scene1
――1――
都心部から大きく西へ移動した先。灰色のビル群が緑に染まりゆくことに気がつく。建物は低くなり、代わりに見えるのは青々と茂った木々だ。
(まさか、ここに来ることになるなんてなぁ)
東京都西多摩郡日の出町。人と建物で溢れる東京のイメージから離れた、のどかで穏やかな町。本日、私たちが凛ちゃんたちとキャンプに出かけることになった地であり――私の前世、桐王鶫が少女期を過ごした町だ。
桐王鶫の父親、桐王嗣は婿養子だった。地元の名士であった両親を持つ母と結婚し、資金を融通して貰うことで会社を興して失敗した人間だった。酒に逃げて、家族に暴力を振るい、挙げ句の果てに家からも逃げ出して――結局、どこにいったのかわからない、弱い人だった。
両親がいたころは私も、都心部の裏道にあるアパートでひっそりと暮らしていたのだけれど、両親が居なくなると一人で生きていけるはずもない。根性で数日はなんとかしていたのだけれど、近隣からの通報で一人暮らしが発覚して、日の出町で暮らしていた祖父母に引き取られることになったのだ。雑草はね……煮ても食べられないよ……やっぱりさ……。
そんなこんなで、私自身の価値観を大きく変えることになったのが、この日の出町、という訳だ。引き取られた当初は相当荒んでいた(今思えば恥ずかしい)私も、緑豊かな自然と優しい祖父母に包まれている内に、なんとなく、ほぐれていったモノだ。
「御門さんに運転を任せてばかりでは申し訳ないわ。私も代わりましょうか?」
「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます、霧谷さん」
八人乗りの大型車は、桜架さんの社用車だという。シルバーの車体が眩しい国産車だ。運転席に小春さん、助手席に桜架さん。それと、窓側の席で世話を焼いてくれる優しいお姉さん――桜架さんが引っ張ってきた皆内蘭さんだ。お出かけ先がキャンプ地ということもあって、子供四人に大人二人では少ないかも、と、声をかけたのだとか。
当然、キャンプなので私たちも相応の格好をしている。石や枝で怪我をしたりしないように、長ズボンとシャツとジャケットという、通気性を考慮しつつおしゃれも維持する、という狼マークのロゴの入ったキャンプ服。父はいったいどこまで手を広げているんだろう……。
「つぐみはキャンプ、はじめて?」
席順は、一番後ろの三人席に珠里阿ちゃんと美海ちゃん。中央の三人席に、右側から蘭さん、凛ちゃん、私という――じゃんけんによって争われた席だ。凛ちゃんは目をキラキラと輝かせながらしきりに私の向こう側に広がる窓の景色を見ていたりしたが、不意に、思い出したようにそう告げた。
「うん、はじめてだよ!」
「そっか! わたしといっしょだ!」
にこにこと嬉しそうに、凛ちゃんは私の手を取る。前世含めても、私にキャンプの経験はない。森と同化する練習のために三日間木の上で過ごしたことがあるけれど、あれはキャンプではないし。夜の森よりも、バレた後の親友、閏宇の方が怖かったっけ。
「あー、またりんちゃんとばっかりイチャイチャしてる!」
「みみ、からだをのり出すとあぶないぞ」
「ご、ごめんね、じゅりあちゃん」
ばっと身体を乗り出した美海ちゃんが、しゅっと座席に戻っていく。珠里阿ちゃん、すっかり美海ちゃんのお母さんみたいになってるなぁ。
「みんなは、とても仲良しなのね」
私たちを穏やかに眺めていた蘭さんが、思いついたようにそう呟く。
「思えば最初から打ち解けていたようにも見えるけれど、どうしてそんなに仲良しになれたの?」
どうして、と問われて顎に手を当て首をひねる。どうして、どうしてか。皆が良い子で人を思いやれる子たちだったから、自然と仲良くなれたのだと思う。だから、誰がどう、ということではなく、みんながみんなのことを思いやった結果なのだ。私はそう、確かな自信を持って蘭さんに伝え――ようとして。
「みんなが――」
「つぐみのおかげです」
「――んん? りんちゃん?」
ズバッと言い切った凛ちゃんによって、遮られた。
「う、うん。たしかに、つぐみちゃんのおかげだよね」
「そうだな。つぐみが助けてくれたから、今のあたしたちがいるんだ」
「みみちゃん? じゅりあちゃんまで……」
急に、その、べた褒めされると困る。いやでも実際、私にできたコトなんて微々たるものだ。やっぱりみんなの歩み寄りあってこそのものだと思うのだけれど……。
「つぐみは、良いやつだからな」
凛ちゃんにこうもきっぱりと言い切られると、何も言えなくなってしまう。凛ちゃんの方がはるかに“良い子”だと思うのだけれど、なんて言葉よりも強く、“凛ちゃんの期待を裏切りたくない”という気持ちが前に出る。
もちろん、美海ちゃんも珠里阿ちゃんも大事な友達で、ライバルだ。でも凛ちゃんに対してはもっと、言葉にするのが難しい感情でいっぱいになる。
「へぇ、そうなんだ?」
私が照れて縮こまっていると、私の前の座席から声が響いた。バックミラー越しに私を見つめる黒い瞳が、柔らかく細められている。ん? 柔らかく、だよね? あれ? 気のせいかな。なんだかちょっと妙な感じがあったような気がしないでも……うーん?
「どうしたんですか? おししょー、笑がおが黒いです」
「うぐっ……り、凛。そんなことないからね?」
さっきちょっと感じた空気もなんのその。凛ちゃんに言われて怯んだ桜架さんは、自分のほっぺたをぐにぐにと揉み込み始めた。そっか、桜架さんと凛ちゃん、だいぶ打ち解けたんだね。前世では見せたことのないような顔を見られて、なんだか新鮮だ。
でも、さっきのはなんだったんだろう? 凛ちゃんが突っ込まなければ気のせいと流していたかも知れない絶妙な演技。でも、演技の裏に隠されていたのは、なに? 頭をひねって考えてみても、ヒントが少なすぎて答えが出てこない。
(これってもしかしなくても――今日のキャンプ、一筋縄ではいかない?)
そう、揺れる心を演技の裏に閉じ込めて、自動車の揺れに身体を預けた。
日の出町キャンプ場は、日の出町の中心部から北西に進んだ場所にあるオートキャンプ場(車で乗り入れられるキャンプ場)だ。車を停めて荷台から小春さんたちで荷物を出すと、主に小春さんが主導となってテキパキと準備を進めていく。
「こはるさん、お手つだいできること、ありますか?」
「つぐみ様……そうですね、では、私の目の届く範囲でぜひ皆様と戯れ……遊んでいてください」
小春さんは、なぜだか至極真面目な表情で私に告げる。
「え、でも」
「つぐみ様が可憐……いえ、健やかに過ごしてくださること以上にこの小春、尊……喜ばしいことはありません」
まぁでも、五歳児が手伝うといっても邪魔か。小春さんは優しいから、私が気に病まないようにこうして大げさな言い方で遊んでくるように言ってくださるのだろう。そうまで気遣われてだだをこねるわけには行かないので、大人しく、凛ちゃんたちと遊んでくることにした。
「御門さん、私も設営を手伝うわ。蘭、あなたはつぐみちゃんたちを見ていて」
動きやすい服装に身を包んだ桜架さんが、腕まくりをしながらそう告げる。だが、蘭さんはそんな桜架さんをそっと押し出し、首を振る。
「いえ。設営は私がやりますので、桜架さんはどうか彼女たちに付き合ってあげてください」
「でも、設営のやり方は覚えてきたわよ?」
「桜架さんは時々、常人では理解できない天才特有の略し方をなさいますので」
「……言うようになったわね、本当に。まぁいいわ、ちょうど良いしね」
体よく追い出された桜架さんは、とくに気にした様子もなく、私に目線を合わせてかがみ込む。
「よろしくね? つぐみちゃん」
「は、はい」
どうして声がうわずってしまったのだろう。にんまりと笑う桜架さんからは、なんとも言えないプレッシャーのような雰囲気を感じる。えーっと、逃げちゃダメかな。ダメだよね。うん、知ってた。
「おーい、つぐみー? なにやってるの? 早く、こっち!」
「あ、うん、りんちゃん。いま行くねー!」
先に三人並んで道ばたの花を見ていた凛ちゃんに呼ばれ、踵を返してかけ出す。それに、桜架さんはついてきてくれるようだけれど……さっきの空気はなんだったのだろうか。
「なに見てるの?」
「てんとう虫!」
白い花に止まったテントウムシを眺める、凛ちゃんと珠里阿ちゃんと美海ちゃん。都会にこういう自然ってあんまり見られないし、新鮮なのかも。
「かわいいね」
「うん。かわいい。あたし、お母さんに持ってかえってあげようかなぁ」
「じゅ、じゅりあちゃん。じゅりあちゃんのお母さん、こまっちゃうと思うよ?」
「むぅ。みみがそういうなら止めるか」
美海ちゃんの機転で、テントウムシ誘拐はなんとか阻止されたようだ。普段、けっこうみんな大人びた演技をすることが多いけれど、こうして見ると年相応の子供だ。口々に花や虫、緑を楽しむ彼女たちに混ざっていると、私も癒やされていくような気がする。
「あ、あっちに川があるぞ、りん」
そのうち、虫の観察にも飽きたのか、珠里阿ちゃんがそう指差す。
「ん? ほんとだ。じゃ、鬼ごっこしよう」
「か、かけっこじゃないんだ? でも、負けないよ!」
仁王立ちになって小川を見つめる凛ちゃんに、ふんすと鼻息荒く、握りこぶしを作ってみせる美海ちゃん。なんだか、私も楽しくなってきた。
「ふふふ。それじゃあ、じゃんけんで鬼をきめる?」
「いいや、つぐみ。こういうのは――」
凛ちゃんは私の提案に首を振り、それからたくさんの期待の籠もった目で――桜架さんを、見た。
「――おししょーが、やってくれる!」
「えっ!?」
蚊帳の外で私たちを微笑ましそうに見ていた桜架さんが、急に話を振られて目を見張る。
「あ、だめだった……?」
「そっ、そんなことはないわ。任せて」
「やったー! にげろー!」
「もう!?」
諸手を挙げて喜ぶ凛ちゃんは、その勢いのまま走り出す。それに合わせて珠里阿ちゃんと美海ちゃんも走り出すと、その場には私と桜架さんだけが残された。
「えーっと……わー」
「あっ」
空気を読んで走り出すと、桜架さんの引きつった声が聞こえる。わかる、わかるよ。三十代に突入する前後くらいから急に、体力って落ちていくよね。準備運動なしで走り出す辛さ。ある日、階段で切れる息。こむら返りするふくらはぎ……いや、これ以上考えるのはよそう。
「ふ、ふふ、良いわ。全員、しっかり捕まえてあげる」
宣言と共に走り出す桜架さんから、みんなでちりぢりに逃げる。
小川からプリズムのように反射する陽光。砂利道から響く石の擦れる音。風に乗って流れる緑の匂い。気がつけばわたしはおなかの底から声を出して、笑っていた。
もう、記憶にもない、いつかを思い出すように。