2話
動けるようになれば、後はひたすら訓練。
日にちは要したが、歩くことが苦ではなくなった。
頭痛や眩暈は多少あるものの発熱も嘔吐もなくなり、やっと家の周りを出てもいいと許しを得たが、それもノアが付き添うのが前提だった。
「ミラン大佐がいる時でもかまわんぜ」
「あいつはそう来ない」
同期で出世頭のミランはさらに昇進予定もあると聞いている。
由緒ある家系らしいが、私はそのお家柄をあまりよく知らない。
仕事において些事なことだからだ。
私の復讐の対象者たちはそういったお家柄を気にする者が多いが、それが仕事の出来不出来に関わってくることではない。
古い習慣だ。
女性は軍に入れない。
家柄のいい者が長を務める。
そんなものは時代遅れだ。
実際、今の軍でも庶民の出であれ女性であれ入隊しているし、前線にも出ている。
私が少佐になれたのも、一部の偏見なき上級大将が認めて押し通してくれたこそだ。
奴らはそれも気に食わなかっただろうが、私の存在というのも厄介だったろう。
何度となく手綱を引こうと試みていたし、如何にして貶め退役させようとしていた。
残念なことに私は誰にも属していなかった。
しいて言うなら、ミランのソルシュタイン派の扱いをされていたか。ミランとそれなりに連携をとっていたから、そう見えたのだろう。最も私はそんなつもりはなかったが。
ミランは仕事ができた。同期として切磋琢磨するには最適の相手だった、それだけだ。
「ん?」
呼び鈴がなるからと画面で確認すると見慣れない青年が立っていた。
突然やって来るミランでもない。ノアの巡回は終わっている。
背筋が伸び一見柔らかい印象に見える姿は育ちの良さが伺える。佇まいから見るに軍所属であることは明白だった。細身に見えるが服の上からでも筋肉の付き方がわかる。うむ、陸軍…歩兵ではなさそうだが経験があるようだな。
『私、第三陸軍六〇三編成小隊少尉、ルーカス・フォン・アンケと申します』
彼は連絡なしの訪問を謝罪し、その上で私との面会を求めた。
第三陸軍はミランの管轄だ。
思い出すのに少し時間を要したが、なるほど彼は私が受け持った講習に参加していた新人兵だったか。
何回か顔を合わせている。真面目で質問も多かった。しかし、私は彼の部隊には属していなかった。彼が正規配属されてからは顔を見ることはあっても挨拶程度と、戦場で二度程合流した、その限りだ。
面会を求められるには関係が浅い。
しかし奴らの差し金かと言われるとそれも薄い。彼の一族はミランの親戚に当たるはずだ。奴らが手を出しづらい相手だ。
他の監視カメラからも彼以外の人の姿はないし、通信機器の使用もないようだ。念には念を。玄関先での対応とするか。
懐にはナイフと小型小銃、玄関先に設置した安全装置を解除して向かう。
扉を開くと、青年は驚いた様子で瞠目し、次に心底嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
「何用かな」
怪しい素振りはない。反応も……これが演技なら若手ながらなかなかの役者だ。
「今回は個人的にお伺いしました。あの、倒れられたと聞いて、見舞いをと……」
「あぁ」
彼は花束を差し出した。
玄関先の監視装置から異常を知らせる知らせはない。つまり中に爆薬もなければナイフや銃もない。あとは化学兵器や電子兵器だが、これもまた装置に反応がない。純粋な花束なのだろうか。
「少佐殿、お身体は」
「問題ない。歩ける程度には回復したな」
ほっとしたような表情を見せる。なかなか分かりやすく素直な反応だ。
さて、奴らの差し金ではなさそうだが、そうであれば本当に何用で来たが皆目見当がつかない。
「あの! あ、いえ、本日はすぐに帰ります、お身体にも触るでしょうし」
「かまわない、ここでよければ続けてくれ」
逡巡した後、彼は力を込めた。攻撃前のそれではなく、ただの緊張のようだった。
「私は少佐殿に憧れて入隊しました。入隊してからもそれは変わらず、所属は違えど憧れておりまして……その、退役される折、ご挨拶が、出来ず仕舞いでしたので、勝手ながら伺いまして……」
「そうか。気持ちは有り難く頂こう」
そう言って花束を受け取る。
毒の可能性もあるし、後で入念に調べておくか。彼には早々に帰ってもらおう。
「少佐殿!」
「もう少佐ではないのだが……何か?」
「次、も、伺っても、よろしいでしょうか?」
「…………は?」
「お身体に障らないように致します。どうか…!」
と言って彼は花束を持つ私の手に触れようとした。
咄嗟に向けられた彼の手を逆手に掴んで、勢いのまま足をかけて引っ繰り返してしまった。
花は乾いた音を立て地に落ちた。刺激で何も起きないという事はやはりただの花束のようだ。
そして、目を丸くして地面に伏す青年。
ううむ、咄嗟とはいえ悪いことをしたな。どうやら今の段階では私に敵意はないようだ。