scene1
――1――
モニターでカメラチェックをしながら、つぐみの様子を見る。撮影の準備を始める彼女の姿は、いつもとそう変わらない様子だった。
あの事件に彼女が巻き込まれたことは、監督のオレには直ぐ届けられた。凄惨な事件に巻き込まれた人間は、相応に心を壊すことが多いと聞く。今から大きくストーリーを変えることになってしまうことになるかもしれないが、彼女の療養のためなら仕方がない……そんな覚悟すらしていたのに。
『ひらがかんとく、おまたせしてもうしわけありません!』
開口一番。彼女を心配するオレに投げかけられたのは、そんな言葉だった。それから普通に撮影の準備をして、いつものようにカメラの前に立った。もう、大丈夫なのだろうか? いや、彼女もまだ子供だ。何か起こる前に救出されて、うまく理解できなかったのかも知れない。
(ただ、さすがに役を見つめ直す暇はなかっただろうな)
多少の演技は、見逃すべきかも知れない。純粋無垢な子供として不足があるのなら、矛盾のないように多少家庭環境を歪ませるのも一つの手だ。一応、今回の出来も加味して、脚本の赤坂先生や演出の浦辺さんに相談してみた方が良いだろう。
「凛ちゃん入りまーす!」
前の撮影から慌てて入ってくれた凛が、スタッフに挨拶しながら現場に入る。幸い、天気は良好だ。暑いくらいなのは仕方がないが、日差しは明るく空は青い。スポンサーが花畑を買って(次元が違いすぎて手順は知らない)管理してくれたので、花も元気なままだ。
シーンは、過去回想の部分。凛演じる秋生楓と、人格が分裂する前のリリィが無邪気に遊ぶ場面だ。
「じゃあまず、リリィが一人で楓を待って、楓が直ぐに合流。それから、少し戯れるシーンを撮影していこう。準備は良いか?」
子供たちの、「はーい!」という元気な声が響く。合わせて、スタッフたちも所定の用意を終えた。
「シーン――」
花畑に立つつぐみ。袖で深呼吸をする凛。あまり期待はできないけれど、それすらカバーするのが監督の腕の見せ所だ。だから、今できる全力を見せてくれよ……空星つぐみ。
「――アクション!」
カチンコの音が鳴り響く。同時に、つぐみ――リリィが、花畑に座り込んだ。興味津々に足下の花を見て、花弁をつつき、中でも白い花を手に取ってまじまじと見つめる。
「わたしとおなじ色だ」
呟いて、リリィは花弁を揺らして、自分の髪の毛を花にかぶせて、見比べて、なんだかよくわからなくなってしまったのか首をかしげる。
「ちょっとちがう? いっしょ? むぅ、むずかしい」
どうでもいいことに一喜一憂して、それが世界の難問であるかのように眉間に皺を寄せて悩む。気がつけば、彼女の様子にオレ自身の頬が緩んでいた。この頃の子供と言えば、なんで? なんで? とやたらと周囲が気になるのが当たり前だ。そりゃあ、気になって仕方がないのだろう。リリィは試しに自分の髪の毛を一本引き抜いて、けれど思わぬ痛みに涙目になってしまった。
「いたい」
花と比べるために引き抜いたのに、抜いたときのちくりとした痛みに気持ちが優先されて、花なんかそっちのけで髪の毛をくるくると指に巻いて手遊びをしている。だが、直ぐにどうしてそうしはじめたのか思い出したのだろう。目の前の白い花に目を向けて、はっと手を打つ。
「そうだ! かえでにも見てもらおう!」
そう言って、リリィは白い花を引き抜いた。あー、いや、そうだよな。権利団体がどうたらこうたらで、花を引き抜くなというのも難しい。リリィは白い花がまるで宝物であるかのように手に持ち、笑い、そして遅れて花畑に到着した楓の姿を見つける。
そして。
「かえで!」
引き抜いた花を、放り捨てて、楓の元に駆け寄った。同時に、スタッフから聞こえる小さな「あーあ」という声。今、彼女たちは目の前の一瞬一瞬がすべてなんだ。そもそも、勉強が嫌で、親に嘘をついて抜け出してきたからここで楓と遊んでいる。目先のことしか見えていなくて、でも、それに全力で一生懸命だから輝いて見える。
無垢、とは、なにものにも染められていないことを指す。リリィは今まさに、無垢だ。これから悪を知って、悪がどういうものであるか知ることによって、はじめて善を知る。
「どうしたの? リリィ」
「なにが?」
「なにか、もってなかった?」
「んー……わすれちゃった! それより、はやくいっしょにあそぼ?」
楓の手を持って、朗らかに笑う少女。ぐいぐいと引っ張ってくれる彼女の様子に、楓もまた、嬉しそうに笑う。楓と一緒に駆けるリリィ。彼女は楓が転んだりしないように、掴む手が痛くないように、優しく気遣う。一方で、花を踏むことに躊躇いはなく、放り捨てた花には見向きもしない。
残酷さと優しさ。善と悪。光と影。痛みを知らないから痛みをわからず、傷をつけたら壊れることを知っているから、壊したくないものには優しい。痛みとは――痛みを知る人間ほど、優しくなれる。
「まさか、仕上げてくるとは思わなかったよ、つぐみ」
分かたれる前の二人が、同時に二つの要素を持っていることなんて、想像してしかるべきことだった。純粋無垢ということが何を意味するのか、視聴者たちは見せつけられることだろう。誰もが、始まりから完璧だったわけではないのだから。
「三カメ、リリィの足下、踏まれた花からの引き」
「三カメ、引きます」
「一カメ、リリィと楓の表情をピックアップ」
「一カメ、ピックアップします」
いつも、そうだ。いつも空星つぐみという役者は、オレの予想や想定を軽々と飛び越えていく。このメッセージを、視聴者はどう捉えるのか。これが放映されたときの反応が、楽しみで仕方のない自分がいた。
「カット! さすが、上出来だ」
一息吐く子供二人の姿を見て、オレも気合いを入れ直す。さぁ、ここからは大人の仕事だ。彼女たちの演技に恥じないように、オレたちのやり方で映像を魅せていこう。
――/――
平賀監督にお礼を言って、凛ちゃんと一緒に控え室に戻る。あの事件から三日。ダディとマミィとお話ししたらなんだか元気になってしまったから、女性警察官の方とダディとマミィの三人で状況の説明なんかをして、早々に解放された。これ以上撮影を押したくもなかったし……なんだか、もう大丈夫なような気がしたから。
撮影を終えて、凛ちゃんと二人並んで凛ちゃんのスマホを覗き込む。不思議なことに、警察官の不祥事として逮捕された鵜垣についてはともかく、わたしたちが誘拐されたという情報はまったく流れていなかった。どこからか漏れてしまう、くらいのことは覚悟した方が良いかとも思ったのだけれど……ダディとマミィが、どうにかしてくれたのかな。
「つぐみ、ほら、リリィとリーリヤのシーンがわだいになってるよ」
「どれー? あ、ほんとだ」
真っ先にお見舞いに来てくれたのが凛ちゃんで、一緒に、虹君も来てくれた。ツナギは……どうなったのか、わからない。レインにも返事がないから、心配。ダディとマミィにツナギの現状について話しはしたけれど、まだ、なにがどうなるのかはわからない。二人とも、任せて、とだけだったから。
「Tritterのトレンドにもあがってる」
そう言って、凛ちゃんはTritterのタイムラインを見せてくれる。そういえば公式Tritterアカウントも作ったのだけれど、ぜんぜん呟いてないなぁ。一応毎朝、天気だけは書いているのだけれど。
――――――――――
日本のトレンド
1・妖精の匣
2・連続女児暴行事件
3・リーリヤ
4・空星つぐみ
5・不祥事
6・週刊コスト
7・メロディ
8・――
9――
――――――――――
「えっ、一位?」
「うん。そうだよ。つぐみはやっぱりすごい」
日本で一番話題になってる、ということなのかな。わたしたちのドラマが? 胸の奥で、小さな火がぱちぱちと燃える。わたしたちの演技が、色んな人に認知されていると思うと、どきどきと胸が高鳴った。
(届いてるんだ。色んな人に、確かに、届いているんだ)
がむしゃらだった。とにかく、誰かと誰かの架け橋になるような演技がしたいって、鶫は思っていた。なら、今は? わたしは色んな人にわたしを見てもらえるようになって、それから、どうしたいんだろう。なにに、なりたいんだろう。
胸を締め付ける興奮は、言葉にならない感情と一緒にあふれ出す。実感のなかった一歩を認めると、なんだかとても重く思えた。
「つぐみ?」
「あっ、ごめんね、えーっと」
「むり、してない?」
わたしを覗き込む凛ちゃんの瞳が、どこか不安げに揺れる。凛ちゃんにはずいぶんと心配をかけてしまった。だからちゃんと、凛ちゃんの目をまっすぐ覗き込んで、笑いかける。わたしの大切な友達。親友、なんて言えるほど、凛ちゃんに並べているかはわからないけれど。
「むりしてたら、言うよ。りんちゃんに、まっさきに」
「むぅ。つぐみの言うことだからなぁ」
首をひねりながらそんな風に言う凛ちゃんの言葉に、思わず動揺してしまう。
「えっ、ど、どういう意味?」
「ふふふ、ひみつ。でも、しんじるよ」
そう言って微笑む凛ちゃんの姿は、なんだか大人っぽさすら感じる。わたしに甘えてくれるときとも、わたしを案じるときとも、わたしに頼るときとも、少し違う。黒髪をふわりと揺らして、薄く、瞳を眇めた彼女の姿。
「あ、そういえば、こはるさんは?」
「えっと」
凛ちゃんはさっきまでの雰囲気を散らして、思いついたようにそう告げる。ほんの一瞬。刹那の間に見せたあの表情はなんだったのだろうか。いや、違うの、かも。凛ちゃんはきっといつもどおりで――変わったのは、わたし?
なんだか頭の奥がずきずきと痛みそうだったので、ぶるぶると頭を振って考えを振り払う。
「こはるさんは――」
手にベルを持つ。小春さんが私に託してくれたベルだ。小春さんが、呼んで欲しいときに鳴らして欲しいと言って渡してくれたベル。そのベルを、わたしは、鳴らさずにポーチにしまいこんだ。
「――いないん、だ」
「え」
あの事件のあと、ツナギに次いで気がかりだったのが小春さんのことだ。マミィは小春さんをクビにはしないでくれるって言ってくれたけれど……小春さんの気持ちは、きけていなかった。
「ごえいチームをさいへんするんだって」
「チーム……えっ、チームっていった? つぐみ」
これまでは極力目につかないように配置していた護衛チームを、視界に入らないように訓練された特別な護衛チーム“宵煙”と入れ替える、のだとか。なにを言っているのかよくわからなかったけれど、マミィが実家から引き抜いたのだとかなんとか。マミィの実家って一体……。
それで、小春さんは――そのチームと、連携訓練中、なんだとか。ほんとうに、わたしで良いのかな。わたしに、そこまでして守って貰うような……って、だめだめ。また、マミィとダディに怒られちゃう。わたしで、良いんだって言ってくれたんだ。だったらわたしだって、小春さんが良いんだって言わなきゃ。
「うん。で、そのチームのひととれんしゅう中なんだ」
「そっか……あれ? それじゃあ、今はだれがマネージャーを?」
「はるなさん……こはるさんの、おかあさんだよ」
そう。この鈴を鳴らしたときに現れるのは、小春さんではない。春名さんだ。これがまたすごくて、実戦では小春さんには既に及ばないと言っておきながら、気配をまったく感じない。本当にそばにいるのか心配になって鳴らしたら、足下に傅かれて腰が抜けるかと思ったくらいだ。
「なんか、すごいね」
「あはは……うん」
感謝してもしきれない、んだけれどね。
「びっくりしすぎてわすれてた。これ、エゴサ」
「えごさ? くまもとさ?」
あ、それは肥後か。
「くまもと? ……エゴサーチのりゃくだよ?」
「む、むずかしいなぁ」
凛ちゃんがぐいっと寄せて見せてくれたのは、Tritterの検索画面だった。
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○妖精の匣:)
話題
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むらびとむ@Mur***
妖精の匣、すごかった。
まさかリーリヤの正体があーくるとは!
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アンカムム@99K***
妖精の匣、そうするとしっくりくるよね。
なんでリーリヤだけファンタジーなんだとか思ってたけど、そういう。
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冬鍛冶主@bur***
リリィとリーリヤの関係性が見えてきたな。
窓に映る演出はあれ、正直、鳥肌が立った。
妖精の匣って、なるほどそういう意味か。
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VvidVip@VVV***
今季の覇権ドラマは妖精の匣で決まりかな。
あとはどう、伏線を回収するかだけど。
これ、風呂敷たためる?
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エミリ☆写真集発売!@eMi***
妖精の匣、みんな見てよ!
つぐみがさいっこうにカワイイんだから!
つよくてもよわくてもカワイイのって、つぐみとアタシくらいだよね!
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(続きを表示)
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こんなに、たくさんの人が話題にしているのか。そう思うと、顔に熱が集まってくる。どうしよう。嬉しいけど、恥ずかしいような、うぬぬ。
「はい、チーズ」
「へ? 凛ちゃん?」
「兄におくる」
「なんで!?」
なんだろう、凛ちゃんがわからない。完全に凛ちゃんのペースに乗せられてしまった私は、彼女の行動をどう止めたら良いかわからず――ただ、肩を落とすことしかできなかった。
まぁ、凛ちゃんが楽しそうでなによりです……うん。
「って、あれ? メッセージ?」
楽しそうな凛ちゃんを余所に、自分のスマホを確認する。誰かからメッセージが届いたのだけれど、誰だろう。首をかしげながら開いてみると、そこには、待ち望んだ相手の名前があった。
『返信、遅れてごめん。無事だよ。ちゃんとお礼が言いたい。今日、逢えない?』
そう、ツナギからのメッセージに頬が綻ぶ自分を自覚する。良かった、無事だったんだね。そんな胸を締める感情の赴くまま、ツナギに返信をする。
『三時以降なら大丈夫だよ! どこにする?』
なんだか、良い一日になりそうだ。