scene4
――4――
お風呂は併設の温泉へ。
夕食はみんなでカレーライス。
それから、私たちはテントで一泊過ごして、今日は七月二十七日だ。
「それで、えっと、なにをするんですか? おししょー」
首をかしげて尋ねる凛ちゃんに、桜架さんは微笑む。
「夜からはみんなで“楽しいこと”をしたいと思うのだけれど、昼間は、そうね――私の大好きな人に、大事な弟子ができました……という報告をしたいのよ」
「だいすきなひと?」
「ええ、そう。――お墓参りに、付き合って欲しいのだけれど、みんなも構わないかしら?」
凛ちゃんは少しだけ目を見張り、それから直ぐに首を縦に振る。
「わたしも、おししょーの“コイビト”にアイサツしたい!」
「わ、わたしも、だいじょうぶです!」
「そういや、父おや知らないんだよな、あたし……。はい、あたしも、行きます」
「ふふ、ありがとう」
口々に告げるみんな。ああ、そうか。今の今まですっかり忘れていた。
「わたしも――わたしも、行ってもいいのですか?」
「ええ、もちろん。私から頼んでいるのだもの」
口元に手を当てて、上品に笑う桜架さんが頷く。そういえばそうだった。七月二十七日は、私の前世……桐王鶫の、誕生日だ。
思えば生前から、どうも、誕生日というものに頓着しない性格だった。あの両親から産まれた日よりも、祖父母に出会った日の方を誕生日にできないか悩んだこともあるけれど、結局は、自分の誕生日なんてどうでも良かった。だからそれでさくらちゃんに怒られたこともあったっけ。
『鶫さん、誕生日っていつなんですか?』
『ん? 一昨日』
『はぁ????? ちょっと、どういうことですか!』
『え、ええ、なにが?』
『鶫さんはニブチンなんですか???』
『え、ひどい』
うんうん……うん。そんなこともあったなぁ。
「あ、でも、こはるさん、モフクとかって……」
「もちろん、ご用意が――」
「――あー、それはいいの」
私の質問に答えようとした小春さんだったが、そんな小春さんを遮るように桜架さんが苦笑を零す。
「生前、そういう堅苦しいのは苦手な方だったから」
えっと――うん、その、なんかごめんなさい。
「ね、おししょー。くるまの中で、おししょーの好きなひとのお話、きかせてください」
「ええ、いいわよ」
「では、本日の運転も私が……」
「御門さん、今日は私に任せてください。叔母の、桜架さんの話は、何度も聞いてきましたから」
小春さんの提案を、蘭さんはやんわり断って運転を申し出た。ご家族だからね。そりゃあ、聞いたこともあるか。蘭さんは確か、桜架さんの年の離れた姉の子供、だったかな。姉と言えば確か、かつてのさくらちゃんを見る度に悲鳴を上げて逃げる人だった。グレていた時に、さくらちゃんに心が折れるまで論破されたんだったか。その娘さんが霧谷桜架と同じ道を進む、というのも不思議な話だよね。
「つぐみ? くるま、乗ろ?」
「あ、うん、りんちゃん」
「じゃんけんもしなきゃな」
「あ、うん、やるんだね、りんちゃん……」
席順じゃんけんか……四人で一列でも、いけないものかと思ったんだけれど、前世よりもずっと厳しいんだよね、シートベルト着用。
席順は、後ろの座席に桜架さんと凛ちゃん。その前に、美海ちゃん、私、珠里阿ちゃんの順番。運転席が蘭さんで、助手席が小春さんだ。席を勝ち取った美海ちゃんはずいぶんと満足そうにしているけれど……件のお墓参りまで、車で十五分程度だという。けっこう早く到着するんだよね。
「それで、おししょー。そういえば前にもスカイツリーでききましたけど、その」
「鶫さん、ね。私と鶫さんが出会ったのは、ちょうど私がつぐみちゃんと同い年のころだったわ。あの頃は、あんまり役者が好きではなかったのよ」
……覚えている。桜架さん――さくらちゃんは、その天才性から孤独になってしまった少女だった。
「そんなときに、私に手を差しのばしてくれたのが、当時、既にホラー女優として世を賑わせはじめていた鶫さんだったわ。鶫さんは、人を見かけや地位で判断する人じゃなかった。恵まれているとは言い難い家庭環境で生まれ育ち、それでも、優しさを失わない人だった」
それは、それは、ちょっと違う。優しい人間だったんじゃない。ただ、優しくあれることに憧れていただけだ。
父がいなくなって、母がいなくなって、たった一人になって。誰を頼れば良いかわからず、ただ、このまま死にたくなかったから生きた。残飯だって漁ったし、雑草だって煮て食べた。そんな私に手を差しのばしてくれた祖父母がいたから、私は、彼らのようになりたいと憧れただけだ。
だから、本当の桐王鶫は――
『――、“―――”』
――っと、思考が途切れた。なにを考えていたんだったかな。ああ、そうだ。桜架さんは相変わらず大げさだ。大げさだけれど、それに釣られて前回のようなミスはしないようにしないと。何度も同じミスをするわたしではありません!
「演技に一生懸命で、いつだって全力で、だから私は憧れた。鶫さんがいなくなってからはずっと、考えないようにしていたけれど――ふふ、私、本当は鶫さんみたいになりたかったのよ」
憧れ。憧れるという気持ちは、とてもよくわかる。だってわたしもそうだから。どうしようもなく憧れる。振り返る、かのじょの人生に、いつだって憧れる。わたしも、あんな風に強く生きられたら、弱くて臆病な自分を変えられるんじゃないかって、そんな風に思う。
珠里阿ちゃん。お母さんとすれ違っていた女の子。明るくて快活で、自分のやりたいことがハッキリしている素敵な女の子。
美海ちゃん。優しくて一直線で、迷っても自分でそれを乗り越えられる、芯の強い女の子。
凛ちゃん。本当に大事なときに、自分よりも友達のために全部を投げ出すことのできる勇気ある女の子。
みんな、わたしとは違う。わたしは――
『だ―、“――み”』
――わたし、私は、あ、あれ? えーと、えーと。そうだ、そう、さくらちゃんは私に憧れている、なんて風に言ってくれているけれど、正直、あの頃の私よりも今のさくらちゃんの方がずっと素敵だと思うんだけれどなぁ。
これってやっぱり、思い出の美化だよね。とてもこう、小っ恥ずかしくなるから止めて欲しい。
「おししょーのあこがれの人なんですね」
「すてきだなぁ。あ、あこがれちゃうかも、そういうの」
「あたしたちにとっての、つぐみだな」
珠里阿ちゃんはそう言ってくれているけれど、なんだかそれも大げさだ。
「ううん。きっと、わたしにとってのみんな、だよ」
わたしは、私は今、どんな表情を浮かべているのだろうか。ちゃんと、笑えているかな。ちゃんと、伝えられているかな。ちゃんと、みんなと出会えて嬉しいって、言えるかな。
「みなさん、そろそろです」
「あ、はい!」
ナビゲートの操作をしていた蘭さんが、私たちにそう告げる。どうやら、到着したようだ。いったい私の墓とはどこにあるのだろうか、なんて思っていたのだけれど……そっか、そうなんだね。
「いこ、つぐみ」
「うん、りんちゃん」
車から降りて、手入れされた道を見る。アスファルトは所々ひび割れているけれど、雑草なんかは丁寧に引き抜かれていて、歩く分には問題ないだろう。
石垣の上から差し込む日光が、生い茂る大樹に遮られて木漏れ日を生む。枝葉の隙間から見える青空は、かつての記憶を呼び起こしてくれるようだった。大きく曲がる坂道。しわしわで温かい手に導かれて登った、あの日の憧憬。
坂の向こうに見える古びた一軒家は、生活感こそないが、定期的に手入れされているのか、朽ちては居ないようだ。
かつて、桐王鶫が少女期を過ごした場所。
あの日、祖父母に導かれた家。ああ、そうか、閏宇かな。彼女なら、真っ先にそういう気配りをしてくれることだろう。坂道を登って、一軒家の裏手に回る。そこから石畳の階段を登ると人の居ないお社があって、ああ、そうだ。その先。
「へ、へびとかいないよね」
「へび? へびがいる?」
「つぐみ、目、かがやかせすぎ」
小高い丘。麓を見渡せる見晴らしの良い場所。ぽつんと置かれた墓は、誰がそうしてくれたのか、黒曜石のように美しい真っ黒な墓石に変わっていた。かつて、祖父母を納骨したときは、普通の色合いだったんだけどなぁ。でも、おじいちゃんもおばあちゃんも、喜んでくれているかも。
「ここよ」
祖父母と、同じ墓だ。二人と一緒に、埋葬してくれたんだね。ふふ、なんだか嬉しいなぁ。
「掃除は、もう終わってるみたいね。まったく、あの人も」
ピカピカに磨かれた墓石を前に、呆れたようにため息を吐く桜架さん。彼女の言葉を拾ってしまい、つい、首をかしげた。
「おうかさん、あの」
「どうしたの、つぐみちゃん?」
「あの人、というのは……?」
「ああ。毎年、掃除をするだけしておいて、みんなの墓参りが終わってからこっそり戻ってくる人が居るのよ。まったくもう――誰も、一度だって、あなたのことは責めなかった。あなたのせいでないことくらい、わかっていた。だから自分を責めないで欲しいのだけれど、難しいのでしょうね」
深く、あるいは重く、伏せた瞳に哀愁を乗せて息を吐く桜架さん。
「えっと」
「あー、いえ、なんでもないわ。忘れて頂戴」
その言い方に、なんとなく、心のどこかが引っかかった。自分を責めている? それって、もしかして――。
「さ、凛。鶫さんに、あなたを紹介させて」
「はい! おししょー! よるはたりん、六さいです。よろしくおねがいします、おおししょー」
お師匠の師匠だから大師匠、ということだろうか。思わず、頬が緩む。
「みんなも、ほら」
桜架さんに呼び止められて頷く。うん、そうだ。自分の墓参りなんてどんな気持ちで迎えれば良いのかと思っていたけれど――祖父母もいるこのお墓なら、別だ。
(おじいちゃん、おばあちゃん――私はまた、役者をやっているよ)
毎日、どうにかこうにか頑張ってるよ。
だからどうか安心して見守っていてね。大好きな、おじいちゃんとおばあちゃん。