scene1
――1――
校舎裏の階段。暗がりに座り込む無駄に年老いただけの大人に、わざわざ笑いかけてあげる。なんて気持ちが良いのだろう。胸がすくような心地だ。悔しくて憎くて恨めしくて、気持ちが良い。この感情に、どう、名前をつけたら良いのだろうか?
私はスカートを持ち上げて、汚らわしい大人のふくらはぎに、わざわざ私の足で痕をつけてやるのだ。そうすれば、痛くはなくても惨めだろうから。
「ねぇ、わたし、ちゃぁんと言ったわよね?」
「ぐ……しかし、もう!」
「もう? もう、なに? もう満足しただろうって?」
それから私は、男の人の視線になんか晒すつもりもない、私という美しい女児の制服の裾をまくり上げ、白い肌をよく見せてやるのだ。興奮して、舌を出して、鼻息荒くしゃぶりついてこいと挑発するように。
「あなたのせいでついた、これは消えないのに?」
「っ、それ、は」
「ね、センセイ」
近づいて、頬を両手で掴んで上を向かせる。滑稽だ。私みたいな子供にいいようにされて、抵抗の一つもできない、都合のいい大人だ。
「さいきんね、クラスメートたちがわたしに冷たいの」
「君の、自業自得だろう。やり過ぎたんだ、君は――ぐっ」
「だれが、口答えしても良いっていったのかしら!?」
頬にツメを立てて、足にかかとを叩きつける。足の甲を踏みにじられたら、大人でも痛いでしょう?
「もう一度、言うわね?」
「……っ」
「明里と美奈帆を閉じ込めなさい」
「わ、わたし、は」
「簡単でしょう? ふふ、なにせ、二度目なのだから」
「!」
センセイ、せんせい、先生。
私の愛しい、憎くて憎くて殺してやりたい、可愛い先生。
私の傷が消えない限り――あなたはずぅっと、私の奴隷。
「よろしくね? みんなの味方の絹片校長先生?」
「わ、かっ、た」
「ふ、ふふふふ、あっはははははははっ」
一人だって逃しはしない。
みーんなみんな、わたしの匣で飼ってあげるのだから。
「カァァァット!!」
監督の合図と同時に、慌てて柿沼さんから手を離す。慌てすぎてのけぞりそうになった私を、柿沼さんはそっと優しく抱き留めてくれた。紳士だ。
「おっと、危ない危ない」
「っごめんなさい! ありがとうございます、柿沼さん」
「はは、いいよ。ただし、危ないことはしないようにね」
柿沼さんは、壊れ物でも扱うかのように、私をそっと地面に下ろしてくれた。ここからのシーン、しばらくは柿沼さんには辛く当たらなければならないので、ちょっと心苦しくも感じたり。
過去に柿沼さんの責任とも言えないような責任で事故にあったリリィは、そのときの怪我で腕に消えない傷を負ってしまうんだよね。それが原因で、柿沼さん演じる校長先生の絹片幸造さんは、リリィの頼みを強く断れないのだ。
「はい! ふふ、かきぬまさん、ほんとうに先生みたいです」
「そうかな? はは、なんだか照れてしまうね」
はにかむように笑う柿沼さんからは、昔の雰囲気は見受けられない。でも、今日の演技もすごかったから、腕は衰えていない……どころか、ますます磨かれていることだろう。
とくに、罪悪感と正義感がない交ぜになった表情で、リリィの要求に歯がみするところは、さすがの貫禄だった。
「撮影チェック入りまーす」
「よし、では行こうか」
「はい!」
スタッフさんのかけ声で、モニター前に移動する。後ろから撮られたカメラワークでは、腕の部分しかめくっていないのに、胸元に手をやりはだけさせていくように見える。そういう風に演技をした。だから、リリィがなにをしているのか、というのを示す材料は、柿沼さんの表情のみだ。
後悔と憐憫がない交ぜになった表情で、絹片幸造は目をそらす。柊リリィへの罪悪感で、身を焦がすように。
「よし、良いな。つぐみはこれで終わりで、柿沼さんはもうワンシーンですね」
「はい!」
「そうですね」
と、いうことで、私はスタッフの皆さんにご挨拶をして、これで上がりだ。この後は……小春さんに、聞いてみよう。珠里阿ちゃんと美海ちゃんはまだ撮影が残っていて、凛ちゃんは今日は外部レッスンがあるのだとか。勉強家だ。
なんだか、気が急いてきてしまう。私ももっとトレーニングしようかな。でも、前世のスケジュールでやったら怒られるだろうなぁ。前世で、閏宇のトレーナーさんに見せて怒られたから。
「つぐみ様」
「こはるさん! おつかれさまです」
「はい、お疲れ様です。では、次のスケジュールですが……コマーシャルの仕事が入っています」
なるほど、コマーシャルか。テレビCMってやつだね。さすがに前世でも、番宣はともかくCMの仕事はやったことがない。なんてったってホラー女優だからね――って、んんん? CM?
「コマーシャル……えっ、コマーシャル?!」
「お嫌でしたか?」
「いえ、うれしいです!」
そうか、考えてみれば今は普通の女の子だ。ホラー女優ではない。柊リリィのイメージよりも、番宣やインタビュー記事への印象の方が良く通った、ということなのかな?
まぁ、やってみるまでどんな内容かはわからないけれど、小春さんが妙な仕事を持ってくるとも思えない。なら、全力で期待に応えよう。
(虹君に、負けたままでもいられないしね)
CM撮影は主に、広告主さんから委託された映像会社によって撮影される。今回撮影を担当するのは『レリモ』という会社だ。小春さんによれば、社長が孫娘の名前からとったそうな。SSTと同じ匂いを感じる。
小春さんにそう解説を受けながら、ミニバンに乗り込んでスタジオに移動する。移動の最中にある程度向こうの要望に沿ったコーディネートを行うらしく、ルルも一緒だ。ミニバン、と気軽に言ったけれど、妙にガラスが分厚いから、これもうちの持ち物なんだろうなぁ。
「今日はトッキーのCMと聞いているわ。初夏に向けたコーデで甘くイクわよ」
「うん、おねがい。ルル」
「こちらがトッキーの既製品です。お収めください」
「はい、ありがとうございます、こはるさん」
ルルに髪をウェーブにして貰いながら、小春さんに既製品のトッキーを貰う。筒状のクッキーの中央にチョコが詰められている上に、持ち手以外の可食部分がチョコレートに覆われている、というとても甘そうなお菓子だ。なんでも、「チョコにトキめいて」というキャッチフレーズがあるのだとか。
前世のおやつは、基本的にはパンの耳だったからなぁ。バイト先でお砂糖を貰ったときだけ、振りかけて食べていた。あれはあれでおいしいんだよね。
「今回は、家族団欒と初夏がテーマです。和風建築の長屋を借り、共演者の方を兄と見立てて撮影を行うそうです」
「こはるさん、きょうえんしゃの方ってどなたですか?」
「十八歳の若手俳優、海さんですね」
そっか。それなら、やや年の離れたご家族を演じる、ということかな。兄と聞いて虹君の名が過ったけれど、違うらしい。残念。うん? 残念? いや、残念か。とても良い役者さんだからね、虹君。
でも、海さん、という方と演じてみるのも楽しみだ。今の世代の色んな方と演じられるのなら、それはとても運の良いことだろう。経験って大事だからね。
「素朴なイメージだと印象も溶けがちよ。でもヘアにワンアクセントで、ほら、美少女の完成。いつも以上にキュートよ、つぐみ」
「ありがとう、ルル」
「ウィンクをちょうだい。イングラにアップしておくわ」
「う、うん?」
イングラ? イングラってなに? そう首をかしげて尋ねても、当然ながら、ルルから返事は来ない。ただウィンクを求められたので、一応、可能な限りのウィンクはしておいた。
「アップする画像の検閲は私が」
「堅いことを言わないで。もっとハッピーだったあなたはどこへ行ったのかしら?」
「黙らないとその口を塞ぐわよ、瑠琉菜。良いから見せて――ふむ、問題ありませんね」
「コンプラは守るわ。許可取り後にアップするわよ」
なんだかよくわからないけれど、学校が終わるくらいの時間になったら凛ちゃんに聞いてみよう。
「こはるさんって、昔はどんなかただったんですか?」
「乙女チックだったわよ。それにアクティブで積極的」
「瑠琉菜。あまり余計なことを言わないように」
本当に仲が良いのだろう。こんな砕けた様子の小春さんを見るのは初めてだ。ルルも、飄々としながらも小春さんとの会話を楽しんでいるように見える。でも、けっこう乙女チックだったとは思わなかったなぁ。
小春さんとは、記憶が戻ってから一緒に居る時間が長い。頼りにしているし信頼もしている。そんな小春さんのことが知れるのであれば、なんだか、嬉しくも思う。
「幼い頃に貰ったハンカチを額縁に入れて――」
「瑠・琉・菜!」
「――はいはい」
ハンカチ? そういえば、小春さんの部屋に遊びに行ったことないなぁ。小春さんは住み込みの使用人でもある。今度、小春さんの部屋に遊びに行ってみようかな?
「こんど、こはるさんのおへやに行ってもいいですか?」
「わ、私の、でしょうか?」
「フフ、そうしたらハンカチもバレるわ。互いを知るのは大事よ。話してしまいなさいな」
「えっと、きょうみはありますけれど、むりはなさらないでくださいね?」
小春さんはルルと私を見回すと、大きくため息をつく。それから。「隠すことでもないのですが」と前置きをして、話してくれた。
「前に、つぐみ様に、飴を貰ったことをお話ししましたね」
「? はい」
確か、初恋の人の話だった。演技の上で、わたしが虹君に告白されたときのことだ。よく覚えている。
「正確には、転んで膝をすりむいて泣いていた私に、濡れたハンカチで手当をして、飴をくれて慰めてくれた方がいたのです」
「そうだったんですね……うん、やっぱりステキです。そのあとは?」
「いいえ。結局、誰かはわかりませんでした。ただ、イニシャルがT・Kと」
「で、そのハンカチを額縁に入れてるってワケ」
無言で睨まれるルルを余所に、なるほど、と頷く。それは素敵な思い出だ。小春さんが三歳の時と言えば、前世の私は三十だ。最後の年であるのもそうだけれど、あのくらいのときって忙しすぎて、演技関係以外は正直、ぜんぜん思い出せないんだよねぇ。
演技に少しでも紐付けられていれば、気合いと根性で全部覚えるようにしていたから直ぐに思い出せるんだけど、その分、その他のときは脳みそふわふわしていたからね。
それにしても、T・Kか。ん? T・K? それって――
「さ。つぐみ様、到着です」
「っ、あ、はい! いきます!」
小春さんを先導に、ミニバンの扉が開かれる。
さて、お仕事の時間だ。何よりも真摯に、真剣に、身を引き締めていこう。
「では、参りましょう」
「はい!」
これが私の戦場なのだ。前世のように、しっかり気合いを入れていかないとね!




