scene6
――6――
一通りの撮影を終え、ロケバスに乗り込むと、スタッフさんが私にチラシを持ってきてくれた。今日一日一緒に仕事をしてくれた、ディレクターの男性の、内藤さんだ。
「はい。つぐみちゃんのマネさんとも確認したけれど、問題はなさそうだから」
「ありがとうございます!」
チラシを受け取り、広げてみる。公演時間は昼の三時と夕方の六時の二回。学校帰りの中高生と、定時上がりのサラリーマンが見ることのできる時間帯だ。題材は“正義の味方”というタイトルで、彼ららしい。
思わず文面に笑みがこぼれると、隣にぴとりと張り付いてのぞき込んでいた凛ちゃんが、疑問そうな声を上げる。
「そんなにおもしろそうなのか?」
「え、と、うん。気になるかな」
そんな私たちの反応に思うところがあったのか、内藤さんは「そうだ」と声を上げた。
「だったら、ちょっと寄ってみるかい?」
「いいんですか!?」
「ああ。大丈夫だと思うよ。ちょっと確認してみるね」
とはいえ、ここはロケバスの中。プロデューサーさんにも声は届いていたので、ゴーサインが出た。カメラを回せそうなら回して、撮れ高があるようだったら番宣なんかにも使うのだとか。
さすがテレビマン。どんな状況でも撮れ高を見逃さないのは、業界人の鑑だ。あ、でも、カメラを回すと言うことは、忙しいであろう桜架さんも巻き込んでしまう、ということにならないだろうか? そう思って桜架さんの席に顔を向けると、「大丈夫よ」と機先を制される。
「今日いっぱいのスケジュールは空けてあるわ。せっかくだし、私も行きましょう」
「おお、おししょー、さすがです!」
凛ちゃんがそう思わず歓声を上げたことで、ロケバスの中は和やかな空気に包まれた。
場所は押上商店街から隅田川方面へ、業平橋下の大横川親水公園だ。
大横川親水公園は、一九九五年にできた大きな公園だ。大横川の上に敷き詰められて作られていて、緑道の端や中央に川が流れ続けている。業平橋の下周辺は舞台となる花時計側の大きな広場の他に、船をかたどった建築物や、釣り堀なんかもあった。
気がつけばすっかり堪能してしまった東京スカイツリーからとても近く、走行中だったロケバスをUターンしてもらった。
「とりあえず、最初は二人で行こうか」
「はい!」
ハンディカムを持ったスタッフさんと、私と凛ちゃんの二人。計三人で、まずはふらふら歩いてみることに。いきなり大女優霧谷桜架が行くと、それはもう大きな騒ぎになってしまう可能性があるからだ。
とはいえ、私と凛ちゃんもけっこう名前が売れ始めている。近づこうとする方の牽制も込めて、大柄なスタッフさんがハンディカムを持ってきてくれていた。
「つぐみ、これ、どっちに行ったらいいんだ?」
「はしの下をとおって、むこうだとおもう」
「よし、しゅっぱつしんこー!」
「おーっ」
あくまでスタッフさんは口を挟まず、子供二人で進行だ。大きな船のような建築物は、業平橋観光案内所になっている。スタッフさんが先行して区に許可取りして、案内所の方にも説明に伺ってくれたそうだ。あとから、紹介の映像を差し込むのだろう。
その先から白くて大きなオブジェクトに登ってみたりしつつ、橋の下を抜けていく。そうすると直ぐ目の前に、大きな花時計(花壇)があった。良い天気だから、見晴らしも良い。けれど、時間は午後二時。もう、舞台のリハーサルくらいはしているかと思ったのだけれど、広場には普通に遊ぶ子供くらいしか姿が見えない。
「つぐみ、あれ、子やくかな」
「ちがうとおもうよ?」
きょろきょろと見回すと、石のベンチにおじいさんが一人、ぼんやりと広場を眺めていた。上品な茶色のスーツに山高帽の、杖をついた老紳士だ。
「りんちゃん、あのひとにきいてみようか?」
「うん。わかった、ついていく」
話しかけるのは怖いのだろうか。凛ちゃんは私の手を握って、一歩すぃっと近づいた。近い。
「あの」
「ん? なんだい、お嬢さん」
流ちょうな滑舌。皺だらけの顔に浮かぶ優しげな笑み。なんだか、ほっと一息つきたくなるような雰囲気。ちょっとだけ、前世の祖父を思い出した。
「ここで、げきをやるってきいたんですけれど、なにかごぞんじですか?」
「劇?」
「このチラシで……」
そう、老紳士にチラシを渡す。そうすると、彼は目を眇めてチラシを見て、「なるほど」、と得心がいったように――そして、寂しそうに笑った。
「ここを見てごらん」
「ここ?」
「お嬢さんにはまだ難しい漢字だけれど、ここに、上演日と書いてあるだろう?」
上演日は今日で間違いなかったと思――あ。
「……へいせい二十ねん」
安全性の確認ばかりに気をとられて、気がつかなかった。平成二十年といえば、ええっと、ええっと、今が令和二年だから、二〇〇八年か。十二年前かぁ。
がっくりと肩を落とす私たちに、おじいさんは優しげに声をかける。
「ははは、しょうがないさ。私も彼らの劇のファンでね。どうにか戻ってきてくれはしないかと、なんとなく上演日に足を運んでしまうのさ」
「この、“ピース”の、ですか?」
「ああ、そうだよ。情熱を胸に秘めた、気持ちの良い若者たちだった。けれど一人が事故に遭って大きな怪我を負ってしまったことを切っ掛けに、だんだんとばらばらになって――気がつけば、あの日の思い出だけが残ってしまったよ」
「おじいさん……」
そうだったんだ。もう、あの人たちの演技は見られないのか。瞳を閉じれば瞼の裏に浮かび上がる。
ノッポの男性は身振り手振りがわかりやすく、悪役を生き生きとする方だった。普段はみんなにキビキビと指示を出している小柄な女性は、劇ではよく可憐なお姫様をやっていた。つり目の女性は悪役も正義の味方もなんでもこなし、役幅に魅せられた。リーダーの男性はとても声が良くて、ヒーローが似合っていた。
――『ありがとうございました! せーの、“ピース”!』
あの、四人で並んで見せてくれたピースサインは、もう、見ることができないのか。
「そのチラシも、君のように私に話を聞いてくれた子供が、持っていたんだ。観光案内所に、公園の歴史の一部としてそこそこの枚数が保管されていてね」
「ああ、なるほど、それで」
そっか、観光案内所に置いてあるのか。謎は解けた。一枚持って行って、飛ばしたのだろう。紙飛行機にするために持って行かれたと思うと、なんだかちょっと寂しいな。
「もう一度、ここで劇が見たかったが……もう、潮時なのかも知れないね」
なんと、声をかければ良いのだろう。もう私は、このおじいさんと同じように、あの劇を楽しんでいた“桐王鶫”ではないというのに。
そう力なく俯いた私の背を、凛ちゃんは、気遣って優しく撫でてくれた。
「ありがとう、りんちゃ――」
「だったら、やってあげればいいんじゃない?」
「――え」
凛ちゃんにお礼を言おうとしたそのとき、不意に、おじいさんの向こう側から声がかけられる。小柄だったから気がつかなかったのか、おじいさんの話に夢中になっていたのか、スタッフさんはその子を止めようか迷っているようだった。
けれど、その逡巡を笑い飛ばすかのように、広場の方に踏み出た子供が、私たちにもう一度声をかけた。
「あなたたちは子役でしょう? だったら、やろうよ。人数不足なら、私も力を貸すから、ね」
そういって、その子はキャップを取った。すると、さらさらと流れる黒髪と、南京錠のチョーカーが揺れる。ぱちりとウィンクをしながら、どこか得意げに笑う少女。
彼女をどこかで見たことがあるなぁなんて首をかしげていると、隣の凛ちゃんが「あ」と声を上げた。
「ツ、ツナギちゃん、ツナギちゃんだ!」
「ツナギちゃん……って、あ、よつばの!!」
「yo!tuberな、つぐみ」
「うぐ」
凛ちゃんにそっと修正されて、言葉が詰まる。だ、だってちょっとまだよくわからないと言いますか、はい、ええ。言い訳です。言い訳ですとも!
そっか、この子が、虹君がナンパしたっていう子か。虹君も男の子だねぇ。
「題材は正義の味方、でしょう?」
「……でも、そうだね。うん、やりたい。ちょっときょかをとってきてもいい?」
「OK、待ってるわ」
後ろを振り向くと、無線でやりとりをしていたスタッフさんの「ちょっと待って」のサイン。ロケバスから降りてきた複数人のスタッフが、ぽかんとするおじいさんに顔出し許可取りと、ツナギちゃんに同様のお話を。撮影に関して彼女は快く返事をし、ピンマイクが取り付けられる。
これ、無線でずっと状況を流していたんだろうなぁ。手際が鮮やかすぎるからね。さっと降りてきたディレクター内藤さんが、私の耳元に顔を寄せた。
「良かったらツナギちゃんに、正義の味方と人質の、どちらがやりたいか聞いてみて」
「へ?」
「つぐみちゃん、お姫様もできるよね?」
「あ、はい」
え、あれ、私がお姫様? が、がらじゃないんだけどなぁ。悪役じゃダメ?
というか、そうすると、凛ちゃんは悪役で決定なのだろうか? 凛ちゃんへの指示を聞いてみると、正義の味方か、お姫様か、どちらかといった感じだ。まだ私が悪役をできる余地が残っていると信じたい。
「観光案内所に台本が残ってたからコピーしてきたよ」
「はぁ」
「いやぁ人気yo!tuberがいるなんてラッキーだった。これはスペシャル特番が組めるよ!」
歓声を上げて去って行く内藤さんを見送る。凛ちゃんまで、彼の背中をぽかんと見つめていた。
「えーっと。そらほしつぐみです。きょうはよろしくね、ツナギちゃん」
「りん、よるはたりん。兄がおせわになりました」
「つぐみに凛ね。よろしく!」
朗らかに笑うツナギちゃんに、凛ちゃんは夢中だ。憧れの芸能人が側に居るような感じだろうか。ちょっと複雑かも。
人員整理もされ、その場に居る人の中から顔出しOKな方を選出し、おじいさんを中心とした簡単な観客席を作る。パイプ椅子なんかはなかったので、観光案内所から借りてきたレジャーシートが主だ。晴天のおかげで、昨日の雨が完全に乾いていたのもありがたい。
「凛、私がこの“勇者”でもいい?」
「いいよ」
ツナギちゃんが正義の味方を選び、凛ちゃんはそのサポートになるみたいだ。四人劇だからこうなるんだろうね。人質救出後、悪と戦う正義の味方からお姫様を守る役、だ。
さて、そうなると悪役はどうするのだろう。まぁ、四人劇だし、どこからか引っ張ってくるのかな? 渡された台本をぱらぱらとめくると、それだけで内容は頭に入った。アレンジもOKみたいなので、せっかくだ、楽しんでやろう。
「つぐみをキュウシュツできるのか。がんばろう、ツナギちゃん」
「ちゃん、はつけなくてもいいんだよ? 凛」
「よしわかった、ツナギだな」
凛ちゃん、順応早いなぁ。凛ちゃんもまた二度三度と台本を読み込んでいたが、ツナギちゃんは私同様、めくるだけで覚えていたようだった。そのツナギちゃんが、私に向かって強気な笑みを向ける。
「負けないよ」
「まけ……?」
勝ち負け、なのだろうか。これで悪役をやれるのなら“望むところだ”と返しても良いのだけれど、今回の私はお姫様だからなぁ。
……うん、まぁでも、勝負のつもりで行こう。この場に残った四人の思い出に、負けないような演技をしよう。
「うん、わかった。わたしも負けないよ、ツナギちゃん」
「そうこなくっちゃ」
挑まれたのなら、戦おう。
その白熱がきっと、何よりも、この劇を盛り上げる。
(……のは、いいんだけれど)
結局、悪役って誰がどうするの?
舞台が幕を上げたら私を攫いに来るという悪役の姿が、どこにも見えないことだけが、ほんのちょっぴり気がかりだった。