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09話:私はこうして漁村の領民と出会い、そのあとに麻奈美と出会う。

【毎日昼の12時と夕方の18時の2回更新します】



本日より私の別作品「生忌物倶楽部」を連載いたします。

こちらも、どうぞよろしくお願いいたします。



 


「一本道だから誰かが来れば絶対に気がつくわ。だから……外部からの犯行はないと思うの」




 恵を抱きしめたまま彗がいう。

 今ここにいるのは万代と彗と恵の三人である。

 車を降りた彗に今起こった事件を伝えた後のことである。この領地の唯一の道を通って来たのだからその言葉に間違いはない。




「そうね。それにこの土地から犯人が離れるのはまずあり得ないし……」




 万代は呟いた。




 これが普通に起きた事件ならば、迫水伯爵領の検問所にいる警察隊に通報して山狩りでも行ってもらい、徹底的に捜索してもらうこともできる。

 広大な密林に徒歩で逃げ込まれる可能性もあるからだ。




 だがこの事件は恵を狙ったものである。

 莫大な財産を継ぐであろう恵を狙うのはあくまで関係者であり、屋敷と関係ない通り魔的な犯人の可能性は一切排除できるのだ。




「だとすると……グラマン館?」




「……そうね」




 彗がスマホを取り出してそう答えた。そして電話をかけた。




「あ、彗です……」




 通話の相手は執事の山下のようである。しばらくすると彗は電話を耳から離した。




「屋敷には私たち以外全員いるようよ」




「全員?」




「ええ、兄たちも使用人たちも全員」




 万代は眉間に皺を寄せる。




「あ……はい。恵に怪我はありません。

 中西先生も一円さんも大丈夫です……はい……はい……警察ですか? ……はい……わかりました……」




 通話を再開した彗の口調が改まったのに万代は気がつく。

 会話の相手が代わったのだ。




「……恵」




 彗が電話機を恵に差し出した。

 恵はキョトンとした表情でそれを受け取る。




「誰?」




「……お父様よ。恵とお話がしたいそうよ」




 途端に恵は笑顔になる。

 そして電話機を耳に押し当て楽しそうに会話を始めたのであった。




「……一応念のために訊きたいんだけど、警察を呼んで関係者全員を尋問させることはできないの?」




「無理ね」




 万代の提案を彗はあっさり拒絶した。




「父から今、直接言われた。この件は内密にしろ、と、ね」




「お話にならないわね!」




 万代の語気は荒くなる。




「弱気になったの?」




「そうじゃない! ……条件は圧倒的に不利なのよ。

 シャンデリアの落下もあそこで潰れた車も明らかに誰かが行った犯行だわ。だけどその犯人が誰なのか。

 ……いいえ、単独犯なのか複数犯もわからない上にこちらは防戦一方で行動しなければならないの。

 せめて警察の介入でも仄めかせば犯人がなんらかの尻尾を出す可能性があるのよ」




「残念だけど……残念だけど、ここでは領主である父の言葉は絶対なの。たとえ相手があなたではなくて、この国の大統領だとしても……ね」




 確かにここはそう言う土地だった。

 領地内は基本的に領主に施政の権限がある。万代はそのことを再認識させられた。




 それでも他に手段がない訳ではない。

 対象を監禁したままにして絶対に手出しできない状況を作ることや、対象を囮にして犯人をおびき出す方法もある。




 だがその対象は恵なのである。

 楽しそうに電話をしている幼い少女にそれを求めるのは万代にはできなかった。




 恵が彗を呼んだ。

 電話は再び彗と父の敬一との会話になる。風が強くなったので彗は電話機を手で覆いながら話している。




「風が強くなりましたね」




「ええ」




 いつのまにか戻って来た中西が万代に話しかけた。

 中西はその立場上、彗たち家族のプライベートには関わらないように会話が始まる前に少し場所を外していたのである。




「……でも風向きは変わることもありますよ」




 その言葉に万代は中西に向き直る。




「どういう意味?」




「待てば海路の日和あり、の意味ですよ。……では私は一足先に屋敷に戻ります」




 万代にそう告げて中西は去っていった。

 中西の言った意味は理解できた。今は向かい風で守備側であってもいつかは追い風が吹き攻撃側に転ずることができる、と言う意味なのだと万代にはわかっていた。




 だから……その流れを変えるなにかのきっかけが欲しいと願っていた。

 この場の均衡を破る持ち駒がたったひとつでいいから欲しかった。




「……らしくないな」




 万代は首を振る。

 今までもひとりでやって来たのだ。やはり彗のいう通りに弱気になっていたのかもしれない。




 ■ ■




 崖沿いの道を上がり、四輪駆動車は一気に岬の頂上に出た。

 視界がすっかり開けたので恵は感嘆の声を上げる。

 運転しているのは万代。後ろの座席には彗と恵の姉妹が乗っている。




「まあ、確かにあのまま屋敷にいても安全とは言えないけど、外に出るのもどうかと思うけど」




 バックミラー越しに万代は二人を見た。




「やだ。……恵はお外に行きたい!」




 お菓子が詰まった袋に手を入れながら少女が言う。

 その姿はとても中学生には見えない。




「……ですって」




 ミラーの中で彗が呆れ顔になるのが見える。

 あのままドライブになったのは、もちろん恵の我が儘がいちばんだが父である敬一氏の意向もあった。

 気分転換に外出させるのを勧められたのである。




 車はドイツ製のクーペから日本製の四駆に乗り換えていた。

 乗り降りがしやすいのと車椅子を収容できるからである。




 このトヨタ車は日本ではアウトドア派には最高のツールとして有名だが、国外では軍用車両としての方が認知度が高い。とにかくタフで使いやすいのが理由である。

 そして盗難されやすいクルマとしても有名である。




「で、どこに行くの? 夕方までには戻らないといけないから、そう遠くへは行けないわよ」




 ……そうね、と彗が考え顔になる。




「そうね、あの漁村がいいかしら? 距離的にもちょうどいいと思うわ」




 万代は頷いた。

 屋敷に来る途中に見かけた領民たちが暮らす集落のことである。

 やがて車は浜へと降りる脇道にそれた。だがすぐに道はただの斜面へと変化する。




「……この車にして正解ね。あのクーペだと降りられても帰りは登れないわ」




 背の高い草をバンパーでかき分けるようにして四駆は坂を降る。

 地面の凹凸そのままに車内は前後左右に揺さぶられる。

 恵の身を案じた万代はミラーに視線を送るが、この揺れは意外にも好評で歓声を上げて楽しんでいた。




 草原を過ぎると小川が前を横切っていた。

 水深は浅く砂利ばかりなので走破するのは訳ないが、問題はその向こう岸の土手であった。

 高さはさほどではないが際まで熱帯雨林が密集し車体をこじ入れる隙間がまったく見当たらないのである。




「ちょっと迂回するわよ」




 万代は車体を傾かせ右に大きくハンドルを回す。

 四駆は水飛沫を立てながら川の流れを遡る。

 やがて川の流れが大きく『く』の字に曲がった内側に幅広くどこまでも平らな砂州があった。




「行けそうね」




 万代は砂州に車体を乗り上げた。

 砂の表面は白くまっさらでミラーを見るとこの車のタイヤが作る二本の平行な線が後方にまっすぐ伸びている。まるで新雪に足を踏み入れたような気分である。

 左側には森、右側には見上げる絶壁の風景がしばらく続きその光景が単調に思えた頃、いきなり視界が開けた。




「……すごい! すごい!」




 恵の感嘆の声がこの場の眺めの評価だった。




 真っ白に焼けた砂浜が左右に広がり、その向こうには青い海が見えた。

 これでカクテル片手のビキニ姿の女性が佇んでいればそのままリゾートポスターの世界である。




「あった。あそこね」




 右手遠くの砂浜に小山のようにぽっかり浮かぶ森があり、その手前に高床式の家屋が建ち並んでいるのが見えた。

 万代はあえて最短距離を選ばず波打ち際に車体を入れた。

 四駆は屋根の高さまでさざ波を蹴立てて大きく湾曲した浜を疾走した。

 もちろん恵へのサービスである。




 □




 集落が近づいた。

 万代はやがてスピードを落とす。早足程度の速度である。

 浜の上には丸太をくり抜いただけの素朴な小舟が逆さに伏せられて並べられている。




 その周囲には真っ黒に日に焼けた上半身裸の少年たちが、網や銛などの漁具の手入れをしていたが予期せぬ珍客の訪問にその作業を中断されて呆然と立ちつくしていた。




「……怖い」




 恵がおびえて彗にしがみ付いていた。




「身の危険を感じる訳ほどではないけれど、あの視線はちょっと……」




 そう言う彗も不安な目を浮かべる。




「大丈夫。自動車をあんまり見たことないだけよ」




 万代はドアを開けて車外に降り立った。

 そして十人程度いる中で、いちばん年長と思える十歳くらいの少年を見つけ親しげに話しかける。




 ニコバレン語であった。

 日本語の五十音はおろかアルファベットよりもさらに音節が少ないニコバレン語は、必然的に同音異義語が多い。

 そのことから単語の意味を分けるためにアクセントの位置や強弱が非常に微妙で理解できない者にはまるで歌っているような印象を与える。




 初めは気軽に話しかけていた万代だが、次第に身振り手振りが増える。

 首都近辺の国際化が進んだニコバレン人と違い、未開部族と言って差し支えない暮らしを続けている少年たちの言葉は訛りが強いからである。




「……疲れた」




 と言って車に戻ってきた万代は彗たちに降りるように伝えた。




「……どういうこと?」




 彗と恵が車を降りたときである。

 五人ほどの子供たちが車を取り囲むように背を向け砂の上に座ったのであった。子供たちはそのままの姿勢で漁具の手入れを再開した。




「車を見張ってくれるらしいのよ。帰りにお菓子でも渡してやって」




「……なるほどね」




 別に盗まれる可能性があったからではない。

 万代が子供たちとうち解けた結果、彼らの方から申し出たのである。




 地面は幸いなことに砂地はすぐに堅い土になり恵の車椅子を難なく動かせることができた。

 そして最初に話した少年が先頭になり万代たちを村へと案内してくれた。




 集落に入ると異臭が漂っていた。




「なんか臭いよ」




「……サカナね。サカナを干しているのよ」




 恵の問いに慧が答えた。

 辺りを見回した彗が地面から斜めに建てられた多数の網を見つけた。




 網にはハラワタを抜かれた小魚がきれいに並べられている。

 その様子は日本の海沿いの街で見かける干物作りにそっくりだった。




 集落は大きさも位置も不規則な草と木で作られた床が高い家屋が三十戸ほどあった。

 やがて広場と思える円形の空き地に到着した。




「なにかあったらしいわ」




 少年とのやり取りを終えた万代がそう報告する。

 だがいつもと違う光景なのは少年が落ち着かずに一軒一軒を覗いて首を振っていることからも理解できる。




 辺りにはイヌやネコ、そして囲いに入っているニワトリが目に付いたが人の姿はどこにもなかった。

 だが風に揺れる干された洗濯物や洗い場に残された調理中の果実などから、つい先ほどまで人々がここにいたことがわかる。




 少年がなにか叫んだ。




「人の声が聞こえてきたらしいわ」




 万代は耳をすました。

 すると風にのって大勢の喧噪が聞こえてくる。

 見るとヤシの林の向こうに見える日差しが反射する真っ白な砂浜に、漁村の人たちが集まっていた。




「……なにか拾っているわ」




「潮干狩り……ってことはなさそうだけどね」




 万代は頷く。

 そこでは大人も子供も男も女も腰を屈めて砂の上に散らばるなにかを集めていた。




 土を蹴って少年が駆け去った。

 そして人々の輪に混じったかと思うと、やがてすぐに走り戻って来た。

 息を切らした少年は大きく肩で呼吸しながらも興奮冷めやまぬ口調で、激しく万代に報告する。




「サカナが空から降って来たって」




「サカナ?」




 万代が通訳すると彗は驚きの声をあげる。




「そう、年に何回かあるみたい。……私も先日体験したばかりだけどね」




 昨日の早朝のことである。

 海岸公園でダイバーの女性と死体を引き上げたとき万代はそれを一度経験している。




「空から? 恵も見たい!」




 恵がせがむので万代たちはふたりがかりで車椅子を砂浜に進めた。

 足下にはまだ拾いきれないほどのサカナが跳ねていた。背が青い小魚で口をぱくぱく動かしている。




「すごいね。生きてるね」




 万代が拾い上げたサカナを受け取った恵が笑顔を見せる。




 そのときひときわ大きい歓声が起こった。少年が万代の袖を引き空を指さす。

 見上げると空には無数の黒い小粒が見えた。そして次の瞬間……風を感じた万代は首を東に向けた。




「きゃあ」




 彗と恵が姉妹そろって悲鳴をあげる。

 彼女たちの周囲にぼたぼたと雨のようにサカナが降り注いだのである。真っ白な砂浜が次々とサカナで埋め尽くされていく。




「信じられない。こんなことって」




「……恵、怖いよ」




 いきなり手を握られた。見下ろすと恵が目をつむってしがみついていた。




 サカナの降雨は時間にして十秒ほどだった。

 村の人々は一層精を出して拾い上げたサカナを背負った籠に集めている。




「あれ……?」




 万代は空の一点を見つめたまま立ちつくしていた。あり得ないものが見えたのだ。




「どうしたの?」




 そんな万代に気がついた彗が話しかける。




「……信じてもらえないと思うけど、……グラマン館が見えた」




 彗と恵が固まった。

 万代が発した言葉を理解するのに時間がかかったようだった。




「どこなの?」




 万代は視線の先を指さした。

 そこは海までせり出している断崖の上の空だった。




「……今は見えなくなったんだけど。一瞬だけ見えた」




「見えないわ……」




 彗は万代の背後に回り万代の指先をもう一度を確認する。




「見間違いではないの?」




「見える訳ないよ。だってお屋敷はあの崖の向こうなんだよ」




 彗たちの言葉に万代は頷く。




 サカナはなんらかの理由で風に流されてここに落ちたのだと仮定した万代は風向きを確認した。

 東風だった。

 そして視線を東に向けると崖の上に光る塔を見たのである。




 一瞬だけ見えた輝く塔は円柱形だった。

 そして瞬きの後、それはゆっくりと沈むように姿を消してしまっていた。




「それはわかっている。わかっているんだけど……」




 それがはっきりグラマン館だと断定できるほど万代は自信がなかった。

 ただ……日差しに反射する光る塔を見たのだけは間違いなかった。




 ■ ■




 草の斜面を登った車は車道に復帰していた。

 ミラーを見ると恵が姉の彗に肩を寄せて目をつむっている。




「寝たわ」




 ミラー越しで目が合った彗が万代にそう告げた。

 グラマン館に戻る途中である。道は砂利道なれど平坦であった。




「少しスピードを上げるわよ。いい?」




「……そうね。時間はまだ大丈夫だと思うけど万が一この車で野宿はなにかと困るから」




 万代の問いに彗が外を見て答えた。陽が傾き始めていたのである。




 グラマン館は岬の崖に建つ屋敷ではあるが、その構造は海中から真っ直ぐ突き建った塔であり、この車が踏みしめる大地とはたった一本の橋でつながっているだけなのだ。

 そしてその橋は陽が落ちる満潮時には水没することもある。




 道はすでに知った道だ。

 だがこの迫水伯爵領に来たときに乗っていた車高の低いクーペと違って、この四輪駆動車の高い着座位置から見る風景は違っていた。

 道の両側に生える草むらの向こうが広い原っぱであることがわかった。




「誰かしら?」




 彗が呟いた。




「女……ね」




 万代にもその姿は見えていた。遠目だが見知った人物だとわかる。

 そこは原っぱのいちばん奥である。赤茶色い大きななにかの固まりの脇に両膝を地面につけ身体を屈めている。その先は高低差数十メートルはある断崖のはずだ。




「飛び降りるんなら失格ね。脱いだ靴も置き手紙も誰にも発見されない」




「まさか」




 彗が笑う。

 万代がハンドルを切ると車は草むらをかき分けた。

 目指す先はもちろん女である。するとエンジン音に気がついた女がこちらを振り向き立ち上がる。




「……飛行機?」




 万代は口の中で声を発する。

 赤茶色い固まりが風雨に晒されたプロペラ機の残骸だとわかったのだ。

 たぶん弁護士の中西が言っていた日本の戦闘機に違いない。




「商談に来た人かしら?」




 彗が呟く。




 その女はそうと思えるスーツ姿だった。

 やがて車は女の真横で停まる。




「あれ? 探偵さんだ。へえ、珍しいところで再会だね?」




 車を降りた万代に、よく陽に焼けた女が笑顔でいった。

 昨日の早朝に海岸公園で出会ったダイバーだった。あのときと違い今は長い髪を巻いてまとめている。




「こんな岸壁でなにやってんのよ? 今度は自分が死体になるつもり?」




「そう見えたんだ? ま、海で死ねるなら私には本望だけどね」




 見下ろすと遙か下では波が岩に砕けるのが見える。




「知り合い?」




 彗が女を見、そして万代を見る。




「……って、言いたいけど昨日会ったばかりでまだ肝胆相照らすって仲じゃないわ」




 万代は肩を窄めて言う。




「死体をいっしょに引き上げた仲だけどね」




 ダイバー女性は豪快に笑った。

 彗は怪訝な顔になったが女性がかいつまんで説明したことで納得した表情になる。

 ふたつの死体が発見された事件である。




「お互いまだ名前を名乗っていなかったわね。

 ……私は一円(いちまどか)万代(まよ)。ここには子守兼専属運転手として来ているわ」




「ひどい!」




 後部座席から声がした。




「子守なんてひどい。万代姉ちゃんは恵の話相手だよ」




 いつの間にか目を覚ましていた恵が窓から身を乗り出して抗議した。




「私は迫水(さこみず)(けい)だよ。こっちはお姉ちゃんの迫水(けい)。字は違うけど私と同じ読み方は同じサコミズケイなんだよ」




 恵が得意気な顔で説明する。

 ダイバーは驚いたように迫水姉妹を見比べた。




「……迫水って、へえ、じゃああなたたちは伯爵のお嬢様たちなんだね。そうなんだ。へえ……」




 ダイバーの言葉を彗は優雅に微笑んで受け止めた。




「で……、あなたは? 屋敷に取引に来た人なのかしら?」




「そうだね。……ま、リゾート会社の下請けの下請けなんだけどね。私は……前名(まえな)麻奈美(まなみ)




 麻奈美と名乗ったダイバーはゆっくりと名を告げた。




「前名麻奈美さんね……こんなとこでなにしてたの?」




 万代が尋ねる。




「……飛行機を見てたんだ」




 そういって麻奈美は背後の全体が赤茶色に錆びた固まりを振り返る。

 万代の思った通りそれは確かに飛行機だった。




 やはり第二次世界大戦時のものらしく半世紀以上ここに野ざらしにされ朽ち果てていた。

 エンジンがあった機首部分はすでになくなり、翼も片方だけ、胴体も座席のうしろからすっぱりとどこかに行ってしまっている。




「これって日本機だったんだね。……本当は下見に来たんだけどね」




「下見というと?」




 彗が麻奈美に尋ねる。




「……リゾート開発。ホテル建設の話があるでしょ? この領地でもダイビングもできるようにしようってことでね」




「ああ、なるほどね。確かにいくつかそういう商談があるわ」




 彗は納得顔になる。




 グラマン館に訪れている企業の中には食品や医薬品の会社もあるが、やはり圧倒的に多いのがリゾート開発に関わる会社である。

 ここは太古からの人外の土地、そしてその後は伯爵領となったが、大自然がほぼ手つかずで残されていることには違いない。




 屋敷がある岬先端こそ例外的に岩ばかりの不毛の土地だが、岬の中間からニコバレン本国との国境に近い根元部分の沿岸は誰も足跡を残したことはないような真っ白な砂浜が海岸線に沿って延々と続いているのであった。

 確かにその海はエメラルド色の珊瑚礁でダイビングには最適だと思われた。




「えーと悪いんだけど屋敷に戻りたいんだ。乗せてくれる?」




 麻奈美が車内を覗き込んで尋ねた。

 座席の空きを確かめたのである。




「ええ、いいわよ」




「いーよ」




 迫水姉妹がそう答えたので麻奈美は礼をいって後部座席に乗り込んだ。

 そして車は走り出す。




「前名さん、あなた屋敷からここまで歩いてきたの?」




 助手席に座った慧が後ろを振り返って尋ねた。



 

「そう、歩いてきたんだ。散歩がてらにね。ほら、商談って退屈だから隙を見て抜け出してきた」




 車内は笑いに包まれた。ただし万代を除いてである。




「……さっきの飛行機の残骸なんだけど。麻奈美さん、あなたあれが日本機って言ってたわね?」




 先ほどからひとり考え顔であった万代がミラー越しに尋ねた。




「言ったけど?」




「なぜわかるの? ……あれには胴体にも翼にも日の丸の部分が見当たらなかったけど?」




 通常の軍用機には胴体と翼に所属する国のマークがペイントされている。

 日本機であればそれらの部分に当然日の丸があるのだが、さきほどの残骸はマークがあったはずの胴体のその部分と翼の先端を喪失していたので万代には判別がつかなかったのである。




「ああ、そのこと?」




 万代の問いに麻奈美が答える。




「私さ、ダイバーだからよく海にもぐるんだ。で、よく南の島に行くんだけど、そういうとこに限ってむかし戦場だったからそういうのがいっぱい沈んでいるんだ」




「麻奈美さん、ってダイバーなの? すごいね」




 麻奈美の横に座る恵が尊敬する眼差しで尋ねる。




「ま、それほどすごい訳じゃないんだけどね。……で、仕事で年配の人たちのダイビングツアーなんかよくやるんだけど、その人たちが教えてくれたんで自然と飛行機に詳しくなっちゃった訳なんだ」




 麻奈美の説明によると、日本人の年配層をターゲットにした戦地参拝ツアーなるものがあるらしい。

 自分の祖父や伯父などを南の島で亡くした人たちが、かつての戦場を参拝するツアーである。




 その中には海で沈んだ軍用機などの側まで潜って間近で慰霊したい人たちがいて、そういう人たちを海の中まで案内するのが麻奈美の仕事だったらしい。




「……あれは海軍機じゃなくて陸軍の飛行機だね」




「そういうのもわかってしまうの?」




 彗は感心した表情だった。




「なれれば簡単だよ。自動車だっていっぱい種類があるけど知ってる人はひと目で区別がつくし」




 なるほど……。と万代は思った。




 確かに飛行機の区別はつかないが車であれば、ひと目見ただけでそのほとんどの車名やスペックがわかるからであった。




 陽は一層傾き始めた。

 万代はスピードをあげた。この屋敷へと通じる道はすでにカーブの数まで覚えていたからである。




 そのとき万代の頭の中にはある事柄が浮かんでいた。

 麻奈美と初めて会った海岸公園で気になっていた事柄であるのだが、どうにも思い出せない。




 万代はミラー越しに麻奈美を見た。

 だがその顔を見ても思い出せないなにかを思い出すことができなかった。







よろしければなのですが、評価などしてくださると嬉しいです。


私の別作品

「生忌物倶楽部」連載予定

「甚だ不本意ながら女人と暮らすことに相成りました」連載中 


「墓場でdabada」完結済み 

「甚だ遺憾ながら、ぼくたちは彼の地へ飛ばされることに相成りました」完結済み

「使命ある異形たちには深い森が相応しい」完結済み

「空から来たりて杖を振る」完結済み

「その身にまとうは鬼子姫神」完結済み

「こころのこりエンドレス」完結済み

「沈黙のシスターとその戒律」完結済み

 も、よろしくお願いいたします。

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