scene2
――2――
可愛らしいイルカのオブジェが並ぶ、東京竹芝ターミナル待合所。時刻は朝七時半。私は小春さん・ルルさんとスタッフさんたちに囲まれて、他の人を待っていた。
「緊張しますか?」
「ううん。だいじょうぶだよ、こはるさん」
「そうですか。ですが、具合が悪くなるようならおっしゃってくださいね」
「はい!」
小春さんとそうやりとりをするものの、内心は緊張よりも興奮が強い。本日はバラエティ、コマーシャルに続き前世で体験したことのなかったお仕事第三弾。その上、船での移動だ。船に乗るのなんてどれくらいぶりだろうか。海上を移動するのって気持ち良いよね。これでも前世では良く海から出現するシーンを撮影した。土左衛門の演技ならホンモノにも負けない自信があるからね。
「おやや、お待たせしてしまいましたかね」
「おはようございます」
そう、声のした方に顔を向ける。入り口の方向から小走りで近づいてきたのは、なんと表現して良いのか、バターロールのようなシルエットの男性だった。彼は人の良さそうな笑みで挨拶をして、私たちに合流する。
そして、その直ぐ後ろからやってきたのは、伊達眼鏡にポケットの多いハーフパンツがよく似合う男の子――そう、凛ちゃんのお兄さん、虹君だった。
「よう」
「おはよう、こーくん」
やっぱり馴染みの顔に会うと心が弾む。マネージャーさんたちが大人の話をする傍ら、私たちは子供の交流だ。
「こーくんは、こういうおしごと、良くやるの?」
「もっとガキのときに、一回二回とかそんなんだよ」
「そうなんだ。わたしは、はじめてなんだ」
虹君は、なんだか少しだけ眠そうにしていた。朝、弱いのかな? それとも、夜更かしをしていたとか? 向上心が溢れているからね。夜中まで勉強とかしていたのかも。
「凛とは、その、どうだ?」
「ふふ、どうって?」
「……わかってて聞いてんだろ」
目を細めて私を見て口をハの字にする虹君に、少しだけ笑ってしまう。これ以上からかうと怒られてしまいそうなので、ちゃんと答えることにした。
「しんゆうだよ。これまでも、きっと、これからも」
「そっか。――ま、おとぼけ二人でちょうどいいだろ」
「あ、ひどい」
虹君はとぼけながらも、なんだか安心しているようだった。あのオーディションで一番やきもきとしていたのは、きっと、凛ちゃんのご家族だ。あのあと、虹君たちと桜架さんの間に何があったかはわからない。けれど、やっぱりどこかに決着があって、落ち着くところには落ち着けたのだと思う。
「に、しても。もう一人は?」
「まだ、みたいだね。あの――こーくんがナンパしたっていう」
「そうそうオレがナンパ……ナンパ?! はぁ!? なんだそれ!」
虹君は見るからに動揺して、言いつくろう。お、これは本気のヤツだな。なんだ、凛ちゃん。勘違いだったんだ。そうだよね。虹君は演技に一途だから、他に脇目は振らないよね。かつての、私のように。
「ごめんなさい、遅れました!」
声が響く。ちょうど今、話題に挙げていた声だ。虹君の服の裾を引っ張って、顔を向けて。
「あ、来たみたい……だ……ね――?」
「つぐみ? どうした?」
息を、呑んだ。
「お待たせしました」
「いえ、まだ集合の時間より早いので大丈夫ですよ。さ、船に行きましょう。……と、バリアフリーの用意を……」
「お気遣いありがとうございます。ですが、もうこうなって二十年経ちますので、大丈夫ですよ」
「おお、そうでしたか。それは失礼しました」
スタッフさんと話す男性の姿。総白髪に年月を刻む皺。楕円形の眼鏡の奥は、いつだって良く見えない。だから、私は、彼と話すときはまっすぐ視線を合わせていた。そうすれば、優しい瞳がよく見えたから。
グレーの落ち着いたスーツ。右手に杖、左手に黒のビジネスバッグ。少しだけぎこちないように見える右足は――バランス、歩き方、足音から判断するに、きっと……義足だ。
「僕はツナギのマネージャーの辻口諭と申します。皆様、本日はよろしくお願いいたします」
「おお、これはこれはご丁寧に! ぼくは虹君のマネージャーで、日立黄金と申します。こちらが、つぐみちゃんのマネージャーさんで――」
「御門小春です。よろしくお願いします」
二十年前――私の主観ではほんの数ヶ月前と比べて、ずいぶんと長い年が彼を彩っていったのだろうと、そう思わせる。あの頃よりもずっとずっと、落ち着いた仕草だ。
ああ、生きていたんだね。あの事故を経て、生き抜いてくれたんだね。ずっとずっと、確認するのが怖かった。調べて一緒に死んでしまっていたら、なんて。桐王鶫の所属していた事務所の所長令嬢、珠美ちゃんから紹介されて、ずっとずっと一緒に戦ってきた相棒。私の、初めてのマネージャー。
本当は駆け寄って、生きていて良かった、って言いたい。ああ、でも、私はもう死者だから。空星つぐみの人生を、ひっくり返してはならない。だから。
「つぐみ? 船に乗る前に船酔いか?」
「――ううん。なんでもない。気合いの入れなおしをしていました。むんっ」
「なんだそれ?」
うぅ、虹君の呆れた目が痛い。
そうこうしているうちに、私たちの姿に気がついたツナギちゃんが、小走りで近づいてきた。季節は七月。もうけっこう暑くなってきたのに、相変わらず、肌を見せないスタイルだ。今日は音符型のシルバーアクセサリー付きのチョーカーと、白いショートパンツに白黒ストライプのストッキング。半袖の黒いパーカーの下に、手首まで隠す白いシャツ。長い黒髪をかき上げて、ツナギちゃんはビシッと私を指差した。
「つぐみ! 今日は負けないわよ」
「ツナギちゃん……うん。ふふ、わたしも負けないよ」
「つぐみ……おまえ、そこら中で勝負してんのか? 血の気多すぎだろ」
「わたしからしょーぶにいどんだ覚えはないからね!?」
虹君は、こう、いちいち私に失礼だと思うのです。そうぷりぷりと怒っていると、今度はツナギちゃんの矛先が虹君に向く。
「や、この間振り」
「よ」
「ちなみに、五百円は忘れちゃった。ごめんね?」
「は、それくらいでこのオレがケチケチ言うかよ」
ずいぶんと、こう、気安い感じだ。凛ちゃんから「ねこをかぶった兄はきもちわるい」と聞いているから、普段はこうではないのだろう。けれど、軽快に会話をしている姿は、こう、友達同士という感じが強い。
でも、ちょっと気になる単語が出てきた。
「五ひゃく円?」
「ん? ああ、オレが貸したんだよ。そういやおまえ、五百円玉って知ってるか? 硬貨なんか見たことないんじゃないか?」
「む。わたしだってそれくらい――」
いや、ちょっと待って。そりゃもちろん前世では大変お世話になった。けれど今生で、硬貨なんて扱ったことがあるだろうか?
移動はリムジンかセンチュリー。必ず小春さんか春名さんが一緒に行動。一人で出歩く機会はもちろん、硬貨を使うような場面に出くわしたことはない。外食は黒いカードで父か母か小春さんがスマートに払うし、そもそも家で高級レストラン並みの料理が出るから外食の必要もない。
あれ、私ってもしかして、相当な箱入りなのでは?
「――ない、です」
「なんで急に敬語なんだよ。その、イジって悪かったよ」
ちょっと、こう、せめて小学校に入学したらお小遣い握りしめて駄菓子屋とか行っても良いかなぁ? 前世は……いや、前世は今度は別の意味でどこにも遊びに出かけられていないんだけれどね?
「なんだか、ずいぶんと仲が良いね?」
「あ、ツナギちゃん、わたしも同じことをかんがえてたよ」
「そうなんだ? それ、ズバッと言えるのすごいね」
なんだかこう、みんなに良く向けられる「変なヤツだな」的な視線をツナギちゃんから感じる。ちょっと待って。ツナギちゃんの私へのイメージが迷走していない? 大丈夫?
ツナギちゃんのなんとも言えない視線に晒され怯んでいると、虹君が大きくため息をついていた。助けて欲しいなぁーなんて言うのは、贅沢だろうか。
「移動だってよ。行くぞ、ちび共」
「つぐみはどうか知らないけれど、私はまだまだ伸びるからチビはやめてくれない?」
「女の子にチビはないよ、こーくん。……まったく、こーくんはしょうがないなぁ」
「なんでオレが聞き分けないみたいになってんだ!?」
虹君を弄り返しながら、船まで移動する。八時半出港の船で、到着は十二時半。次々と乗り込んでいく。どうも貸し切りみたいだけれど……えっと、丸々レンタルなんてできるの? そう思ってふと小春さんを見ると、僅かに微笑まれた。ま、まさか、なにかこう大人のパワーを使ったのでしょうか? そういうのは申し訳なくなるのでぜひやめておいて欲しいのだけれど……いやでも、真相はわからないしなぁ。
「ねぇねぇ虹、貸し切りなのこれ?」
「他に乗客はいないみたいだし、そうなんじゃね? おーい、黄金さん、これって貸し切り?」
ああ、虹君が確認してしまう。いや、うん、もし本当にうちの仕業だったら、そっと土下座をする覚悟はあるけれど。
「ん? ああ、そうだよ。ほら、あそこにスーツのおじさんがいるだろう?」
「ああ、あの、冴えない感じの?」
「はは。そう。あの人、警察官なんだよね。ここ最近、子供を狙った物騒な事件が多いから、一番予約の少ないタイミングで貸し切りにすることになったんだよ。安全性のためって、スポンサーがお金を出してくれたしね」
そう、黄金さんが指差した方を見る。デッキから見て、これから船に乗り込もうという男性が二人。よれよれの茶色のコートの壮年。それから、生真面目そうな青年。確か、そう、連続女児暴行事件の担当をしているというあの、人の良さそうなお巡りさんだ。
確かそう、壮年の方が鵜垣さんで、青年が丹沢さんだ。スカイツリーロケのときも、一緒に回ってくれたんだよね。心強い。
「そうだ、ついでに、これ」
「黄金さん、これは?」
「データだよ。まだ未公開のものだから、流出はダメだよ?」
「しねーっスよ」
虹君の手に渡されたイヤホンのついた棒状の何か。なんだかわからなくて覗き込むと、虹君は首をかしげて、ああ、と頷いた。
「ウォークマンだよ。音楽プレイヤー。つぐみは……まぁ、知らないか」
「ええ、これに入ってるの? わたしの分もあるのかなぁ」
疑問に首をかしげると、不意に、真横に気配を感じた。
「はい。つぐみ様の分は、こちらに」
「うぉっ?! い、いつの間に……」
その唐突な出現に、虹君や黄金さんだけでなく、ツナギちゃんまで顔を引きつらせている。私は、うん、なんか慣れちゃったんだよねぇ。
「ツナギちゃんの分は?」
「さっき、辻口さんがツナギちゃんのスタイリストさんに渡していたよ」
「へ? あー……」
ツナギちゃんは、なんだかちょっと複雑そうな顔をしていた。そして、その疑問は直ぐに氷解することになる。
「待たせたわね、ツナギ。あなたの分のプ・レ・イ・ヤー、持ってきたわよ」
「……うん、はい、ありがと、ロロ」
「アナタが素敵なミュージックビデオを彩れるよう、アタシもサポートするわ」
「はは……うん、えっと、期待してるね?」
フリルで飾られた白い服。パンツルックに長い足。きらきらに染め上げられたカラフルな髪。女性らしい口調を放つのは、化粧で彩られてなおわかる美しい顔立ち。けれど、そう、装飾を剥いで言い表すのなら、彼は、そう。筋骨隆々の大男であった。鮮やかなモデル歩きと高めのヒールが相まって、なおさら大きく見える。
でも、こう、なんだろう。一つ一つの要素を抜けばキワモノであろうに、抜群のセンスが成せる技なのか、絶妙なバランスで彼に似合っていた。
「ハァイ。アタシは天岡露炉亜。ロロって呼んで頂戴」
なんだか今回の撮影は、一癖も二癖もありそうだ。
――なお、名字的にルルに話を聞いてみたかったのだけれど、ルルは船室でぐったりとしている。船酔い対策ということだけれど、出港前からギリギリなんだね、ルル……。