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プロローグ


「お前の願いを叶えてやろう」

 突然の言葉に、高梨沙希(たかなしさき)は困惑した。

 こいつは一体何を言っているのか。

 

 彼女が覚えている一番最近の記憶は、いつもと同じ仕事帰り、いつも通りの真っ暗な路地を1人歩いていた記憶だ。


 暗い場所はあまり好きではないのに、その日も仕事が忙しく、終電ギリギリで帰ることになってしまった。今年で25歳になる高梨沙希は、某食品会社で事務を勤めるごく普通のOL。


 美人でもなければブスでもない、体型も平均の女性と変わらない、平凡という言葉を絵に描いたような女性だった。

 普通と違うことといえば、両親が15年間に交通事故で他界して、その後親代わりになってくれた祖父母も3年前に相次いで病死し、他に頼れる親戚がいないために天涯孤独の身になったということくらいだ。


 友人と呼べる存在も少なく、彼氏いない歴=年齢という、側から見れば寂しい人生。だが、1人でいることに慣れていた彼女は、孤独を「寂しい」と思う感覚が鈍っていた。

 むしろ好きな場所へ自分の好きな時に行けるし、唯一の趣味である居酒屋巡りやバー巡りも、誰にも文句を言われずに楽しめるので、1人の方が気楽だと思うくらいだった。

 平日は、ただ上司に言われた仕事をこなして、家に帰ればお気に入りの日本酒とともに食事をする。休日はよく行く酒蔵で酒を買ったり、馴染みの居酒屋でその時その時に会うおじさまたちと酒を酌み交わしたりと、それなりに楽しく過ごしていたのだ。

 何か変化が欲しいかと聞かれれば、まぁ多少は欲しいと言えなくもないが、そのために今までとは違う何かをすることは面倒なので、このままでもいいと思っていた。


 だというのに、これはどうしたことか。

 沙希が立っているのは、街灯だけが頼りの暗い路地ではなく、どこまでも果てが見えない真っ白な空間。痛みは愚か何かに触れているという感覚すらないので、正直今自分が地面に立っているのか、はたまた浮かんでいるのかもわからない。


 困惑する沙希の目の前に、見覚えのない人物が立っている。その装いは、令和の日本人とはかけ離れたものだった。

 昔歴史の本で見た、古代ローマの男性が身につけていたような白いトーガを着ており、紫色の長髪を後ろで一つに束ね、エメラルドの宝石のような緑色の瞳をした、美しい男性。

 見た目は沙希と同い年のように見えるが、その落ち着いた表情から、自分よりはるかに年上のようにも見えた。


「お前の願いを叶えてやる」


 男は沙希が聞こえていないと思ったのか、先ほどと同じ言葉を繰り返した。だが当の沙希は、突然目の前に現れた景色と男の存在、そしてその男が発した言葉に半ばパニック状態になっていた。

 だが、どうにか平静を取り戻そうと深呼吸のようなため息をつき、声を絞り出す。

「………どちら様ですか」


 男の言葉に対する回答にはなっていないが、そう答えるので精一杯だったのだ。

 沙希の返答に、男はキョトン、とした顔を一瞬見せたが、すぐに何がおかしいのか小さくふっと笑った。

「お前、自分がなぜここにいるのか覚えておらんのか?」

「……は?」

 男の言葉に素っ頓狂な声をあげる。


 こちらが質問しているのに、それに答えるどころかまるで関係なさそうな質問で返されるとは思っていなかった。あまりの衝撃に、心底間抜けな顔をしているのが自分でもよくわかる。

 そんな沙希の様子に、男はまたおかしそうにふっと笑う。その様子に、沙希は不機嫌そうに顔を顰めた。

「何なのさっきから、人の顔見て笑うなんて失礼にも程があるでしょ」


 これまで、他人に対して怒ったことのない沙希だったが、今回ばかりは礼儀も忘れるほど腹が立っていた。

「いや、すまん。馬鹿にしていたつもりはないのだ」

 そう言いながらも、男はさらにおかしそうに笑う。だがその顔は、確かに馬鹿にしているという感じではないようだった。本当に心からおかしいと思っているのだろう。

 それはそれで失礼な気もするが。


 そう思っていると、男は言葉を続けた。

「だが、まぁ仕方ない。この神に選ばれたとはいえ、その身はただの人だからな」

「あんた、さっきから何言って………」

 そう言いかけて、沙希の脳裏に恐怖と共にとあるビジョンがよぎった。



 うっすらと目に映るのは、知らない男が馬乗りになって、何か尖ったものを振り上げている姿。白いマスクに黒いニット帽のせいで、その男の人相まではわからない。

 

 何度も、何度も振り上げられる、ほそ長い刃物のようなもの。

 そういえばこの辺りには、最近若い女性を狙った通り魔が横行しているらしいという話を、人伝に聞いた気がすると、文字通り肉を裂かれるような痛みの中で、まるで他人事のように思い出していた。


 男に何度も腹や胸を刺され、そこから飛び散る血飛沫がまるで真っ赤なシャボン玉のようだななどと、痛みで麻痺してきていた頭で考えていた。

 気づくと視界は真っ暗になり、狂ったような男の高笑いを遠くに感じながら、なんでこんなことになったのだろうと、こんな目に遭うほどの、何か悪いことをしただろうかと、必死に思い出そうとしていた。


 たった独りだけで生きていこうと、他の誰もいらないと他人を遠ざけ続けたことへの罰なのか。人は、誰かと生きていないといけないのだろうか。

 考えても分からない。だって長い間、私の隣には誰もいなかったから。



 そうして目を覚ましたら、この場所に1人立っていたのだ。

 沙希の顔が、血の気を失ったようにサァーっと青冷める。その様子に、男はニヤリと口元だけ笑って、そうして口を開いた。

「どうやら、思い出したようだな」

 彼女を気遣うような色をした、優しい声。


「………私、死んだの……?」

 沙希が震える声でそう尋ねると、男は静かに頷いた。

 絶望と恐怖が、重くないはずの体にのしかかり、沙希はその場に膝をつく。確かに多少なりとも変化が欲しいとは思った。思ったけれど、こんな変化は求めてない。


 どうして私が殺されなければならない、どうして私がこんな目に遭う、私が一体何をした。悔しくてたまらないのに、不思議と涙は出なかった。

 残るのは、蘇る痛みと、恐怖と、喪失感。体の中から、大切なものが抜けていくという感覚は、何よりも恐ろしいと、高梨沙希は初めて知ったのだった。 


「……哀れな少女よ。お前にチャンスを与えてやろう」

「……チャンス?」

 沙希はその場に膝をついたまま、男の顔を見上げる。

 そういえば、この人は誰なのだろう。


 沙希は通り魔に殺されて、目が覚めたらここにいた。ここは天国か、地獄だろうか?それならば、自分の目の前にいるこの男は……。

 沙希は未だ笑みを浮かべたまま彼女を見下ろしたままの男に、恐る恐る尋ねる。

「……あんたは、死神…ですか?」

「いいや。俺はその死神を使()()()()()、神だ」

「……神」

「ディオニュソスだ」


 ディオニュソス。聞いたことのある名前だ。いつだったか、興味本位で調べていたギリシャ神話にそんな名前があったような気がする。

 最高神ゼウスの子で、豊穣の神の名前だ。


 これは、夢だろうか。

 いくら死んだとはいえ、目の前に神話の神が現れるなんて、そんなことがあり得るはずがない。

 そうだ、これはきっと夢だ。目が覚めたら、実は死んでいなくて、病院のベッドで目が覚めるとか、きっとそんな展開だろう。

 そうひとりで納得して、うんうんと頷く沙希の様子を見て気づいたのか、ディオニュソスは呆れるようにふっと笑い、沙希と目を合わせるようにしゃがみ込んだ。

「言っておくが、夢ではないぞ。人は信じ難い出来事を目の前に現実逃避をする生き物だということは知っているが、覚えていてもらわないと俺がつまらん」

 幼い子どものような口振りだが、ディオニュソスの瞳は真剣そのものだ。

 初対面でも、彼が嘘を言っていないことがよく分かる。


 沙希はようやく認めた。

 これは夢ではない、現実だ。

 私は、死んだのだ。


 沙希は深呼吸のような大きなため息をつき、すっくと立ち上がる。その瞳は、覚悟を決めたような輝きを放っていた。

「……それで、チャンスって何ですか」

「開き直ったな、良いぞ。そうでなければ面白くない」

 ディオニュソスはニヤッと笑い、立ち上がる。


 もう、どうにでもなれと思った。


 ディオニュソスは沙希の真っ直ぐな目を見つめながら、口を開く。

「お前はこれから、死と再生の神々によって決められた場所に転生することになる。そこでは科学技術の代わりに魔法が生きており、魔力の大きさが全ての世界だ。神々との話し合いの末、お前をその世界で最も力の強い魔法使いとして転生させることが決定した」

「……はぁ」

 沙希は気の抜けたような返事しかできなかった。

 魔法、魔力。現実味のない言葉だが、こんな場所が現実に存在していていて、神話の神さえ存在しているなら、魔法が生きている世界が存在しても不思議はないだろう。

 そう思い、今更驚かないことにした。


 ディオニュソスは説明を続ける。

「そこで、俺がお前に与える“チャンス”は、お前の願いを叶えるということだ。お前が転生先でどのような生活を送りたいのか、どんな暮らしを望むのか、お前の好きなだけ叶えてやる」

 悪魔の囁きかと、沙希は一瞬ディオニュソスの言葉を疑ったが、彼の真剣な眼差しは揺らぐこともなければ、彼女から逸らされることもない。

 きっと、彼の言葉は全て事実だ。彼は嘘をついていない。


 だが、そうなると尚更困惑した。

 どうして私にそんな情けをかけるのか。


 沙希は別に神を信仰しているわけではない。一度だけギリシャ神話に対して興味を抱いたが、むしろ神なんて存在するわけがないと思っていたのだ。

 この世に神が存在するならば、どうして私ばかりが大切な人を無くさなければならないのか。どうして私ばかりこんな辛い思いをしなければならないのか……。

 そんなことを考えていたことがある人間に、この神はどうしてそんな夢みたいなことを言うのか。

 

 沙希は不思議そうな目をして、ディオニュソスに尋ねる。

「どうして私にそんなチャンスを……死んだ人間全員にそうしているわけじゃないでしょう?」

「もちろんだ、生きている間の人間に神が干渉することはできない。だが死後であれば、神はたった一人の人間に対してのみ慈悲をかけられる。その際には、その人間の願いが神にとって専門外なことであろうと叶えることができるのだ」

「……つまり、私に同情したってこと?」

 沙希の心に、暗い影が降りてくる。


 “同情”。

 それは、彼女がこの世で最も嫌いな言葉だった。


 沙希の脳裏に、両親の葬式に参加していた親戚たちの声が蘇る。


——可哀想に。


——子どももまだ小さいのに。


——これからあの子どうなるのかしら……。


 彼女の身を案じているように聞こえた言葉。その裏にあった真意に沙希が気づいたのは、当時まだ10歳だった彼女のこれからの処遇を決めようという時だった。

 初めは、母方の叔父の家はどうだろうかという話が上がった。

 だが叔父は、沙希から目を逸らして、自分の妻の顔色を見ながら答えた。


——いやぁ…うちには手のかかる子が2人いるから……。


 叔父の家にいる子どもは、2人とも沙希よりも年上でそこまで手のかからなくなってきていた子たちだった。


 次に白羽の矢が立ったのは、父方の伯母。

 しかし彼女は心底面倒そうな顔をしながら、こう答えた。


——うちだって無理よぉ、お義母さんの介護あるし。


 伯母は葬式なのに化粧も濃く、ネイルも長くてとても義母の介護をするような人には見えなかった。


 そうして話し合っているうちに、誰だったか、沙希と面識がほとんどない遠縁が口を開いた。


——施設に入れればいいんじゃないか。


 その時、沙希は悟ったのだ。

 この場所に自分の存在は邪魔でしかないのだと。


 親のいない、哀れな子ども。どんなに可哀想だと言われていても、いざその子が自分達のそばに置かれると思うと、心底迷惑でしかないのだ。


 同情しているのは表向きだけで、彼らが心配するような言葉をかけるのは、そうしないと自分達が冷たい人間だと思われるからというだけで、本当に心から心配しているわけではない。

 “同情している自分”に、酔っているのだ。


 その後、結局沙希は世間体を気にした祖父母に引き取られたが、面識のない遠い親戚から放たれた冷たい言葉が、沙希の両親を亡くして傷ついていた心に突き刺さっており、祖父母にどんなに親切にされようが、沙希はそれを素直に受け止めることができなかった。


 沙希は怪訝な眼差しで、ディオニュソスを見つめる。見つめられたディオニュソスは、不思議そうに首を傾げてから、口を開いた。

「…同情、とは相手の痛みを自分と共有することだろう?俺はお前ではないから、お前の過去が何であれ、同じ感情を持つことはできない」

 言葉は冷たいが、声色はとても優しい返答が、沙希の耳から脳天まで貫いて響き渡る。沙希が驚いて顔を上げると、ディオニュソスは真剣だが愛おしげな顔をして沙希を見つめてから、また子どものように悪戯な笑顔で言葉を続ける。

「俺がお前に慈悲をかけたのは、ただ俺がお前を気に入ったからだ」

「———っ」

 彼女を心配してではなく、ただ自分が気に入ったからという、なんとも自分勝手な理由。それもそうか、彼は人ではないのだ。

 沙希は呆れを通り越して、むしろ笑えてきて、無意識に笑顔をこぼした。沙希の突然の笑顔に、ディオニュソスは驚いたように息を呑んだ。と思うと、すぐに優しい笑みで彼女を見下ろす。心なしか安心しているような様子だった。


「……で、お前は何を願う?」

 尋ねられて、沙希は我に返った。

 願い……他人からそんなことを聞かれたのは初めてで、すぐには思いつかなかった。

 しばらく考えて、彼女の脳裏によぎった思いは……恐怖。


 身を裂かれるような痛み、目の前で見たことのない他人が刃物を振り上げているという恐怖、自分の中で大切な何かが抜けていくような喪失感。

 そんな思いは、もうしたくない……。


 沙希は考えて、尋ねた。

「……願いは、どんなことでもいいの?」

 子どものような無邪気な性格の彼に、もはや敬語は必要ないかと思った沙希はそう尋ねた。

 ディオニュソスは何の反応もせず、彼女の質問に答えるように口を開いた。

「もちろん、どんなことでも好きなだけ願うがいい。全て叶えてやろう」

「……じゃあ、死なない体にしてください」

 ディオニュソスは心から驚いたような顔をした。さすがの神でも、そんなことを願うとは夢にも思わなかったのだろう。

 しかし沙希は、何の躊躇いもなく言葉を続ける。

「異世界は力が全ての世界なんだよね。なら、死の危険もある。私はもう、あんな怖い死に方は嫌だから、永遠に死なない、老いない、朽ちない体にしてほしいの。できる?」

「……できるが、一度不老不死になれば、二度と普通の人間に戻ることはできない。例えば好きな相手と添い遂げたいと願っても、叶うことはないぞ。それでもいいか?」

 念を押すように尋ねられて、沙希は少し揺らいだが、肯定するように頷いた。


 ……もう、あんな怖い思いはしたくない。


 彼女が首肯するのを見て、ディオニュソスはそうか、と答えるだけであとは何も言わなかった。その瞳には彼女を哀れむ心が見えたが、言葉にはしない。

 彼は自分で言っていた通り、沙希の恐怖や痛みに同情することはないのだろう。


 沙希は思い出したようにあっ、と息を漏らし、口を開ける。

「それと、他人と関わるのは苦手だから、人がなかなか立ち入らない場所に広めの屋敷をください。それと、人がいる場所には行きたくないから、食糧とか生活に必要な諸々を自動で取り出せる手段があればそれも欲しい」

「それならば、魔獣が多く住む山の上に棲家を作ってやろう。どんな屋敷がいいか頭の中で考えておけ。それと、これをやろう」

 そう言って、ディオニュソスは拳を沙希の前に差し出し、開いた。

 その中に、まるでビー玉のような虹色の小さな水晶玉がある。ディオニュソスの手からそれを受け取ると、水晶玉に困惑したような自分の顔が写っていた。

 彼女の顔色から察したのか、ディオニュソスは答えるように言葉を続ける。

「これを握りしめて、頭の中で欲しいものを思い浮かべればどんなものでも出てくる。食糧だろうと、酒だろうと、家具だろうと、何でも出し放題だ」

「……ありがとう」

 沙希は小さくお礼を言うと、水晶玉をスボンのポケットに押し込んだ。


「……他に、願いはあるか?」

 問いかけに、ありませんと答えるように沙希が首を横に振ると、ディオニュソスも答えるように首肯する。

「では、死と再生の神から与えられた権限により、お前を転生させる。来世において、お前が幸せな人生を歩めることを祈ろう」

 真剣な顔つきでそう言い放つと、ディオニュソスは沙季の額に手を当て、軽く押し退ける。沙希の体は背中から何かの力に吸い込まれるように、倒れていく。

 ディオニュソスの声を遠くに聞きながら、沙希は意識を手放した。



「ん……」

 瞬きのような一瞬。目を開けると、そこには見知らぬ天井が広がっていた。

 真っ白な天井、一瞬病院のベッドかと思ったが、見渡すとそこはリビングだった。家具のようなものは一切なく、冷たいタイルの床の上に寝そべっていた。

 沙希は起き上がり、辺りを見渡す。少し離れたところにカウンター付きのキッチン、真後ろには2階につながると思われる広い階段、目の前には両開きの門のような木製の扉がある。沙希は扉に近付き、屋敷の外に出た。


 ディオニュソスの言っていた通り、辺りには木しか広がっていない。遠くの方で何かの生き物の唸り声が聞こえ、この世界の季節は冬なのか、雪が積もっている。

 沙希は外に出て、少し離れてから振り返り屋敷の外装を見てみた。


 その屋敷は、3階建てで外壁の黒い、西洋風の屋敷だ。そのデザインはもはや城と言っても過言ではない。

 これから1人で暮らすには、広すぎるほど大きな屋敷だ。だが、沙希は狭い場所が苦手なので、満足の広さだった。

「……にしても、寒いな」

 身震いしながら、自分の体を見てみる。沙希は先ほどと全く同じ格好をしていた。冬でも雪の降らない東京ならばまだしも、こんな雪景色の中でパンツスーツにコートなしは寒すぎる。

 沙希は自分の体を抱きしめるような形で寒さを耐えながら、どうしたものかと思案した。

 科学技術の代わりに魔法が存在する世界だと、ディオニュソスは言っていた。この世界には前世のような、暖房もこたつもないだろう。

 そう考えて、思い出した。

「あ、そうか。私今魔法使いなんだった」


 我に返ったように呟いてから、そういえばどうすれば魔法を使えるのかという疑問が頭の中をよぎる。転生する前に、ディオニュソスに聞いておけばよかった。

 考えた末に、ディオニュソスからもらった水晶玉のことを思い出し、ズボンのポケットに手を入れる。


 虹色の水晶玉を握りしめて、求める魔法を心の中で何度も唱えてみると、“結界魔法”という単語が頭に浮かぶ。


『他者の侵入を拒むと共に、結界の中に熱を集めることも可能。また、意思を込めれば決めた相手のみは結界への侵入を許すことができる。使用方法は………』


 なるほど、欲しいものを頭の中で唱えればそれが現れるが、使いたい魔法を頭の中に唱えれば、その使用方法を知ることができるわけだ。

 こんな便利なものを与えてくれた神に感謝しなければと思いながら、沙希は手をかざし、屋敷の周辺に結界を張った。

 邪な心を持って近づく者、初めからそこに屋敷があることを知らない者の侵入は拒むが、心から誰かに助けを求めている者であれば、通ることができる結界。そして外からの冷気が一切入ってこないように守る結界だ。


 どうやらこの世界の魔法に必要なのはあくまで“願い”で、一応原則として魔法の手順はあれど、それさえ覚えておけばあとは願うだけでいいらしい。

 まるでディオニュソスたち神のような力だ。

 積もっていた雪が溶けるほど結界の内側が暖かくなったところで、沙希はホッと息を漏らし、屋敷の中に入っていく。


 これから、私はこの世界で生きていく。


 独りなのは前世と変わらないが、前世の頃のように、死ぬことを恐れなくていい。

 試さなくても分かる、肌で、心で感じる。


 私は、間違いなく不老不死になったのだ。



「やれやれ、仕方のない子だ」

 白い空間の中、バスケットボールほどの大きさの水晶玉を手に持ったディオニュソスは呆れたように笑う。水晶玉の中には、彼が与えた水晶玉を使って屋敷の中に自分の思い思いの家具を置いている沙希の様子が映っていた。


 不老不死になりたいと願った時の、沙希の光を失ったような暗い瞳を思い出す。

 あんな無惨な死に方をした彼女が、死ぬことに恐怖を抱くのは仕方のないことだろう。彼女に慈悲を与えると決めた以上、それがどんなに浅ましい願いだとしても叶えようと決めていたし、そういう決まりでもあったので叶えてやった。


 願うことは、彼女が幸せな人生を送ることだけだ。

 例え一生独りきりだとしても、一生死なずに生きていくことが彼女の幸せになるのならば、神である自分はただ見守ることしかできない。

 分かっていても、ディオニュソスの興味が尽きることはなかった。


「……面白いな」


 これから彼女が進む道に、どんな出来事が待っているのか。

 長い人生、終わらない人生の中で、彼女はどんなふうに変わっていくのか。

 それを思うと、楽しくて仕方がない。


「見させてもらうぞ、高梨沙希。お前の行く末を」


 そう呟くディオニュソスは、自分の中に渦巻く特殊な感情に、まだ気がついていなかった……。


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