ending
――Ending――
――夕暮れの車内。リムジンのソファーに、茜色が差し込む。子供の身体というのはやはり、活動時間に限界があるのか、それとも久々の演技で疲れてしまったのだろうか。うとうとと瞼を擦っていたら、自然と、母の膝に導かれていた。
隣には父が居て、私の頭を柔らかく撫でてくれる。優しい両親、という存在を知らない私にとって、私の両親は、あまりにも完璧すぎて未知であった。それでも、その心地よさに身を委ねていると、渇望していた心が潤っていくような、不可思議で面はゆい気持ちに覆われる。
「よく頑張ったわね、つぐみ」
「友達もたくさんできたそうじゃないか。また明日、ダディとマミィにも、友達のことを聞かせてくれるかい? ぼくの天使」
「うん……うん、まかせて、ダディ、マミィ」
「マミィにも聞かせてくれるの? ふふ、嬉しいわ」
友達……そう、友達だ。あの演技が終わったあと、なんだかんだで連絡先を交換した。アドレス帳なんてまだ持ってないと言ったら、両親が控えてくれたみたいだ。携帯電話も、今度、買ってくれるらしい。レイン? とかなんとか言ってたけど、今のメールはそう呼ぶのだろうか。
瞼を閉じれば、彼女たちのことは直ぐに思い出せる。なんというか、桐王鶫が関わってきた人間同様、彼女たちも個性と才能に満ちあふれていたように思える。
鮮やかな赤毛に快活な眼差し、朝代珠里阿。
『おまえはきょうから、ライバルだかんな!』
そう宣言した彼女のことを思い出すと、なんとなく、懐かしい気持ちになった。
私の当時のライバルたちは、今や手も届かない大物なんだろうなぁ。
栗毛に眼鏡の大人しい少女、夕顔美海。
『わ、わたしもまけないよ!』
意外と好戦的だった彼女は、ふんすと可愛らしく気合いを入れて、そう告げた。
小動物みたいで可愛いけれど、きっとあれ、大型動物みたいになるんだろうなぁ、と、私の直感が告げている。きっとあれは、肉食系だ。
そして、濡れ羽色の髪にクールな眼差し、夜旗凛。
『こんど、あそびにいってもいい?』
『いいよ』
『ほんと? じゃ、うちにもあそびにきて。たのしみ』
第一印象からもっともかけ離れているのが、彼女だ。凛ちゃんはあまり動かない表情のまま目をきらきらとさせて、私にそう告げた。しかも、私が携帯電話を持っていないと知るやいなや、直ぐさま家の電話番号を渡してくる徹底ぶりだ。
しかし、そんな当たり前にみんな携帯電話を持っているんだね……。あれって子供のうちから持っていて、面白いコトあるんだろうか? まぁ、容姿のせいでやけに変質者に狙われるとかいう私自身持たされようとしているのだし、芸能人はみんなそうなのかも。
『買ったら、グレブレとかいっしょにやろ。フレンドとうろくして』
『? もうわたしとりんちゃんはfriendだよね?』
『うん………………つぐみは、それでいいのかも』
ちょっと……こう……ジェネレーションギャップというか、よくわからないことに振り回されそうな気がするけれど。
「くすくす」
「あら、思い出し笑い? なにを思い出したのかしら?」
「ふふふ、ないしょ」
「あらあら、おませさんねぇ」
前世では成し遂げなかったことを成したい。そう思う気持ちはきっと、走り抜けるまで止められないというのは、自分のことだからわかる。でも、それと同じように、今世はしっかりと親孝行して、めいっぱい楽しんで、精一杯生き抜こうと決めている。
もう、道半ばで止まったりなんかしてやらない。それはきっと、今、しっかりと形になった願いであり、切望なのだろう。
(でも、いまは)
ひとまず……もうちょっと、ねむけにたえられそうに――な――
「おやすみ、つぐみ」
――おやすみなさい、だでぃ、まみぃ。
――朝代家――
『こんな面白い役、やらないなんてもったいない!』
なによ、それ、わたしはイヤよ、なんで悪役なんて。
『無理に怖がろうとしなくても良いからね?』
わかってる、子供だからって甘く見て。おまえが怖くないから怖がれなかったって事務所に言ってやる。
『うん! 良い演技だったよ。これからもよろしく』
ふんっ。よろしくなんて、勝手なことを言って。
『あなたが鶫さんと並べているのは、鶫さんのおかげです』
そんなの、そんなの――誰よりもわたしが、私が一番わかってるわよ!!
「おかあさん?」
「っ、珠里阿。ごめんなさい、寝ていたわね」
「ううん。つかれてるの?」
「そんなことはないわ。それより、巧く悪役を回避したわね。偉いわ」
「う、うん」
娘の珠里阿が、私に縋るようについてくる。今は不安もあることだろう。けれど直ぐに私の言いたいことがわかるはずだ。あの小娘の演技は確かに見事だった。だが、それ故に、監督はあの子に悪役をやらせることだろう。
なるほど、今回は上手くいくことだろう。でも、その次は? その次の次は? 悪役で売れた子供には、悪役のイメージが付きまとう。いつか悪役ばかりに嫌気が差して、自暴自棄に陥るに違いない。
私がそうだったように。
「おかあさん、あしたは? おやすみ? あたしのたんじょう――」
「明日は朝から撮影が入っているわ。またネット注文で好きなもの食べなさい。あとは……何か言った?」
「――ううん。なんでもない。わかった」
「そう」
ぜったいに、ぜったいに、絶対に、珠里阿のことは幸せにしてみせる。誰よりも売れっ子で、人気のある女優に育て上げてみせる。シンママじゃできないなんて、誰にも言わせない。
誰からも好かれる女優になるよりも幸せなコトなんて、なにもないんだから。
だから、もう、あなたの影を追うだけの私じゃないわ――桐王、鶫……ッ!
「わるい子じゃ、おかあさんはしあわせになれない、いい子に、ならなきゃ。だれよりも」
「そしたらきっと、おかあさんは、あたしをみて、くれる…………よね」
――夕顔家――
「おかあさん! おとうさん! お、おはなしがあります!」
そう、見たこともないほど大きな声を上げた美海の姿に、私たちは顔を合わせた。いつも引っ込み思案で大人しくて喋るのも苦手で、本人の希望でなければ子役なんかやらせなかった私たちの娘が、今日、朝代さんに預けたオーディションで、一回り大きくなって帰ってきた。
私は昼ドラの女王なんて呼ばれているけれど、ようは“そういう演技”一点特化の女優だ。華やかな私生活なんて呼ばれているけれど、持ちマンションの最上階で、カメラマンの夫とのんびりしているだけ。平凡な家庭だと思う。
「おいおいどうしたんだ美海。夏都、美海になにが?」
「さぁ? ねぇねぇ美海ちゃん、お話ってなぁにぃ?」
だから、二世女優なんて看板、背負わなくてもいいと言ったのだけれど、美海はきかなかった。だから思い出作りのつもりで、一回だけ確実に審査を通過できるよう、手を回した。
とてもじゃないけれど、精神的成長が望める状況ではなかったはずだ。
「わ、わた、わたしは――だいじょゆうになります!!!!」
「あらぁ、いいんじゃな――えええええええええええっ!!?!!??」
「何を言い出すかと思ぅぇえええええええええええっ!?!?!???」
あわてふためく私たちに、満足げな美海は応えてくれない。
ただ言い切ったとばかりに鼻息強く、きらきらと力強い目を瞬かせていた。
これはなんとしても、朝代さんに詳細を聞かなければ、ならなさそうねぇ。
――夜旗家――
コネも運も実力のうち、というのがオレの持論だ。そして、コネと運だけでのし上がってきたヤツは、“その程度”っていうのも、オレの持論だ。
「ちち! はは! あに!」
鼻息荒く帰ってきた妹は、今まさにその渦中にある。妹の役者としての転換点は、きっと今に違いない。よりによってコネなんかでオーディションに挑んだんだ。
リビングのソファーでくつろいでいる親父と、台所で飯の準備をしていた母が、凛の声で玄関に顔を覗かせる。
「凛! 手洗いうがい! 虹はお皿並べて!」
「うん!」
「はいはい」
世間ではニュースの華と呼ばれているお袋も、月九の貴公子と呼ばれている親父も、家ではただのおばさんとおじさんだ。クール系で通している凛だって、いつあのノーテンキな化けの皮が剥がれるのか、見物だ。
凛は手洗いうがいを済ませると、まずはテレビを見ながらだらだらしていた親父に突撃していった。
「ちち! ちち! きいてくれ!」
「おー、なんだぁ。うりうり」
「うにゃぁ……じゃなくて! すごい子とともだちになったんだ!!」
「ほー、そうかそうか。珠里阿ちゃんや美海ちゃんも居たオーディションだろう?」
「そう!」
お袋にどやされる前にさっさと皿を並べて、配膳の準備を手伝う。飯食ったら次のドラマの本読みして、ああそれから、筋トレもしなきゃ。
「その子がしゃべるだけで、せかいが、かわるんだ!」
「ん? 養成所のエースでも引っ張ってきたとか?」
「ううん。きょうがはじめてだって」
「初めてで?」
「そう!」
ルーキーがラッキーなのもよくあることだ。あの生ける伝説、霧谷桜架だって、最初はビギナーズラックだといわれていたくらいだ。この業界ではよくあること。
霧谷桜架になるか、無名で終わるか。ま、子役でラッキーを発動したって、たいしたことないに決まってる。
「まるで、そうなってたとしかおもえない! あによりも、うまかったもん!!」
「あ?」
だから、そう、それだけは聞き捨てならない。
この、霧谷桜架の再来と名高い天才役者、夜旗虹が、新人子役より下?
冗談も休み休み言え。
「適当なこと言ってんじゃねーよ。どうせ、影で練習してたんだよ」
「おい、虹、おまえまたそうやって――」
「ちがうもん! れんしゅうとか、そんなんじゃない! ほんとうに“ほんもの”だった!」
「はっ、どうだか。だいたいおまえに本物かどうか見る実力あんの? 親父やお袋ならともかく、所詮は凛だって新人だろ? オレより巧いとか、ある訳ないじゃん。見る目ある?」
最上至高の中学生。
月九の貴公子が生んだプリンス。
天才。それは、オレにこそ相応しい名だ。そして、それ相応の努力だってしている。誰にも、同年代なんかじゃなくても、大人にも負けない演技だ。
それが、五歳だか六歳だか七歳だかの子供に負ける? そんなことある訳ない。干支が半周してるんだぞ?
「うぐっ、でも、ひっく、ほんとうに、うぇ、うまかったんだもんっ、うぇぇっ」
「だ、だぁ、悪かった、悪かったから泣くな。ほら、あとで飴やるから!」
「コラァッ! 虹! 十三歳にもなってなに妹泣かしてんの!!」
「げぇ、お袋!?」
お袋の鉄拳制裁を脳天で感じながら、オレは、その子役とやらにふつふつと恨みを募らせる。オレより巧い天才子役? はっ、なんだよそれ、馬鹿馬鹿しい。
でも、そう思う反面、期待もあった。どいつもこいつも、くだらない演技ばっかりしやがる。でももし本当にそいつが、オレ……には及ばずとも、良い演技をするヤツだったら?
「おもしれーじゃん」
「説教が面白いって? んん?」
「ち、ちがっ」
そのときは――オレと、肩を並べることを許してやってもいいかもしれない。
もっとも、この二発分のげんこつと、皿に増えたシイタケの分だけの報復くらいはさせてもらうけどな!
「まぁったく、虹は顔だけなら中性的な美少年なのに、誰に似たんだか」
「あんただけには言われたくないんじゃない?」
「あれ? 真帆さん? 怒ってる?」
「いいえ?」
……あと、オレのたんこぶの上でいちゃいちゃすんな、バカ親父。
――???――
都心から大きく離れた郊外に、その場所はあった。深い森の奥、木漏れ日がシャワーのように降り注ぐ、古びた洋館。遠目から見ればお化け屋敷のようでも、近づけば丁寧に手入れされていることがわかる、上品な佇まいだ。
細やかに整備されたフローリングは、足音を柔らかく吸収してくれる。うまく歩けばきっと、足音を立てずにすぅっと移動することだってできる。できる、と証明されている。
奥まで歩けば、そこは広く間取りがとられた暖炉のある部屋だ。いつもの定位置、いつもの角度、いつもの安楽椅子に、美しい女性が腰掛けて本を読んでいた。
だが、不意に響いた黒電話の音に、女性は首を傾げながら席を立つ。今でも昔ながらのこの電話に律儀にかけてくれる相手なんて、彼女には一人しか思い浮かばなかった。
『もしもし』
「あら、蘭ちゃんじゃない」
『お久しぶりです、桜架叔母さん』
年の離れた姉の子は、聞き取りやすい落ち着いた声で彼女――洋館の主、霧谷桜架に音を繋げた。
「あなたから電話をかけてくれるなんて、嬉しいわ。どうかしたの?」
『はい。実は――逸材を、見つけました』
「まぁ」
桜架は口元に手を当てると、上品に驚く。その仕草を見つめられるのは、この古びた洋館と、窓辺であくびをする黒猫だけなのだが。
「貴女が言うのなら、間違いは無いのでしょうね。所属はどちらなの?」
『ローウェルの新設事務所預かりとなるそうです』
「ローウェル? 総合商社の?」
『はい』
ローウェルといえば、色々な事業に進出し、その全てで成功を収める化け物企業だ。桜架の身の回りにも、少なくない数のローウェル製商品がある。
そのようなところと新人から繋がりを求められるということは、それほどの才覚なのか。桜架は自然と、唇を品良く持ち上げた。
「その方、お歳は?」
『五歳です。五歳の、少女です』
「そう――そう、なのね」
五歳。それは、霧谷桜架がデビューした頃の歳だ。様々な思い入れもある。
「良いわ。近いうちに、見せて頂戴」
『はい。承知致しました』
「ふふ、固いわねぇ。まぁそこが、あなたの良いところなのでしょうけれど」
桜架は通話を終えると、棚の上に飾られた写真立てを手に取る。そこにはまだ彼女が子役であった頃。いいや、今現在も含めてただ一人、彼女の魂を揺さぶった共演者の姿が映っていた。
黒く長い髪で目元を隠し、表情を怪しく歪め、情けなくも怯える己の首に手を這わせる写真は、ワンシーンを切り取ったものだ。天才と呼び囃し立てられた桜架の幼い自尊心を砕き、けれど驕らず、桜架に“役者”という生き様を刻みつけた、女性のものだ。
「あなたがいなくなったあと、焼死体の代役はつまらないひとだったわ」
かつての子役時代の芸名を、“さくら”としていた彼女は、そう、写真の悪霊を柔らかく撫でる。
「あれからもう二十年。ずっと、待っていたのよ?」
もちろん、本人が帰ってくるなどあり得ない。それは、葬儀で死に装束を纏った、役者として振る舞うには身綺麗過ぎる姿を目にした桜架だからこそ、言えることだ。
だが、そうではない。桜架が二十年も待ち続けたのは、再び、彼女に役者の神髄を刻みつけるような、強烈な輝きを抱く人物のことだ。
「また、あなたのような方と並べる日をお待ちしております――鶫さん」
憂いを込めた響きが、かつての舞台であった洋館に響く。
いつしか虚空に消えるその音は、どこか、優しさと高揚が込められているようだった。
――Let's Move on to the Next Theater――