第7話 初めての村
意を決して扉を開けると、お母さんがいた頃と何も変わっていない風景に懐かしさが込み上げてきた。
机の上に放ったらかしになっている研究資料、様々な分野の本が並んでいる本棚。
生きていた頃はこの部屋で魔術や魔道具の研究を行っていた。
研究と言っても何処かの機関に属していた訳でもなく、趣味の様なものだと言っていた。
「わたしには使えなくても、コーラルなら使えるものあるかな?」
出来れば、わたしが使える物もあるといいんだけど。
外に出れば戦わなくちゃいけなくなる時もあるかもしれない。
友達だけに戦わせて後ろに隠れてるだけなんて、絶対に嫌だった。
しかし、この部屋には武器になりそうなものが全くと言っていいほどなかった。
「むぅ…お母さんの部屋なら何かあるかと思ったけど……。あれ?」
壁にかけてある見覚えのある布袋を見つけ急いで駆け寄る。
「やっぱり…アイテム袋だ」
コーラルが持っていたものとは見た目が少し違うものだったけど、似たような魔術文字が書いてあった。
壁にかかっていたアイテム袋を降ろし、逆さまにする。
入っていたのは皮?で出来たミトンと、1冊の本だった。
残念ながら武器にはなりそうもないけど、わざわざアイテム袋に入れて保管しているのも何か意味があるのかもしれない。
「これだけ持っていくね。お母さん」
手袋と本をアイテム袋に戻し、それを持って部屋を後にした。
「遅くなっちゃってごめんなさい!」
自室の扉を開けると同時に謝罪の言葉をかける。
「お、意外と早かったな」
そう言うと読んでいた本を棚に戻し、カップに残っていた最後の1口を飲み干した。
「お母さんの部屋に入ったら、気になるものがあったから持ってきたの」
「みたいだな、強い力をその袋の中から感じる。これは聖装具か」
まだ見せてもいないのに、既にわかっているようでその正体を教えてくれた。
「りゅ、みえーる?」
「まあ、装備品の1種だよ。さっそく、装備していくかい?」
「ううん、今はやめとく」
「分かった。じゃあ、出発するか」
「うん!」
2人で玄関まで歩いていき、わたしは2度目の外の世界に出るため扉を開いた。
視界に広がってきたのは太陽の光と青々とした草原だった。
夜と違ってとても明るく、同じ場所でもまったく違う世界に感じた。
「お、いい天気だな。マンドラゴラもお休み中かな?おかげで歩きやすい」
「日光が嫌いなんだっけ?潜っちゃったのかな?」
「それか近くの洞窟にでも行ったのか」
「この近くに洞窟なんてあるの?」
「あるよ。でも、その前に…」
コーラルがわたしを見ながら苦笑いしている。
何があったのか分からずにとりあえず、笑顔を返し、質問してみる。
「何かあったの?」
「アイリスはその格好で山を降りるつもりなのか?」
その格好って、何か問題でもあるのだろうか?
自分の足元を見てちゃんとブーツを履いていることを確認するが何か、違和感を感じる。
「…………。」
パジャマのままだった…。
結局、外で10分程待っててもらい羽目になった。
「本当にごめん!何度も何度も…恥ずかしい」
「待つのは嫌いじゃないから別に構わないよ。それに君の事を見てて、おもし……飽きないし」
今、絶対に『おもしろい』って言いかけていた気がするけど、何かを言える立場ではないので言葉を飲み込んだ。
コーラルが持っていたアイテム袋とわたしの準備したアイテム袋の中身を確認し、分配をする。
わたしがお金と食料、衣類を持ちコーラルが薬と装備品を持つことにした。
その作業が終わり、いよいよ、この家ともお別れの時が来た。
コーラルに言われたように扉に手を当て、頭の中で鍵を閉めるイメージをすると玄関が「カチャリ」と音を立てた。
「これで、アイリス以外には開けられないから、旅をしてても安心だな」
「でも、ダンジョンの隠し部屋なんでしょ?開けようと思えば開けられるんじゃないの?」
「それはありえない、隠し部屋の鍵は『条件』が揃わないと開けられないからね」
「『条件』?」
「そっ。今回の場合はアイリスの魔力と心臓の鼓動かな?死んじゃったら永遠に開けられない仕掛けになってたし」
「なんでそんなことをするの?」
「繫囚の呪いの付加効果で2重の罠にするためだろうな」
「えっと、つまり呪いで縛って、鍵をかけて閉じ込めるってこと?」
「理解が早いな。まさに封印って感じだな」
平原を歩き出し、山道に入ると木々の隙間から差し込む日差しがとても気持ちよかった。
山の降り初めは会話も進み、ペースも順調だった。
標高が下がるにつれて、だんだんと口数が減っていき、話をする余裕も無くなっていった。
そんなわたしを気にかけながら、コーラルは足場の良い道を選んでくれたり、何度も休憩を挟んでくれた。
そんな時、休むのに丁度よさそうな洞穴を見つけ、そこでちょっと長めの休憩を取るようコーラルから提案あった。
「………。」
「大丈夫か?」
「…うん」
「ほれ、水だ。ゆっくり飲めよ」
「うん…あり、がとう」
返事もするのがやっとなのにコーラルはケロッとしている。
呼吸を整えて、渡された水をゆっくりと喉に流す。
「コーラルは疲れないの?」
「基礎体力が違う。まあ、山道に慣れてるのもあるけど」
「そっか…。歩くのにコツとかあればいいのに。」
「コツっていうか、無理をしないことが大事かな。」
「無理をしないこと?」
「途中で具合悪くなったり、怪我しちゃったら洒落になんないだろ?だから、休憩はマメに取るし飲み物もしっかり飲む、それが1番大事だからな。」
「そっか…そう、だよね。」
「あと半分くらい降りたら楽に歩ける様になるから、しっかり休んだ方が……―――」
会話の途中でコーラルが洞穴の入口の方を向き、何かを警戒している。
わたしも、つられて緊張してしまい、息を殺してその様子を伺う。
「狩り…じゃなさそうだな。」
「…何がいるの?」
物音をなるべく立てないようにコーラルに近づき、出来るだけ小声で話す。
「魔物だよ。でも、様子がおかしいな」
「!…ま、魔物?!」
思わず大きく反応してしまい焦って口元を隠す。
「こっちには来ないみたいだし大丈夫だよ」
「ほ、本当?…良かった」
「ただ、この先の村に向かってるみたいだな」
「全然、良くない!止めなきゃ!」
「う〜ん、おんぶと抱っこどっちが好き?」
早くしないと村が大変なことになるかもしれないのに、何を言ってるのこの人?
「そんな冗談言ってる場合じゃないでしょ!」
「止めに行くんだろ?…あっ、担いだ方がいいか」
「さっきから何を言っ…え…ちょっと、きゃッ!」
わたしのことを持ち上げるとそのまま右肩に乗せ、洞穴の外に歩いていく。
「今から跳ぶからちょっとだけ我慢しろよ」
「とぶって、どうい……―――う、にゃァあアアァ!!」
少しだけ膝を曲げ、その後勢いよく伸ばすとその瞬間にわたし達は空に旅立った。
上昇中、わたしは目を瞑りながら叫び声を上げていたが、コーラルの上機嫌な声が聞こえてくる。
「絶景だな。風が気持ちいい」
いつの間にか停止していたのもあったけど、絶景という言葉を耳にして恐る恐る目を開いた。
山の木々が小さくなり、跳びたった場所である洞穴の入口が見えなくなっていた。
「ひっ…コーラル!高い!怖い!!」
「慣れろ!最短距離で行くからしっかり掴まってろよ!」
コーラルが空中で再び膝を曲げる、その動作を見て言われた通り、コートの襟の部分を必死に掴んだ。
それを確認した様にコーラルは膝を伸ばし、真っ直ぐ村があると思われる方向に進んだ。
何時間もかけて降りてきた、山の残り半分をほんの数十秒で下山してしまった。
ふわりと村の入口付近に着地すると、肩から降ろしてくれた。
足に力が入らず、その場にへたり込んでボーッと地面を眺めていた。
「い、生きてる…」
「初めての空中散歩はどうだった?」
「……こんなに、地面が恋しくなるなんて思いもしなかった…」
「楽しんでもらえたみたいだな」
わたしの感想を聞いていたのだろうか?
笑顔で答えるコーラルに抱いてはいけない感情がふつふつと湧いてくる。
「…珍しいな。旅人か?」
「え?」
知らない声に驚き、振り向くとそこに人柄の良さそうな1人のお爺さんが立っていた。
急いで立ち上がり挨拶を交わす。
「はじめまして!アイリスです!」
「初めまして。私はコーラルと申します。」
挨拶をした後に軽く頭を下げるコーラルを真似してわたしも頭を下げる。
「おお、これはご丁寧に。初めまして、俺はダンと言う。この村の長を勤めている者だ」
低く嗄れた声だけど、とても優しい言葉遣いだった。
本来ならもっとちゃんと話しが出来ただろう。
しかし、今はこの村に魔物が向かってきている。
その事実を告げようとするとコーラルがわたしの前に手を出し、それを制止する。
「急で申し訳ないのですが、山を降っている時に魔物の群れがこちらの村に向かっているのが見えたもので、立ち寄らせていただきました。」
その言葉を聞いたダンさんの雰囲気が、ガラリと変わったのがわかった。
先程までの朗らかな表情は消え、怒りなのか嫌悪なのかはわからない。
「魔物の群れか…。あんたらは早く逃げなさい」
そう言うと、腰に付けていた鉈を抜き山に向かおうとする。
「1人じゃ無茶ですよ!わたし達も戦います!」
「心配してくれてありがとう、お嬢ちゃん。俺なら大丈夫、魔物如きに、この村はやらせん」
「あ〜、ちょっと待って、ダンさん。貴方が強いのは分かります。あのくらいの群れなら1人で片付けてしまうでしょう」
わたし達の話を聞いていたコーラルが会話に割って入ってくる。
しかも、このダンさんが1人で魔物の群れを倒せるくらい強いと言う。
「なら、問題は無いだろう。さあ、早く逃げろ」
「だからですよ。俺はアイツらと戦ってほしくない」
「……村を襲いに来るんだろ?それを黙って見てろと言うのか?」
「そうだよ!倒さなかったら村がやられちゃう!」
全く折れる気のないコーラルにダンさんは怒りの表情に変わっていく。
わたしも理解が出来ず、ただ焦りだけが募っていく。
「見せた方が早いか。…来たぞ」
森の方が騒がしくなり、雄叫びや荒い息遣いが聞こえてくる。
ダンさんは臨戦態勢になり、わたしも身構える。
魔杖や魔本といった物がなくても使える魔術は覚えていたので、回復やちょっとした攻撃なら出来る。
わたしだって戦える、そう思い込むことで心を奮い立たせた。
しかし、目の前に現れた獣の軍勢はそんな気持ちすらも簡単にへし折ってくる。
「なんだ…これは…」
姿を見せたと同時に、濃い鉄の匂いと何かが腐ったような匂いが辺りに広がる。
「ひどい…」
数は正確には分からないけど、10匹は超えていた思う。
耳のちぎれかかっている者、方腕や足先の無い者など、治療もろくに出来ておらず生傷だらけだった。
大小、様々な個体で構成されている獣の軍勢は、わたし達と戦う前からすでに壊滅寸前の状態だった…。