scene6
――6――
凛ちゃんと珠里阿ちゃんが並んで、夜の森に消えて。
「うぇ、ぐす、ずびっ、うぇぇ、おししょーのあほ、あんぽんたん、ぐす」
「いやぁ、たのしかった。もう一回いきたいなぁ。やっぱり、とちゅうのガイコツがあたし的にはMVP」
三十分ほど経った頃に、目元を真っ赤に腫らして泣く凛ちゃんと、とてもとても満足げな珠里阿ちゃんが並んで帰ってきた。凛ちゃんがこんな風に泣いてるの、初めて見るなぁ。
「みみ、気をつけろ」
「り、りりり、りん、ちゃん?」
「ホンモノのレイがいた」
「うひぃ」
いや、本物はいないんじゃないかなぁ。そう思って、苦笑しつつ、控えてくれていた小春さんを見上げる。そうしたら、小春さんはいつものように――いや、あれ? なんで首をかしげているんだろう?
「骸骨? 桜架さんと蘭さんは、技術で驚かすとおっしゃっていたような」
その、思わず、といったつぶやきは、思いのほかよく響いた。びくりと肩を震わす美海ちゃん。真っ青になる凛ちゃん。きらきらと目を輝かせる珠里阿ちゃん。皆の様子に、顔が引きつる私。
「り、りんちゃん、みみみみ、みまちがいじゃ、なくて?」
美海ちゃんの請い願うような声に、凛ちゃんはしかし、首を横に振る。
「くらやみにぼんやりと浮かぶ、まっしろな頭。あれはぜったい、ガイコツだった」
「あわ、あわわっ、あわわわわわ」
かぶり物くらいだったらしてたのかもなぁ。いや、でも待って。これはもしかしたら、桜架さんの作戦の内では?
小春さんにも偽りの情報を与え、あたかも“骸骨なんて居ない”というように思わせる。それを小春さんに疑問に思わせることで、真に迫る悪霊を見せるギミック。
「ふ、ふふふ」
「つ、つぐみちゃん?」
なるほど、なるほど。
――腕を上げたね、さくらちゃん。私は嬉しいよ。
「このきもだめし、おもしろくなってきたね」
「ぇぇ……」
私たちのターンの合図は、小春さんが行う。だから、小春さんを期待の眼差しで見上げると、小春さんは私に目を合わせて、ぽっと頬を赤らめた。ん?
「で、では、こほん――つぐみ様、美海様ペア、スタートです」
合図が聞こえて、気持ちを切り替える。いったいどんな風に驚かせてくれるのか。どんな風に楽しませてくれるのか。考えただけで、胸が躍り出しそうだった。
「ええっ、もう!?」
「いこっ、みみちゃん!」
「あばっ、あばばっ、あばばばばば」
美海ちゃんの手を引いて、夜の森に進軍する。灯りは足下でぼんやりと光る、太陽光充電式のライトだけ。前がよく見えなくても、足下が見えれば転んだり大きく道を外したりはしない。そのための配慮だろう。
「つぐみちゃん、つぐみちゃん、つぐみちゃん」
「ん? どうしたの?」
常時微かに震える感じになっている美海ちゃんに呼ばれ、首をかしげる。
「た、たのしそうだね?」
「うんっ」
「はぅあ!? ま、まぶしい」
美海ちゃん、今日はなんだかちょっと変だなぁ。けっこう怖がりだから、肝試し、大変なのかも。うーん、あんまり褒められた楽しみ方ではないけれど、ちょっとだけ、美海ちゃんの恐怖を和らげてあげようかな。
「みみちゃん、きもだめしを楽しむほうほうって、知ってる?」
「た、たのしめるの?」
「もちろん、こわいのも楽しさのうちなんだけど、もう一つあるんだよ」
「そう、なの?」
美海ちゃんが、興味を引かれて私を見る。よしよし、ちょっと震えが収まった。
「それは――おばけを、びっくりさせること」
「へ?」
「見てて」
私たちのモノではない足音を聞き分ける。久々の本領発揮のハイスペックボディ。実力をきっちり使いこなして、お化け役の位置を把握。ふふふふ、久々の悪霊ポジションだ、燃えてきた。
美海ちゃんを先に歩かせ、足音を消して美海ちゃんの影に寄り添う。お化け役は……蘭さんか。南無。
「うぅぅらぁぁめぇぇしぃぃぃやぁぁぁ」
「ひ、ひぃぃぃっ」
木陰からにじみ出すように現れる蘭さん。暗がりも合わせて姿が見えにくく、登場のタイミングも絶妙だ。その技術力はさすがの一言。でも、予見できた以上、対策はとれる。私がいないことに蘭さんが気がつくほんの少し前に、そっと背後に忍び寄り、白い首筋にふぅと息を吹きかけた。
「うぅ■ぁぁ■■ィィ■ァァァッ」
「ひぅっきゃぁあああああああああっ!?」
悲鳴を上げて、私たちが来た道を駆け逃げる蘭さん。そう、これ、これなんだよね、私が求めていたモノは。うぅーん、やっぱりやりたいなぁ、悪霊役。小春さん、仕事をとってきてくれないかなぁ。
……もちろん、あとで、蘭さんにはちゃんと謝ります。げんこつくらいは覚悟しておこう。前世でも、さくらちゃんと閏宇にはよく怒られたものだ。
「どうだった? みみちゃん」
「す、すごかった。うん、でも、なんだかさっきよりこわくない、かも」
「んふふふ。それじゃあこのちょうしで、おうかさんも怖がらせちゃおう!」
「あはは、ふっ、ふふふ、そ、それは悪いよぅ、つぐみちゃん」
だいぶ元気になったみたいだ。あとは、桜架さんの対策を取りつつ、お札を取ってくれば終了かな。ふふふ、負けないよ、桜架さん。
「うぅ、ちょっとゲンキになったけど、や、やっぱり、よるの森ってこわいね」
「あはは、たしかにこわいね」
「……ちょっと、ニュアンスがへんだった気がする」
元々前世で慣れ親しんだ道なので、移動もけっこうスムーズだ。美海ちゃんの手を引きながらどんどん歩いて行くと、視線の先に鳥居が見えてきた。
……ということは、桜架さんはそろそろ仕掛けてくるだろう。多少びっくりしても階段から落ちない踊り場スペース。かつ、鳥居が見えた安心感で気が抜ける一瞬の隙。狙うのはそこに違いない。そう、鳥居が見えて肩から力を抜く美海ちゃんを尻目に、気配を探って――あれ?
(気配を感じない? ……いや、違う。木に同化してるんだ!)
大きな木、その中でも不自然に太い木。暗がりだからできる同化術を瞬時に見抜き、驚かしてくる桜架さんに備える。だが、その一瞬で、桜架さんの姿が視界から消えていた。
(どこへ? 気配は――上?!)
「みみちゃん、うえ!」
「え?」
みみちゃんが上を見上げる。けれどそこに、桜架さんの姿はない。重心移動による高速着地!
「しまっ――」
「キェェェェェェェェッッッ!!」
「ひきゃああああああああああああ!?!?!!」
地面に上下逆さまに転がって見える生首は、ブリッジ姿勢によるモノだ。跳躍から素早くブリッジに切り替える、桐王鶫の特殊技法――まさか、モノにしていたなんて!
「いやぁああああああああ!!」
「あっ、みみちゃん! ひとりでいったらあぶないよ!」
走り去る美海ちゃんを追いかけながら、暗がりに消えていった桜架さんを思う。
(ふっ……今回は私の負けだよ、さくらちゃん)
かつての小さな友人の、大きく成長した姿を胸に刻む。やっぱり、桜架さんもまた、私のライバルであることに疑いようもない。やっぱりここは一度、ちゃんと悪霊役をやりきって、私の演技を見せたいなぁ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「み、みみちゃん、だいじょう――」
「きゅぅ」
「――ぶ!?」
やっと追いついた美海ちゃんは、けれど、逃げ切ったことで思い出してしまったのだろう。ゆっくりと私の方を振り向いて、そのまま、ふっと意識を遠のかせてしまった。
「っと、あぶない!」
なんとか転ぶ前に抱き留めて、とりあえず、お社まで連れて行くと、軒先にそっと腰掛けさせた。お社といっても、子供一人くらいなら入れるサイズだからね。目が覚めて直ぐに安心できるよう、お札を美海ちゃんに握らせる。それから、ちょっとだけ美海ちゃんから離れて、携帯電話を取りだした。
「えーと、メッセージは……レインをひらいて、うーんと……」
小春さんに、「ちょっとだけ戻りが遅れるけれど、心配しないで」と送ると、秒で承知の返事が来た。やっぱり早いよね、小春さん。
桜架さんも、戻りパートの準備に向かう頃だろう。それはそれで楽しみだけれど、とりあえずは、美海ちゃんの目覚め待ちかなぁ。
「うーん……うーん……」
「だいじょうぶだよー。おばけはいないよー」
うなされる美海ちゃんに声をかけながら、なんとなく、空を見上げる。空の向こうまで見通してしまえそうな良く晴れた夜空には、無数の星がきらめいていた。そういえば、祖父母に引き取られた最初の晩に見上げた空も、こんな風に輝いていたな。
足下ばっかり見て生きてきた。食べ物やお金が落ちていないか、獣のように這いつくばって生きてきた。前を向くときはいつだって、身を切るような激情で、不幸な現実に牙を剥くときだけだった。
だからあの日、見上げた空の美しさに、なんでか涙が止まらなかった。
「なんてね――ん?」
そうやって周囲を見渡していたら、視界の端に灯りが見えた。桜架さん? それとも、蘭さん? 小春さんではないと思うけれど……あれは、私のお墓の方だ。
(ここに美海ちゃんを残しておくのは心配な気もするけれど……小春さんの采配なら、一番安全なのもここなはずだ)
いざというときに駆けつけるようなシステムのひとつやふたつ、仕掛けてあることだろう。それよりも、墓にいるものがこちらに危害を加えるようなものだった時の方が困る。私一人なら、気配を殺して近づいて、戻って通報くらいならできるだろうし……。
「みみちゃん、ちょっとまっててね」
小声で告げて一撫でして、それから、気配を消して歩く。向こうに灯りがあるのなら、私に灯りは不要だ。歩き慣れた道を辿り、木陰から墓を見る。
(え――あれって)
石畳に置かれた杖。
跪く、喪服の男性。
(辻口さん……?)
まだ見慣れない総白髪。あ、もしかして、凛ちゃんが見た骸骨って、辻口さんのことだったのかな。なんとなく得心がいった。暗がりで見たらそう見えるかも。
辻口さん。いつかの日、夢を語り合った男性。今は、彼のことがわからなくなってしまった。なにを思い、なにを夢見ているのか。だから、目の前のチャンスという誘惑にあらがいきれず、気配を殺したまま墓石の裏に隠れる。暗闇の中だったからできたことだ。
(私は、近くまで来て、それでどうしたいんだろう)
答えは出ない。ただ、変わり果てた辻口さんの姿に、居ても立ってもいられなかっただけだ。いっそ、出て行こうかな。子供として、お話を聞いてみる? いや、その程度で内心を吐露するようなひとでもなかったか。
「――また、恥も知らずにここに来てしまいました」
悩む私に突きつけるように、辻口さんの声が聞こえる。
「桐王さん。僕は贖罪を続けています。許されたく、ないのです」
贖罪? 罪をあがなう?
ちょっと待って。辻口さんになんの罪があるの? そんな話は知らないのだけれど……。
「あなたを殺した罪を、許されたくありません」
殺し……殺した?
「あなたを失った日から、すべての時を止めて生きてきました。生きることこそが贖罪になるのだと、あなたのいない世界を生きる地獄を、生き抜くことが贖罪になるのだと、信じてきました。僕は……僕は、本当ならこうして墓参りなど許されない――罪深い、人間です」
交通事故だ。辻口さんも、大けがを負ったのだろう。その代償の、義足なのだろう。
ああ、でも、私を殺した? 桐王鶫を、殺した? は、はは。なんの冗談なのかな、辻口さん。そんなの全然笑えないよ。
二十年間、生きることを地獄と捉えて、贖罪のためだけに生き抜いてきた?
そんなの、認めてなんか、やらない。
他の誰がなんと言おうと、私だけは――許さない。
握りしめた手のひらに爪が食い込んで、じんじんと痛む。私は、いつだってそうしてきたように、意図的に、自分の中のスイッチを入れた。
辻口さんがそうやって二十年生きてきたのであれば、五年しか生きていない空星つぐみの言葉はきっと、届かない。なら、三十年生き抜いて死んだ女の言葉なら、あなたの心に響くよね?
骨の髄まで、伝えてあげるから。