付くように設置されるはずである。




「……これはおそらく今の迫水家ではなくグラマン氏がこの屋敷を建築したときに作ったものだと思います」




「私もそう思う。……このことは彗たちは知っているの?」




「わかりません。知っているかもしれませんし、知らないのかもしれません」




「……そして中西先生は自らこのことを発見したのね?」




「そうです。……どうでしょう? このことは今は私と万代さんだけの秘密にしておいてくれませんか?」




 万代は中西の言葉に頷いた。




 迫水家の人々がこの件を知っているのかどうかはわからない。

 だがもし知っていた場合、中西や万代に教えていないのにはなにか理由があるはずである。

 だから今は下手に騒ぎ立てない方が得策だった。




「……揺れを密かに伝える隠された装置……」




 万代は立ち上がって中西を促した。

 屋敷の誰かに見られる前にこの場を去ろうと思ったからである。



 

 ■ ■




 夕食の後である。

 食堂と同じ二階にある談話室に誰ともなく誘い合った結果、それほど広くないソファはいっぱいになる。

 集まったのは万代と彗、長男の慶、次男の景、弁護士の中西、そして麻奈美である。




 談話室には作りつけの大きな書棚がある。

 そこに納められた本の多くは英語で書かれた本であり、ごく一部は日本語の本だった。

 前者は前のオーナーであるガトー・グラマン氏が収集したもので、後者は今の当主である迫水家が持ち込んだものである。




 背表紙を見ると小説や紀行文学のタイトルもあるが、やはり目立つのは建築関係と映画関係の本であった。

 バーカウンターでは彗がグラスを用意して各人に手渡している。

 正直飲んだこともないその高価そうなブランデーには心が動いたが、万代は心残りとともに断った。

 いざというときにアルコールの悪影響を受けたくないからである。




「しっかし、頭に来るなあ。あの腕時計いったい誰のいたずらなんだ?」




 次景がこの場にいる全員に問うように口を開いた。

 部外者である麻奈美も同席しているのだが、もうすでに食事のときから酒が入っているので細かい思慮ができなくなっているようだった。

 そんな麻奈美といえばグラス片手にひとりオスカー像のレプリカを眺めていた。




「私は案外……この屋敷の中の人間の仕業じゃないかと思ってる。なんの目的かはわからんがね」




 薄めすぎて無色にほどなく近いグラスを傾けながら長慶が答える。

 薄めたのはもちろん胃への負担を減らすために違いない。




「やめてよ。そんな話は……」




 ソファに腰掛けた彗がそっぽを向きながら言う。




「ねえ、どうしたの?」




 ひとりだけコーヒーを飲んでいる万代に彗が尋ねた。

 万代は先ほどから無言で考え顔であった。




「……ごめん。別のことが気になっていたの。……恵は大丈夫かな? って」




「大丈夫だろ。今頃は橋は水没してる。それに恵はオヤジのところにいるから安心だろう。あそこは俺たちでさえ入れないんだから」




 次男の景は恵を狙う犯人が外部のものだと相変わらず信じているようだった。




 だがその次景の言葉にも本当のことがある。

 父親の敬一氏の居室がある五階に出入りが許されているのは恵と山下夫妻だけなのである。

 堅く閉ざされたその扉の中には、同じ実の子供たちである彗たち兄妹三人でさえ立ち入り禁止が言い渡されてあった。




 そして末娘の恵は食事は必ず五階の父親のところですませることになっているので、食事中の恵は最も安全な場所にいると言えた。




「確かにそうね」




 万代は肯定する。

 そんな万代を次景はどろんとした酔眼で顔や身体をなめまわすように見つめていた。




 弁護士の中西は微笑しながら無関心を装う顔だった。

 本来迫水家のプライベートな会話には一切同席しないのが中西の考えだったが、いつもの夕食後の雑談は一般的な世間話であることが多いことからむしろ積極的に参加しているのであった。

 今回は席を立つタイミングを逸したと言うところか。




「……やはりグラマン氏に興味がおありのようですね」




 部外者である麻奈美には話しかけやすいからだろう。

 中西は麻奈美に問いかけていた。




 麻奈美は書棚から取り出した一冊の本を開いていた。

 それは中西が日本から持参したものと同じガトー・グラマン氏の自伝であった。

 中西と麻奈美は食事の間中もグラマン氏が出演した『南太平洋の決闘』の話題で盛り上がっていたのである。




「そう言えばこの本に書いているけどこのグラマン館って、隠された謎らしいものがあるみたいだね」




「隠された……謎? なにそれ?」




 麻奈美の言葉に万代が振り返った。




「なんでも、海に潜り、空に浮かぶらしいんだ。……どういうことか私には全然わかんないんだけどね」




「海に潜り……空に浮かぶ?」




 意味がわからない……。




 万代は思わずこの迫水家の家族たちの顔を見る。

 だが彗や二人の兄たちは互いに顔を見比べているだけだ。どうやら思い当たる節はないらしい。




「……ああ、そう言えばそんな記述がありましたね。どうやら潜水艦と飛行機の両方の特徴を兼ね備えている……とか」




「馬鹿馬鹿しい。私はそんなこと聞いた覚えがないぞ」




 中西の言葉にグラスをあおりながら長慶が答える。




「それ、本当に書かれていることなの? このグラマン館が動いて飛んだり潜ったりすることができるなんて思えないわ」




 彗もあり得ないといった表情になる。




「いやいや、別に動くといった構造になっているとは書いていないんです」




 どれどれ、と立ち上がった中西は麻奈美から自伝を受け取り後ろの方のページをめくる。




「……ああ、ここです。『――私が最後に暮らす建物は私の人生に大きく関わった二つのものに敬意を払い、それらの特徴を取り入れたいと現在奮闘している。その二つとは潜水艦であり、飛行機である。海に潜り空を飛ぶという人類が太古から夢見ていた世界へ私を案内してくれた尊敬すべき友人たちである。そしてそれに相応しい土地はニコバレンという南太平洋の島になるだろう――』 ……こう記述されています」




「……確かにこのグラマン館のことみたいね。でも潜水艦ってのは彼の人生にどう関わっているの? グラマン氏ってのは……映画では飛行機乗りだったんでしょ?」




 万代は中西に尋ねた。




「ええ、映画ではグラマン戦闘機に乗っていました。しかしグラマン氏は本当は潜水艦乗りだったのです」




「中西先生、どういうことですか? 私はグラマン氏が俳優を辞めて建築家になったとは聞いていますが潜水艦というのはわからんですね」




 長男の慶が質問した。




「ええ、彼が俳優を辞めて建築家になったというのも事実です。ですが潜水艦乗りだったというのも事実なのです。……潜水艦に乗っていたのは俳優になるその前、つまり大戦中のことなのです」




「太平洋戦争のことね? 日本とアメリカが戦った戦争ね?」




 彗が質問すると中西は頷く。




「そうです。その時代、彼は潜水艦の水兵として南太平洋に来ていたのです。そして彼が乗った潜水艦は日本の飛行機によって沈められてしまうのです。そこで九死に一生を得て生き残った彼は日本機に復讐すべく海軍の戦闘機乗りを目指したのです」




「……どこかで聞いた話ね」




 万代の言葉に中西は頷いた。




「そうなのです。彼が出演した『南太平洋の決闘』と彼の戦争時代の体験はとても似通っていたのです。だからこそ彼はオーディションで勝ち得たその役で迫真の演技を行うことができたのだと思います」




「でも本当には戦闘機には乗れなかったんだよね」




 グラスを傾けた麻奈美が話を引き取った。

 その後に実際のグラマン氏は転属願いは受理されたが飛行機乗りの試験に落第したまま失意の中で事務職の内勤に就き、そのまま終戦を迎えたとのことだった。




「だから潜水艦と飛行機か……。実際に死に目にあった潜水艦、そしてその後の自分の夢を実現させてくれた映画の中の飛行機。確かに建築家として巨万の富を築いても決して褪せることのない青春の思い出だったってことね……」




 ……面白い。万代はそう思っていた。

 やはりガトー・グラマン氏という人物は子供の感覚を持ったまま大人になった人間に違いない。




 空軍を持たないニコバレンへの皮肉と茶目っ気で自ら収集した戦闘機たちに『ニコバレン空軍』と名付けるくらいだから、屋敷の構造の話も本当かもしれないと感じていた。




「……でもこの屋敷は実際に飛んだり潜ったりはしないわ。それはあくまでその元海軍軍人で元俳優であったグラマン氏の夢だったんじゃないかしら?」




 新しいグラスを用意しながら彗が発言した。

 彗は全員のグラスが空になりつつあることから再びバーカウンターに戻っていた。




「そうだな。でもこうとも考えられるんじゃないか? この屋敷は実際に二階や三階まで水没するぜ。だから潜水艦なんじゃないか?」




 グラスを受け取った次景が言う。




「それに父のいる五階はいちばん空に近い。下を見れば飛行機に乗っているような気持ちなのかもしらん。……案外そんなところだと私も思う」




 長慶は腕組みをしてひとり納得顔になる。




「なんだか夢がないなあ、私は本当に潜水艦になったり飛行機になったりできるんだと思ってたよ」




 自伝を元に戻しながら麻奈美が言う。




「だって、途中までだとしても海に沈むから潜水艦って言うのはいいけど、ただ背が高いから飛行機と同じってんじゃ、世の中すべてのビルは飛行機の構造を持っているってことになっちゃうよ」




「前名さん、あなたはなにが言いたいの?」




 彗が尋ねた。

 麻奈美は両手を腰にあてて向き直った。




「私はね、実はこのグラマン館が本当に空を飛ぶんじゃないかと思ってるんだ……。どう?」




 長男の慶と次男の景が同時に吹き出した。

 馬鹿馬鹿しいと言った冷ややかな目で麻奈美を見る。




「そんなに変?」




 麻奈美は兄弟の二人を鋭い視線で見つめていた。

 不穏な雰囲気になった。




「……そうそう空と言えば……」 

 彗が言葉を発する。

 それはこの場を取り繕うとする行動であったが全員の注目を集めることに成功した。




「……空と言えばサカナが空から降ってきたわ」




「サカナ?」




 長慶の顔に疑問が浮かぶ。




「ええ、本当なのよ。ほら、屋敷まで来る途中に太古さながらの漁村があるでしょ? そこで見たのよ。万代ちゃんと恵もいっしょだったわ」




 彗はそのときの様子を事細かく説明していた。

 長慶も次景も中西もその話に夢中になる。




「それは本当ですか?」




 中西が心底驚いたようであった。




「サカナが空から降ってきたって話はあるよ。オカルトっぽい話なんだけどね」




 ニヤリと一瞬笑った麻奈美が突然話し始める。




「それはどんな話です?」




 中西が身を乗り出した。

 彗も興味津々に麻奈美を見る。




「……世界中を探すと過去になんどかあるみたいだよ。ファフロツキーズ現象って言ってイギリスやオーストラリア……なんかでね」




 麻奈美が説明を始めた。

 竜巻でサカナが吸い上げられて離れた場所に降って来たと言うのだ。

 そして降ってくるのはなにもサカナだけではなくて、カエルや石の場合もあるらしい。




「正直そのときはびっくりしたけど、……でも仕組みがわかればそれほど驚く話じゃないわね」




 それは万代の正直な感想だった。




「……でもそれを聞くと降ってきたのがサカナで良かったわ。これが家なんかだったら押しつぶされてしまうもの」




 ほっとしたように彗がため息をつく。




「それでは、まるで『オズの魔法使い』のようですね」




 中西がしみじみという。オールド映画ファンならではの発言である。




「あら? それではまるで中西先生は私が悪い魔女だととでもおっしゃるつもりかしら?」




 彗が微笑みながら言う。

 笑いがどっと広がり先ほどの険悪な雰囲気はどこかに消え去っていた。 




 だが、万代にはひとつの疑問が浮かんでいた。




「ちょっと気になるのよ。竜巻説ってのは説得力があるけど……竜巻が起きたなんて話を聞かなかったけど?」




 万代に限らずニコバレンに住む人々は気象情報をよく聞く。

 台風の通り道であり年がら年中嵐が押し寄せるこの国の人々は、総じて天気予報に詳しく挨拶代わりに天気の話をするくらいである。

 だが万代はここ数日のニュースを思い出してもそのような現象が起こったことを聞いた記憶がなかった。




「大嵐はどうだ? 海で大嵐が起これば竜巻ぐらい起きるだろう?」




 長慶だった。




「嵐なんて三日前よ。確かにかなりの嵐だったからひょっとしたら竜巻ぐらい発生したかもしれないけど、三日も空に漂っていたとは思えない。それに……サカナは生きてたし」




「そうね。確かに生きていたわ」




 彗が万代に同意する。




「では大地震かなんかで大津波が起きたらどうだ? 竜巻じゃなくて津波で空に舞い上がったサカナが降って来たとか」




 次景が考え考え言う。




「それこそあり得ないわよ。そんな大地震が起こったら世界中の大ニュースじゃない」




 万代はあっさり否定する。

 確かにそんなニュースはない。




「……地震がなくても大波が来ることもあるよ」




 麻奈美だった。一同の視線が麻奈美に集まった。




「私が生まれ育った海には今の季節に突然大波が来ることがある」




「原因は発達した低気圧でしょうか?」




 中西のその問いに麻奈美は頷いた。




 この常夏のニコバレンでは実感はないが今は一月。

 日本では完全なる冬である。 




「ええ、確かにそれが原因なんだけどね。なにもないおだやかな海面がいきなり盛り上がって大波となって押し寄せる……それで毎年何人もの犠牲者が出るんだ」




「おだやかな海と言うことは、嵐の海ではないのね?」




 彗の質問に麻奈美は頷く。




「嵐のときは誰も海なんか行かないよ。そうじゃなくて嵐が止んで何日も経ってすっかり静かになった海に発生するから始末に悪いんだ」




 やがて麻奈美が口を閉ざしたので、各人はそれから思い思いに様々な話題を出し合い会話は盛り上がっていた。

 そんな中、万代は無言だった。




 ある事柄が気にかかっていたからである。

 万代はちらりと麻奈美を見ていた。麻奈美も万代同様に無関心と思える表情でグラスを傾けている。




 万代はそんな麻奈美に自分と同じ匂いを感じていた。

 ときには挑発的な態度を示し、ときには無関心を装い成り行きを見つめている態度にはなにか裏がありそうだと思ったのである。




 突然、麻奈美と視線が合った。

 万代と麻奈美は無言のまま視線をぶつけた。

 だがそれは攻撃的な視線ではなく互いの真意をかいま見ようとする探り合いであった。






よろしければなのですが、評価などしてくださると嬉しいです。


私の別作品

「生忌物倶楽部」連載予定

「甚だ不本意ながら女人と暮らすことに相成りました」連載中 


「墓場でdabada」完結済み 

「甚だ遺憾ながら、ぼくたちは彼の地へ飛ばされることに相成りました」完結済み

「使命ある異形たちには深い森が相応しい」完結済み

「空から来たりて杖を振る」完結済み

「その身にまとうは鬼子姫神」完結済み

「こころのこりエンドレス」完結済み

「沈黙のシスターとその戒律」完結済み

 も、よろしくお願いいたします。

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