scene2
――2――
さくらちゃんと出会ったのは、彼女がちょうど今の私と同い年、彼女が五歳の時だった。
私はというと二十五歳、二十歳も年の差がある小さな女の子。演技はとても上手なのに、いつも、どこか寂しそうな目をした少女だった。
当時、後に一世を風靡することになったホラー映画、“紗椰”。私は映画のタイトルにもなった悪霊“紗椰”の役で、紗椰が人間を襲う切っ掛けとなる少女“咲惠”が当時高校生ながら実力派として伸びていた、風間椿ちゃん。咲惠を暴行する仲間たちの見張り役をやらされ、途中で逃げた男性、麻生建役に見城総君。彼の妹として登場するのが“沙希”を演じたさくらちゃんだった。
『さくらちゃんって言うんだ? よろしくね』
『ぁ、はい。よろしくおねがいします』
二つ結びにした黒髪に、黒曜石や星のちりばめた夜空みたいに、黒くて綺麗な瞳。せっかくこんなに素敵な目をしているのに、いつも、退屈そうに――臆さず言えば、自分以外を別の種族のように、ぼんやりと周囲を眺めている子供だった。
当時の私は、今にして思えばずいぶんと世間知らずだが、演技を用いればどんな人間とも心を通わせることができると信じていた。後に思い切り現実を思い知らされるのだが。それに加えて、恐怖こそがその最たる手段だと思っていたのだ。ほら、恐怖って心が丸裸になるし。
『さくらはここで怖がる。あんたはここで怖がらせる。それだけだ』
『え、あの、ほらぎかんとく、それだけですか? どうこわがれ、とか、そういうのは……』
『小賢しいことは必要ない。桐王鶫の悪霊にびびらない役者なんていないんだ。素で怖がりすぎないように気をつけろ。それだけだ』
『はぁ……わ、わかりました』
さくらちゃんは最初、ずいぶんと半信半疑だった。だからこそ私は彼女が、恐怖の高揚も楽しさも、あるいはその感情そのものも、知らないのだろうな……と、そう思ったんだ。
いざ撮影が始まるという段階にあっても、さくらちゃんは恐怖を見せなかった。怖がる演技は卓越していたし、正直、この場の誰より――それこそ、咲惠役の実力派高校生、椿ちゃんよりも上手だった。ああいう子をきっと、“天才子役”と呼ぶのだろう、とも。
『さくらちゃんはすごいね』
『そう、でしょうか。ありがとうございます』
『ふふ、私も負けないよ』
『え、でも、わたしなんかにそんな。まだ五さいですし、なまいきなことを言うなって、よく言われます。ですから、かちまけなんて、そんな』
そう告げる彼女の言葉に、私は、今までどんな風にさくらちゃんが扱われてきたのか、少しだけ理解してしまった。デビューからまだ半年だ。それでこんなに技術がある。センスがある。それはきっと、心ない人たちにとって、目の上のたんこぶであったのだろう。
そして、培われた経験で人間ができるように、彼女は己の天才性に振り回され、当てられ、疲弊していたのだと思った。
『関係ないよ』
『え……?』
『共演者だもの。私とさくらちゃんは、同じ舞台で演じる仲間だよ』
『あ、あの』
『だから私は、同じ立場の役者として、あなたを侮らない』
『っ……わたし、を』
『そ。だから――』
彼女が瞳に光を映すことをやめて、闇で良いというのなら、人生の先輩として一つだけ良いことを教えてあげよう。これから長い撮影の間、ともに同じ釜の飯を食う仲間として、一つ、伝えてあげよう。
恐怖から這い出る真の闇は、そんな、まだまだ立ち上がれるようなところにはないのだと、骨の髄に響かせてあげよう。
『――全力でぶつかっておいで。全部残らず受け止めて、飲み干してあげるから』
願わくば、さくらちゃんも、みんなと一緒に笑えるように。
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……
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「……ま」
「――」
「……みさま」
「ぁ、れ」
「つぐみ様、そろそろ到着です」
「ぁ、そっか――夢、か」
いつもの営業車の中、胸いっぱいに空気を吸いながら、小春さんの膝から頭を起こしてどうにか起き上がる。ずいぶんと懐かしい夢を見ていた。それがまるで回想シーンのような夢だったからか、内容もはっきりと覚えている。あれは、さくらちゃんとの出会いの記憶だ。
確かあのあと、本気でやって本気で怖がらせて、本気で泣かれたんだよね。それ以降はずっと、「つぎはこわがりませんからね!」って繰り返していたっけなぁ。桐王鶫は途中で退場してしまったけれど、さくらちゃんは今日まで頑張っていたんだね。
いやそれにしても数奇だね。さくらちゃんの年上の友人であった私が、彼女の人生を辿る役のオーディションに、次世代として参加するなんて。
「さ、つぐみ様」
「はい、こはるさん」
小春さんの手を借りて降車すると、大学みたいな大きなビルが見えた。ここが、本日のオーディション会場。その名もズバリ、“ウィンターバード俳優育成学校”だ。さくらちゃん……霧谷桜架名義のウィンターバードプロダクションが直営している学校で、なんでも、蘭さんの所属していた劇団“きりさくら”もここの所属らしい。
学校設備の中に多くの舞台や会場を備えてあり、簡易的なセットや大道具や音響・照明の専科から人員を借りられたりと、かなり大規模なこともできるらしい。ただ、両親の情報によると、ネームバリューでは歴史の分だけ竜胆大付属に分があるのだとか。もっとも、高等部まで竜胆大付属、卒業後にこちらに所属する方も居るらしい、とは、小春さんの言葉だ。
「オーディション会場は奥のようですね」
小春さんの言葉に頷いて、大学施設の奥を目指す。大学生、なんてやったことがないから新鮮だ。私服で行き交うたくさんの人たちは、ここの学生さんだろうか。すれ違う人に笑顔で挨拶をすると、子供相手でもにこやかに返してくれる。
今日のことは把握しているのだろうか? ハイスペックボディを駆使して意識を集中し、周囲の情景を収集してみることにした。
「あれ、妖精の匣の」
「レモンちゃんだ! かわいいい」
「ハァ、ハァ、拙者の妖精ェ」
「今日のオーディションか」
「俺、抽選当たったぜ」
「まじかよ。最終審査のだろ? いいなぁ」
「実物の方が五千倍可愛いんだが電子の妖精じゃなかったのか」
……一部、奇天烈なのが混じったような気がしてそちらの方向に、視線を向けているとは気がつかれないよう、周囲を見回しながら見てみる。すると、校舎の影に、カメラを持った小太りの男性が見えた。なるほど、マスコミの類いも招いている、ということかな? 身分証も首から提げているし。
学生さんたちの反応としても、どんなオーディションかまで把握しているように思える。けれど、最終審査の抽選とはなんだろう? あ、相手役かな? そうなると、最終審査はほぼ確実に二人以上の演技になる。一応、留意しておこう。
「十五号館……つぐみ様、こちらのようです」
「わぁ……大きいところですね」
そう、目の前に現れたのは、ガラスの壁面が光に反射して輝く、大きな建物だった。一歩足を踏み入れると、大きなエントランスホールがある。その先は身分証をかざすと通れるゲートがあり、各階層のエリアに通じているようだ。
妖精の匣のオーディションと違い、最初は個別で部屋に通されるようだ。しかも、それまでの控え室も個別。二次オーディションでようやく他の組と顔合わせをすることができるという徹底ぶり。馴れ合わせない、ということなのだろうか。さくらちゃん、目的のためなら容赦少なめだからね……。自覚しているかはさておき。
「お待ちしておりました。空星つぐみ様、御門小春様ですね。どうぞこちらへ」
にこやかに私たちを控え室に迎え入れてくれたのは、身分証を首から提げた学生さんだった。アルバイトみたいなものだろうか。
学生さんは小春さんに控え室で自由にできるモノ(ポットとか、簡易冷蔵庫とか)を教えてくれると、さっさと退室してしまう。控え室……という名の口の字にテーブルが置かれた小さな講義室は、小春さんと私の二人で使うには、少し広い。
「それではつぐみ様、おさらいをしておきましょうか?」
「おさらい……あっ、さく――おうかさん、の?」
「はい」
霧谷桜架の子役オーディションなのだから、当然、彼女のことは知っておくべきだろう。そう、インターネットの閲覧などで情報を入手しようと思っていたのだけれど……今回ばかりはすっかり忘れていた。子供時代の彼女はよく知っていたからね。
それに、体感ではさくらちゃんに会ったのはほんの半年前程度、という印象なのだ。よく成長していて、幼い頃の彼女と結びつかなかったほど。
「つぐみ様?」
「あ、ええっと、生まれはたしか、一九九〇年四月二十一日で――」
確か、そう。本名は式峰桜。女優、式峰梅子の娘。子供を名声のための道具としか見てない家に生まれたさくらちゃんにとって、役者の世界というのは、親に追いやられた牢獄であり、唯一の逃げ場でもあった。
デビュー作は“にこにこ四組”という児童向けのドラマで、そこで圧倒的な才能を見せることで当時の監督や共演者に嫌厭された、と、後にさくらちゃんが教えてくれたことを思い出す。それからショートドラマに何作か出演するも、演技の評価とは裏腹にさくらちゃんの心はすさんでいった。
『だから、そんな私が変われたのは、鶫さんのおかげなんです』
そう言ってくれたのは、確か、一緒に短編連作ドラマ“祈り”の撮影をしていたときのことだ。当時、確か、さくらちゃんが九歳の頃だったと思う。
『鶫さんがいたから、役者の世界が苦しくなくなったんです』
照れ笑いをするさくらちゃんに、私はなんと返したのだったか。えーと、確か……。
「……そして、十一歳の時に霧谷桜架と改名しています」
「はぇ、あ、そ、そうなんですね?」
「つぐみ様?」
「こほん……んんっ、しつれいしました。だいじょうぶです」
しまったしまった。今は集中しないと。
桐王鶫の死で、さくらちゃんはショックを受けて一年間仕事を休止。それから、改名して復帰したそうだ。確か、“祈り”の撮影が始まる直前、リアリティのために出演者全員で遺書を書いたんだけど、当時の私は身寄りがなかったから、遺産相続を親友の閏宇にして、遺言状に「さくらちゃんと分けてね」と書いたんだった。
中々ため込んでいたから、さくらちゃんが和解にせよ決別にせよ、自分の道を切り開くための手段にしてほしかったんだよね。
「その後、彼女が十二歳のときですね、霧谷桜架の代表作“徒花”でカンヌ国際映画祭主演女優賞を獲得しています」
「っ!」
カンヌといえば、世界三大映画祭にも数えられる栄誉ある賞の一つだ。それをさくらちゃんが? もちろん、さくらちゃんならできると思っていたけれど……驚きよりも、歓びが勝つ。そっか、十二歳で、そうなんだ……。
「ありがとうございます。こはるさん」
「はい?」
「わたし、がんばれそうです」
早く、早く、あなたの前で演技がしたい。桐王鶫は死者でしかないけれど、空星つぐみという真新しい役者として、大きく成長したあなたの前で、演技がしたい。
そう思うと、体の奥底から活力が湧いてくるようだった。
(負けないよ、さくらちゃん)
だから、待っていて。
私の小さなライバル。