7話
「……兄貴」
身内だからか割と呆れた声でノアが第一声を発した。
次に花を潰さないよう器用に頭を抱えて少尉がうずくまった。
「あああなんてことを!」
「え、冗談?」
「断じて違う! あ、いや了承頂いてないんだが、いやそもそもまだその段階でも……て、ノアなんでここに⁈」
少尉が動揺しているのも久しぶりだな。初めて会ったとき以来か。
あれからはずっと歳の割には落ち着いてる様子か、めげずに笑顔でいるか程度だったから割と新鮮だ。この様子は年相応といえる。
「兄貴、落ち着けよ」
「あぁ、そうだね……みっともなかったな」
「あー、俺は医者として少佐を診てる。定期巡回だよ」
「最近外出が増えたのはその為か」
「そうだな」
で、兄貴は、と問われてぐっと唸る少尉。
「ええと、見舞いに」
「兄貴が答えないなら、ミランの旦那からきくが」
「帰ってから話す!」
「おう。あとな、」
この会話、聞こえてんぜの一言に少尉は真っ赤になった後、真っ青になった。忙しない。
「とりあえず中入るか」
どちらが兄かと言われるぐらい少尉の動揺がひどい。
冷静な人材だと思っていたが、やはりまだ若いか。訓練が必要と、後は実践で身につけるしかないだろう。
扉が叩かれ、私が答えなくとも開く。
「少佐、聞いてただろ?」
「あぁ」
わざとそういう言い方をするか。
自分の兄で遊んでいるな。そも兄弟とはそんなものなのか。私には兄弟がいないからよくわからない。
緊張した面持ちで少尉が入ってくる。ノアは彼が部屋に入るのを見て「俺は帰るぞ」と言って扉を閉めた。
「あ、え、と、花を」
「ありがとう」
緊張のあまりに言葉を詰まらせる少尉に苦笑して花束をもらう。
現役時代は見向きもしなかったが、今はなかなか花もいいものだと思える。不思議なものだ。
「座りなさい。茶をいれよう」
「はい!」
「そんな気にすることはない」
奴らに帰ってもらえて助かったよと加える。
「少佐は、その、見合いを?」
「あちらが勝手にしてるだけさ。退役したとはいえ手綱を握っていたいのだろう」
何をしでかすかわからないからね、私は。少なくとも二人がいなければ、私は奴らを迷いなく撃っていただろう。
そういう行動の速さが、少なくともまだ奴らにとって脅威と言える。自身の命がかかると途端敏感になるとは、なんとも滑稽だ。
「少尉も知っていると思うが軍部は派閥ありきで面倒なことが多い。退役しても派閥間の争いに関わることもあるさ」
最も奴らは私が復讐に来ることが恐れているだけだが。当たり障りないよう話しておくとしよう。
しかし彼が先程放った言葉は今後問題になる。
なるたけ巻き込まないようプランニングしておいた方がいいが……ううむ、さすがに手遅れな気もするな。
「正直驚かされたよ。しかし君にも軍での立場があるだろう。私には敵が多い。君の出世にも関わることだ、発言は慎重にした方がいい」
「そんなの関係ありません!」
先程までとうって変わり、はっきりと話してくる。その表情は真剣だ、瞳の動きが嘘でないことを物語っている。
「少佐の軍内部での支持は高いです。復帰という声も出ているほどです」
「それは有り難いね」
「私だって、少佐には、」
言葉を濁す。
少尉も私に戻ってきてほしいと言うのだろうか。
ミランあたりも冗談で言ってはいたが、私はそもそも戻る気などない。
復讐を成し得るため、軍に所属する事は足枷でしかないからだ。
「少佐は覚えてらっしゃらないかもしれません。何度か戦場でご一緒した時に、誰もが感嘆する作戦を講じられ、我々を鼓舞してくださいました」
彼と共に戦いその内で指揮をとったのは、ヨークウェバー湾沿岸付近のミーウェット平原で行った大規模陸戦だったか。こちらの損害率は十%以内に収められたから、よく覚えている。
「少佐がいらっしゃるまではこちらは劣勢で士気も下がっていました。少佐率いる第六軍が合流し、作戦を打ち立て、最後の一言で我々に生気を与えてくれました」
“奇跡など起こせばいい”
その言葉は覚えている。確かに地の利を生かしきれなく劣勢だった我が軍は指導者を喪失し右往左往していた。
数の戦いで言うなら私が率いる第六軍が合流したところで負けている。
それを引っ繰り返す気概が残された兵にはなかった。だから鼓舞した。
正直、自分が考えた作戦には自信もあったし、兵が優秀なことも知っていた。成功することを確信しているなら、後は所謂気持ちだけだ。
「それがどれだけ私達の心に勇気を灯したか」
「運が良かっただけさ」
「それだけではありません。少佐のおかげで多くの兵の命が救われました」
「そう思ってもらえるだけで有り難いよ」
ゆっくりと少尉が立ち上がる。私が寄りかかる形で立っている壁の机までやってくる。
「少佐……私は、貴方の事を私の婚約者と、」
「知っている。気にしなくていい」
「私の気持ちは、本物です!」
さらに距離を詰めてくる。初めて花を持ってきた日よりも。机の上にかけてた手にするりと彼の手が重なる。
あの時と違って組み手をかけるわけでもなく、ただそのまま享受した。
「君の気持ちは君だけのものだ。私に否定する権利はない」
ただ応えられるかは別の問題。
「婚約者と咄嗟に出たのも……そうなりたいと思っているからです」
「あぁ」
「早すぎるのはわかってます」
「?」
机の上に音を立てずに置かれる箱を目の端で確認する。
目線はあくまで少尉だ。彼が真っ直ぐ私を見ている、それには相応に返さないといけないと思った。だから逸らさなかった。
「置いていきます。私の気持ちを受けてくれる時、箱を開けて頂きたいのです」
「わかった」
「私の気持ちは変わりません………好きです」
そう言って彼は去っていった。
私は何も答えなかった。
監視カメラを見れば、家の外で待っているノアと合流し帰る彼の姿が見えた。
机の上の小さな箱。
いくら仕事一筋で娯楽の一つも知らない私でも、彼が何を置いていったかわかる。
「……」
箱を開ければ、美しく光るリング。
全く不思議な青年だ。
今の一瞬でも奴らのことを考えず、彼だけを見つめ彼だけしか考えてなかったと言えば、青年はどんな反応をするだろうか。
「……確かに早すぎるな」
私はこの時、まだあの一瞬の意味を知らなかった。