opening
――opening――
もがくように伸ばした手が宙を切る。気怠さと焦燥に駆られるように目を開ければ、真っ白な天井が広がっていた。
「う、……こ、こは」
思うように声が出ない。なにがどうなったんだ。僕は、どうしてこんなところに? ここはどこだ? 鈍く痛む頭を抑えようとすると、手から伸びた点滴が目に入った。ここは病院か? 病院だとすると、僕は何故こんなところに?
脳内を巡る疑問符。ああ、そうだ。直前までの仕事を思い出せ。僕は、必ず彼女をハリウッドに――。
フロントライト。
真っ白なエアバッグ。
押しつぶされるような衝撃。
「桐王さん、桐王さんは、僕は、あ、あああ、ああああああああッ」
ああそうだ、そうだった。何を呆然としていたんだ。事故は? 桐王さん――鶫さんは、無事なのか? ナースコールを、早く。そう手探りでベッド周りを探していると、不意に扉が開く音が聞こえた。
「諭さん……良かった、目が覚めたのね」
「くろ、べ、さん……」
焦げ茶の髪を結わえた女性。僕たちの芸能事務所の所長代理、黒部珠美さん。いつも誰よりも快活だった彼女は、ひどく疲れた表情で、病室に入ってきた。
「あなたまで喪ったら、私……私……っぅ、うぁ、ぁ」
「まで……? 黒部、さん。桐王さん、桐王さんは……?!」
「――もう、葬儀を終えたわ」
葬儀。
は、はは、殺しても死なないような人が?
「い、いつもの、冗談」
「私も、まだ疑っているの。お墓から出てきて、驚かせてくれるんじゃないかって! だって、だって! ぇう、う、ぅぁぁぁ、あああああああああっ」
泣きじゃくる黒部さんに、なんて応えて良いかわからなかった。もう、あの笑顔を見ることも、あの演技に震えることも――隣に立つことすらも、できなくなったのだと思い知らされた。
――僕のせいだ。僕がもっと気遣っていたら。ここ数日、根を詰めすぎてはいないかと、生き急いでいるようだったと気がついていたのに、あの人の熱意に酔ったまま、仕事を確保して、そして死んだ。
「死んだ? う、嘘でしょう。そんな、そんな、だって」
口に出しても信じられない。信じることすらできない。脚が動かないことも、右目の視力が妙に弱いことも気にならないほどに、彼女の笑顔で頭がいっぱいになる。もう、二度と笑い合えないのだと、心が軋み悲鳴を上げる。
「――あの人のいない世界で、生きる意味なんて……」
「馬鹿なことを言わないで!」
黒部さんはそう、悲鳴のような声を上げる。こんな彼女を見るのは、初めてだった。
「あなたまで、いなくならないで――お願いだから。おねがい、諭さん」
生きる? 生きなければならない?
いったい、なんのために? 彼女の居ない世界で、どうやって生きろというのか。そう、黒部さんを怒鳴りつけようとして、けれど、声が、涙で掠れて、うまく出すことができない。できな、かった。
『一緒に頑張ろうね、諭君』
フラッシュバックするのは、彼女の声だ。瞼の裏でチカチカと、現れては消える。
ああ、そうか。
こうして障害を負ってまで生かされた理由が、唐突に理解できた。
僕は、罪を償うために生かされたのだ。
生きて生きて生きて、桐王さんの、鶫さんのいない世界を、苦しみ、後悔しながら生き抜くことが僕の贖罪なのだと気がつかされた。
僕が、彼女を殺したのだから。
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朝五時。いつものように目が覚める。朝食はサラダ、鶏肉、水。必要な栄養素以外の味付けは不要。少しでも長く生きるために、不要なところで死ぬわけには行かない。
運動、シャワー、仕事の確認。新しい仕事が増えたとしても、やることは変わりがない。二十年続けてきたルーティーン。桐王鶫の欠けた日常を繰り返すだけの日々。変化は僅かな範囲にとどめ、生き続けるためだけに生きる。
「――?」
その最中、不意に、携帯電話が定められた行事を伝えるために明滅した。
「そうですか――もう、二十年か」
明日は七月二十七日。
桐王鶫の誕生日。命日と同じように、年に二回だけ、桐王さんに会える日。
「もしもし。ああ、僕です。当初お話ししたように、三日間ほど休日を頂戴いたします」
クライアントに念のため確認を入れ、あとはまた、ルーティーンに組み入れる。喪服の準備もしておこう。僕の贖罪を、彼女に見せるように、墓を参ろう。
だからどうか、桐王さん。
僕を――許さないでくれ。
――/――
「たいぐうのかいぜんを、よーきゅーします!」
声高らかにそう宣言したのは、柔らかそうなほっぺをぱんぱんにふくらませた美海ちゃんだった。美海ちゃんはいかにも「私は不満です」と言いたげな様子で、手を組んでむくれている。
ここは、他ならぬ美海ちゃんの家。真っ白でふわふわな猫を膝に乗せた私と、私にのしかかっていた凛ちゃんと、そんな私たちを和やかに見ていた珠里阿ちゃんが呆気にとられてしまった。
「たいぐうって、なんの?」
私がそうやって首をかしげると、のしかかっていた凛ちゃんの首も一緒に揺れる。その様子を、珠里阿ちゃんはそっと撮影していた。なにゆえ。
「さ、さいきん、りんちゃんやツナギちゃんばっかりと遊んでる! も、もっと、わたしとも遊んで!」
「みみもグレブレやるか? つぐみも、わたしのフレンドだぞ」
「……やる、けど、それはおいといて」
やるんだ。そして、置いておくんだね。なお凛ちゃんはもう何度目かわからない爆死をして、桜架さんに慰められたらしい。桜架さんがしどろもどろに慰めている動画が蘭さんから虹君宛に送られてきたと聞いたときは、思わずほっこりとしてしまった。良い関係を築いています、という、夜旗一家に向けられた蘭さんなりの気遣い、なのだとか。
「うーん、そう言われてみれば、あたしもさいきん、つぐみとの絡みがすくないな」
「あんまり、わたしとじゅりあちゃんもみみちゃんも、おしごといっしょにならないからね」
妖精の匣では一緒だけれど、まだ、凛ちゃんと私が一緒に撮影できるタイミングが少ないせいで、子供たち四人組での撮影は後回しにされている。次当たりそろそろ、凛ちゃんとリーリヤ(人格分裂前)の回想シーンだったかな。
「こんど、お休みあうよね? ね、ね、つぐみちゃん、わたしと遊びにいこう? ふ、ふたりき――」
「お、いいね。じゃあ、あたしもお母さんにきいてみるよ!」
「わたしも! 父にかくにんする!」
「――う、うん。いいけどね……」
なんでかちょっと煤けているように見える美海ちゃんを余所に、とんとん拍子で話が進んでいく。ちょ、えっ、どうしよう。いや、良いんだけれどね? 私は。ただこう、私も両親に確認してみないとなぁ。
「と、とりあえず、おかあさんに聞いてみるね」
「なら、みみちゃん、わたしもダディとマミィに聞いてみるね」
電話……は、やめておこう。お仕事中だったら申し訳ない。スマートフォンのメッセージアプリを開いて、ぽちぽちぽちっと、スタンプはどれだっけ……? あ、よし、これで送信。
「むぅ、父め」
「りんちゃん? どうしたの?」
唸る凛ちゃんに尋ねると、凛ちゃんもまたさっきの美海ちゃんみたいに頬を膨らませて教えてくれる。
「じぶんはイケナイけど、四人でいきたいなら、サイテーでもおとな二人はつれていかなきゃだめだって」
「あー、なるほど。でもそれは確かにしょうがないかも……あ、でも、今こっちもヘンシン来たよ」
確認すると、私の両親も難しいけれど、小春さんが来てくれるみたいだ。一応、小春さんにもせっかくの休日なのに大丈夫? と送ると、秒で「是非」と帰ってきた。早いよ小春さん……。
「あたしのところも、おかあさんダメだって」
「……むぅ、うちもだった」
芸能人って人気なら人気なほど予定って組めないからね。珠里阿ちゃんのお母さん、早月さんも、美海ちゃんのご両親もダメだったみたいだ。うーんそうしたら、ルルに声をかけてみようかなぁ。いやでも、ルルはルルで破天荒だから、小春さんの負担が増えちゃう可能性もあるのか。
「あ!」
「ひゃっ……りんちゃん、わたしの上で大きなこえ、ださないで……」
「つぐみ、ダメもとが当たった!」
「えっ、ムシ、ムシなの? いいけどね……ダメ元って?」
凛ちゃんはそう、興奮した様子で私から降りる。そして、どんなもんだいとでも言いたげに胸を張った。
「みんな、行き先はどこでもいい?」
「と、とうひこうならどこでも……」
「お出かけだもんなぁ。ばしょにこだわりはないぞ」
「わたしも」
凛ちゃんの問いかけに口々に答えると、凛ちゃんはよし、と頷く。
「お出かけ先を合わせてくれるんだったら、つきあってくれるって!」
「へ? だれが? あ、マネージャーさん?」
「ううん――」
私が首をかしげると、凛ちゃんはずいっとスマートフォンの画面を見せる。液晶に表示されたメッセージの相手の名前は――きりたにおうか……霧谷桜架!?
「――おししょーが!」
「ええっ!?」
これは、その、えっと。
……一癖も二癖もあるイベントになりそうだ、なんて、漠然とそんなことを思った。