scene1
――1――
「三、二、一、スタート!」
監督の声で撮影が始まる。今日は私が演じる新人教師、水城紗那と同僚で相棒枠の、月城東吾さんが演じる黒瀬公彦が、柿沼さん演じる絹片幸造に詰め寄るシーンだ。
発端は、児童が体育倉庫に閉じ込められる“事故”に、絹片幸造が関与していたことが偶然現場を見ていた児童の証言により私たちに密告されたことに遡る。事実関係を独自に調査していた水城と黒瀬は、馴染みの警察官に過去の事件について教わるのだ。
「絹片先生。あなたと柊リリィの間に、なにがあったんですか?」
放課後の資料室で資料整理をしていた彼を、私たちは問い詰める。三年前、女児が巻き込まれた“誘拐未遂事件”。そのときの巻き込まれた女児――柊リリィの通っていた個別私塾の担当教師が、絹片幸造だった。
そんな、私と黒瀬に、絹片は目を見張る。それから震える手で資料を落とし、二歩、三歩と後ずさった。
「そう、か。そうか――もう、潮時なのだろうね」
「絹片先生……?」
「少しだけ、話を聞いて欲しい」
絹片は震える手で顔を覆い、その様子に、黒瀬は苛立ったように声をかける。
「おいおい、絹片さん。ここまで来て――」
「私の、罪の告解だよ」
「――ッ」
だが――絹片の手の隙間から見えた瞳は、どろどろに濁った、彼の後悔の色だった。
思わず息を呑む。引き込まれる。私もまた、彼の演技に引き摺られようとしている。これが柿沼宗像。これが、黄金期を生き抜いた俳優!
「カット!」
「次のシーンにそのままいきます」
監督が映像チェックをしている中、そのまま次のシーンの準備に入る。ドラマでは、今は別撮りの回想シーンが差し込まれる形式だ。絹片幸造のナレーションで、当時の誘拐事件の詳細について説明をする。
ことの詳細はこうだ。当時、今では考えられないほど天真爛漫だった少女、柊リリィ。彼女は一度だけ体調が悪いと嘘をついて家を抜け出し、友達と遊びに行ったことがあった。家族はそれを咎め、絹片にそれを話す。頭の固い男だった絹片はリリィを嘘つきと断じた。
ある日、リリィは外に変な人がいるので出たくないと私塾の絹片に連絡をする。だが絹片は彼女が嘘をついて遊びに行こうとしているのだと決めつけ、それを突っぱねた。彼女の両親は忙しく、家には居ない。私塾までは一本道だ。一人で危険な目に遭ったことなどない。様々な楽観視で絹片はリリィにちゃんと来るように言い含める。リリィは怯えながらも承諾し――そして、誘拐された。
「三、二、一、スタート!」
監督の声で撮影が再開する。パイプ椅子に腰掛け、片手で顔を覆う絹片が、回想を終えた、というシーンだ。
「次に彼女に会ったのは病院だった。彼女は言ったよ。『先生に強要されたことは、誰にも言っていません』と。そして腕についた痛ましい傷跡を包帯の上からなぞり、『ですから、これからは、先生は私の奴隷ですね』、と」
「そんな――」
「誘拐現場で何があったのかはわからない。ただ、一つ言えることがあるのだとすれば――私は柊リリィという可憐な少女を殺し、悪魔を生み出してしまったのだよ」
それが、絹片幸造の懺悔だった。彼は自分の立場が失墜することを恐れ、柊リリィの言葉に頷いてしまった。一度間違えた轍は、引き返すことはできない。絹片がたとえ彼女の両親や世間からバッシングを受けようとも、そのときに自分がリリィに謝罪して、経緯を話していればこうはならなかったのかもしれない。絹片はそう、震える声で締めくくる。
同時に、今、学外で起きている様々な事件。ゴミが荒らされる事件に始まり、窃盗・空き巣・女児への声かけ。そういった事件のすべてが、三年前の誘拐事件へと結びついていく。まさしく、物語のターニングポイントとなる重要なシーンだ。
「私は臆病者だ。暴かれる日を怯えて過ごしていた」
「そうだな。アンタは、間違いを犯した」
黒瀬がそう吐き捨てるように言う。黒瀬は、絹片を恩師と慕う青年だ。ここ数年の絹片の様子がおかしいことを疑問視していたが、決して、問い詰めるようなことはしなかった。だから、その台詞を告げた黒瀬は、真っ白になるほど強く拳を握っている。
「でも――それがたとえ心が折れたから出てきたモノだったのだとしても、オレは、今のアンタが子供たちに慕われていることも知っている。全部が全部間違っているって言っちまったら、アンタを慕う子供たちの気持ちはどうすればいいんだよ」
「公彦君……」
顔を上げ、それから、絹片は深くうなだれる。実は絹片は、体育倉庫に二人の児童を閉じ込める際、わざと見つかるように動いていた。それはもしかしたら罪の重荷に耐えかねてのことだったのかも知れない。けれど、彼を突き動かした一番の理由はやはり、子供たちを今度こそ傷つけたくないという、強い意志だった。
「絹片先生。黒瀬先生はずっと、絹片先生のことを信じていました。その思いは、裏切らないでください」
「ああ……ああ、そうだな――私は、“先生”だった、ね」
顔を覆い、肩を震わす絹片。そんな彼に背を向け、黒瀬は立ち去る。私は黒瀬の背を追うように、小走りで資料室から出た。
「カット! よし、いいね、さすがだ。映像チェックに入ろう」
監督の言葉で、肩から力を抜く。張り詰めていた緊張が抜けていくようで、ほぅ、と息をついた。
いやぁ、さすが柿沼宗像だなぁ。彼の罪悪感に巻き込まれて普段よりも深く入ってしまった。
「柿沼さん、お疲れ様です」
「相川君も月城君も、お疲れ。……と、二人はまだ撮影があるんだったね」
「あはは、そうなんですよ」
このあとのシーンは確か、少しずつ自分の言うことに従う人間が減り、孤立していくリリィ。リリィは自分の父親に「いじめられている」と訴え同級生の家族に不利な状況を作ろうとするが、リリィの父親は既に改心した絹片からの謝罪を受けていて、逆に、リリィを窘める。
家族から裏切られたような気持ちになったリリィは恨みを募らせ、その原因が珠里阿ちゃん演じる明里と、美海ちゃん演じる美奈帆にあるかのように八つ当たり気味な復讐を考えるのだ。追い詰められたリリィは刃物をポケットに隠し持ち、明里と美奈帆を空き教室に呼び出す。本当に刺す気などなく、驚かして服でも切ってやれば怯え竦むだろうと考えていたリリィだったが、唯一信頼していた、凛ちゃん演じる楓がその場に来てリリィを止めようとしたことで、リリィは錯乱してしまうのだ。そこに、私と月城君――水城と黒瀬が乱入する、と。
……脚本の赤坂先生も、よく、これを子役にやらせようと思ったよね。しかも監督も、思いついたアドリブはどんどんやってくれ、なんて。これも、やっぱりあの子の影響なのかなぁ、なんて思う。
「おはようございます!」
ぼんやりとそんなことを考えていたら、元気な声が現場に響いた。シルバーブロンドの鮮やかな髪と、美しいスカイブルーの瞳。空星つぐみちゃんを筆頭に、子役たちの現場入りだ。
スタッフさんにも挨拶は欠かさず、笑顔を振りまく。所作も綺麗だし、きっと育ちが良いんだろうなぁー。小さい頃に大事にしていた西洋人形にちょっと似てるんだよね。膝に乗せて小一時間かわいがりたい。
撮影機材の動線が楽なので、空き教室は今撮影を終えた資料室の隣で行う。時刻も設定上ちょうど良くて、夕暮れの資料室のシーンからそのまま、放課後のシーンとして撮影できる、のだとか。
「あいかわさん、つきしろさん、かきぬまさん、おはようございます!」
「はい、おはよう、つぐみちゃん。今日も可愛いねぇ」
「ええっと、あの、ありがとうございます」
照れる仕草も可愛い。つぐみちゃんの後ろからついてきた珠里阿ちゃんたちも挨拶をしてくれたので、私もそれを返す。これから別の仕事に行く間際だった柿沼さんも、心なしか嬉しそうに挨拶を返していた。子供好きなのかな。
「このまま、回想シーンも撮影だったかしら?」
「いえ。つぐみは、このあと別のおしごとなんです」
「そうなの? 凛ちゃん」
凛ちゃんは、雑誌で取り上げられるほど有名な、つぐみちゃんの“親友”だ。だからだろうか、つぐみちゃんだけ他の仕事で抜けてしまう、というのが少し寂しいのかも。
かぁわいぃなぁ、もう。おねえさん、ほっこりしちゃうわ。
「兄ばっかり、ずるい」
「り、りんちゃん、やみがもれてるよ、しまって、しまって」
「あきらめろ、みみ。手おくれだ」
むくれる凛ちゃんをなだめる美海ちゃん。いったい、なにがどうしたんだろうか? 疑問に思って首をかしげていると、監督から声がかかる。
「よし、じゃあ配置について」
「はーい!」
子供たちが、監督の声で配置につく。空き教室の窓側につぐみちゃん、廊下に珠里阿ちゃんたち。まずは、つぐみちゃん一人のシーンから撮影開始だ。
「三、二、一、スタート!」
カメラが回り、撮影がスタートする。私と月城さんは、モニターの前で出番を待つ形だ。つぐみちゃん――リリィは一人、窓辺に佇む。教室内に配置されたカメラ、その中でも中央のものは、ガラス窓に映り込むリリィの表情を捉えている、という形だ。
視聴者も、ここまで来れば回想シーンのリリィの様子で、リーリヤの正体はわかっていることだろう。今回はその、まだ撮影していない回想シーンを経てのシーンを先に撮る形なので、ちょっと難しいよね。
「ふ、ふふ。少し脅してあげるだけ。あの憎たらしい顔に、ハサミを突きつければ、もう、だれも、私のことを見くびらない。ふふ、ふ、ははははっ」
リリィは俯いて、台本の台詞を告げる――の、だけれど。私の側で見ていた月城さんが僅かに目を見張り、「なるほど、そう演じるのか」と呟いた。何事かとよく見てみれば、正面に配置されていた二カメの映像が、その答えを教えてくれる。
(ガラス窓に映っているのは――リーリヤの表情だ)
しかも、口は真横に結び、表情は暗く悲しそうだ。確かに台詞を告げるために発声しているはずなのに、リーリヤの表情は動いていない。
えぇ、腹話術まで体得してるの? 五歳で? 私が五歳の時なんて、おじいちゃんのカツラをフリスビーにして遊んでいたぐらいなのに……。
でも、そうすると、この台本に記載されている「独り言」の意味合いも変わってくる。赤坂先生はリリィとリーリヤをどう対話させるのか悩んでいたけれど、こんなことができるのなら――表現の幅は、ぐっと広がる。
「もう、やめよう、リリィ」
そう、リリィの背中に告げるのは、楓だ。明里と美奈帆を背に、一歩踏み出す。カメラを写さないようにここを撮影するのは大変だろうなぁ、なんて、ちょっとだけ場違いなことを考えてしまった。
リリィは楓の言葉に、びくりと肩を震わせる。楓の出現はリリィにとって予想外であり、また、信じたくない未来でもあった。
「こんなことをしても、リリィが傷つくだけだ。だけだって、やっと、わかったから!」
楓――凛ちゃんの演技も、以前とは違う。霧谷桜架に弟子入りと聞いてびっくりしたけれど、なるほど、こんな可能性を秘めているのなら納得だ。まだ六歳なのに、演技に深みができている。
六歳かぁ。六歳の時って私は何をしていたっけ。そうそう、おじいちゃんが骨董品屋で買ってきた高い壺にカマキリの卵を保存したりしてたなぁ。
「リリィ。今からだって、あたしたちだって、友達になれる。楓を大事にしてきたおまえなら、きっとやり直せる。だから!」
「だから? だから、なに?」
明里の言葉に返ってくるのは、冷たく沈んだ声だ。今までの彼女から聞いたこともないほど冷たい声。激昂でも、嘲笑でも、悪辣でもない――冷え切った、氷のような声。
明里はそれに、僅かに怯んで後ずさる。同時に、入れ替わるように前に出たのは美奈帆だ。長くリリィにいじめられ、それを跳ね返すほどに成長した少女。彼女の力強い眼差しに、今、厳しい現実に直面している視聴者から「勇気が出た」と声も寄せられている。
「ちゃんと、みんなにごめんなさいって言って」
「……」
「心のずっと深いところから、ほんとのほんとに謝って」
美奈帆はそう、強く拳を握りしめる。彼女自身はきっと、許せない気持ちが強い。それでも大切な友達である楓のために――あるいは、自分自身が前に進むために、唇を噛みしめても“許す”という答えを選んだ。それは彼女の優しさであり、紛れもない強さだ。
「あ、はは、はははははっ」
「リリィ?」
「楓、あなたもリリィを裏切るのね」
「え?」
そのとき、ガラス窓に映るリリィが表情を変える。それは紛れもなく、今まで絆を築いてきた謎の少女、リーリヤの表情だ。リーリヤは楓たちに見えるように、彼女の声色で「逃げて!」と叫んだ。
「優しさ? 許し? 仲良しこよしで、リリィを守れたの?」
「リリィ、おまえ、なにを――」
「リリィを傷つける人間は、誰であろうと許さない。だったら、全員、支配してしまえば良いわ。そうでしょう? なのに、みんなみんなみんなみんな――ああ、だったら、いなくなってしまえばいいんだわ」
この台詞を合図に、廊下にスタンバイ。スタッフの合図を待つ。教室から聞こえてくるのは、悲鳴と困惑の声。それに合わせて走り出し、駆け込んだ。
「待ちなさい!」
「チッ――邪魔が入ったわね」
「あ、ちょっと」
リリィはそう呟くと、ハサミを私たちに向かって投げる。当たらないよう投げているが、あとで編集で、当てるように投げている、という形に調整される予定だ。
そして、私を庇うように月城さん――黒瀬が私に覆い被さり、その混乱の隙を狙ってリリィはまんまと逃げ出した。後に残されたのは、意気消沈する子供たちなのだけれど、その中でも、楓の嘆きは深い。
「ああ、私、どうしよう――リリィ」
傷つき果てた友の姿。行方をくらましたリリィ。
――ここから、物語はクライマックスに向けて加速する。
「カット! 良いね、さすがだ」
監督の言葉と共に、廊下の影で待機していたつぐみちゃんがひょっこりと戻ってくる。凛ちゃんたちをねぎらいながら笑い合う姿に、さっきまでの狂気の面影は見られない。なんだかそのことに、ひどく安心してしまう自分がいて、それがちょっとだけ面白かった。