opening
――opening――
監督の声。カチンコが打ち鳴らされ、シーンの撮影がスタートする。今日は凛ちゃんと行う撮影をいくつかまとめて撮る形だ。先に、秋生楓とリーリヤのこじれた友情シーンを撮影。今からやるのは、リリィとリーリヤが分裂する前――すなわち、まだ純粋なだけだったころのリリィが、楓と朗らかに戯れるシーンだ。
撮影のために使用している学校施設の側には、大きな花畑がある。なんともベタだが、ここで、こう、花を愛でるような演出だ。むやみにむしったりしたら視聴者さんに怒られるらしい。蜜、吸っちゃダメ? ダメかぁ。
私は無邪気な女の子。今はまだ、何も知らない。負い目もなく、怒りもなく、諦めもない。親の愛も窮屈だと感じられるほど、恵まれて裕福な生活。ただ、楽しく友達と遊びたい。それだけの、普通の女の子。
「かえでちゃん、ほら」
花を指差し、楓ちゃんを手招きする。何もかも、彩りに満ちた世界のすべてが美しく、楽しい。なんの花かな? 花弁を撫でて、柔らかさにむずがゆくなって、その発見を友達に伝えたかった。
この頃はまだ、そんな小さな日々でさえ、宝物だったから。そう、楓ちゃんの瞳を覗き込めば、楓ちゃんもくすぐったそうに目を細めてくれた。
「きれいなお花だよ!」
「……うん、そうだね、リリィ」
控えめに微笑む楓ちゃんに、私は――
「カット!」
――私、は、あ、れ?
台詞の途中、止められるシーン。何か間違えただろうか、と、まず真っ先に首をかしげる凛ちゃん。
「うーん、なんか違うな」
平賀監督は、無精ひげを撫でながらそう首をかしげる。この方の采配はとても的確で、だからこそ、序盤から役柄ががらりと変わる美海ちゃんもとてもやりやすそうにしている。もちろん、美海ちゃん本人の努力もとても大きいとは思うけれどね。
だからこそ、今この場でそうやって悩むそぶりがあるのなら、なにか引っかかりを覚えたのだろう。
「かんとく?」
「ん、ああ、ごめんごめん」
私の言葉に、平賀監督は直ぐに持ち直す。厳しい方の多い監督さんの中で、平賀監督は褒めるときにはものすごく褒めてくれたり、子供たちに対しての接し方がとても柔らかかったりと、ちょっと荒々しそうな風貌にそぐわずとても気遣いのできる方だ。だからこそ、私たちに向ける視線も、窺うような柔らかさがある。
そう、だからこそ。
「もう少し、こう、純真な子供として振る舞えるかな? ――つぐみちゃん」
言われた言葉に、思わず「う」と小さくうめく。あの、えっと、私は現役五歳児なのですが――もしかして、純粋さが欠けているのでしょうか……?
校舎の空き教室を使用した控え室。そこで、私は机に突っ伏していた。いや、もう、本当に、いったいどうしてこんなことになったのか。こう、幼い子供の演技を組み上げるプロセスとして、裕福な家庭でわがままに育った子供、とか、愛されて育てられて爛漫な子供、とか色々やってみたけれど、どうも監督の琴線に触れなかったようだ。
今まで、純粋な子供ってどうしていたんだっけ? いや、こう、なんの負い目のない子供って、もしかして演じたことない? エチュード(アドリブの演技)でも、何かと影のある子供を演じてきたしなぁ。ぐぬぬ。
「なぁりん、つぐみのやつ、どうしたんだ?」
「カントクに、“子どもっぽくない”って言われた」
「つ、つぐみちゃん、オトナっぽいもんね。――このあいだからは、とくに」
「みみ。ババくさいって言ってもいいんだぞ?」
「だ、だめだよ、りんちゃん!」
ふ、ふふ、ふふふふふ。そうだよね、ご年配だよね、もう。割烹着を着ても、珠美ちゃんから「若奥様って言うより近所のおばちゃん」とか言われたこともあったよね。まさか演技にこんな影響を及ぼすなんて思わなかったわ。
「ごめんね、りんちゃん。せっかくじかんが合ったのに」
「気にするな。しんゆーだろ、つぐみ」
「りんちゃん……」
むん、と胸を張る凛ちゃんに癒やされる。凛ちゃんみたいな娘が居たら、毎日楽しいだろうなぁ。
……結局、“無垢な子供”を演じるシーンのすべてが後回しにされてしまった。該当シーンの公開には時間があるとは言え、忙しくなりつつあるみんなの時間を空振りさせてしまうことがとてもこう、しんどい。
「あのさ、つぐみ」
私にそう声をかけたのは、珠里阿ちゃんだ。珠里阿ちゃんは顎に手を当て、なにか推理を始めるような雰囲気で私に告げる。
「さいきんいろいろあったから、気をはってるんじゃないか?」
「そ、そうだよね。つぐみちゃん、け、けっこう忙しいし」
「むむむむ。しんゆーなのに気がつかなかった……」
「ふふん。あたしはつぐみのライバルだからな!」
いやぁ、もっと根本的なことだと思う。こう、ババ臭さという……。
でも、息抜きというのはありかもしれない。演者である以上、異性だろうと動物だろうと無機物だろうと演じてみせるべきだ。それなのにここで立ち止まってしまったのであれば、私は私という人間を見つめ直せていないということになる。
この年になって……ああいや、肉体は五歳児だけれど、そうじゃなくて、こう、女優を経て子役になるほど経験を積んでなお学べること、見つめ直せることが増えるというのは楽しい。
「よし、そうと決まれば――どうしよう?」
父と母に相談して、私のアルバムでも見せて貰う? いや、それは結局、空星つぐみの原点でしかない。それでは意味がないよね。もっと、桐王鶫に触れるようなことがしたい。かつての生まれた家でも行く? どんな理由で? さくらちゃんに――いや、余計な情報を与えかねない。却下だ却下。
そうやって悩む私の肩を、ぽんと叩く小さな手。振り向けば、ちょうど、凛ちゃんが何か言おうとしているところだった。
「それなら、えんそー会とか、どう?」
えんそー会……演奏会?
「えっと、なんの?」
「サックス。兄のマネージャーのこがねさんが、てーき的にえんそー会をひらいてるんだ。わたしも、行ったことがある」
音楽、音楽か。サックスはなじみ深いモノではないけれど、確かあのMV撮影で虹君がサックス奏者になるというアドリブで演じていた。音楽、というのは度々、胸の内を揺さぶる。私だって呪いの歌で共演者を震え上がらせたり幼児退行させたりしたものだ。
そういう意味でも、音楽という要素が私の演技魂を揺さぶり揺り起こしてくれるのであれば――うん、ありかも。
「わたしも、行っていいの?」
「もちろん!」
「い、いつにする? よていは……」
「あたしも行くぞ! 行けたら……」
そういうことなら、なるほどスケジュールを合わせなければ。そう、手元の鈴を鳴らす。
「こはるさん」
「ここに」
しゅたっと降り立つ小春さん。のけぞって驚く三人。えっと、なんかごめんね。
「りんちゃん、こがねさんのえんそー会って、いつ?」
「らいしゅうだぞ。兄もくる」
凛ちゃんの言葉に、小春さんはスマートフォンを取り出してなにやら検索をしてくれる。
「つぐみ様の予定は各種トレーニングのみですので、こちらは直ぐに調整しましょう。こちらの権限で調査――把握できる範囲では、珠里阿様、美海様の両名には撮影の予定があるようですね」
そんな小春さんの言葉に、珠里阿ちゃんと美海ちゃんはそれぞれ「うぐっ」「ええっ」と言って仰け反った。
「むぅ。じゅりあとみみはむずかしいか。――でも、つぐみは来られそう?」
「うん!」
原点回帰。
そんなつもりで乗った話だったけれど……得られるモノがあると良いんだけれど、どうなることやら。