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scene6

――6――




 夜の街をバイクで駆け抜ける。発信器は一つは無駄になってしまったが、予備(・・)がうまく働いた。信号は消えていない。




『位置情報取得完了』

『B班急行。到着時間送信します』

『C班、警察組織との連携、取りました』




 遠巻きの護衛班すべてを出し抜くタイミング操作。今日この日まで、本性を見せなかった駆け引き。直前まで行われていた通信妨害。おそらく、何者かのバックアップを受けているのだろう。

 先行して確保した男の個人情報は、拍子抜けするほど直ぐに洗い出すことができた。名前は竹省(たけはぶ)悠斗羅(ゆとら)。三十五歳。港区に住居を構える竹省邸の二階に暮らしている。家族構成は父と母。だが、父親は悠斗羅が十六歳の時に浮気の挙げ句離婚。以降、父親の払う慰謝料と養育費で引きこもりになる。母親は過保護で甘い。

 今頃は、令状を持った警察官が部屋に踏み込んでいることだろう。暴行された少女たちの写真で埋め尽くされた部屋を。




(でも、つぐみ様を傷つけたという意味では、私も同じだ)




 ――幼少期から、可愛いモノや綺麗なモノが好きだった。自分自身を着飾れば見えようによっては身綺麗にもなったが、自分という人間を磨くことに興味を持てなかった。だからといってやりたいこともわからず、ただ、産まれたときから身に課せられた、御門の教育に、訳もわからず身を任せていた。それが変わったのは、いつのことだったか。

 ああ、そうだ。幼少期に、御門の教育が嫌で逃げ出して、無様に転んで泣いていたあの日、私に飴をくれたお姉さんのことが、忘れられなかった。あんな風に、子供を守れるお姉さんになりたかった。




『痛かった? もう、大丈夫だよ』

『いたく、ない』

『はは、そうかそうか、強い子だ』

『つよくなんかない! わた、わたし、わたしは』

『あー、もう、ほら』




 開こうとした口に投げ込まれた、甘いべっこう飴。大人しくなった私に視線を合わせて笑う、笑顔が素敵な、お姉さん。




『泣いてばかりじゃ人生つまんないわ。私だってそりゃあ世間に中指立てて生きてるような女だけどさ、不幸を嘆いて蹲っていたら、一歩も進めやしないってことはわかってる。私のバカ親みたいにさ』

『?』

『ははっ、難しかったか。ごめんごめん。何が言いたいのかっていうと、さ』




 濡らしたハンカチ。

 傷口を縛って、お日様のように笑う顔。




『辛いときこそ笑いな。笑い飛ばして、それで、本当に好きなことをやり通すのさ』

『ほんとうに、すきなこと……』

『そ。私もあんたも小娘だ。躓いたって何度だって立ち上がれる。だって、それが小娘の特権ってやつだからね』




 それから、用事を思い出したといって、慌てて去っていった彼女。あの日のことを、忘れたことなんてない。まばゆい背中を、自分の糧にしてきた。

 好きなことをやろう。そう思って生きてきた。あのお姉さんみたいに、誰かを守りたい。そう思えば、御門の教育は、辛くても頑張れた。可愛らしい友達もできた。彼女は私の嗜好に呆れながらも、当たり前のように受け入れてくれた。




 そして、つぐみ様に出会った。




 新しく護衛をつけることになった、主人の家の子供。可愛らしい女の子の護衛ができるなんて、なんて幸運なのだろう。そう、浮ついた気持ちで始めた。幸い、私は要領は良い方だ。マネージャー業も護衛も、コツを掴むのが早く、たいして苦労もなかった。

 それが変わったのは、あの日。つぐみ様のご命令に足を止め、つぐみ様が階段から落ちていくのをただ見守ったあの日のことだ。旦那様と奥様は、私を責めなかった。つぐみ様の命令に忠実であることは、なによりも優先して求められたことだったから。でも、母は違った。




『良いですか、小春。真に主人を思うのなら、ときには、主人の命令を振りほどきなさい。我らは主人の命を守る道具です。それは、主人自身からも、主人を守らねばなりません』




 私は結局、上辺だけで護衛をしていたのだろう。もう、私にはつぐみ様を守る資格はないと、立ち去ろうと思った。もっと良い人間がいる。もっと、守れる人間がいる。そう、思った。けれど。




『“小春さんを怒らないで”と、つぐみは言っていたわ』

『奥様……ですが、それは』

『つぐみは、あなたのことが好きなのね。ふふ、少し、妬けてしまうわ。だから、小春。自らを罰したいというのなら、あなたはつぐみの側に居なさい。つぐみが飽きるまで、つぐみの側にいることが、あなたへの罰になるでしょう』




 つぐみ様にとって、役立たずになれば、ただの愛玩動物として。

 つぐみ様が飽きて他に興味を持てば、そのまま、廃棄場へ送られる。


(それで良かった。それなのに、あなたは)


 つぐみ様は、私を許した。許してしまった。いつものように笑顔で、私を呼んでくれた。辛い現実も、苦しい事件も、ぜんぶぜんぶ、笑い飛ばしてしまった。


(絶対に、間に合わせる。そのためなら、この身を薪にして、燃やし尽くしたって構わない)


 アクセルを強く握りこむ。エンジン音。通り過ぎていく外灯の残滓。感傷は、怒りに溶けて消えていった。















――/――



 ダクトの中を移動する、といっても、そう簡単なことではない。そもそもここが地下だとするのなら、二階分を直角に移動する必要が出てきたりと、難しい。そのため、まずはダクトの中から階段の位置と鵜垣の位置をある程度把握してから、一度は降りる必要がある。

 排気口は室内にある。降りたときの状況によっては、もう一度登れるかわからない高さの場合もあるだろう。中で震えている、というのも手かも知れないが、位置を把握されて外から攻撃されたら無抵抗でやられてしまう。そう考えると、手頃な高さの棚や置物がある部屋を選択して降りる必要がある。


『どーこかなぁ。出ておいでー。はっ、はははははは!』


 建物に反響して、声が響いてくる。少なくとも、大声を出しても問題ないような位置にある廃工場なのだろう。助けが来るのかは、期待できない。GPSが破壊されてしまったのが痛いな。


『そうだ、少しお話をしてあげよう』

「ツナギ、たぶん“はんこうてぐち”を話してこわがらせようとしてくる。真にうけちゃダメだよ」

「わ、わかった」


 自分がどんな風に相手を屈服させてきたのか話すことで、こちらの希望の芽を一つ一つ摘み取ろうというのだろう。

 ……話す、ということは、私たちを生きて帰す気がない、ということの裏返しでもある。それは言わない方が良いだろうな。これまでの暴行事件で人死にが出ていないのは、きっと、見られて(・・・・)いないから(・・・・・)だろう。


『私は元々は真面目な刑事でね。人々の信頼を得ることを歓びとしていた。家庭でも、良い夫であったさ。けれど、妻の不妊が発覚すると、途端、この女を憎むようになった。悩んだよ。何故、こんな理不尽な感情を得てしまうのか、と。弟夫婦が姪を連れてくると、それはより顕著になった』


 鵜垣の自分語りをよく聞いておく。声の遠さで、だいたいの距離が把握できるから。


『懐く彼女を愛しく思う度に、私の中で違和感は膨れ上がっていったよ。なぜこの子の、泣き顔が見たいと思ってしまうんだ、とね。ああ、だから、あの日のことはまさしく運命だった!』


 無言でダクトを進む。室内、かつ、声からそれなりに遠く。息を殺して進んで、ダクト口の枠が外れなければ直ぐに諦める。


『あれは強い雨の日だった。友達と遊びに出かけて帰らない姪を心配して迎えに行った先、路地裏で倒れる彼女を見た。側に立っていたのはあの男だ。あの男は、悠斗羅は、暴行目的で衝動的に姪に襲いかかり、倒れて動かなくなってしまったことに腰を抜かしていた。駆け寄った姪の息はまだあった。気を失っていただけだった。ただ、自慢の黒髪をアスファルトに散らし、雨の中、苦悶の表情で倒れる彼女の姿は何よりも美しかった!!』


 一つ、見つけた。枠の緩んだ部屋。出入りの激しい部屋は、劣化も早い。どうせろくな目的に使われた部屋ではなかったのだろうけれど……背に腹は代えられない。ツナギと目を合わせて頷いて、ダクト口の枠を外す。


『だから、私は悠斗羅に取引を持ちかけたのさ。あれは、衝動で動きはしたが、自分で暴行が行えるほど度胸のある人間ではなかった。だが、真に迫った少女の痴態を欲しがった。だから、こう、持ちかけたのさ。私が攪乱をする。悠斗羅は攫う。あとは目隠しをさせて私に引き渡し、私はアレに暴行の写真を渡す。――悠斗羅は、愚かで哀れな男だ。自分を捨てたエリートの父親に、自分が犯罪者になることで傷をつけたかった。一方で、父親に似た背格好の私に褒められることを歓びとしていた。いつしか目的は、暴行写真ではなく、私に褒められることに変わっていた。く、ふふふ、実に扱いやすく従順な男だったよ!』


 枠のすぐ下にはマネキンがあった。そのマネキンにうまいこと足を引っかけて降りる。ツナギも同様に降り立つと、直ぐに、部屋の周囲を見回した。


(っ、なに、ここ)


 立ち並ぶ五体のマネキン。左四体は服を着せられ、一番右のマネキンにはなにもない。ただ、ネームプレートが刻まれていて――一番左、黄色いレインコートのマネキンには、“鵜垣青葉”の文字。そして、一番右、何も着ていないマネキンには、“空星つぐみ”の文字。ぎり、と、直ぐ隣で歯がみするツナギの姿が、妙に印象的だった。


『悠斗羅は指示通り、留置所を抜け出すだろう。そしてこの場で、君たち(・・・)殺して(・・・)、私に射殺されるのさ! 正義の警察官の手によってねぇ!』


 喉の奥から、小さく、声にならない悲鳴が漏れる。ああ、やっぱりそうだ。生きて帰す気はない。どのみち、この場で殺す気なんだ。その罪を、あの男に負わせて。


『鬼ごっこにも飽きてきたな……。ああ、そうだ。こういうのはどうだろう? どちらか差し出せば、どちらかは生かそうじゃないか』

「その気なんかないくせに……ツナギ、しんじちゃだめだよ。つかまったら、ダメ」

「信じないよ。あんな、畜生の言葉」


 真実、正真正銘の幼い子供ならともかく、私たちがあんな言葉を信じるはずがない。けれど、もしそれが原因で口論になれば、居場所がばれる。きっとそういうつもりだろう。

 鵜垣の足音が止まる。待っているのだろう。その間に脱出口を探したいけれど、どうしたものか。そこそこ広い部屋だ。ざっと、二十畳はある。作業台なんかも置かれているから、部品の組み立てなんかが行われていた部屋なのかも知れない。


『……ふむ。やはり賢いね。あ! そうだ、じゃあこんな話はどうだろう? つぐみちゃん、君の側でずっと嘘を吐いている、その子のことさ』

「え……? わ、私、の?」


 震える声でツナギが呟く。でもそれは、私がいつか、ツナギの口から聞けば良いことだ。


「ツナギ、耳をかしちゃだめ――」

『ずっと疑問に思っていたんだ。肌を出さない服装、一歩引いた態度、他人とのパーソナルスペース。はじめは虐待かと思った。身体に傷があるのなら、隠そうとするだろう。だが、神津島で気にしていたのは、むき出しになった二の腕ではなく、“喉”だった。喉に傷があるのではない。では、何故、喉の濃淡を見せないような化粧を施すのか? 答えがわかったときは、推理小説で探偵が事件を暴く前に犯人を見つけたときのような興奮を覚えたよ』


 なにを。

 なにを、言っているのだろうか。疑問と、それから、不安。こんなものを聞かされて、ツナギは大丈夫なのかな。隣のツナギを見れば、ツナギは、顔を青くして震えていた。


『確か、ツナギ、君は公開されている記録では、先日、六歳になったばかりだったね。六歳前後から急に、身体特徴が変化することがある。それを、思春期早発症というそうだ。その中には、急な軟骨の成長が含まれる。ああ、そうであれば、ゲイのスタイリストをつけていたことにも頷けるよ。理解者(・・・)で、衣装やメイクを調達できる人間が必要だったのだろう?』


 鵜垣の言葉は、真に受けるべきではない。ないというのに、頭の中であらゆるピースが繋がっていく。


 大人びた思考。その割に、性差を感じさせない距離感。神津島で辻口さんと同室でも、平然としていたときのように。

 中性的な思考。口調が素に戻る一瞬は、話し言葉にもあまり女性らしさはなかった。

 虹君との距離感と、凛ちゃんへの距離感の違い。考えれば考えるほど、これまでを裏付けしてしまうような。




『そうなると、もう、わかるだろう?』

「やめて」

『ツナギは嘘を吐いてきた。それは、つぐみちゃん、君と過ごすにはあまりにも卑怯な嘘だ』

「言うな」

『なぜなら、人間のパーソナルにとって、とても重要な部分を隠していたからだ』

「言うな」

『つぐみちゃん、君は、ツナギを庇う必要なんかない。なぜなら』

「言うなッ」





 ツナギは己の身体を抱きしめて、嫌がるように首を振る。私が止めるよりも一歩、鵜垣の言葉の方が、早かった。








『ツナギは、男なのだからねぇ……!』

「言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァッッ!!!!!!!」








 声が響く。

 絶望と、痛みに彩られた声が、嘆きと共に響き渡った。


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― 新着の感想 ―
ついでに男の娘に鶫役をやらせてる変態の所業を思い出してしまって…… 鶫さんに狂わされた人と変態が多いな……
[良い点] ツナギちゃん男の娘だったのか。私は一向に構わん!寧ろウェルカムです! つぐみとツナギが恋人になると、肉体的にはNL、見た目的にはGL、何も問題無い素晴らしいカップルじゃないか! [一言] …
[一言] 衝撃の事実のはずなのに、ホラー女優の存在感のせいで緩和された気が……
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