scene4
――4――
和風庭園といえば聞こえが良いが、ようは前世でよく見た物干し竿のある庭だ。なんとなく前世の祖父母の家を思い出して、懐かしささえ覚える。前世の父は婿養子で、母の生まれた家は地元の名士だった。家も相応に大きかったが、私の育った離れはちょうどこんな感じだ。あの頃は、なにもかもに絶望していた記憶が根強い。なんだか恥ずかしい。
そんな、あの頃を思い出す庭園にひしめくのは、今回の勝負を見届けてくれるスタッフさん方だ。先行は、狙いどおりエミリちゃん。小春さんが言うには、子供向けのファッションモデルを中心に活動する、歌って踊れるジュニアアイドルらしい。マルチタレント、といったところかな。少なくとも子役ではないけれど、端役の出演経験はあるから素人でもないそうだ。
「つぐみ様に及ぶ相手ではありません」
「あはは、ありがとう、こはるさん」
そう、小春さんは励ましてくれるけれど、私とて侮るつもりはない。運もコネもあるいはお金だって、全部が全部実力のうちだ。勝ったときに後ろ指さされることはあるけれど、負けたときに言い訳に使えるモノは何もない。全部が全部、最後に物を言うのはもぎ取った勝者の権利であり、負け犬の遠吠えに耳を貸す視聴者はいない。
「カウント入ります! 六、五、四――」
プランは決まっているのか。和風の庭にはあまりマッチしているとは思えない服装のエミリちゃん。それから、ラフなシャツとズボンルックで、縁側に腰掛ける海さん。海さんの隣には、ガラスのグラスに入った新作トッキーが数本だ。
子供らしさという部分においては、なるほど、エミリちゃんに分があるかも知れない。けれど、十五秒から三十秒程度のショートムービーの撮影と言うことであれば、私に分がある。前世で現役時代に、宣伝のためにだとかなんだとかで、事務所の珠美ちゃんと試行錯誤を重ねた。
だから、まずはお手並み拝見。
「――三、二、一、スタート!」
カチン、と、カチンコの音が鳴る。最初に動きを見せたのはエミリちゃんだ。エミリちゃんは通用門から遊びに来たという設定でいくのだろう。画面外から跳ねるように飛び出してきたエミリちゃんは、海さんを見て顔を輝かせる。
「にーちゃん! あそびにきたぞー!」
演技、というよりはそのままの彼女だ。でも、同時に、そのままの自分の魅力をよくわかっている仕草だ。自分の使い方を心得ている、と言い換えても良い。それは間違いなく、彼女の強みだろう。
おそらくスタッフさんの後ろでぐっと親指を立てている、マネージャーの草津さん。彼女がアドバイザーなのだろう。自分のタレントの使い方をよく心得ている、息の合った二人だ。
「あ、トッキーだ! にいちゃん、たべてもいーい?」
「手を洗ってからな」
「えー!」
ふてくされたように駆け寄って、エミリちゃんはむくれながら、縁側に腰掛ける。海さんは多くは喋らないが、表情の使い方、見せ方が非常に巧い。苦笑からやんちゃな妹を見守るような表情に緩やかに移行すると、少しだけ乱暴に、エミリちゃんの頭を撫でる。
「一本だけだぞ」
「ほんと、やっ――ぁ」
目を輝かせるエミリちゃんの口に、海さんはトッキーを差し込む。エミリちゃんはトッキーを咥えると、さっきまでの無邪気さがなりを潜め、赤らんだ顔で咥えたトッキーをかじった。
タイムは二十七秒。まとまりがあってちょうど良い。海さんの演技が上手に間を保ち、綺麗な終わりに仕上げた。家族と過ごす夏模様。レモンという味にマッチしたショートムービーだ。
「カット!」
「ブラボー! さすがエミリちゃんだ! これは、もう一方をやるのは可哀想ですなぁ」
久留間さんはそう拍手をしながら、ちらっ、ちらっと私を見る。けれど申し訳ない。降りる気はないのですよ。
「準備はいりまーす」
スタッフさんがそう声をかけて、海さんの元へ走る。ヘアスタイルのチェックなど、いわゆるメイク直しのようなものだろう。私もまた、ルルに最終チェックをお願いしていた。
すると、自分のシーンが終わったエミリちゃんが、私の元へ駆け寄ってくる。
「なんだか、わたしに決まっちゃいそうだね?」
「ふふ、そうかな? まだ、わからないよ」
「えー。そんなことないよぉ。だってみぃんな、わたしに夢中だったよ?」
エミリちゃんは、こう、裏表がないのだろう。確信の表情で告げる声色に、嫌味や嘘の雰囲気はない。ホンキのホンキでそう告げていて、このあとに演技をする年下の私が可哀想だから警告に来たのだ。
……こうも無邪気に来られると、ちょっとだけ、悪いような気もしてくるから不思議だ。前世で同じようにものすごい上から目線で私に警告してきた彼は、元気にしているだろうか。不眠症は直ぐ治ったけれど、ことあるごとに突っかかってきたからなぁ。
「なにやってんだ?」
「あ、かい! ……さんだ」
「草津さんが呼んでたよ、エミリちゃん」
「ほんと? おーい、くさつぅ!」
巧いことエミリちゃんを追い払って、海さんは一息ついた。海さんには負担ばかりかけて悪いなぁ。
「大丈夫か?」
そう、海さんは優しく声をかけてくれる。大丈夫かと問われたら、もちろん大丈夫だ。さっきのエミリちゃんは兄妹という側面が強かった。でも、説明を聞く限り、兄妹にこだわる必要はないみたいだ。
そう、例えば、年の離れた近所のおにいさんに、片思いをしている少女というのはどうだろう。まだまだ子供だけれど、憧れにも似た思いを寄せているのだ。
「はい」
歓迎されていない状況。
向こうの偉い方からは疎まれ。
私自身にフィルターをかけられ。
スタッフのほとんどは敵か中立。
「もちろん」
そんなアウェイで、私は私の実力のみで戦わなければならないなんて。
「ふふ、かいさん」
「ん?」
「わたし、たのしくなってきちゃいました」
「は?」
こんな最高に燃えるシチュエーション、そうそうないよね。
――/――
『わたし、たのしくなってきちゃいました』
敵ばかりなアウェイの舞台で、そう笑った少女の顔が、瞼の裏に張り付いて拭えない。柔らかく微笑んでいるだけだったはずのつぐみは、あの瞬間、確かに肉食獣を背負っていた。
かわいらしい笑みのはずなのに、猛禽類のような雰囲気。背筋にぞくりと冷たいモノがせり上がってくるような、そんな空気。僕たちはひょっとしなくても、猛禽類の檻を開けてしまったのではないだろうか。いや、そんなはずないか。
「カウント入りまーす! 六、五、四――」
つぐみは僕の後ろだ。この家に、おめかしをして遊びに来たように演出したいのか、エミリとは違い室内から縁側に向かって登場する。まぁ、どんな演技をしても受けとめるのが先輩俳優だ。
君が君の精一杯を見せてくれるのなら、僕も君を全力で導こう。彼女のひたむきで健気な、演技に対する姿勢に報いるために。
「――三、二、一、スタート!」
鳴り響くカチンコ。回り始めるテープ。静まりかえる舞台。
僕の耳が、とてとてというかわいらしい足音を捉える。
「おにーさん」
「よ」
「きちゃいました」
つぐみはそう言うと、控えめに僕の隣に腰掛ける。慣れた仕草だ。ここに来るのは初めてではない、という感じかな。空を見ていた僕は、つぐみが横に座ると、彼女に視線を向ける。けれどつぐみもまた空を見ていたから、僕もそれに倣った。
なんだろう。アクションはしないのだろうか。期待外れだったかな? いや、早計か。
「トッキー……」
「好きなの? 食べて良いよ」
「あの」
目を向ける。はにかんだ笑み。何故か僕に差し出されたトッキーを、導かれるように受け取った。
「あげます」
「いいの? ありがとう」
受け取って咥える。息を呑むような空気を、外野から感じた。なんだ、何が起こってる? 何かしなければならないのではないかという焦りと、違和感を覚えないことそのものへの違和感。僕は今、なにをしている?
「食べないの?」
「えへへ――もう、おなかいっぱいです」
「そっか?」
首をかしげて、トッキーをかじる。あれ、なんか、こんなんで良いのか?
「――カット、カット! 流行る、これは流行る!」
監督がパイプ椅子を倒しながら立ち上がり、久留間は呆然と僕らを見ている。何故か敵であるはずのエミリまで、目をキラキラと輝かせていた。審査タイムに移るのかと思えば、審査員たちは口をつぐむばかり。
この状況がどうしても納得がいかなくて、僕は、ディレクターの元へ走る。
「おお、お疲れ様です、海さん。いやぁ素晴らし――」
「映像チェック」
「――かった、え、はい?」
「映像チェック、させてください」
「は、はひ」
ディレクターに詰め寄って、映像チェックをスタートして貰う。スタートと同時に室内からつぐみが駆け寄る。彼女は僕の隣に座ると、ぼうっと、まぶしいモノでも眺めるように僕の横顔を見つめていた。
そして、僕がつぐみに顔を向けるタイミングに完璧に合わせてつぐみが前を向くと、予定調和であったかのように、視線がすれ違った。
「っ」
第三者の目でしかわからない状況。僕は戸惑いも接し方も、びっくりするほど巧い。当たり前だ。このとき僕は、演技らしい演技なんてしていなかったのだから――ッ!
つぐみはちらちらと横目で僕を見る。熱に浮かれた視線だ。頬に差した朱が、淡く甘酸っぱい恋の始まりを予感させる、そんな演技だ。初恋の歓びを、知っている横顔だ。そんなつぐみも、視線を惑わせる隙間で、グラスに入ったトッキーを見つける。持ち上げて、トッキーを見て――僕の、唇を、見た。
『トッキー……』
そして、ああ、ここだ。つぐみは触れるか触れないかの、淡い口づけをトッキーに落とす。
『好きなの? 食べて良いよ』
『あの』
逡巡。けれど、思いにただ突き動かされるように。
『あげます』
『いいの? ありがとう』
口づけたトッキーを僕が咥えると、つぐみは照れ笑いを浮かべ、むずがゆさを我慢するように口をすぼませ、また、甘く僕を見る。
『食べないの?』
『えへへ――もう、おなかいっぱいです』
『そっか?』
はにかみ、それから、つぐみは自分の唇に指を当てる。まるで、ファーストキスの味を確かめるように。
「は、はは」
ああ、認めよう。僕が甘かった。油断していた。この場で試されているのはエミリとつぐみだけなのだと、高をくくっていた!
この僕すらも試練の対象だったのだ。この場に勝者はただ一人。空星つぐみという五歳の少女だけだ。だってそうだろう? この僕も、無様に演技をさせられていた!
「いやぁ、これは流行りますねぇ」
「流行る? ――ああ、そうか」
そうだ。きっと流行るだろう。意中の人に、口づけをしたトッキーをあげるゲームが、きっと流行る。それはもしかしたら……いや、僕とつぐみという今が旬の芸能人が火付け役になったとしたら、それこそ爆発的に。
まさか、そこまで読んだのか? そこまで考えて、予測して、組み立てて、僕の行動すらもパズルのピースにしたのか?
「ふ、ははは、はははは」
叔父さん、あんた、いつからプロデュースの才能まで開花させたんだ? その年で、甥を引き離すような大人げないマネはやめてくれよ。
そう思いつつも、自分の中で、燃え上がるような情熱を感じる。なるほど、つぐみ、くくっ、僕も君と同じように、楽しくなってきたよ。
「おつかれさまでした」
「……………………ああ、お疲れ、つぐみ」
「かいさん?」
無垢な表情だ。この顔が、さっきまで僕に恋慕の視線を向けていたとは思えない。なんとなく現実感が遠のいて、つぐみの両頬に手を当てる。
「つぐみ」
「か、かいさん?」
そして、なにが起こっているのか理解していない、無垢な彼女の頬を――
「えい」
「ふにゅっ?!」
――もっちりと、引っ張った。
おお、おお、柔らかい頬だ。よく伸びる。伸びたり縮めたりして遊んでいると、不意に、重くのしかかるような視線を感じて手を離した。
「うみゅっ……うぅ、なにするんですかぁ、ひどいですよぅ……」
頬を摩るつぐみの後ろから、ものすごい目で僕を見るつぐみのマネージャー。思わず後ずさると、後ずさった僕とつぐみの間に小さな影が割り込んだ。
「ちょっとかいさん、ジャマ!」
「邪魔!?」
小さな影――エミリは、あろうことか僕を押しのけてつぐみの前に立つ。それからぴょんぴょんとウサギのように跳ねながら、つぐみの手を取った。
いったい、何が起こっているんだ? 何歳になっても、女の子という生物がさっぱりわからず、ただ、つぐみマネの視線から逃れるように下がって、成り行きを見守ることしかできなかった。
「つぐみ、あんたってすごいのね! エミリ、思わずぼぉっとしちゃった!」
「そ、そう? ありがとう」
「見て見てこれほらオフィシャルかいいんちょうど百ばんゲットしたよ!」
「おふぃしゃる、ああ、えっと、ネットの」
「はいチーズ! コマーシャルはじまったらイングラにあげるね! くさつぅ、ほら!」
エミリは嵐のようだった。写真を撮って、それを持って自分のマネージャーの下に嬉しそうに駆けていく。つぐみが犬だとしたら、あれは猫だな。
「あの、かいさん、しんさのけっかは、どうでした?」
「あー」
見れば、うなだれた久留間が審査員のスタッフに首を振られ、その上でエミリにまで一喝されて顔を青ざめさせていた。他のスタッフも乗り気だ。最早、ここから方向転換なんてできはしないだろう。
「ま、結果は見えてるさ」
監督の言うとおりだ。
これは、流行る。そんな漠然とした確信が、まるで揺るぎないモノに思えてならなかった。