opening
――opening――
――平成十二年・秋。
喉が、焼き切れてしまうかと思った。
なかなか現場に来ないあの人を心配して、確認をとろうとしたら、スタッフさんが慌てて伝えてきたのは、聞きたくない報告だった。
あの人が――鶫さんが、事故に遭った。状況はまだわからない。けれど病院に搬送されて、それから? 途切れ途切れのPHSをスタッフさんからひったくって、病院の場所だけ聞き出して、閏宇さんのバイクの後部座席にしがみつく。
(やだ、やだ、やだ……おねがい、どうか)
バイクを倒しながら病院に駆け込んで、病室の場所を聞き出して――お医者さんから聞いたのは、一番、聞きたくない言葉だった。
「そん、な」
白いベッドに、眠るように横たわる鶫さんの姿。頬にガーゼが張られ、頭に包帯が巻かれていた。治療の跡はあるのに、胸は上下していない。もう不要とばかりに、電源を落とされた心電図が、見たくもない現実を突きつける。
呆然と佇む閏宇さんの横をすり抜けて、まだ、じんわりと熱を持つ鶇さんの手を、握りしめた。まだ、暖かい、脈打たない手を。
「うそですよね? や、やだなぁ、そうやって、いつもみたいに驚かすんですよね?」
返事はない。
「鶫さん、鶫さん、撮影、始まりますよ。ほら! 焼死体の!」
返事はない。
「久々に私とも、閏宇さんとも共演できるって、喜んでたじゃないですか!」
返事はない。
「わっ、私、私だって、鶫さんと、っ、共演できるから、って、ぁ」
返事はない。
「起きてください、鶫さん、みんないるのに、起きて、起きてよぉ」
返事はない。
「『驚かせちゃってごめんね』って、言ってくださいよ、い、今なら、許しますから」
返事はない。
呼吸もしていない鶫さんから、返事があるはずなんてないのに。
「やだよ、やだよぉ、鶫さんっ、鶫さんっ、鶫さんっ!!」
鶫さんを揺さぶる私の隣で、閏宇さんが、鶫さんにしがみついた。
「鶫……なんで、ほんとうに死んじゃうわけ? あんたはホラー女優でしょう? なんで、なんでよ、なんで鶫が死ななきゃいけないのよ!!! うぁ、ああああああああああ!!!!」
閏宇さんの慟哭、耳に痛いほど響く。すがりついて揺さぶって、でも、鶫さんは目を覚まさない。体を起こして、驚かせてくれない。
「やだ、やだぁッ!! 鶫さん、鶫さん鶫さんっ、うわ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
泣いて縋って名前を呼んでも、起き上がって抱きしめてはくれない。
『さくらちゃんって言うんだ? よろしくね』
『さくらちゃんはすごいね! 私も、負けないよ』
『共演者だもの。侮らないよ。いつだって、対等』
『ばぁっ! ふふ、驚いた? あはは、ごめんね』
『さくらちゃんと演技ができるの、楽しいよ。さくらちゃんは?』
『無理? ふふ――できるよ。私とさくらちゃんなら、できる』
『寂しかったんだね。ううん。私もそう。さくらちゃんは偉いよ。すごく、努力家だ』
『天才? なんでもできる? だからどうした。それは、さくらちゃんの努力を否定する言葉にはならないよ。全部、さくらちゃんが踏ん張った結果だから』
『だから、笑って。――ほら、頑張ったさくらちゃんだから、笑顔が素敵なんだよ』
もう、優しい笑顔を浮かべる鶫さんとは、出会えない。
「うぁ――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」
もう、鶫さんは、二度と――私の名前を、呼んでくれないんだ。
……………………………………………………………………
………………………………………………………………
…………………………………………………………
……………………………………………………
………………………………………………
…………………………………………
……………………………………
………………………………
…………………………
……………………
………………
…………
……
・
・
・
「――夢、か」
予定調和のように目を開ける。朝五時三十分。体に組み込まれたルーティンが、設定どおりに目を開かせた。今日は眠りが浅いのだろうか?
脳内に鮮明に刻まれたスケジュールを確認する。今日は夜に撮影が入っているけれど、それまではフリーだ。蘭と、作戦でも練ろうかしら。
「おはようございます、鶫さん」
服を着替えて、いつものようにロケットを開ける。首にかけていつも側に居る。鶫さんの写真だ。まだ幼い私に頬を寄せて、笑顔でピースサインをしている写真。
なにもかもが、鶫さんとの思い出だ。この洋館だって、初めて共演した“紗椰”で使用した、紗椰の生家という設定の洋館だ。取り壊しが決まって直ぐに買い取った、私の思い出の場所。
これが未練だと笑う人間など、言わせておけばいい。あの日の私と鶫さんの思い出に踏み込める人間なんて、閏宇さん以外にいないのだから。
鶫さんは今頃、天国にいることだろう。何度、後を追おうかと思ったかわからない。けれどいつも、鶫さんの言葉が私を踏みとどまらせた。
ハリウッドで、世界の人々を震え上がらせる。その言葉が、私の生きる支え。閏宇さんがいなければとっくに死んでいた私を、奮い立たせてくれた、支え。
「私は、ホラー女優にはなれなかったけれど」
でも、もし、鶫さんのような子が世界を恐怖の渦に落とせたのであれば? その行動の原点に、鶫さんの名が上がったら? きっと、世界は恐怖することだろう。桐王鶫の再臨に、震え上がることだろう。
もう、鶫さんに二度と会えないコトなんてわかっている。私は、あの人とは違う道を行くことになるだろう。それでも、所詮は同じ穴の狢だ。私は私のやり方で、鶫さんと――。
ただ、その日を夢見て生きてきた。
ただ、その日に縋って生きてきた。
(もう――後戻りをするつもりはないわ)
ただ、その日に辿り着くために。