scene5
――5――
大人たちが次のテストの準備をしている間、私は他の子供たちに囲まれていた。
「つぐみ、すごい。どこでならったの?」
「えーっと、じぶんで、かな。けがで入院してて、ひまだったの」
意外なことに、一番目を輝かせてそう寄ってきてくれたのは、最初はクール系だと思っていた、よるはたりん(夜旗凛、と書くらしい)ちゃんだった。りんちゃんは全体の表情はあまり変わらないが、目で語るタイプなのか、とにかくキラキラとした目で話しかけてくる。
深い濡れ羽色の髪がぴょんぴょん離れる度に、こう、愛おしさのような面はゆい感情が膨れあがってきた。この感情は……なんだろう? 恋? いや変か。これがオタクの方々の言う、萌えというやつなのか。
「わ、わたしも負けていられない。……が、がんばる」
ふんす、と気合いを入れているのは、みみちゃんだ。夕顔美海ちゃん、と書くそうだ。プレートで確認した。
彼女もまた意外なことに、怯えたり戸惑ったりするのではなく、私に向けて闘争心を漲らせていた。茶色の髪は地味な印象に一役買っていると思っていたが、こうして強気を見せると、明るい髪色が彼女を際立たせていた。
「なんだよ。ふん……あんなの、ぜんぜんまだまだだかんな!」
「あはは、そうだね」
「――……ふんっ!」
そして、もっとも意外だったのが、明るく人なつっこいようであった彼女、朝代珠里阿ちゃんだ。じゅりあちゃんは鮮やかな赤毛を揺らしながら、ふん、とそっぽを向いて腕を組んでいる。そのくらいのほうがのし上がっていくライバルとしてはちょうど良い。
でもなんだろう。女優の魂がそう思う反面、年喰った前世の自分が、幼い少女を虐めているようで大人げないし恥ずかしい、と、嘆いているような気もする。ちょっと複雑な気持ちになってきたので、りんちゃんで癒やされておくことにしよう。
「みんな、そろそろ次のテストに移行するよ。今度はグループごとの個性に合わせたセットを用意したから、隣の部屋に良いかな?」
セットを用意した? たかだかオーディションで、そこまでするのかな。桐王鶫のデビューはティーンズだったから、子役の世界について詳しくないだけかも知れないけれど。
でも、ちょっとだけ視線を動かすと、多少の違和感がある。汗だくのスタッフ、急いでどこかに指示だししているスタッフ、非常に怪訝な顔をしているじゅりあちゃんのお母さん、にこにこ笑顔の私の両親――は、いつもどおりか。
そんな中、私の懸念が当たったのか、じゅりあちゃんのお母さんは足早に若いスタッフに詰め寄り、小声でなにかを話していた。普通ならば聞こえないのであろうけれど、そこはそれ。ホラー女優なら役者の息づかいも聞き逃さないのです。
「ちょっと、どういうことよ。簡単なテストでさっさと終わらせるんじゃなかったワケ?」
「す、すいません。第二テストの内容は平賀監督が決めることになっておりまして……」
「だから、それが簡単なテストじゃなかったの? って聞いてるのよ!」
「ひぇ、も、申し訳ありません。なにぶん、人員に変動がありましたので……」
「そうよ、だいたいあの子供は誰なのよ! あれの両親は笑顔なのに妙に怖いし……」
「ス、スポンサーの意向だとか……。それ以上は自分ではわかりかねますぅぅ」
「スポンサー……? 空星なんてスポンサー、いたかしら???」
……うーん、やっぱり事前にある程度決まっていて、それが一人増えたからやることが増えた、のかな? ちょっと悪いことをしたかも。でも、少なくともうちのグループから欠員を出すような感じでもないんだけどなぁ。
あと、スポンサーと言われたら、そりゃあお金持ちなんだからスポンサーくらいしてそうだよね、という気分になる。まさか、前世で倦厭していた“スポンサーのコネ役者”に自分がなる日が来ようとは思わなかったなぁ。はやく実力で役を勝ち取らないと。
ちなみに、私の名前は本来は“つぐみ・空星・ローウェル”といい、日本で暮らしやすいように、ミドルネームに入れている母方の姓で名乗っているだけなので、スポンサーというのなら父姓の“ローウェル”かもなのです。
「むむむ、見てて、おかあさん! あたしはぜったい、まけないから!」
「しゅうちゅう、しゅうちゅう、人と書いて、のむ」
「……きょーのよるごはんなんだろう」
三者三様。個性の分かれる三人を眺めながら、隣室に移動する。隣室……のはずなのに扉を幾つか見送り、エレベーターに乗らされ、隣室という名のどこかへ連れて行かれた。おそらく、ほかのオーディション参加者への配慮で隣室という言葉を使ったのだろう。
行った先は、ある程度のセットとカメラ、音声、マイクのある場所で、モニタールームと併設されているスタジオのようだ。って、いやいやこれ、なんだったらドライリハーサル(カメラのないリハーサル)を越えて、本番同様のセットなんだけど???
参加者に役者気分を味わわせたいとか? いやいや、モニター側にどっしりと座ってるのって、プロデューサーじゃない? もう、深くは考えないようにしよう。
「今回は、メインキャストを決めてから脚本を作るタイプのドラマを行います。そこで、四人でカメラの前で即興劇を行っていただき、合格なさった場合のポジション決めの参考にいたします」
もう合格済みですと言っているようなものじゃないのかなぁ。まぁでも、親に伝われば良いのか。子供たちは、“これで受かればメインキャストができるかも!”と考えてくれたらそれでいいわけで。
セットは、学校の教室のようだ。黒板、掃除用具入れ、机、椅子、教壇。五歳六歳なら、小学校低学年くらいの役回りはできることだろう。
「ここで、四人で話し合って、二つの即興劇をやってもらいたい」
そう切り出すのは、監督……そう、じゅりあちゃんのお母さんが言っていた、“平賀監督”だ。
「一つ目のテーマは、“転入生と優しいクラスメート”。二つ目のテーマは……これは、一つ目が終わったら発表するから、まずは一つ目のテーマを頑張って欲しい」
「はい!」
「は、はい!」
「はい」
「わかりました」
ということで、四人で集まって内容を決める。即興劇だから、方向性だけ決めて自由にやる方が良いだろう。大人だったら逆に、台詞まである程度心得ていた方が良いかもしれないけれどね。
そう四人で膝を合わせると、誰よりも先に、じゅりあちゃんが手を挙げた。お、リーダー気質かな? 私としても、競い合いたいだけで蹴落としたいとは思っていない。進行役を買って出てくれるのならそれでもいい。
「あたし、やさしいクラスメートやりたい!」
「わ、わたしも」
あー、なるほど。なるほど。みみちゃんもちゃっかり便乗している。
「なら、わたしが“転入生”をやるから、りんちゃんもやさしいクラスメートでいい?」
「うん」
元々仲の良い三人が、外国人の転入生を温かく迎え入れる、というストーリーならソレっぽいのではないだろうか。ほら、私ってば完全に外国人の配色だし。
でも、そのままやってもつまらないよね。よし、一ひねり加えよう。
「じゃ、わたしはニホンゴはわからない役にするね」
「? それだと、コトバがつうじないぞ?」
「だいじょうぶ!」
「? あ、つ、つぐみちゃん、それなら名前も、エイゴのほうがいい?」
「そうだね。うーん、りんちゃん、なにがいいと思う?」
「アリスとかでいいんじゃない?」
じゅりあちゃんの言うことはもっともだ。台詞もなにもないだろう。でも、喋るだけが表現ではないのだ。悪霊が喋るか? いいや、悪霊は、言葉が通じない存在だからこそ恐ろしさが増す。だからホラー役者は人一倍、言語以外での表現にこだわるのだ。
方針を伝える。つまり、言葉が通じない外国人に優しくしてあげる感じ、ということだ。あとは、可能であれば、とっかかりとしてみんなに紹介する先生役が欲しいな。あ、そうだ。
「ちょっと、せんせい、やってくれないか聞いてくるね?」
「あ、うん、まかせた!」
「じゅ、じゅりあちゃん、もう」
「よろしく」
セット内をちまちまと歩くと、直ぐに目的の人物を見つけた。というか、平賀監督も一緒にいたので非常に見つけやすかった。
「あの」
「ん? ああ、もう準備が終わったのかい?」
平賀監督は、私を視界に入れると笑顔でそう告げる。
「そうなんですけど、そうじゃなくて」
「?」
「“先生”やくを、みなうちさんにやって欲しいんです」
私がそうお願いすると、平賀監督の隣にいたそのひと――皆内蘭さんが、瞳をぱちくりと瞬いた。
「私?」
「はい!」
「監督、どうしましょう?」
「良いんじゃないかな? ただし、今回だけだよ」
「はい、わかりました!」
皆内さんに向き直ると、彼女は私に柔らかく微笑んでくれた。さっきのテストでは纏めていた髪を、今は下ろしている。そうするとどうだろう、柔らかい表情も相まって、想像よりもずっと幼く見えた。
あと、そう、なんだか誰かに似ているような、そんな気がする。
「よろしくね、つぐみちゃん」
「はい! ありがとうございます!」
皆内さんの手を引いて、みんなのところへ戻る。みんなも、皆内さんを笑顔で迎え入れてくれた。
そうすると、示し合わせたように監督が合図を出してくれたので、みんなで教室のセットに並んだ。廊下部分は作っていないようなので、教壇の横に並べてスタートだ。ついでに、状況もセットしよう。
遠い異国。
言葉は通じず。
不安と希望が混ざり。
けれど、踏み出す一歩は儚く。
「では、始めよう。シーン――アクション!」
かちりと、歯車がかみ合った。
「それでは、今日からみんなのお友達になったアリスちゃんよ。まだ日本の言葉がわからないようだけれど、みんな、仲良くしてあげてね」
「ヨロシク、オネガィシマス」
――頭を下げると、戸惑いの視線が刺さる。仲良く出来るかな? 嫌われたりしないだろうか。故郷では友達が直ぐに出来た。でも、この遠い異国では? 不安から迷う視線は落ち、つま先ばかりを見てしまう。
だめだ。早く顔を上げないと、先生に迷惑をかけてしまう。そう、先生を見れば、先生はにこにこと微笑むだけだった。日本語はあっていたと思う。間違えた? 間違えたらどうしよう。時間が経てば経つほど、恐怖は大きくなっていった。
「あたしはじゅりあ! アリスでいいんだよな?」
頷く。けれど、また可笑しなコトバを使ってしまうのが怖くて、声に出すことは出来なかった。けれど、私の行く先のない手を、じゅりあちゃんは握って持ち上げてくれた。
「せんせー、あたしのとなりでいーよな!」
「ええ、もちろん。アリスちゃんも良いかな」
夢中で頷くことしかできない私を、じゅりあちゃんが引っ張ってくれた。そうしたら直ぐに、私の席の前に座っていた、夜のような髪の女の子が、こっそり話しかけてくれる。
「じゅりあはゴーインだから。こまったことがあったら、わたしに言って」
「……っ、……っ」
「りん、なにかいったかー?」
「なんでもないよ」
必死で首を振る私に、りんちゃんは冬の海のような静かで落ち着いた笑顔を見せてくれた。故郷はとても寒いところだった。寒い海のように静かなのに、とても温かい笑みだった。
席について、一日がなんでもないように始まろうとする。そういえば、教科書はまだない。机の中になんかある訳がないのに探って、視線を左右に彷徨わせて、かけられるコトバがないことに気がついた。
今までどうしていたんだっけ。混乱は胸のうちから出てこず、ママに選んで貰ったスカートの端を握りしめて、震える瞼を誤魔化して――不意に、隣に熱を覚えた。
「ね、わたし、みみ。いっしょにみよ?」
「……――っ」
机をそっと寄せてくれた少女に――瞼の震えが、止まった。
「――カット!」
――カチリ、と、歯車が外れる。役の余韻は胸の裡に還り、アリスという少女は眠りについた。起き上がってくるのは、いつもの私。桐王鶫という女優が夢の途中に絶え、次の生を送るハーフの少女、空星つぐみだ。
「ああ――やっぱり、役者ってたのしい」
零れた声は、響かない。ただ、静寂だけが鈍く答えた。