scene6
――6――
湧き水。
遊歩道。
天然温泉。
バーベキュー。
島の魅力をたっぷり味わった私たちは、旅館でぐっすりと眠り、翌朝を迎えた。ツナギちゃんが温泉が苦手だとかで入れなかったのは残念だったけれど、そのあとのバーベキューは楽しそうに参加していたから、体調が悪いとかではなかったのだろう。
島の神秘、パワースポット、名泉。年甲斐もなくはしゃいで疲れさせてしまったかなって、ちょっと心配だったんだよね。
「さ、まずは、都会から来た女の子を二人が見つける感じで撮影するわよ」
本当にるいさんが監督をやるんだな、と、メガホン片手にパイプ椅子に座って腰掛ける姿を見る。
私の格好は、白のワンピースにサンダル。それから、麦わら帽子というシンプルで上品な出で立ちだ。
ツナギちゃんは紺のショートパンツにストッキングとローファー。それからいかにもお兄さんのお下がり、という感じの大きめの半袖パーカーと、両手首にスポーティーなリストバンド。
虹君はというと、カーキの七分丈のズボンに、柄物のTシャツという、これまたシンプルにまとめていた。ツナギちゃんだけちょっと暑そうな格好だけれど、兄弟からのお下がりでまとめているのかなぁ、で、通じないこともない感じだ。首元にいつものチョーカーがないからか、少しだけ首を撫でて物足りなさそうにしている。
MV撮影は初めてだけれど、ようは無声映画ということだろう。切り抜きのシーン。声のない演出。でも、音も台詞も、ようは見せ方だ。
私は療養が必要な身体の弱い少女。走れば動悸に目がくらみ、咳き込めば膝をつく。呼吸器のいらない場所に来たのなんて初めて。故郷では学校も行けず、白い病室の窓から、いつだって、元気に遊ぶ同年代の子供を眺めていた。そんな、子供だ。
ああ、だから、欲しいんだ。
たとえ身体が良くならなくたって構わない。
ともだちが、欲しい。
「スリー、ツー、ワン、スタート!」
砂浜を歩くと、指の隙間からさらさらと砂が逃げていく。面白くなって追いかければ、寄せて返す波の冷たさに驚いて声を上げてしまった。冷たい、不思議。青い、水を口にしたら、お父様に怒られるかな?
あんまり身体を冷やすと発作が出る。ちょっと下がって屈んでいると、押し寄せる波が真っ白な気泡を立てて逃げていった。面白い、かも。
「ね、そんなところでなにをしてるの?」
だから、急にかけられた声に驚いてしまった。恐る恐る振り向けば、同い年くらいの女の子。その向こうには、年上の男の子の姿が見える。私は直ぐに返事をしたかったけれど、戸惑って、胸に抱えた麦わら帽子で口元を隠してしまった。
だって、なんて言えばいいの? こんにちは? ごきげんよう? あいさつって、どうすればいいんだっけ?
「見ない顔だね。あっ、もしかして、最近引っ越してきた……」
「どうしたんだ? 君は……街から来た子?」
優しそうなお兄さん。明るそうな女の子。
私は地味で根暗で貧弱で、なんにもできない、ただの子供。足手まといの女の子。だから結局うんともすんとも言えなくて、一度だけ、頷いた。
「ふぅん? じゃ、遊ぼ! 良いでしょ? 虹」
「はいはい、しょうがないお姫様だ。君も、ほら」
差し出された二つの手。
なんにもない私を受け入れてくれる手。
ああ、良いんだ。私も、みんなと同じように。
麦わら帽子を投げ出して、二人の手を掴む。健康になるため、なんて嘘だ。私はただ、友達を作るという夢を手に、便利なものだらけの、黄金の蜜で塗り固められた街を飛び出してきた。
きっと、都会で暮らす人たちから見れば、私は金を捨てて、価値のない鈍色の夢を手に飛び出したように見えることだろう。それでも、私は、私にとってはきっと、今この瞬間が夢の始まりなんだ。
麦わら帽子が海に浮かぶ。
手を取り合った私たちを、優しく見送るように。
「……良いわ、想像以上。OK! 次のシーンに移りましょう!」
監督の合図でスイッチを切る。けれど、ショートフィルムの連続、みたいになりそう。これはオンオフが得意な人間じゃないと厳しいだろうなぁ。
(切り替え、切り替え……うぅむ、忙しい)
このまま、海で遊んでいる感じのシーンを数回、遊歩道で並んで歩いているシーンを数回撮影して、次の時間軸のシーンに移る。次は、私が虹君への恋心を自覚して、同時に、ツナギちゃんの気持ちも察してしまうシーンだ。
場所を展望台に移し、町並みを眺める。そこで優しく手を引いてくれるお兄さんに、恋をする、と。
「この調子でいくわよ。スリー、ツー、ワン、スタート!」
すぅ、はぁ――港が一望できるベンチに、ツナギちゃんと並んで腰掛ける。一番前に立って港を眺めるお兄さんの背中は、とても大きくて。
「オレ、さ。夢があるんだ」
私が、ゆめ? と首をかしげると、ツナギちゃんは呆れたように「また始まった」と笑う。呆れたような笑みだけれど、どこか、温かみがある笑顔。
「都会へ行って、プロのサックス奏者になる。テレビに映って、舞台に立って、ニューオーリンズに発つんだ」
私のちっぽけな夢なんかとは比べものにもならない。大きくて力強い夢だ。素敵な夢だ。どうして、そんな風に希望を持てるんだろう。どうして、そんな、きらきらと輝く星のような笑顔を浮かべられるんだろう。
全部、私にはないものだ。羨ましいって思えてしまえたら楽なのに、どうして、ああ、こんなにも熱いのだろう。胸の奥が、熱い。静かに燃える燠火のように。
「かなえられるよ。きっと」
「そうかな? ありがとう、つぐみ」
「ね、ツナギちゃんも、そう思うよ――ね……?」
ああ、だからきっと、神様は私に罰を与えたんだ。おにいさんの笑みを見て、頬を赤らめ小さくはにかむツナギちゃんの姿は、他で見たどんな表情よりも魅力的だった。
だって、そうだ。きっとこれが恋なんだ。私の胸の奥で小さく燃え始めた燠火も、彼女の瞳の奥で優しく燃える篝火も。
なら、私はこの気持ちに蓋をしよう。これ以上、この火が大きくならないように、閉じ込めてしまおう。だって私は、ツナギちゃんのことも、大好きだから。
どうか。
しあわせに。
「OK! 良いわね、直ぐ次に行きましょう。ツナギちゃんがはけて、二人だけのシーンよ」
「ハァイ、じゃ、ツナギはアタシとお化粧直しよ!」
「おっけー、ロロ」
さっとツナギちゃんがはけて、今度は虹君が小道具の花を持つ。
「つぐみ、ついてこれてるか?」
「こーくんこそ。ついてきてる?」
「ばーか。余裕だよ、余裕」
「わたしだって」
軽口を叩きながら、虹君を見上げる。連続した撮影だ。不器用ながら、気遣ってくれたのがよくわかる。ぶっきらぼうな口調の裏には、いつだって他人を気遣う優しさがあった。それが虹君だ。それでこそ、虹君だ。
うん、なんだか、嬉しくなってしまう。虹君は、変わらない。変わらず、私たちを見てくれている。
「準備は良い? 二人とも」
「はい」
「いつでも!」
「良い返事ね。じゃ、行くわよ。スリー、ツー、ワン、スタート!」
ありま展望台に設置された大きな十字架。その前で、おにいさんと私は並ぶ。おにいさんは頬を掻いて、そっと私に一輪の花を差し出した。「これは?」と首をかしげてみれば、おにいさんは大きく深呼吸をして、微笑む。
私の、好きな、おにいさんの笑顔。
「赤い花、好きだって言ってたから。あげるよ」
「いいの?」
「貰ってくれないと、困る」
「――良い匂い。えへへ、かわいいね」
「っあ、ああ」
可愛い、綺麗な花だ。帰ったら押し花にしよう。放っておけばきっと私のように、枯れてしぼんでしまうから。
「ありがとう」
たとえ、この気持ちが報われなくても。
この感情は、私だけのもの。私が命と一緒に持って行く、私だけの宝物。
だから、ありがとう。私に、かけがえのない思い出をくれて。
「OKよ、良いわね。次は……喧嘩ね。ロロ、ツナギちゃんの準備は?」
「バッチリよ!」
るいさんが出す指示に合わせて、直ぐ動く。私がお休みできるシーンが事実上存在しないこともあって、移動中が休憩だ。小春さんに手を引かれて、直ぐに次のロケ地に向かう。ビデオの設定とは裏腹に、この身体は頑丈だ。ちょっとのことでは壊れない。
今度は場所を展望台から南へ移動。移動の車で、ちょっとだけうたた寝。起きたときには、海岸に比べて猫の額ほどの池がある観光スポット、千両池だ。岩場になっていて、修羅場にはちょうど良いかもしれない。
「ツナギちゃんとけんかって、初めてだね」
「ま、出会って間もないからね」
「まけないよ?」
「……ふふん、言ってくれるじゃない」
カメラマンさんたちの配置が終わり、あとは合図を待つだけだ。るいさんは、私たちよりも結構前から動き回っているはずなのに、まったく衰えを見せない様子で指示出しをしていた。るいさんも、大概すごいよね。
「じゃ、行くわよ。スリー、ツー、ワン、スタート!」
――ツナギちゃんに呼び出されて来てみたら、ツナギちゃんはただまっすぐに私を見ていた。幾分か逡巡して、唇を噛み、髪を掻き、深呼吸をして私を見つめる。
「勘違いだったら、ごめん。でも、どうしても聞いておきたいの」
そのあとに続く言葉は、予想していた通りのモノだった。だから私も、用意していたとおりに答える。それだけで、全部元通りだ。
「つぐみも、あいつのこと、その、好きなの?」
「好きだよ――友達として」
これで終わりだ。
ツナギちゃんはおにいさんのことが好きで、おにいさんだって、悪くは思っていないはずだ。だから、これで、また、前のように。
「どうして、嘘をつくの?」
「え――」
「関係を壊したくない? 傷つけたくない? それのどこに、つぐみ自身がいるの?!」
「わ、わたし、は」
「聞きたくない! もう、前みたいにはいられないの。私も虹も、つぐみも!」
走り去るツナギちゃんを追いかけることもできず、蹲る。病気で寝込んだときも、発作で胸をかきむしったときも、こんなに辛くはなかった。それなのに、どうしてかな。
「くるしい、よ。くるしいよ、おにいさん」
締め付けられるような痛み。胸の中の燠火が音を立てて爆ぜると、私の手に、幾ばくかの雨が降った。
「OK! 好調ね。それじゃあ休憩してちょうだい!」
るいさんの声に、息をつく。さすがにこう、メンタル面での疲労感は肉体スペックではどうにもならない。これはさすがにじっくり休まないと、クオリティが落ちてしまいそうだ。