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scene7

――7――




 昼食を済ませて思い思いに過ごす子供たちを横目に、パソコンで編集作業と映像チェックを進めていると、パソコンの横にマグカップが置かれた。


「はい、ココア。好きだったろう?」

黄金こがね……ありがとう。座ったら?」

「はは、お言葉に甘えさせていただくよ、るい


 大きな身体を器用に動かして、黄金は私の横に腰掛けた。パソコンでの編集作業を見て目をキラキラとさせている様子は、昔とちっとも変わらない。

 黄金との出会いは、彼が上京して直ぐのこと。歌手になりたくて夜の街を彷徨っていたとき、偶然チンピラに絡まれて、それを助けてくれたのが黄金だった。そのときは名乗らずに去ってしまったけれど、後に、ストリートライブ中の彼に再会した。


 本当に、燃えるような日々だった。忘れもしない、情熱の毎日。


「今回のこと、ありがとね」

「昨日も聞いたよ。それに、僕は“うん”と言っただけさ」

「それでもよ」

「曲を書いたのも、歌い上げたのも、全部君だ。素直にすごい! って、思うよ」


 この曲は、今までの曲とは少しだけ違う。一度で良い。彼の人生の一端を歌い上げたかった。そうすれば、もっと深く、黄金のことがわかると思ったから。私が恋をしたときには、既に、他のひとに情熱を向けていた黄金のことが。

 なんて、センチメンタル。たまにはこうして浸るのも悪くはない。酸いも甘いも全部、歌い上げるのが歌手だから。


「それにしても、今の子役ってすごいわねぇ」

「あはは、違いない。虹の妹の凛ちゃんも、すごいんだよ」

「霧谷桜架のドキュメンタリーで見たわ」


 あんな演技、子供にできるモノなのね。本当に演技かどうかもわからないクラスよ、あんなの。ま、私も天才の一人なんだけどね。

 うん――黄金が、そう信じてくれる限り、私は天才シンガーソングライター。天才アーティストよ。


「最初は、相手役に凛ちゃんの起用も考えていたんだけれどね」

「そうだったんだ?」

「うん。でも、売り込み(・・・・)があってね。うちの所属の子役はこれだけ演技ができますって」


 実際、兄妹で恋愛シーンを演じさせることにも迷っていた。だからこそ相手役は決めかねていて、ロケハン含めてだいたいの準備が終わった先週の時点では、まだ迷いがあった。

 けれど、あの杖をついた男性――そう、ツナギちゃんのマネージャーの、辻口さとる。どこから聞きつけてきたのか、ものすごい手際でアポを取って、私に彼女の売り込みをかけたのだ。


 腕の善し悪しがすべてで、他はどんな要望や性格だろうとさほど気にしない。

 でも、あの――機械よりも機械らしい、人外じみた冷たい目は、思い出すだけで背筋が寒くなる。彼の闇に触れるのは至難の業だろう。


「次は、クライマックス?」

「ええ。まずは大筋まで撮影して、足りないシーンがあったら滞在期間中に別撮りするわ」

「そっかそっか。楽しみだ!」


 まったく――子供みたいに、笑う人だ。それでいて、同年代とは思えないほどおおらかで優しいひとだ。


「そろそろ休憩も終わりよ。さ、バリバリ行きましょう!」

「ん? 泪、君、休んでいなくないかい?」

「え? 休んだわよ?」


 まったく、人を猛獣みたいに見てくれちゃって。そのうち、パクリと食べてやろうかしら。














 病院で、点滴につながれているつぐみちゃんの姿。痛々しさを助長させるように、メイクで顔色を少し青ざめさせている。


(つぐみちゃんの専属スタイリストの顔も、何故か青白かったけど……小型船で島の外側から回ったりもしたから、船酔いしたのかしら?)


 今日一日、驚くほど表情を変える彼女の演技を見てきた。

 はにかみ、悲しみ、苦痛。何度、助け起こしたくなる衝動に駆られたかわからない。それほど、彼女のシーンは真に迫っていた。




「さ、海の見える病室でシーン。行くわよ、スリー、ツー、ワン、スタート!」




 合図と同時に、病室に虹君とツナギちゃんが駆け込む。あの、暗い目のマネージャーさんから持ちかけられた役者。彼女のyo!tubeを見たことはなかったけれど、人気になるのもわかるような気がする。

 病院に駆け込む二人。肩で息をしながら、ツナギちゃんはつぐみちゃんの側に近寄る。かじかんだ手で頬に触れ、冷たさに驚くように手を震えさせた。いや、待って。体温まではこちらからはなにもしていない。なら、演技?



「うそ、でしょ。ねぇ、嘘だって言ってよ! あんなのが、最後なんて、私ッ」

「つぐみ……目を開けてくれ、頼むから――どうか」



 揺さぶられても、声をかけても、つぐみちゃんは動かない。まるで、本当に死んでしまったかのように。それでも、その長いようで短い時間にも終わりが訪れた。つぐみちゃんはゆっくりと目を開けると、二人の姿を見て、微笑む。

 どうして笑えるのだろう。もう自分に未来がないことなんて、誰よりも自分自身がよくわかっているであろうに、どうしてあんな風に笑えるのだろう。



「つぐみ!?」



 驚くツナギちゃんに、つぐみちゃんは彼女の服を掴む。抵抗なく倒れ込んだツナギちゃんの耳元に、一つ、二つ、言葉を遺した……のかな。ああ、それは、きっと、遺言(・・)なのだろう。ツナギちゃんは大粒の涙を流し、一歩後ずさると、その場に座り込んでしまった。



「つぐみ、わ、わた、わたし――いいの?」



 入れ替わるように虹君が前に出る。同じように引き寄せて、何かを告げて――虹君は、そのときに受け取ったのか、赤い花の栞を口元に当てたまま顔を上げた。ただ、もう、言葉もないのか、唇を噛みしめて涙を流す。

 こんな最期で、つぐみちゃんに心残りはないのだろうか。こんな風に終わって、本当に、良いのか。




「……」



 つぐみちゃんの伸ばした手が、ツナギちゃんと結ばれる。それは奇しくも、始まりの浜辺で交わした約束のように。

 そして、つぐみの手から力が抜け落ちる。もう、動くことはないのだ。脱力した身体に力が入ることはない。こうも、無力感を意識づけるシーンがあっただろうか。これで良かったのか? もっと、いい見せ方があるんじゃないのか?



「(でも、きっと、これ以上はない。リアリティの暴力(・・))――OKよ」



 合図を出すと、静かにテープが止まる。誰もが、呼吸を忘れていた。だって、つぐみちゃんは、少しも動かないから。


「つ、つぐみ? もう、終わったよ? だから、目を開け――てひぃっ、急に開けないで!」

「えー?」


 つぐみちゃんが覗き込んだツナギちゃんを驚かせるように目を開けると、やっと、ツナギちゃんの涙が止まる。とめどなく流れていた、涙が。




「さ、映像のチェックを――」

「いやぁ、情熱的な口づけでしたね」

「――海藤D? 口づけなんて、どこに……」




 集まってきたスタッフたち。その、海藤ディレクターの言葉に身体がこわばる。





「いや、アレはキスではないでしょう。ツナギのために堪えたんですよ」

「あれ? そういう解釈なんですか? ぼくはてっきり“思いを返す”ってことかと」

「声が出なくても唇は動かせるから、別れの挨拶かと思いましたよ」

「いやいや、アレこそ遺言(・・)でしょう。口づけですよ、だって」





 スタッフが口々に言う言葉。その言葉の一つが、奇妙な寒気を伴って背筋を走る。そういえば、普通の監督はモニターを見ながらシーンを見るんだったか。私はフィーリングが欲しくて肉眼で見ていた、けれど、カメラの映像は? 私よりも、三人が均等に映し出される位置にある。


「モニターを回して」

「は、はい!」

「ありがとう。――これね」


 震える指でエンターキーを押し込むと、カメラからの映像が流れる。駆け込むシーンは良いとして――



『つぐみ!?』



 ――ここ。つぐみちゃんの口元に耳を寄せた。その口元の動きをよく見れば、彼女が何を言っているのか、わかる。



『だ・い・す・き・だ・よ・わ・た・し・の・と・も・だ・ち』



 そうして、ツナギちゃんが離れるほんの一瞬、かすかに微笑んだ。



『つぐみ、わ、わた、わたし――いいの?』



 友達でいてくれる。喧嘩別れをしても、仲直りをすることができた。最期に欲求でも恨み言でもなく、そう伝えてくれた優しさに、ツナギは崩れ落ちたのだ。

 そして、次は虹君だ。同じように何かつぐみが言いたいことがあるのだと思って、虹君は近づいた。そして、最期の力を振り絞ったのだろう。少し強めに引かれた手が、勢い余って唇に近づく。そして。


「なん、て」


 口元に挟む赤い栞。よく見ればそれが、あの赤い花だとわかる。あの日、虹に貰った花だ。栞に口元が隠されて、言葉を遺したのかどうかはわからない。けれど、見る人が見れば遺言であるし、栞を介した情熱的な口づけであるし、栞を返す別れの言葉でもある。




 そうか、最初のツナギちゃんへの遺言(・・)。あれも、口元を注視させるための布石(・・)




「なら、この複数の意味を持つシーンも、そう、そうだ」


 見る人によって持つ意味を変える。それは、歌も同様か。歌だって、聞く人によって意味を変える。抱く感情を変える。だから、偶然……偶然?



 いや、違う。

 違うの。こんなの、偶然なんかじゃない。






(歌だから、そう(・・)したんだわ)






 あんなシーンを演じられる人間の演技が、偶然だとは思わない。思えない。

 無邪気な様子でツナギちゃんたちと戯れるつぐみちゃん。彼女が、あの演技をした人間と同一人物だとは思えない。



 末恐ろしい。

 そんなとりとめもない感情が、作品の完成度に対する興奮に塗りつぶされていく。





「あの子は、麻薬ね」

「はい?」

「なんでもないわ、海藤D。さ、あとは後日の光景ね」

「あっ、はい!」





 あの子はまず間違いなく(・・・・・)、今後、大きな舞台に立つ――その時は、私が歌を、送ろうかしら。





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― 新着の感想 ―
[良い点] こちらの作品の演技を描いているシーンて、ほんといつもゾクゾク鳥肌たつし(すごすぎるものに触れるとなるやつ)、泣くシーンでもそうでなくても結構な確率で涙出るし、なんなんでしょ。はぅー
[一言] 先生、アングル違いからのギャップと間接大好きだな?! 私もだいすきですありがとう!! いいものは何度みてもいいものです
[気になる点] >つぐみちゃんが覗き込んだツナギちゃんを驚かせるように目を開けると、やっと、ツナギちゃんの涙が止まる。とどめなく流れていた、涙が。 ツナギちゃんがスイッチを切れてなかったから、驚かせ…
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