scene6
――6――
一つ目の演技を終えて、私は隣のみみちゃんに声をかける。
「おつかれ。ありがとう、みみちゃん」
「アリ――あっ、え、う、ううん。だい、だいじょうぶ。おつかれさま、つぐみちゃん」
私の一言を合図に、みんなが空気から抜けていく。うんうん、我ながら良い薄幸の少女だったんではないだろうか。このあと、不慮の事故で死んで幽霊として登場しても違和感ないね……って、違う違う。
「あれ? あたし、教室に……ちがう、ちがう、オーディション中だ。あれ?」
「……ゆめみごこち。このまま寝られる」
「ね、ねちゃだめだよ、りんちゃん」
役から抜ける時間って、けっこう役者さんでも違いがある。カメラがあるうちは抜けられないひと。シーズン中は全てその役の人格で生きるひと。私みたいに、シーンの終わりを合図に抜くひと。なんか自然に抜けるひと。
今、みんな徐々に抜けてきたのだろう。ざわめきと足音が、周囲に広がっていった。父と母に手を振ると、二人もにこやかに振り返してくれる。あれ? 泣いてない? あれ?
「――この余韻を噛みしめて眠りたいところだけど、まだもう一つ、見極めたいことがある。次のテストの題目を言うから、よく聞いておいて欲しい」
平賀監督の言葉で、みんなが集まる。監督はモニタールームに目配せをしてから、私たちを見回した。
「次も同じように教室だ。けれど、今度は二つに分かれて欲しい」
「二かいやるんですか?」
「はは、いや、そうではないんだ、つぐみちゃん。簡単な話だよ。善と悪。良い子と悪い子に別れて、四人で演技をして欲しい。どんな感じにするかも、任せるよ。でもどうしてもわからないことがあれば、聞いて欲しい」
「わかりました」
なるほど。確かに、演技の幅が見たいんならアリかなぁ。そう思って三人を見ると、三人とも硬い表情をしていた。さっきまでのびのびとしていたのに、いったいどうしたんだろう?
あ、もしかして、悪い子の役はやりたくないとか? それは――いや、考えようか。ちょっと楽しくなってきた。
「じゃあ、四人で相談してみて」
再び、膝をつき合わせて集まる。けれど今度は、誰もなにも言い出さない。どうしようかと思案していたら、不意に、じゅりあちゃんがなにかを呟いた。
「――ない」
「え?」
「あたし、わるい子はやりたくない!」
意外だ。もっと、こう、前に出ることを嫌がらない子だと思っていたのだけれど。
「で、でも、じゅりあちゃん、だれかがやらないと」
「そうだよ。じゅりあはさっきだって、やりたい役をやったんだから」
「じゃあ、りんがやればいいだろ! あたし、あたしだって、だって――が」
「む。いいよ、じゃあわたしがやるよ」
りんちゃんがそう言い放つ。だが、表情には少しわだかまりがあるように見えた。それに、みみちゃんはおずおずと声をかけようと手を伸ばし、けれど、力なく落とす。
じゅりあちゃんは一瞬だけ後悔をしたように見えたけれど……結局、唇を噛みしめてそっぽを向いた。これはなにか、事情があるんだろうなぁ。うん、それならやっぱり、おねえさん(なお肉体年齢は年下)が、一肌脱いじゃおうかな。
「じゃ、りんちゃん、いっしょにわるい子、やろ?」
「え――いいの? つぐみ」
りんちゃんは一瞬とても驚き、それから、おずおずと告げた。もちろん、良いに決まっている。最初からそうしようとすら思っていた。けれど、せっかくだから、この状況を利用させて貰おう。
「もちろん! そのかわり、げきのないよう、きめてもいい?」
「いいぞ! あたしとみみがいい子なんだろ? まかせた!」
「も、もう、じゅりあちゃん」
「きゅうにゲンキになった。じゅりあはゲンキンなやつだ」
私の提案で、一触即発かと思われた空気は霧散した。もちろん、元々仲の良い三人組であったことが功を奏したのはいうまでもないが。
私は三人に、方向性だけ伝える。入念な役作りが出来ないのなら、方向性に従って自由にやってもらった方がいいからね。
「まず、わたしがみみちゃんをイジメます」
「え! あ、う、うん、がんばってイジメられるね……?」
「で、りんちゃんはいじめっ子のわたしといっしょにいて?」
「わるい子なかまだもんね。まかせて」
「じゃあ、あたしはたすけに入ればいいんだな!」
私の簡易的な説明を、みんなはすんなり呑み込んでくれた。じゅりあちゃんも、心なしかイキイキとしているように見える。
で、本番はここから。
「そう。で、みみちゃんは、わたしがなにを言っても、いや! とか、やだ! とかで、いやがって」
「う、うん? わかった」
「りんちゃんは、ホントウはわたしとじゃなくて、じゅりあちゃんたちとあそびたいけど、わたしのことを一人ぼっちにしたくなくて、しょうがないからいっしょにいるって思っておいて」
「いいよ」
「じゅりあちゃんは、わるい子はキライだけど、りんちゃんのコトはすき」
「? いいぞ! りんとは前からなかよしだしな!」
よしよし、これでベースは出来た。みみちゃんには、どうしようか。叩くわけにはいかないし、水を掛けて風邪を引いたら大変だし……打ち合わせしておいて突き飛ばそう。両手で押して、みみちゃんにも倒れて貰う感じ。
みみちゃんにそう提案すると、彼女は乗り気で頷いてくれた。勢い余って、お尻を痛めちゃわないようにしないと。
「――お、できたか?」
監督の方を見ると、彼は笑顔で首を傾げた。情熱とか色々なものが作用しているのか、声をかける度に子供っぽくなっていく気がする。
「はい」
「よし。じゃあ全員、準備だ! 張り切っていこう!」
悪、悪、悪か。この子はどんな事情で悪になったんだろう。どうしようもない理由? そうだね。そう言う子もいるんだろう。親の教育? 一番ありそうだ。でもやっぱり、一番、なによりも、“怖い”のは――やっぱり、コレだよね。
理不尽。
――/――
大物重鎮、日ノ本テレビ叩き上げプロデューサー、倉本孝司。
脚本・放送・構成作家として日ノ本テレビを支え続けた重鎮、赤坂充典。
それに加えて、“あの大女優”の姪にして秘蔵っ子と呼ばれる、皆内蘭。
皆内はまだまだ無名だが、残り二人は大物も大物だ。テレビ局もそれだけの予算を投じて、女優の子供というサラブレッドを用意した。そこに、予想外の飛び込みがあり、想定外の結果を出し、スタッフは慌てて上役に連絡。それを聞きつけた倉本Pと赤坂先生が、なるほど面白そうだと、年齢を感じさせないフットワークで飛んできた。
俺としても、二人に観て貰うのであれば、今後、このドラマを任された監督としてやりやすい。期待の新星、平賀大祐などと持て囃されるのは、たまたま作品がヒットした物珍しさだけだ。俺に予算をかけてくれているうちに、大物から盗める全てを盗んでおきたい。
「いやぁ、倉本さん、さっきの演技は中々でしたねぇ」
「はっはっは、そうですなぁ、赤坂先生。これはアレを思い出しますよ」
「倉本さんがおっしゃるとなれば、あの方ですねぇ?」
「そうとも、そうとも。皆内くんもわかるだろう?」
「ええっと――叔母の、霧谷桜架のことでしょうか?」
「桜架くんか。いや、彼女も素晴らしい。でも、もうひとり、いたんだよ」
倉本Pは、いつも分厚いサングラスをしているから、表情が読めない。けれど隣の赤坂先生は、皺だらけの目元を少しだけ眇めて、どこか懐かしむような顔をしていた。
首を傾げる皆内に、倉本Pは笑い声をあげる。いつもの、彼特有の人好きのする声だ。その声を、倉本Pは、今度は調子よく俺に向けた。
「――なぁ、平賀監督」
「はい?」
「嫌な役をやらなければならないとき、ひとはどんな演技をすると思う?」
「嫌々やる、拙い演技でしょうか?」
「そういうこともあるだろう。だがね、大半は、真面目にやりながらも、そこに魂が込められていないのさ。なぁ、赤坂先生」
「ええ、そうですね、そんなこともありましたねぇ。悪役というのはいつだって、放映後に嫌な印象が残りますからねぇ」
言われて、不意に、さっきまでの様子を思い出す。話し声を遠くから聞いていたら、悪役はイヤだと聞こえてきた。例のあの子が立候補したようだけれど、本当に大丈夫なのだろうか?
嫌な役をやらせてみる。それは奇しくも、俺が思いついたことと同じだ。嫌々臨むのか、真摯に取り組むのか。子供だからと侮らず、大事な、その部分を見たくて提案したテストだ。
「ですがね、平賀監督。私の知るあのひとは、まだ無名の頃、一番嫌がられる役に立候補して、こういったのさ」
「ああ、それ、僕も覚えてますよ、倉本さん! 確か、そう――」
「「『こんな面白い役、やらないなんてもったいない!』」」
なんだ、それは。嫌がられる役ということは、悪役や嫌われ者の役だ。それを無名時代に、堂々と言い放つなんて、どれだけ度胸のある人物だったんだ。どれだけ――役者という生き様に、惚れ込んだ人間だったんだ。
心の内が疼く。そんな人間と、そんな役者と、肩を並べて仕事がしてみたい、と、魂が震えるようだった。
「彼女からすれば、僕たちは新人も良いところでしたねぇ」
「当たり前ですよ、先生。あの頃、私はまだ制作会社のAD。先生だって“先生”見習いみたいなものだったじゃありませんか」
「あははは。懐かしいですね。でも、まさか、あんなに早く旅立ってしまうなんて」
「え? あの、まさか」
皆内が目を瞠り、二人の言葉に反応する。早くに亡くなられ、嫌がる役を率先してこなし、誰よりも死を悼まれながらも、きっと死後も楽しくやっているだろうと言われた人物。
思い出すのも恐ろしい。父につれていかれた映画館で、初めて“彼女”が出演する映画を見たとき、父と二人で眠れぬ夜を過ごしたあの恐怖。
「そういえば、同じ名前ですね、倉本さん」
「ははは。状況もよく似ています。返り咲いたのかも知れませんねぇ、赤坂先生」
「やめてください。妻ももう年です。抱き枕にされるのは辛いことでしょう」
「おっと、私も寒気が。娘に慰めて貰うことにしましょう。怒られるでしょうが」
その名を告げようとしたところで、お呼びが掛かる。話し合いが終わりそうだ。待機していた方が良いだろうと、スタッフが気を利かせてくれたのだ。
「では、自分は、あちらに」
「ええ。私たちは皆内くんと、ここで見ていますよ」
「要介護者二人ですからねぇ」
「……お二人とも、まだまだお若いでしょうに、もう」
皆内はその場に残して、子供たちの方へ歩いて行く。
思えば、さきほどの演技も凄かった。視線、表情、動作、仕草。その全てで、まるでその場をコントロールしているかのようだった。
その子が今度は、悪役をやる? あの、天使のようにいじらしい演技をしていたあの子が? さすがに、厳しいだろう。そう思う反面、重鎮たちの言葉がリフレインする。
『こんな面白い役、やらないなんてもったいない!』
彼女にとって、この演技は面白い役なのだろうか。それとも?
俺を探す視線を拾う。この澄んだ水面のような瞳が、どんな“悪”を映し出すのか。そう考えると、興奮で目が覚めるようだった。
「――お、できたか?」
「はい」
「よし。じゃあ全員、準備だ! 張り切っていこう!」
定位置につく。どうも朝代珠里阿は、途中から入る形のようだ。未完成のセットを急遽持ってきたから廊下がない。セットの影から、声を聞きつけて飛び入るようにすると聞かされた。
掃除のあとのように、机の上に椅子が上げられ、教室の床を広く浮き出している。空星つぐみと夜旗凛が並んで立ち、夕顔美海はその正面に立っていた。台詞や指針の確認だけして、準備はできたようだ。
「さぁ、目に物を見せてくれよ。シーン――」
固唾を呑む。
鼓動が聞こえる。
カメラが回り、マイクが構えられ、照明が淡く瞬いた。
「――アクション!!」
かけ声と同時に封が切られる。さて、どんな演技を見せてくれるのか。そう見守る俺たちの前で、最初に動いたのは、つぐみだった。彼女は、朗らかな、まるで妖精のような愛らしい笑顔を浮かべている。
「やっぱりそうだよな、あんな良い子が悪役なんてできるはずがない」
小声で、年若いスタッフがそう呟いた。俺もその意見には頷ける。だが、これからどんな演技をするかで評価は分かれるだろう。なにせ、凛もまた悪役だ。彼女が主導するのかも知れない。
「ね、このブローチ、ちょうだい?」
可愛らしいおねだりだ。でも、少し違和感を覚える。空気が、雰囲気が、変わる、ような。
「い、いや」
「なんで?」
「だいじなものだから、あげられないよ、つぐみちゃん」
そうだ。他人の大事なものが欲しいなら、何故、そんな無垢な笑顔を浮かべられる? 俺たちは、なにを見せられているんだ?
戸惑う観客を余所に、ギアが上がる。まるで突然スイッチを切ったかのように――空星つぐみから、表情が、抜け落ちた。
「わからないかな。わたしは、ほしいっていったんだよ?」
「え? ――きゃあっ」
つぐみは、言うや否や、美海を突き飛ばす。思わず尻餅をつく美海の頬に両手を当てて、つぐみは囁くように、言い聞かせるように、美海の耳元に唇を寄せた。
「いい? あなたは虫。ふみつぶされるだけの虫なの。わたしの言うことを聞いていれば甘いミツをあげるといっているのに、どうしていやがるの? ぜんぶぜんぶ、あなたのぜんぶ、わたしにちょうだい? ――うん、っていえば、ふみつぶさないであげるから」
「ひっ」
――ああ、彼女にとって、本当に夕顔美海は少女ではなく虫なのだ。冷徹な目、冷え切った声。頬に突き立てられた指は、美海を食い破ろうとしているのではないか? そうとすら、思わせる。
では、もうひとりの悪役は、どうしている? 見れば彼女は、夜旗凛は、必死に目を逸らしていた。苦痛に怯える級友を助けない。なるほど、それもまた、ひとつの悪だ。
「みみ!? つぐみ、みみになにやってんだ! いやがってるだろ!」
「ん? 虫退治。じゅりあちゃんもやる?」
「やるわけないだろ! みみをはなせ!」
珠里阿はそう、美海とつぐみの間に割って入る。それから凛をどこか複雑そうに見てから、憤怒の目で、つぐみを見た。つぐみのことは嫌いだけれど、凛のことはそうでもない?
「ふぅん。ねぇ、みみちゃん」
「っ」
ここで、初めてつぐみは美海の名を呼んだ。顔には微笑み。けれどもう、瞳の奥が冷たく凍り付いていることを、周囲は気がついてしまっている。
「じゅりあちゃんを叩いて。そうしたら、虫はじゅりあちゃんにしてあげる。あなたはオトモダチになるの。ふみつぶされたくは、ないのでしょう?」
なんて。
なんて無邪気で、残酷な。友達を売れば助けてやると、もう虐めないと、そう言っているんだ。
「ね? みみちゃ――」
「(いや、いやだって、いわなきゃ)……イヤっ!!」
「――へぇ。そ。虫でいいんだ」
美海の拒絶に、表情がまた、抜け落ちる。冷たい目だ。彼女の中ではとっくに、朝代珠里阿だって“虫”であろうに。
「おまえがなにを言ったって、あたしがみみを守るからな!」
「すきにすれば? しらけちゃった。――いこ、りんちゃん」
「ぁ――……うん」
背を向ける珠里阿と美海。同じように背を向けるつぐみ。凛は珠里阿と美海になにかを告げようとして、けれど、首を振り、下唇を噛み、珠里阿たちに背を向ける。いじめっ子の相方。彼女がただ一人信頼する人物として、親愛に応えるように。
けれど、その表情と態度からは、本当は珠里阿たちと仲良くしたいという、彼女の心の叫びが、空しく響いているようでさえあった。
「これが、演技テスト……? だって、これ」
また、ざわめきで我に返る。ああ、スタッフの言いたいこともわかる。だってこれは、こんなものは、演技テストの枠ではない。
「あまりにも、ドラマだ」
カットの手が震える。こうも終わらせたくない場があったことを、俺はこれまで知らなかった。ああ、それでも、今日からテレビの歴史が塗り替えられると思うと、興奮が冷めない。
「――カァァット!! ……今日この日に立ち会えたことを、俺は幸運に思う」
これが役を選抜するオーディションであるということも忘れて、俺はそう呟く。だが、当然のように、それを指摘するものはいなかった。