ending
――ending――
七月二十八日。旅館に戻り、いつものようにスケジュールを確認。一部、空白が、見られる。時刻は午前七時半。今から仕事を確保に動けば、先のスケジュールを獲得することができるだろう。次はどのような仕事を与えるのが良いか――考えて、スケジュール帳の行動予定表を破り、ゴミ箱に捨てた。
今日の仕事を入れていない以上、家にいることだろう。ノートパソコンを立ち上げて、新しく新規の行動予定表を呼び出す。作成しながら決めれば良いだろう。携帯電話を操作し、スピーカーフォンに切り替えた。
『はい……ツナギです』
寝起きだろうか。朝起きる時刻は覚えておいた方が良いだろう。
「おはようございます。それと、昨日は誕生日、おめでとうございます」
『あー、ありがと――えっ!? あ、ありがとう。辻口さん、なにか悪いモノでも食べた?』
「おっしゃっている意味がわかりかねます」
『あっ、そっ、そうだよね……?』
動揺。低血圧か? 行動予測は立てておこう、ひとまずは鉄分の用意。サプリメント――いいや、子供は甘味が好ましいか。ブルーベリーを用意しておこう。
「行動指針から予定表を作るためにご連絡いたしました」
『えーと……父さん、あの人から聞いていない』
「さて――」
契約書を確認。
――あの男の成そうとしていることに興味を持ったのは事実だ。けれど、今にして思えば、この契約内容は、鶫さんのお導きだったのかもしれない。契約書には、ツナギのマネジメントをする、ということだけが記載されていた。
「――僕の仕事は、ツナギさん、あなたをマネジメントすることですから」
『その、桐王鶫のような、役者に……って、父さん、が』
「僕は一人の役者であるあなたに聞いているのです」
『っ』
少し、間が空く。しゃくり上げるような声。数分待つと、声が戻った。
『もっと、演技がしたい』
「どのような?」
『なんでもいい。色んな人になって、色んな自分を演じたい』
「では、ドラマ、映画、舞台、CMでしたら?」
『選り好みはしないよ』
「承知いたしました。では、その方向性でスケジュールを組みましょう」
『うん――ありがとう、辻口さん』
「マネージャーとして、当然の仕事をこなしただけです」
通話を終え、予定の確認。役者のモチベーションのためにも、誕生日プレゼントがあっても良いか。だが、あの男に見つかると面倒だ。食事など、消費できるものにすればいいか。
(これから、忙しくなる)
あの男には悪いけれど、僕はもう、鶫さんが絶対に望まないようなことに協力する気にはなれない。けれど、せっかくまた、専属マネージャーとして活動できる機会が回ってきたのだ。これを活用しない手はない。
演技が楽しく思えている内に、その心を手助けし、成長を促すことで演技の世界につけ込む、僕がツナギさんを如何に楽しませるか。それが、勝負の鍵だ。苦しんで目指すような形には、絶対にしない。
「鶫さん。どうぞ、見守っていてください」
あのとき、拾い上げたはずの鈴はどこかになくしてしまった。けれど、頬に落ちた、彼女の涙の熱は覚えている。あれが夢などではなかったことは、尻餅をついたときの痛みが僕に教えてくれる。教え方が、実に僕と鶫さんらしい。
(ツナギさんを、必ず、ハリウッドに連れて行く。無理矢理ではなく、ツナギさんが望むように、必ず)
だから、また、話を聞いてください。
必ずとっておきの自慢話を手土産に、あなたのところへ参ります。
「――もしもし」
『ん? あなたから電話なんて、珍しいわね』
「申し訳ありません。閏宇さんの伝言、伝え忘れました」
『そう。まぁ、良いわ。そのうち自分で――』
だから、どうか。
「次に鶫さんの霊と会ったら、伝えておきます」
『え、は、次ってどういう――』
「では、また」
『――話はまだ終わってな』
その日まで、あの優しい地で、待っていてください。
――/――
「ゆーくん」
とん、とん、とん、と木の階段を登り、女性は扉をノックする。片手に重そうに持つのは、ご飯と味噌汁、それに焼き魚とサラダが載ったお盆だ。
女性は、扉の向こうから返事がないことに落胆の表情を浮かべる。けれど直ぐに頭を振って、もう一度、扉をノックした。
「ゆーくん、ゴハンよ」
返事はない。
けれど、諦めきれないのだろう。また、もう一度、ノックをする。
「ゆーくん、ねぇ、たまにはお母さんと――」
返事はない。
それでも女性はまた声をかけ、ノックをして。
「うるせぇババァ!」
響いた声に、ひゅ、と息を呑んだ。
「ご、ごめんなさい、ゴハン、ここに置いておくね?」
女性はそう、ただ諦念の眼を伏せ、そっと、扉の前にお盆を置く。そうするとまた、とん、とん、とん、と階段を降りていった。
その音を最後まで聞き終えると、木の扉が軋む音を立てて開かれる。むちむちと膨らんだ太い手がお盆を掴み、引き寄せ、扉は閉じられた。
「チッ、食べやすいメシにしろって言ったのに、あのババァ」
だるだるに首元の伸びきったシャツ。ぼろぼろにほつれたジャージのパンツ。分厚い眼鏡についた汚れをだるだるのシャツで拭うと、男は、乾いた唇を舐めた。
「まぁ、いいや。新しい写真もできたんだ」
そう、男は、一枚の写真を手に取る。女性に手を引かれ、オーディションに向かう少女の姿。キョロキョロと周囲を見回す可愛らしい仕草が、ちょうど、男の方に向いたときに撮影できたものだ。
滑らかな銀髪。鮮やかな青眼。日本人好みに整った顔立ち。売れはじめの子役――空星つぐみの、可憐な姿。
「ハァ、ハァ、つぐみ、つぐみ、拙者のつぐみタソ、んちゅぅ、んちゅぅ」
その写真に、男は何度も口づける。何度も何度も口づける。そして、そのあとを服の裾で拭うと、裏側に両面テープを貼り付けて、おもむろに立ち上がった。
「さ、まずは一番。一番目のコレクションは……」
周囲を見回す。空いたスペースはあまりない。つぐみと同じ年頃の女児の写真が、所狭しと貼り付けられていたからだ。
その写真は、盗撮写真からスタートし、やがて怯えるような表情になり、目隠しをされ縛られた写真になり――モルモットの観察のように、徐々に、状態が変化していく写真だ。その規則性を維持するためには、一定のスペースが必要になる。
「あ」
男はそう、思いついたように笑う。食べかすやペットボトルで汚れたベッドの上に登り、おぼつかない手を震えさせながら、男は、天井に写真を貼った。
「今回は今までとレベルが違うでござる。ぬふふふふ」
天井に記録されていくであろう今後を予想して、男は笑う。
次の獲物は獲得に苦労しそうではあるが、その分、相応の報酬が得られるであろうコトを期待して、男はにたにたと笑い続けた。
――Let's Move on to the Next Theater――