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冬の海に夏を思う

冬の駅

作者: 佐藤朝槻

 

 仕事を終えたが、私はまだ会社にいた。


 外は雪が降り、電車は遅延。ぎりぎりまで会社で電車の到着を待っていた。


 携帯で電車の運行情報を確認したあと、彼氏との昨日のやりとりを見返して笑みがこぼれた。


『好き』

『そういうとこ好き』

『私も』


 会話としては拙いかもしれない。


 それでも、もう自分の気持ちをおさえなくていいんだ。彼氏のおかげで、全部受け止めてくれるのだと信じることができる。


 かつて伝えることが苦手な私が素直に好きだと伝えられる日が来るとは思わなかった。


 ……会いたい。

 なのに明日のデートの延期を自ら提案してしまった。

 全部大寒波による雪のせいだ。


 彼氏を家に泊めても良かったが、雪で職場に行かれなくなるのも申し訳ない。


 そろそろ同棲を提案してもいいだろうか。

 ダメだ。考えたら余計恋しくなる。


 帰り支度を済ませて外に出ると、恋しい記憶を剥ぎ取るかのごとく冷たい風が頬に当たった。寒い。


 周りの景色がいつもと違う。おぼつかない足を動かせば、このまま一人になってしまいそうな不安感があった。




 ――なんとか駅に到着した。


 外が真っ白な景色に変わってしまっていたが、構内もいつもより慌ただしく、人の行き来が忙しない。


 電車到着まであと十五分程。ホームは冷たい風が当たるので改札口付近に移動し、柱にもたれ掛かる。


 鞄からおもむろに携帯を取り出しながら目線をあげると、ちょうど私の前を横切っている男と目が合った。


「あれ?」

「……うわ」


 拒否反応の声を漏らしてしまい、慌てて作り笑いを浮かべようとしたが、面倒でやめた。


 黒のダウンジャケットを身にまとった彼は着膨れし、記憶よりも太って見えた。筋肉でもつけて本当に太ったかもしれない。威圧感がある。


「うわってなんだよ」


 近寄られると、高身長の彼に怯んでしまう。


「……元彼に会ったら誰でもこうなる」

 

 それでも強気に返答すると、元彼は心底不思議そうに首をかしげた。


 あれはまだ十代だった頃。

 この男と付き合い、半年で別れた。それだけならまだ過去にした。笑い話にできた。


 だが、こののほほんとした顔の男は、私と付き合っていながら、別の女子と付き合っていた。最悪なことにその女子が私の友達の恵海莉えみりだった!


 何も知らず別の理由で別れたあと、恵海莉が付き合っていることを打ち明けた。最終的に彼氏も友達も失った。


 それが私の青春。


 大人になって忘れることができていたのに、馬鹿な私は軽率な気持ちで学校近くの海に足を運び、自ら忌々しい記憶の蓋を開けてしまったのである。


 思い出したことが悔やまれる。忘れていれば立ち去れたのだが、今は取り繕うか突き放すかの二択で悩んでしまう。


 目の前の元彼は悔恨などなさそうな顔で話しかけ、こちらを見下ろしている。


 呆れた。どうして平気な顔をして私の前に現れる?


 未だに隠し通せたと思い込んでいるのか。悪びれる気持ちすら彼に備わっていないのか。


「仕事帰り?」


 こともなげに元彼は話しかけてきた。私は手に持った携帯で時刻を確認して溜め息が出る。


「それ以外ありえないでしょ。私を何に見てるの?」

「老けたなー」

「大人になったっていうんだよ」

「だなー。……寒いな」

「そうね」


 電車よ、早く来てくれ。じゃないと私の身がもたない。

 そのとき携帯が振動した。彼氏からの着信だ。


『もしもし? 今いいかな?』

「んー……。うん、大丈夫」


 究極の癒し! ありがとう! 今この世界で誰よりもヒーローだよ!

 でも彼氏も今頃仕事じゃないの?


「どうしたの?」

『雪、大丈夫かなって』

「遅延してるけど一応帰れそう。そっちは?」

『早めに帰らせてもらったから大丈夫』

「よかった」


『……デートのこと謝りたくて』

「私たちのせいじゃないんだから仕方ないよ」

『うん、でも寂しいだろ』

「そういう優しいところ好き」


 この人は本当に暖かい。

 時刻を確認すると、電車の到着時刻が迫っていた。


「そろそろ電車くるから……」

『わかった。……あの、最後に』

「ん?」

『俺も好きだよ。明日会いたかった』


「好っ……、帰ったら通話しない? 寂しさ紛れるかも」

『いいよ』

「じゃあまたあとで」

『うん、待ってる』


 何この不意打ち。寒波なんか無視して会いに行きたくなるじゃん。


 同じ気持ちだった。寂しいって思ってくれていた。嬉しい。次会うときは離れている時も寂しく感じないようなプレゼント考えてみようかな。


 想像するだけで心が満たされていく。


 よし、そうと決まったらプレゼントを考えよう。帰りの電車で立ち続けることになってもこれで乗りきれるまである。


 私の余韻に水を差したのは元彼だった。


「あんな顔、するんだな」


 表情のない元彼の顔は蒼白に染まっていた。

 私の帰る場所はこいつじゃない。無視無視。彼氏のことだけ考えていればいい。


「そっかぁ。そうなんだなぁ」

 気にしなくていいはずだけど、……気になる。


「その反応、何。恵海莉とは別れてたにしても、別の女はいるでしょ?」

「あいつなー」


 反応からして、やはり別れたらしい。


 恵海莉は黒い髪がきれいな、大人しい、私が中学で初めて話しかけた子だった。ほとんど忘れてしまったが、当時は楽しく友達をしていたと思う。


 私の大事だった友達。

 この男が私を差し置いて選んだ人。

 それが恵海莉。


 元彼の顔つきは先程より険しくなっていた。さっきまで平気そうだったのにどうした?


「なんかあった?」

「あいつとまだ連絡とってる?」

「とってない」

「じゃあ、いい」

「歯切れ悪いなー。はっきり言えば?」


 彼はリュックを背負い直し、数歩歩き、顔だけこちらに向けた。


「恨んでる?」

「最近まで忘れてた」


 素直に答えたら鼻で笑われた。表情は見えなくとも息遣いでわかる。


「よく思い出せたな」

「本当よく思い出せたなって私も思う」

「……お前と別れたあと、恵海莉は僕のせいで友達なくすかもって泣いてた。それ以降会ってない」

「ふぅん」

「恨まないのか? 友情を壊したやつを」


 元彼は振り返り、私を見据える。

 その瞳は諦観に濡れていた。踏み荒らされた雪みたいに凍った目つきをして、生を喪失していた。


「恨んでほしいの?」

「……いいや」

「そっ。じゃあ、恨む」


「そうか」

「そうだよ。……私、行かなきゃ」

「ああ、またな」


 彼は背を向けた。


 顔面蒼白のくせによく言う。嘘つきは相変わらずか。私が振ったのはそういうところだよ。


 その場の空気に合わせた言葉では中身が見えない。あんたの好きなもの、嫌いなものがわからない。私だけ晒していては対等になれない。


 なら一人でいいと思った。

 たぶん恵海莉も同じ。


 私のことを思って消えたのではないよ。はじめからあんたの前から消えたくて、別れる口実に私を使っただけ。


 別に元彼が嘘つきでも構わない。この先会うこともないだろうし。


 ただ、なぜか癪だ。言い返さずにはいられない。

 駆け寄り、元彼の腕を掴む。


「復縁とかありえないし、彼氏のためにも話すのは今日が最後だからね」

「そのためだけに引き止めたのかよ」


「もう一つある。私は過去を清算した。もうなんとも思ってない。好きに生きなよ」

「……そりゃどーも」


 と元彼は生意気に腕を振りほどいた。

 本当ムカつく。でも、まだだ。ここで終わらせたら恵海莉と同じ別れ方になる。


 伝えないままの自然消滅は得体の知れない感情を抱えて、忘れようと躍起になって、忘れたふりして、私は私を卑下し続ける羽目になる。そんなの嫌だ。


 確かに私は、過去と決別した。

 でも目の前に今、元彼がいる。

 伝えてやろうじゃないか。ちゃんと終わらせようじゃないか。


 時間が諭してくるような終わり方も、独りよがりな終わり方も私は望まない。

 この駅を最後に、過去を過去に置いてこよう。


「本当はひとりで勝手に清算してくれって思う。私はそうしたし。けど、本当の意味で私が前を向けたのは彼氏の存在があったから。卑怯な自分を許せたのも彼氏のおかげ。彼氏が私にしてくれたように、私もするよ。今日だけは」


 私から直視するのは、今回が初めてじゃないかと思う。


 昔は人と話すのが億劫で俯きがちだった。

 陰気な私を可愛いと言ったのはこの男だったと、今になって思い出す。




 夏の花火大会。

 屋台のたこ焼きが食べたくて、でも混んでいたから諦めた私を見兼ね、(元)彼は砂浜から屋台まで走った。人混みが苦手な私の代わりに買ってきてくれた。そのせいで花火が見れなかったことを彼は嫌な顔せず、一緒にたこ焼きを食べてくれた。


 花火が終わり、海は凪いでいた。暑いはずの夏は涼しくて、私の手を握る彼の手は熱く、寄せてくる顔には汗が浮かんでいた。海みたいな深い瞳の黒に引き寄せられ、私は彼のキスを受け入れていた。目を逸らす私を可愛いと彼は言った。




 ……嬉しかった、自分のコンプレックスを受け止めてもらった気がして。


 わかるか? 大切な記憶があんたの意味不明な行動で踏みにじられた、この気持ちが。わかるわけないか。


 それでも人間、いいことはやっておくものである。


 嬉しかった気持ちを、元彼の顔で思い出してしまうのだから。そのときの行動だけは、誠実に見えてしまうのだから。


 私は忘れても、脳は記憶していたらしい。

 お礼に一度だけ助けてやる。


「今日だけは、初めての彼氏があんたで良かったと思う」

「急になんだよ」

「別れたあとなのに話せるの、その鈍感な性格のおかげ。今の彼氏の良さもわかるし」

「惚気挟むのやめろ」


 元彼の心底嫌そうな顔が、徐々に赤みを増す。ようやく血の通った、人らしい顔に戻ってきた。


「私は幸せになるからな。電話してくんなよ」

「別れてから今までしてないだろ。どうせブロックしてるくせに」

「あたり!」


「うぜー。やっぱ恨んでんじゃねーか」

「今日で忘れるけどね」

「そうかよ」

「うん。お世話になりました」


 私が一礼すると、元彼も躊躇いがちに頷いた。

 元彼は歩き出そうと片足だけ駅のホームへ向け、半身を逸らす。視線も私ではないどこかに向いている。


「今の彼女は悲しませないでよね」

「いない」


 元彼の静かに吐かれる息は白く、すぐに消えてしまった。


「今は誰とも付き合ってない」

「そ。次できたときは大事にしなよ」

「ああ。……もう行く」

「じゃあね」

「ああ」


 意を決したような横顔は見えなくなり、背中は小さくなっていく。


 元彼の目尻にはうっすらと涙が溜まっているようにも見えた。二度と会わないだろうと思うと少し物悲しさがある。けれど涙は出なかった。


 春を待ち焦がれながら冬を過ごすように、青春が今を生き抜くための思い出となれ。私にとっても。あいつにとっても。

 そう願い、前を向いて歩きだした。



 〇



 就寝前。明日仕事が休みの私たちは通話している。


『電話したらまずかった?』

「ううん、大丈夫だったよ。大したことなかったし」

『なんかはあったんだね』


 彼氏の前で元彼の話をするのは躊躇われる。


「まぁ、ちょっと」

『話すなら聞くけど』


 どうしよう。私は別にもう過去の事として葬り去ったことだけど、彼氏が幻滅するかもしれない。


「……元彼に会ったんだけど、聞いても平気?」

『うん』

「その、ね、助けちゃった。次は大事にしなよって二股してた最低男にアドバイスまでしちゃった」


 彼氏は突然笑いだす。


「馬鹿って言いたいんでしょー」

『違う、違う』


 それでも笑いは止まらないようだった。私もつられて笑った。ひとしきり笑い、私は改めてここがいいと強く思う。ちゃんと伝えたい。


「ごめんね、デートを一方的に延期して。寂しかったけど、危ないかなって」

『怒ってないよ』


「うん。その、だから、……同棲とかどう、かな、って」

『いいね』

「ほんと?」

『うん』


 その後、また彼氏は笑った。

 なんで!?


『絶対断られないのわかってて自信なくすの面白すぎ』

「だ、だって嫌がるかなって」


『嫌がらないよ。俺が君を好きだって知っておきながら自信なくすところも、嫌いな元彼に優しくしちゃうところも』

「よ、余裕あるね」

『毎日好きって言ってくれるじゃん。信じてる』


 嬉しい。同僚からは毎日は飽きるよって言われたけど、彼氏にはちゃんと伝わっていた。


 回想していたら、彼氏の『好きだよ』に反応が遅れた。


「わ、私も好き!」

『何その取ってつけたような返し』

「そうじゃなくて」

『嘘嘘。からかっただけ』

「もー!」


 夜が更ける。寒さが元彼の暗い眼差しを呼び起こした。

 しかし、ここには温もりがある。私が帰りたいと願った場所だ。


 一つ選び、一つ捨てる。

 選んだことを、捨てたことを後悔する日はある。全部すくえないことも知っている。

 それでも、選んでいく。大切な温もりをなくさないために。


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