opening
――Opening――
携帯電話。ずっと据え置きだった電話を手持ちに改良した文明の利器のことを指す。当然ながら私の前世……西暦二〇〇〇年に交通事故で死んだ桐王鶫の時代でも、携帯電話というものが存在した。主な機能は電話と、メール。けっこう高価なこともあって、成人して社会人になったら買えるようなものである。
さて、今世の私、つぐみ・空星・ローウェルはそれはそれは裕福で、子供にも携帯電話を買い与えてくれるそうだ。もっとも、子供が持っていても面白いものではないと思うのだけれど、今後役者として生活していくのであれば、連絡を密にするのに越したことはないだろう。
前世はそれはもうひどい両親であったが、今世の両親は間違いなく人格者だ。携帯電話を持つことにどことなくこう、申し訳なさというか、恐れ多さのようなものを感じ取った父と母は、この間のオーディションで仲良くなった新人子役、夜旗凛ちゃんのおうちにも声をかけてくれたようだ。
ご両親はお忙しいようで、参加者は凛ちゃん一人だ。小さい子を、と思われるかもしれないが、そこはそれ。私の両親以外にも、遠目から警備っぽい方がおられるのですよ、我が家には……。
で、前置きはここまで。
「えっ、でも、りんちゃんこれハコだよ。ボタンは??」
「ないよ。かおにんしょーであくから、パスもいらないよ」
「かおにんしょう、ぱす」
すまーとふぉん、というらしい。ようは通信機能がメインの持ち運びパソコンであるらしい。手持ちサイズで。ゲームボ○イサイズで。画面はタッチパネル。指で動かす。画面を触るのって指紋ついちゃわない?
「つぐみってすごいけど、なんかおばさんくさいね」
「うぐっ……そそそ、そんなことないよ? しょうじょだよ?」
「まちがいなく、びしょーじょだけど、ばばくさいよね」
「ふみゅぅ……」
「よしよし」
あわあわとお試し品を触れているのを、私の両親は微笑ましく見ていてくれる。この携帯電話には、よく見れば前世でもパソコン用品として猛威を振るっていた、狼の横顔のマークが印字されていた。
これ、どうやら父の会社らしい。もう一度言おう、父の会社らしい。うちってどうなってるんだろうね……?
「これがさいしんきしゅ。わたしも、つぎはこれをねらってる」
「ああ、それなんだけど、夜旗さんにはお話しして、今日のお礼に一台、凛ちゃんにプレゼントするよ」
「えええー! で、でも、ともだちのことだから、おれいもらうほどじゃ、ないです」
ああ、良い子だなぁ。この歳なのにちゃんと遠慮が出来る。友達への気遣いが出来る。いいおうちで育ったんだ。ご家族も、とても良識のある方なのだろう。お会いしてみたいな……。
「まぁまぁ。モニターみたいなものだから」
「モニター……わ、わかりました。ありがとうございますっ」
父も母も、凛ちゃんにとても優しい目を向けている。自分の親が余所の子にも優しいというのも、娘としては嬉しい。前世は、ほら、ね。
「つぐみも、ありがと」
「ううん。りんちゃんこそ。ありがとう」
「??? どういたしまして?」
ああ、かわいい、この子、本当に可愛い。でも年上なんだよね……。凛ちゃんは六歳で私は五歳。早生まれ云々ではなく、学年がちゃんと違う。具体的には、私は来年入学で、凛ちゃんは今春入学だ。
「りんちゃん、色ちがいにする? あんまり、かわいい色はないのかな」
「ピンクとかシルバーにして、あった色のカバーをかうといいよ」
「けいたいでんわにカバー……シリコンとかの?」
「シリコン? えっと、こういうの」
見せてくれたのは、すまーとふぉんを覆うケースだった。なるほどなぁ。画面が大きい分、手帳のようにするのか。悪霊が出てきづらいね……。
もうこのあたりは、凛ちゃんとお揃いにする方向でいいかな。おばさん、ちょっと脳みそが疲れてきたよ……。
あれからどうにか初期設定を終え、顔認証とかいうスパイ映画も真っ青な登録も終え、基本的なあぷりけーしょんの入れ方や説明も終え、グレートブレイブファンタジアというゲームのあぷりも入れ終えて、夕食をレストランで一緒に食べてから、凛ちゃんとはお別れした。もちろん、ご自宅までリムジンで送った。凛ちゃんに似た綺麗なお母様が迎えてくださったのだが、車を見てぽかんとされていた。あれ、びっくりするよね。
お兄ちゃんがいるらしいのだけれど、そちらもお仕事らしい。中学一年生で仕事と言えば、案の定、役者さんだ。凛ちゃんがああだから、きっと優しい子なんだろうな。会ってみたいものだ。
「今日は楽しかったかい?」
「うんっ」
「ふふ、良かったわ。――あら、日ノ本テレビからメールが届いておりますわね」
「案の定、合格通知だ。わかりきったこととはいえ、良かったね、さすがだよ、ぼくの天使」
「ほんとう? やったー! ありがとう、ダディ、マミィ」
両親の端末に、どうやらメールが届いたらしい。オーディションは合格。脚本家の筆が乗ったとかで、今は台本に起こしているらしい。というか、赤坂君か。偉くなったねぇ。
どうも、私には、ちょっと変わった役をやって欲しいのだとか。それについてと、他の打ち合わせも込みでテレビ局に来て欲しいと書いてあったそうだ。
「自分たちが伺いに来るべきだろうが、まぁいいさ。行ってあげるかい? つぐみ」
「もちろん、いくよ!」
「つぐみは優しいわね」
いやぁ、さすがにそれはちょっと貴族的すぎないかなぁ、と思わないでもない。テレビ局にこさせるとか……うん……うちの両親ならできそうなのがまた。
「そうだ、つぐみ。つぐみはうちで立ち上げた事務所の所属になっているのだけれど、一つ、マネージャーについて提案があるのだけれど、良いかな?」
うちで立ち上げた事務所……???
い、いや、もうそこは気にしないことにしよう。うん。
「ダディ、ていあんって?」
「君も気に入っている使用人が居るだろう?」
「みかどさん!」
「そう、御門春名女史だ」
御門さんは、今は確か五十代。でも、はきはきと動いて下さるし気風も良いし、私も好きだ。なんだったら、記憶が戻る前から好きだった。
「彼女の娘が新卒でね。うちでの訓練……研修も終えている。使用人として配属しようと思っていたが、本人の希望もあってね。つぐみさえ良ければ、彼女をマネージャーとしてつかせようと思っているのだが、どうかな?」
「いいの! うれしい!」
御門さんの娘さんなら、妙なこともないだろう。言い直した訓練というのも気になるけれど……まぁ、お金持ちって色々ありそうだからね。
「では、近日中に顔合わせをしておこう。ミナコ」
「ええ、手筈は整えてありますわ」
「さすが、ぼくの女神だ」
「あら、まぁ」
……あらやだ、お熱い。と、いけないけない、思考がおばさんにシフトするところだった。二人のなれそめとかも、聞いてみたいな。
「そうそうつぐみ、トレーニング施設なんかも整えてあるわよ。海外から信頼の置けるトレーナーをお呼びしているから、活用して頂戴」
「ええ、ほんと!?」
「もちろん、トレーナーが気に入らなければ言うんだよ」
「う、うん」
それはありがたい。けっきょく筋肉なんかと同じで、鍛えなければ衰えるし磨けば光りやすくなる。トレーニングできるのならそれに越したことはない。
同時に、気に入らなければ、というのはあれかな。自分で言うのも何だけれど、今世の身体は銀髪青眼の北欧妖精系美少女だ。ハーフだから、尖った外人さん的な顔立ちではなく、日本人的な丸みもある。そのせいで、どこか、アニメ的な美少女っぽさがあるのだ。前の家庭教師みたいにとち狂われても困るということだろう。
報告はしないとね。多少悪戯されたって今更心に傷は負わないだろうけれど、間接的に両親の心を病ませたいとは思わないからね。
新春ドラマ。
レッスン。
顔合わせ。
明日から、忙しくなりそうだ。
――/――
暗闇を切り裂く回し蹴りを屈んで回避する。すかさず足を払おうとするが、跳んで避けられた。間合いをとって距離を稼ぐか? 否。狙撃に対処するのは面倒だ。懐に飛び込んで顎に掌底。躱されるのは想定内だ。そのまま肘を曲げて、肘での打突に切り替えた。
鳩尾を狙った一撃が受け止められる。直ぐさまカウンターが飛んでくるが、突き出された手に頭突きを当てて軌道を変えると、さらに近づいて組み付いた。
「――」
「――」
交差する視線。瞳孔の動きによる行動予測。相手の動きに合わせて足を払い、裾から取り出した隠し短杖を、喉に突きつける。
「成長しましたね、小春」
「いえ。まだ、在りし日の母さまには遠く及びません」
「ふふ、そう、謙遜の方はまだまだね」
老年にさしかかりながらも肌つやを失わない女性、御門春名は、上品に笑いながら小春をからかう。
「さ、あとはお嬢様との顔合わせです。これまで積んだ使用人としての訓練もまた、兼任として尽力していただきますからね」
「ええ、もちろんです」
小春はそう、短杖を手の中で回すと、裾の中へしまう。するとどうだろう。闇よりも黒く重かった短杖が、空気のように収納され、かき消えた。
代々御門家に伝わる暗器収納術。その鮮やかな手並みは、熟練の手管を連想させる。そして重々しく、生真面目に頷いた小春は、明日から顔合わせをする、資料でしか見たことのない少女を思い浮かべた。
(北欧妖精系美少女の護衛兼マネージャーなんてラッキー♡ おい、犬、とか呼ばれたらどうしようっ。胸の高鳴りが止まらないわ……)
そう、完璧に制御された顔面筋の下でほくそ笑みながら。