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scene4

――4――




 ツナギの隣に寄り添って座り込んでいると、当然、戻ってきた小春さんたちに遭遇してしまう。さすがに聞き耳を立てていた、となると二人に申し訳ない。


「ツナギ、一回もどろ?」

「……うん。つぐみと一緒なら」

「あはは、どこにもいかないよ」


 手を繋いで、そっと看板の裏から抜ける。生け垣の裏に管理用のスペースがあって、そこから行けば裏口に向かってぐるりと移動できる。戻ったは良いけれど直ぐに見つかってしまう……なんて心配も、このルートならないだろう。ツナギは幸い、私がこのルートを知っていることに疑問に思ったりもしないような様子なので、連れて行かせてもらおう。


「こっち」

「うん」


 ……に、しても、心配だ。冷静になってみればわかるけれど、ツナギの状況は現在進行形なのだろう。解決した感じではないからね。そうすると、プライベートなこと? 日常生活で、傷つけられるようなことと言えば、やはり、前世の私自身の状況が当てはまる。これはちょっと、それこそ今日にでも、両親に相談してみようかな。きっと、即時介入とかでなくても、良い方法を提示してくれることだろう。


(うん。大丈夫。きっと良い方向に向かってる)


 前までは、堅い殻に覆われているようで全容が見えなかったツナギも、神津島の時からほんの少しずつ、柔らかくなってきているよう思える。なら、きっと、彼女の抱えている大きな闇だって、解れないわけではないんだ。

 かつての()が、おじいちゃんとおばあちゃんに救われたときのように、あの日々のように、光を掴むことだってできるはずだ。


(でも、そういえば)


 以前、鵜垣さんが言っていたことが脳裏をよぎる。ツナギの抱えるモノ。彼女の中で芽吹く闇は、そう、確か、大きな孤独。そして――。






『――そして、きっと、抱えきれないような秘密に胸を蝕まれている』

『ひみつ?』

『ああ、そうさ。嘘、と言ってもいい。おじさんは、嘘を見破るのも得意でね。難儀なものさ。そう、だから、君が側に居ればきっと、その秘密を打ち明けてくれる――かも、知れないね』






 船の上で交わした会話。嘘、という秘密。ツナギは私たちに自分の現状を語ったことはない。それはつまり、嘘を吐いているのではなく隠しているということだ。でも、だったら、鵜垣さんは何故“嘘”と例えたのだろうか。

 ただの比喩なのかも知れない。それに、根拠のない勘のようなものだ。けれど、何故だろう、私の脳裏からその言葉が離れていかない。





 嘘。

 秘密。

 いや、でも、そういえば――






「つぐみ、待って!」

「え?」






 ツナギの声で、繋がりかけた思考を手放す。ツナギの声には、焦り。どうしたんだろう? そんな、私の疑問は、数秒も経たず氷解する。耳に聞こえるシャッター音、路地裏の先、逆光に照らされ長い影が伸びて、私たちを覆うようだ。

 表情は見えない。ただ、小太りな体型と、眼鏡の輪郭と、手にカメラを持つことだけがわかる。


「き、君、空星つぐみたん、だよね? 妖精の匣の」

「ごめんなさい、知らないひとにはなしかけちゃダメって言われてるんです」

「拙者は、ゆとらっていうんだ。ほら、もう知らない人じゃないよ」

「しりません」


 名乗られても、はい友達ですという訳にはいかないだろう。突っぱねると、男はうなり声を上げなら、自分の頭をかきむしる。


「うぅぅ、ぁぁああああああああァァァッ!!! なんだよなんだよなんだよ、思い通りに行かなきゃおかしいだろ!! ふぅ、ふぅ、フゥ」


 その異常な様子に、思わず後ずさる。男は震える手で眼鏡を外すと、「はぁ」と息を吹きかけて、服の裾で拭った。

 一連の行動は、彼にとってルーティーンに刻まれた儀式のようなモノだったのだろう。息を整え、調子を取り戻し、不気味に笑う。


「ひ、ひひ、いいよ。みんな(・・・)最初は(・・・)素直じゃないんだ」


 一歩下がる。まだ、決まったわけではない、けれど――演技ではない狂気(・・)が、肌を粟立たせた。


「お兄ちゃんと、お菓子でもたべ、食べない?」

「あなたは、わたしのおにいさんではありません」

「……うんぐ、ぎぎぎ、アウゥゥゥゥッ! フゥ、フゥ、フゥ……ひひっ」


 男が、一歩踏み出す。だから私はツナギを庇おうと手を広げ――る、よりも先に、ツナギが私の前に立った。


「ツナギ?!」

「近づくなッ! つぐみには近づけさせない。私は、もう、誰も、なくさない!」


 小さく震える手。押しのけようとして隣に立って見上げれば、ツナギの顔は青ざめていた。それでもツナギは私の前から退こうとはしない。


「……じゃ、じゃあ、いいよ――まずはおまえから、泣かせてやるよ。本当にツナギたんとつぐみたんは、ツンデレでござるなぁ。ふひ、ひひひ」

「来るな!」

「いつまでそう言っていられるのか、楽しみでござるなぁ。おにいちゃんが、何度も何度も、よれよれになるまで使ってやるから、さぁ、ほら、ふ、ひゅ、ふふふふ」


 男が近づく。逃げなければならない、けれど、ツナギを置いていくことはできない。裏路地、人通りはない。そもそも、あんまり人が通るような場所じゃないのは、前世から良く知っていることだ。迂闊だった……ッ。

 子供の足だ。運動不足そうな男に見えるけれど、この暗がりで、彼の服の下が脂肪か筋肉かなんて判断できない。逃げ方によっては不利になる。大声を出しても、届くかどうか。なにせ当時はそんなに治安が良くなかったから、裏口の扉は丈夫な上にあんまり騒音が店内に響かないようになっている。


「さぁ、お兄ちゃんと脱ぎ脱ぎしましょうねぇ、ツナギたん、つぐみた――」


 男が、粘つくような笑みで近づいてきて。




「こっちだ!!」




 聞き覚えのある、大きな声に遮られた。


「――ん……は、ひっ」


 小太りの男は声に反応して背を向ける、声の主すら確認しない、見事な逃げっぷりだ。けれど、走り去ろうとする男に追いすがるように、黒い影が疾走する。アスファルトを蹴る音。黒いスーツに身を包んだ小春さんが、逃げる男を追う。


「逃がしません」

「ひ、はぎゃッ!? な、なんで、話が違う(・・・・)――ひぃぃぃッ!?」


 小道に逃げ込んだ男の悲鳴が、曲がり角の奥から響く。蹴り倒したのか、引き摺り倒したのか、男のうめき声だけが断続的に死角から聞こえていた。


「さぁ、今のうちに早く!」

「うがきさん……行こう、ツナギ!」

「あ、ああ、うん。御門さん、え、いつの間に」


 小春さんが男を押さえつけてくれているのだろう。その間に私たちを逃がそうと、先に声を上げていながら小春さんに追い抜かされたのであろう鵜垣さんが、私たちの手を引いてくれた。


「さ、安全が確認されるまでここにいるんだ」


 鵜垣さんは素早く自分の車の扉を開けると、私たちを中に入れ、外から鍵をかける。


「は、はい。ツナギも」

「うん。ありがとうございます、鵜垣さん!」

「決して、開けてはならないよ。はは、大丈夫、直ぐ終わるから暖かくして待っていなさい」


 そう言って、鵜垣さんは温かいペットボトルを一つ、ツナギに渡す。ツナギはそれを、震える手で開けて、一口煽った。


「ふぅ、ふぅ、はぁ……つぐみ、つぐみ、大丈夫?」

「うん。ツナギが守ってくれたから」

「――なにも、なにもできなかったよ。突っ立ってただけだ」


 水分を入れたことで一息つけたのだろう。真っ白になるほど手を握りしめ、ツナギは後悔を滲ませた眼で、ただ、小さく首を振った。

 立ち塞がる、というのは、とても勇気の要る行動だ。身を挺す、なんて、簡単にできることではないのだから。でも――でも、それを今、告げられて、飲み込めるだろうか。私はツナギから無言で差し出されたペットボトルを受け取って、一口、傾ける。甘いミルクティーだ。鵜垣さんらしいチョイスに、少しだけ、胸の奥が温かくなった。


(小春さんは、大丈夫かな)


 ……なんだか、嵐のような一瞬だった。小春さんは無事かな? あの男は、やっぱり、例の事件の犯人だったのだろうか。鵜垣さんは大丈夫かな。

 ペットボトルを掴む手を、強く握る。何もできない少女の手だ。まだ、あかぎれの一つもしたことのない手だ。私はこの手で、誰かを守れるのだろうか。


「ツナギ……ツナギ?」

「つぐ、み」


 ツナギは、大丈夫かな。そう思って声をかけようとしたら、ツナギの身体が傾く。私に、覆い被さるように。




 そして。







「ぁ」







 伸ばした手が空ぶって、蓋の開いたペットボトルが、座席を濡らして、落ちた。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 鵜垣さん?!……でも小春さんに見られているのに決行するかな?しない気がする [一言] つぐみちゃんまだ5歳なのに人生波ありすぎですよね……おつかれさまです……
[一言] オタイメージがレトロだな。 う〜ん、また同じ手法に騙された。 エクソシストで撃退したオバさんの時もだが、明言せずにそれぽい描写を入れて思い込ませ、ミスリードさせる手法に騙される。 クッソ〜…
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