scene3
――3――
午後二時半。今日の撮影も終わって、一度、家に帰って準備をする。せっかくならうちでも良かったのだけれど、ツナギにも色々あるから気まずいのか、遠慮されてしまった。ちょっと残念。
近所に公園とか在ったかなぁ、なんて思っていたのだけれど、ツナギからメッセージがあったときに一緒に居た凛ちゃんに、場所の提案をして貰った。なんでも、黄金さんの演奏会で使った喫茶店『Slash』のオーナーさんが、「もし良ければ」と場所を貸してくれるという。
オーナーさんはなにも悪くないのに、なんだか申し訳ないけれど……うん。オーナーさんが気兼ねなく過ごせるように、こういうのは受けて置いた方が良いよね。
「どうかな? みかどさん」
「よくお似合いですよ、つぐみ様」
「えへへ、ありがと」
姿見の前でくるりと回る。今日はノースリーブの白いワンピースに、七分丈のデニムパンツ。それから、カワイイロゴ付きのスニーカー。スポーティーなキャップを合わせて、念のため、淡い桜色のフレームの伊達眼鏡をかける。
「さ、つぐみ、髪の様子を見せて頂戴」
「うん、マミィ!」
ついでに、出勤前のマミィに髪を三つ編みにして貰えば完璧だ。仕上げにちょっと整えて貰うと、マミィの優しい香りに胸がぽかぽかと温かくなった。
「いい、つぐみ。ツナギ君のことは私たちに任せて、あなたはただ、ツナギ君と思う存分、楽しんできなさい。ね?」
「うん! ……あの、ありがとう、マミィ」
にこにこと笑顔で頭を撫でてくれるマミィの頬にキスを落とし、御門さんにもして、小春さんがいないことを思い出して寂しくなる。ううん、こんなんじゃだめだ。小春さんが戻ってきたとき、心配されちゃうよね。
前回の反省を生かして、移動の車は小回りの利くモノを用意してくれたらしい。レンタカー、とかなら直ぐに用意できるみたいなんだけど、わたしが乗るための車はなにやら準備が必要なのだとか。
(車は……あ、あった。ブルーのマーチかな。かわいい)
マーチ、といえば、生前の鶫が乗っていた車だ。かわいい。わたしも大きくなって免許をとったら、ああいうかわいい車に乗りたいなぁ。鶫のやっていた、車の天井に張り付くヤツもやってみたい。楽しそう。今度、やらせてくれないか頼んでみようかな。
運転手さんは、いつもの眞壁さんだ。マミィのダディのときからずっと、空星の運転手を務めてきたのだとか。マミィがダディと結婚したとき、空星から引き抜いてきたらしい。御門さんたちと同じで、一族で仕えてくれていて、今日の眞壁さんはおじいちゃん。あと、四十代の息子さんと、二十代のお孫さんも交代で運転手をしてくれる。
「こんにちは、まかべさん」
「はい、こんにちは、つぐみお嬢様」
「きょうも、よろしくおねがいします!」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
真っ白な口ひげがダンディな紳士だ。男の人って、大人になったらみんなあんな風に落ち着くのかな。鶫は、ほら、三十間近になってブリッジ跳躍の練習中にアキレス腱を痛めたりしていたからなんとも……。うぅ、なんだか恥ずかしくなってきた。わたしも気をつけよう。
車には一人で乗り込む。シートベルトをしっかり締めればそれで大丈夫、なんだとか。御門さんは一緒には来ないのかな? と首をかしげると、まるで心を読んだかのようなタイミングで、御門さんはベルを鳴らすような仕草をした。ついてはきてくれる、ということなんだね。や、どうやって? 気にしない方が良いのかなぁ。
「乗り心地はいかがでしょうか?」
「とってもかいてきです!」
「そうですか。それは良かった。でも、気分が悪くなったら遠慮せずにおっしゃってくださいね」
「はい!」
あ、そっか。鵜垣に車で連れ攫われたから、わたしが車を怖がるかもっていうのも想定しているのかな。考えてみれば、普通はそうだよね。うーん、でもなんか、鵜垣のことはもうなんとも思っていないんだよね。小春さんが、目の前でやっつけてくれたから……かなぁ。
シートに体重を預けると、バックミラーに映る眞壁さんの優しい表情が見える。なんとなく視線を逸らして窓の外を見上げたら、青い空に浮かぶ白い雲がふんわりと通り抜けた。
車に乗ること数十分。ようやく、待ち合わせの喫茶店が見えてきた。鶫の記憶では、周辺は民家や二階建ての商店が立ち並んでいたけれど、今は、周囲は五階建てや六階建ての雑居ビルで囲まれている。喫茶『Slash』は三階建てで、二階が物置や仮眠室。三階が住居だった。この、二階を、鶫に貸していたのだ。
車を店の前で停めて貰い、車中に眞壁さんを残す。アスファルトを踏みしめると、スニーカー越しに熱が伝わってくるようだった。そういえば、夏か。凛ちゃんの誕生日も、夏だったような。いっぱいお祝いしよう。できればサプライズで。なんて、にやにやしながら顔の高さのノブに手をかける。身体ごと後ろに引くと、中で待っていてくれたのであろう眼鏡の女性が柔らかく微笑んだ。
「いらっしゃいませ。今日は、来てくれてありがとうございます」
「いえ! こちらこそ、その、ごめいわくをおかけしました……」
私がそう言って頭を下げると、お姉さんはどこか感動したような様子で表情を明るくする。
「なんて良い子……。気にしないでください。でも、気を遣ってくれてありがとうございます。あっ、私はオーナー……といってもまだ新米なのですが、んん、オーナーの渡です。よろしくおねがいしますね」
「そらほしつぐみです。よろしくおねがいします!」
渡……なんとなくそんな気はしたけれど、やっぱり、当時の喫茶店『渡り鳥』のオーナーと同じ名字だ。血縁者の方がお店を継いで、それで、今日までずっと残っていたのだろうか。なんだか、縁の深さを感じるなぁ。
「さ、お連れ様がお待ちですよ。今日は貸し切りかつ私も厨房にいますので、思う存分お話しください。飲み物はコーヒー? 紅茶? ジュースもあるよ」
「あ、ありがとうございます! その、コーヒーでおねがいします」
なんか、ちょっと、恐縮だけれど……今は受け取ろう。うぅ、わたしの迂闊さのせいで、なんかごめんなさい……。
喫茶店を奥まで進むと、観葉植物に遮られたスペースがある。よく仕事の取引や契約をするお客様が、このスペースを好んで使用していた。そこまで歩くと直ぐに、二人がけの席が見える。背もたれ付きの椅子に腰掛けているのは、ツナギ……ツナギ?
「ぁ、つぐみ」
真っ白なワイシャツの下、腰から覗くシルバーのバックル。黒いネクタイにつけられたシルバーのネクタイピン。黒いデニムパンツで覆われた長い足先を飾るのは、茶色のローファー。おしゃれな時計を左手に、頬杖をついて座る金髪の少年が、わたしに気がついて振り向いた。
「えっ、あっ、ツナ――」
「あ、ごめん、待って。私――じゃなくて、おれのことを、そう呼ばないでほし……くれ」
「う、うん」
ツナギ、で、間違いないと思う。だって記憶にある“桐王鶫”とどことなく似た顔立ちは、中々見間違えないから。幼少期の鶫の顔立ち、なんて、知ってる人はあんまりいないんだろうなぁ。鶫の記憶に残る自分の顔なんて、こう、泥水に映り込むようなものばかりなんだけどね。
「座って。さ、どうぞ」
ツナギはそう言うと、わざわざ一度立ち上がって、わたしの席の椅子を引いてくれる。なんだかとても紳士的だ。
「うん。あ、ありがとう」
「どういたしまして」
そうやって正面に回ると、右耳にシルバーのカフスをしているのが見える。彼の深い青色の目と、金の髪と、銀の小物と、モノクロの服。全部が美少年としての彼を際立たせる。
「来てくれてありがとう」
「ううん。げんきそうで、よかった。ツ――んん、なんてよべばいい?」
「あー。そうだ、レ……レオ。レオって呼んでくれたら、いいよ」
「わかった、レオ!」
何か、思い当たる節があるのだろうか。即興だろうけれど、けっこうすんなり出てきた名前を呼ぶと、ツナギは困ったように微笑んだ。
――その笑みが、どこか懐かしい。そう過る思考に、わけもわからず首をかしげる。なんだろう。どこかで、心の奥深くで……鶫の記憶が、疼いたような気がした。
「ところで、そのかっこうは……」
「ロロが」
うん、えっと、わたしの専属スタイリスト、ルルのお兄さん。ロロが、というその一言で、ちょっと察してしまった。
「……ロロが、“オンナもオトコもやってみないと、自分のことなんかわからないわ”って。はぁ」
「あはは、ごくろうさまです」
その理論だと、わたしも、男の子の衣装とか着てみた方が良いのかなぁ。うーん、そうだ。男の子の格好で男の子の演技をして、凛ちゃんと珠里阿ちゃんと美海ちゃんにサプライズをしてみよう。きっと驚いてくれるよね。
「でも、かっこういいよ。レオ」
「っ――あ、ありがと。つぐみに褒められるのは、なんか、嬉しい」
「えへへ、そう?」
頬を赤らめて目をそらすツナギは、男の子の仕草なのにどこか可愛らしい。その様子に、なんだかわたしも、ちょっとだけ恥ずかしくなっちゃった。
「お待たせしました。コーヒーですよ。では、どうぞごゆっくり~」
すぅっと近づいてすらぁっと帰る渡さん。なんだか、「あとは若い二人で」みたいな雰囲気を感じたのは、気のせいだろうか。
コーヒーを手に取ると、ツナギが何も言わずに砂糖とミルクのケースを回してくれる。それにお礼を言ってコーヒーに入れると、甘い香りで胸が一杯になった。
こちらを微笑みながら見つめるツナギは、とても穏やかな様子に見える。
だからこそ、今が正念場だ。ツナギを――友達を助けられるチャンスを逃しはしない。ホラー女優のど根性魂の見せ所だ。
そう、気合いを入れてツナギを見れば、ツナギはきょとんと首をかしげていた。その深い青の色がどこかで見たような気がする……なんて感慨には、目をそらして。