scene2
――2――
まさか、私が“鬼役”をやることになるだなんて。そう思いながら、地面に敷かれたシートの上で丸くなる子供たちを見る。遊ぶだけ遊んだら寝る。寝るだけ寝たら遊ぶ。正しい五歳児の姿。こうして見ていると、やっぱり、年相応の五歳児にしか見えないのだから、不思議なモノだ。
「つぐみ様方のお相手、ありがとうございました。霧谷さん」
「いいえ。私も童心に帰れてなんだか楽しかったわ」
恐縮そうに頭を下げる御門さんに、首を振って応える。思えば鶫さんも、こうしてよく鬼ごっこに誘ってくれた。ふふ、懐かしいなぁ。私が寂しそうにしていると直ぐに見ぬいて、色んな遊びに誘ってくれたモノだ。中でも一番怖かったのは鬼ごっこで、急に後ろ走りで跳躍してブリッジに移行するモノだから、喉が枯れるほど叫んだの。
(ところで御門さんは、何故、延々とスマートフォンのシャッターを切っているのだろう)
親御さんに頼まれでもしたのだろうか? そんな考察をとりあえず頭の片隅において、なんとなく、彼女たちの様子を眺めてみる。荷物は、蘭に任せてあるから大丈夫だろうし。
「すぅ……すぅ……」
一番左側で規則正しい寝息を立てるのは、珠里阿ちゃんだ。彼女に思うところなどもちろんないけれど、彼女の母親については色々と複雑な感情がある。一度、あまりにもご自身の不運を鶫さんのせいにするものだから、徹底的に詰めてしまったことがあるのだ。今にして思えば、私も子供だった。
「うにゅにゅにゅにゅ、にへへへ、つぐみちゃ……ふにゅ」
珠里阿ちゃんの隣で眠るのは、眼鏡を外してつぐみちゃんの腕にしがみつく、美海ちゃんだ。美海ちゃんの母親、夕顔夏都さんとは一度だけ共演したことがあるのだけれど……あの人はつかめない人だ。演技も上手いし気配りも丁寧だけれど、いつの間にかペースに巻き込まれていたりする。
「すぅ……ふぐ……すぅ……ガチャ……んぅぅむ」
その隣がつぐみちゃん、なんだけれどその前に、私の可愛い一番弟子の凛。ずば抜けた才能。先天的なビジョン。努力を苦に思わない性質。どれをとっても申し分ない。だからこそ、かつて私は過ちを犯し、彼女との接し方を間違え――今は、かつての鶫さんと私のように過ごせている、と、思う。こんなに真摯に人に向き合うのは、鶫さんと閏宇さん以来のことだ。ちゃんと向き合えているのか自信がない、なんて、とても他人には言えない本音ね。
……ガチャのことは、ええっと、課金を手伝うと怒るのよねぇ。まだまだ掴みきれない、けれど、凛の目の前で最高レア度のキャラクターを引いたときの彼女の顔は、けっこう可愛い、とも。
(そして)
あどけない表情で眠る少女。日本人離れした銀髪に、恐ろしいほど整った顔立ち。日常では気を遣いがちな優しい女の子。演技の場では、年齢に似合わず、この世の全部を呑み込んでしまうような深さと、踏み込めば崩れてしまいそうな繊細さを併せ持つ才能の塊。鶫さんがつぐみちゃんを見たら、嫉妬をしてしまうのかしら。……いいえ、鶫さんのことだから、“新しいライバル!”とか言って、闘志を燃やすことでしょうね。
(ほんとうに、ただの女の子? それとも――)
大人びた演技。
才能の一言では片付けられない、技術の数々。
時折見せる、全部を知っていて、見透かしているかのようなまなざし。
「御門さん」
「はい?」
「つぐみちゃんは、おうちではどんな子なの?」
ご両親は資産家で、凛がよく「つぐみはものすごい車にのってくる」と言っていた。今日だって、気がつけばキャンプ場は貸し切りだ。それも、こんなオンシーズンに。私も人がうらやむ程度にはお金を稼いでいるとは思うけれど、どう考えても次元が違う。
だから、なのだろうか。
だから、彼女は――。
「素直で愛らしい方です。優しく――いいえ、優しすぎる方です」
「確かに、友達思いで優しい子ね」
「ええ。そして、些か人を優先しすぎます」
「そう、なのね」
違和感。
これがずっと、引っかかっていた。
(所々で、まるで鶫さんのような振る舞いをする。でも……)
ハッキリと鶫さんのことを振り返ることができるようになったからこそわかること。鶫さんを見ているような気分になる一方で――鶫さんとは少しだけ、性格が違うということ。もちろん、別人なのだからそれで当たり前、と言われたらそれまでなのだけれど。
「ふみゅ……ん、ふわ……」
「あ、つぐみちゃん、起きたかしら?」
「おうか、さん?」
「ええ、桜架さんよ」
四人組の中、つぐみちゃんだけが目を覚ましたようだ。とはいえまだまだ寝ぼけ眼であり、目元をこすりながら焦点の定まらない視線をぼんやりと見せている。こうして改めて向き合えば、見れば見るほどはっと息を呑むような、鮮やかなスカイブルーの瞳に眩む。
「おうかさん」
「?」
つぐみちゃんは寝ぼけたまま立ち上がると、ふらふらと近づいて私の手を取る。私はされるがままに、彼女の様子を見た。
「えへへ、おうかさんの手、マミィみたい……やさしくて、あったかい。わたしの好きな――すぅ」
「え、あ、ちょっ……もう、しょうがないわね」
つぐみちゃんが私の手を掴んだまま寝息を立ててしまった。仕方ないので、つぐみちゃんを私の膝へ移動する。
「……考えすぎ、だったみたいね」
「あわわわわわわわわ」
「御門さん?」
「なんでもありません」
横から妙な声が聞こえた気がするのだけれど、気のせいだったらしい。なんだか気にしてはいけないような気がするので、そっと、意識の外へ外した。
「すぅ……すぅ……えへへ……ふみゅ……」
私の膝の上で、一生懸命丸くなる、小さな少女。どんなに演技の上で天才性を見せつけても、どんなに大人びたように振る舞おうとも、彼女は友達や家族が大好きで、気を遣いすぎるところが長所であり短所でもあるような、普通の優しい女の子だ。
寝起きという一番素の自分が出やすい場所で、真っ先に母親を求めて柔らかく微笑んだ姿。私が過去から経歴まで貪るように調べ尽くした鶫さんでは、桐王鶫という人間ではあり得ない表情だ。
自殺した実の父親の遺体の第一発見者であった、鶫さんの闇。
その計り知れない闇を、憧憬と気合いと根性で優しさに変えていた鶫さん。
彼女の計り知れない努力の数々と、優しさへの憧れと、大きな闇が鶫さんを象っていたのだから。
(だったら、疑ってしまった分、この子には優しくしないとね。そうでないと、可愛い弟子が、きっと拗ねてしまうに違いないわ)
つぐみちゃんのぬくもりを探して手を彷徨わせる凛。凛は違和感から眉をひそめ、やがて、億劫そうに目を開き、硬直した。
「つぐ、み? あれ?」
身体を起こして左右を見て、ひらひらと手を振る私を見つける。次いで、直ぐに、私の膝の上で眠りこけるつぐみちゃんを見た。
これは、「おししょーばっかりずるい」とでも、言われてしまうかしら。
「あー! つぐみばっかりずるい!」
「え……?」
「おししょー、わたしも!」
「ふふ――うん、ええ。どうぞ」
つぐみちゃんと反対側の膝に頭を乗せて転がる凛。
「えへへ、つぐみとおそろい」
「気の多い子ね。ふふふ……もう、しょうがないな」
凛の髪を撫でると、くすぐったそうに身をよじる。もしも、つぐみちゃんを疑ってしまったことが、今も深淵から私を応援してくれている鶫さんのお導きであったとするのなら、それはきっと、私にこの光景を見せるためだったのではないのかな。
次の世代を繋ぐ。それは、鶫さんが意識的無意識的にせよ、行ってきたことだから。その歓びを私に教えてくれた。そんな、都合が良くて優しい解釈。
「さて、そろそろ昼食ね」
「はい。ではつぐみ様を起こさせていただきます。すぅ、はぁ――」
「はい、起きて、二人とも。珠里阿ちゃんと美海ちゃんを起こして」
「――……」
御門さんの手を煩わせるまでもない。そう思って二人の肩を揺らして起こすと、驚愕に目を見張る御門さんの姿が見えた。えーっと?
「御門さん?」
「いいえ、いいえ。なんでもありません」
「そ、そう?」
御門さんってけっこう、私が思うよりもずっと面白い人なのかしら?
「それより、確か、付き添いの条件に霧谷さんの用事にお付き合いさせていただく、ということであったと思うのですが……いつ頃からどこへ?」
そういえば、つぐみちゃんを試す一環に付き合って貰おうかと思っていたのだけれど、もう必要なくなってしまったのよね。ああ、でも、まかり間違って鶫さんが化けて出てきてくれるのではないか、と、珠美さんが言い出してしばらくやっていた“アレ”があったわね。
珠美さんが閏宇さんとアメリカに行ってから途切れてしまっていたことだけれど……そんなファンタジーはあり得ないでしょうけれど、少なくとも、深淵で待つ鶫さんが見たら喜びそうだし、蘭も巻き込んでやろうかしら。“アレ”。
「一晩明けて、明日、墓参りに付き合って欲しいの」
「お墓参り、ですか?」
「ええ。それともう一つ」
「もう一つ、ですか?」
明日は七月二十七日。鶫さんのかつての誕生日だ。忙しさもあって月命日のお参りはできないけれど、この日と、十月二日の鶫さんの命日は必ずお墓参りをしている。それと、今回はもう一つ。鶫さんをうっかり深淵から呼び起こしかねない大事な儀式。
「故人は、とてもホラーに造詣の深い方だったの」
「はぁ、そうなのですね?」
「ええ。だから、彼女が喜んでくれるように――」
夜。
夏。
恐怖。
歓喜。
それらを一度で体験できる、素敵なイベント。
「――肝試しを、やることにしているのよ」
蘭と二人だと蘭だけが大変だから、助かったわ。そう、付け加えると、昼食の準備に取りかかってくれていた蘭が驚愕に目を見開いていた。そういえばホラーがあまり得意ではない蘭には事前に何も言っていなかったけれど……師匠の恥ずかしい過去を弟子に教えてしまった罰として、受け入れて貰わないと、ね?