scene2
――2――
「つぐみ!」
季節はもうすぐ梅雨に入ろうとしている。湿度は上がりはじめ、天候が崩れることも多くなった。けれど幸いにも、空星つぐみの初ロケ番組撮影は、見事な快晴に恵まれた。
上品に敷かれたタイルの上。前日の雨で残る水たまりが、僅かに跳ね上がる。なんとも嬉しげに私に手を振る凛ちゃんが、水たまりをモノともせずに走り寄って来てくれた。
「りんちゃん、おはよう」
「うん、おはよう!」
本日の私は、白蛇がワンポイントな白いワンピースに、同じく白の可愛らしいブレザーがメインのコーディネート。対する凛ちゃんは、カラスがワンポイントな、黒のセーラー服風ワンピースに、ベレー帽を合わせている。
今回のトータルコーディネートは、実のところ、二人ともルルが対応してくれたのだ。二人で一セットに見られるように、とのこと。私の好みも覚えていてくれて、とても嬉しい。
「おそくなってごめん、つぐみ」
「ううん。おしごとだもんね」
そう、ここのところ凛ちゃんはとても忙しく、グレブレ内以外では顔を合わせられない日々が続いている。私は、といえば、コマーシャルの仕事が入ることが増えてきたけれど、ああいうのは一日で終わるモノだ。時間的余裕はまだあったり。
珠里阿ちゃんや美海ちゃんとも中々時間が合わなくなってきたので、ちょっぴり寂しさのようなものもあったり。こういうとき、同じ学年だったら一緒に通えていたのかもしれないなぁ。
「グレブレはどう?」
「やっと、夜ラグナへんせいができたよ」
「お、すごい、さすがつぐみだ。……ぐぬぬ、やはりUR……」
現在時刻は午前十時。カメラの調整、マイクの確認。色々確認している間に、私たちはちょっとおしゃべり。子供らしいのかそうでないのかちょっとわかりづらい会話を楽しんでいると、スタッフさんたちが慌ただしくなるのを感じた。
凛ちゃんの服の袖を引いて、騒がしい方向へ注意を向けて貰う。そうすると、人垣が割れるように、一人の女性が歩み寄った。
「霧谷さん入ります!」
大きな声。ざわめく周囲。前に見たときは丁寧に編み込まれていた黒髪も、今はデニムガウチョと白いブラウスが映えるような爽やかなハーフアップにまとめられている。ある程度、歩き回ることも考慮されているのだろう。
霧谷桜架。かつて、桐王鶫の時代にともに共演した子役の少女は、大人びた女性となって私たちの前に姿を現した。
「あ、おししょー! きょうは、よろしくおねがいします!」
「ええ、よろしく、凛。――それから、こうしてちゃんとお話しさせて貰うのは初めてね」
優しげに微笑む瞳の奥に、温かな光が宿っている。あの頃の寂しげなさくらちゃんとは、違う表情。胸にせり上がる感情の波に、言葉をつけることができない。ただ、こみ上げてくるものをすべて呑み込んで、私はただ、微笑みを返した。
「はい。そらほしつぐみです。きょうは、よろしくおねがいします、きりたにさん」
「ふふ、桜架、で良いわ。よろしくね、つぐみちゃん」
差し出された手を握る。小さかった手は大きく、大きかった手は小さく。なにもかもが変わってしまったようにすら錯覚していたけれど、この手のぬくもりだけは、あの日の小さな“さくらちゃん”と、同じなように思えた。
「はい、おうかさん。よろしくおねがいします」
そんな私たちを見ていた凛ちゃんが、不意に、首をかしげる。
「グレブレ内であってるのに、なんでしょたいめんっぽいの?」
「え、だってコンピューターごしのかい話なんて、よくわからないし」
「コンピューターって……つぐみちゃんって結構、渋い言い回しが好きなのね」
え、渋いの? コンピューター。
ネットに載せるために並んで写真を撮ったことこそあるけれど、それだって、移動の合間で一瞬だったしなぁ。
そう、首をかしげる私を、凛ちゃんはなんでかぽんぽんっと撫でてくれるのだった。解せぬ。
旅のスタート地点は、まずは日ノ本テレビ前だ。ロケバスに乗り込んでから、今日向かう場所についてお話しする、という段取りだ。台本のようなものは(少なくとも子役には)なく、私たちは今日の進行だけ聞いている。
大物女優と幼い子供の撮影と言うことで、それなりに警備の人間も多いように思えた。警備員、ということではなく、警察官であるように見えるのだけれど、警察の方がロケを守ってくれたりするのだろうか?
そんな疑問に首をかしげていると、スタッフさんとお話ししていた背広の方が二人、私たちの元に歩み寄る。
「やぁ、こんにちは」
「えっと、こんにちは」
白髪頭にこけた頬、優しげな垂れ目は細く、口元はどこかのんびりと緩んでいる。背筋はぴんと伸ばされていて、ベージュのコートがよく似合っていた。
おつきの方は若い男性で、生真面目に一番上のボタンまでしっかり閉められた紺色のスーツ姿。髪は方々に遊ばせているが色は抜いていない。たぶん、なにもしていないナチュラルな髪型なのだろう。根が真面目なのかも。
「最近、事件が多くてね。悪い人が近づかないように、おじさんたちが警護しているんだ」
そう、白髪のおじさんが告げると、補足するように、若い方が一歩前に出て――躊躇うように、腰を折って私たちに視線を合わせる。真面目だ。
「彼は鵜垣警部、僕は丹沢警部補。警察の人間だ。マネージャーさんに連絡先も渡しておくから、一一〇番というほどではなくても、何か気になることがあったら気軽に連絡をして欲しい」
私としては好感度が高い感じなのだけれど、大人の人からの堅い言い方が少し怖かったのか、凛ちゃんはさっと私の後ろに隠れてしまった。でも私の手は握っているから、なにかあったら私の手を引いて逃げようとしているのだろう。
なんだかとてもでこぼこな雰囲気のお巡りさん二人は、私たちに手を振ると、また輪の外に戻っていく。そういえば、連続女児暴行事件とやらはまだ解決していないと聞く。きっと、それ関連なのだろう。
「うーん、気にしていてもしかたないよね。いこっか、りんちゃん」
「うん。なんだかびっくりした」
「たしかに。わたしもちょっと、びっくりしたかも」
凛ちゃんと話しながら、見守ってくれていたスタッフさんたちのもとへ戻る。それから、とくにさくらちゃんと雑談したりとかそういうことはなく、撮影に移った。とはいえ進行中自由にお話しする以上、機会はありあまるほどあることだろう。
本当は、凛ちゃんのこともお話ししたかったんだけれど、桐王鶫が死者である以上、お説教というのも筋違いだからね。解決したことでもあるようだし、私からこれ以上、アクションを仕掛ける必要はない。今後、なにかあれば別だけれどね。
「それでは、用意。三、二、一……スタート!」
監督さんの声と一緒に、カメラが回り始める。まずはローアングルのカメラをのぞき込むように、私と凛ちゃんがオープニングコールだ。
『げいのうじん、ぶらり街かどロマンたん~!』
芸能人、ぶらり街角浪漫譚。
それが、この番組のタイトルだ。毎週放映されているようなものではなく、四半期に一度といった割合の番組だったりするのだけれど、人気は高いのだとか。
「みなさんこんにちは。本日のメインコメンテーターを務めさせていただきます、霧谷桜架です。今日は、可愛らしい仲間たちと、東京のシンボルを“ぶら街”していきます。さ、みんなも挨拶をして」
段取り通りに、まずはさくらちゃんが挨拶。それに続くように、私と凛ちゃんがカメラの前に立つ。
「そらほしつぐみです。よろしくおねがいします!」
「よるはたりん、です。よろしくおねがいします」
凛ちゃんは、以前ほどではないけれど、少し緊張があるようだ。けれど、頭を下げるときに一緒に手を握ると、少し、肩から力が抜けたように思える。
さっきは舞い上がって考えていなかったようだけれど、演技の場とは違い、素のままの“夜旗凛”を求められる場面というのは、やはり難しいのだろう。ま、私も得意ではないんだけれどね! ……妙な失敗をしないように気をつけなきゃ。
「――では、早速ロケバスで現地まで向かいましょう」
さくらちゃんの言葉でロケバスに乗り込む。移動手段が徒歩ではないのは、子供の体力を考慮してのことだろう。
乗り込んで直ぐ出発、というワケではない。車の中で色々調整したり段取りの確認をし、配置が済んでからカメラを回す。今回は、後部座席をカーテンで隠し、向かって左手にさくらちゃん、右手に凛ちゃんと私、という配置だ。
「あ、なぞなぞ仮面」
「りんちゃん?」
席に座って用意していると、凛ちゃんが足下から何かを拾い上げる。それは、額からクエスチョンマークの棒が生えた黒い仮面だった。目だけを覆う、口元が出たタイプだ。
手に持って、どうすればいいのか思案する凛ちゃんの元に、慌ててスタッフさんが駆け寄った。
「あ、前の撮影で落としちゃったのでしょうね。いったん、前の座席に置いておきます」
「あ、はい」
「気がついてくれてありがとうね、凛ちゃん」
「いえ」
丁寧なスタッフさんの対応で、凛ちゃんは少しだけ頬を赤らめた。
なんだか、私がフォローをしようなんて考えなくても大丈夫だろう、と思える。たった一度のコミュニケーションで、凛ちゃんはもう、余計な力が抜けているように思えたから。
「それでは、撮影始めます。三、二、一、スタート」
再びカメラが回り始める。放映では、ぱっと画面が切り替わる感じだろう。
「今回向かうのは、ズバリ、東京のシンボルです。凛とつぐみちゃんは、わかるかしら?」
「はい!」
おそらく、東京で一番高いところ、という情報は凛ちゃんにもいっているだろう。けれどいきなり正解を出してしまうと撮れ高が確保できないかも知れないので、まずはちょっと遠回りをしよう。
「はい、つぐみちゃん」
「あおやまぼち!」
「残念だけど、不正解!」
「ぇぇー」
どうだろう、完璧ではなかろうか。私も街ぶらロケなんて初めてだけれど、初めてとは思えない滑り出しではないだろうか。
「はい」
「はい、凛、どうぞ」
「花やしき!」
「ふふ、不正解。そろそろヒントが欲しいかしら?」
「ふせーかいかぁ。……ヒント、ほしいです、おししょー」
なんでさくらちゃんは今、凛ちゃんの答えにほっとしたのだろうか。もしかして、私のチョイスってちょっと“渋い”のかもしれないなぁ。
「ヒントは……東京で一番高いところ、よ」
「あ!」
私と凛ちゃんが同時に、驚いたように演技をする。むしろ素の状態より子供らしいのではないだろうか。さすがの凛ちゃんも、演技の場面だとより力強さを感じる。ここで正解して、わー、楽しみだなぁという場面だろう。
「ふふ、簡単すぎたかしら。それでは――そうね、つぐみちゃん、どこだと思う?」
「えっと、とうきょうタワー、ですか?」
あの、赤くそびえる東京の電波塔。威風堂々とした外観は、思い出すだけでわくわくするというものだ。
さて、正解を受け入れよう。そうしたら、東京タワーに関する豆知識をあえて出さないように気をつけないとならない。たくさん知ってると怪しいからね。
そう、だから。
「不正解! 惜しかったわね」
「ふぇ?」
思わず、妙な声が出る。
「では、現地で実際に見て、正解発表ね」
えっと、え、東京タワーじゃないの? そんな気持ちが混乱を招き、今日一日の心の準備がガラガラと崩れていく。もちろん、取り乱したりはしない。けれどこう、わかるだろうか。たった二十年で東京タワーより高い建物ができるとも思えない。
あ、もしかしてトンチだったりするのだろうか。高低差、という意味ではなく、お値段、という意味で。なーんだ、そういうことかぁ。え、本当に? うぅ、わからない。
「たのしみだな、つぐみ」
「ウン、ソウダネ、リンチャン」
こっそりと呟く凛ちゃんに頷きながら、期待と不安で詰まった胸を小さく押さえる。いったい、私の身に何が待ち受けているというのか。そう考えると、頬が引きつらないようにすることで、むしろ精一杯だった――。