scene4
――4――
撮影、撮影、撮影。
仕事、仕事、仕事。
当たり前のように課せられたスケジュールの全部が、オレ自身を磨き上げる研磨剤だ。毎日一歩一歩ブラッシュアップされていく己の感覚にほくそ笑みながら、帰りの車で今日のフィードバックをする。
車内に流れるのは小気味の良いサックスジャズ。普通の乗用車だが、マネージャーの趣味で極限まで音楽鑑賞にカスタマイズされた車は、相変わらず、集中力を高めさせてくれる絶好のスパイスだ。
「虹君、そろそろつくよ」
「ん? ああ、ありがと、黄金さん」
自家用車を社用車扱いにして意気揚々と運転する、シルエットが球状に近いオレのマネージャー、日立黄金さんに返事をすると、黄金さんは頷いているのかいないのかわからない小刻みな仕草で、「いやいや」と答えた。
いつもながらこの人、これで動けるんだよなぁ。人体の神秘だ。オレは、体型を崩すつもりはこれっぽっちもないけれど。
「明日はオフだっけ?」
「そうだね。あ、明日は僕、Slashでサックス演奏やるけど、虹君も来る?」
「喫茶店だっけ? 気が向いたら行くよ」
「はは、じゃ、期待しないで待ってるよ」
家の前に車を止めてもらい、黄金さんに手を振って別れる。相変わらず目に痛い真っ赤な車だ。情熱の赤、なんて言ってたけど、あの人もけっこうな個性派だよ、ほんと。
家の扉は金属の鍵と暗証番号のマルチロック。暗証番号はゼロ、八、三、ゼロ。凛の誕生日だ。まぁ、凛がプロになった以上、危ないから変えるって言ってたけど、相当な親馬鹿だ。
「ただいまー……って、あん?」
玄関に行儀良く並ぶのは、四足の靴。三足は竜胆付属のローファーだろうが、もう一足の品良く小綺麗にまとまった白いブーツは、間違いなくアイツのだろう。
「げ、ローウェル・ブランドのジュニアブーツじゃねぇか。いくらするんだよ、これ」
自分の靴を脱ぎ捨てて、手洗いうがいにアルコール洗浄。そのまま一直線にリビングに向かって、冷蔵庫からミネラルウォーターを引っ張り出して呷った。適当にブレザーを脱ぎ捨ててソファーに座ると、唐突に、思い出す。
(あ、そういえば)
……フィードバックのために録画した出演番組のDVDが、凛の部屋に置きっぱなしだった。アイツが見たいって言うから見せてやって、回収していない。ということは、凛はまず自分からは返さない。めんどくせぇ。
あいつが居るのに、取りに行くのか? いやでも、泊り込まれたらいつまで経っても取りに行けないからなぁ。仕方がない。
「はぁ……ん?」
重い腰を上げて凛の部屋に向かう。二階角部屋。日当たり良好。二人部屋だったのをもぎ取られて、早半年。億劫な気持ちで階段を上がっていくと、なぜか、自分の部屋のドアノブをつかんだまま動かない凛の姿があった。
「なにやってんだ?」
「あ、兄」
「兄、じゃねぇ。……入らないのか?」
「えっと、父のへやはカギかかってて、その……うん」
父の部屋? あー、いや、今良いか。たぶん、キモはそこじゃねぇな、これ。
オレの部屋は、凛の部屋の隣(元物置)だ。親指を向けると、気落ちした表情の凛がオレの部屋に入る。
「で?」
「なぁ、兄。兄はつぐみのこと、どうおもう?」
「生意気なガキ」
「む。ガキは兄だ」
「なに怒ってんだよ。……何が言いたいんだ? あいつは、おまえの親友なんだろ?」
凛の視線に合わせてしゃがんで、ぐしゃぐしゃと髪を撫でる。そうすると、凛はぽつりぽつりと語り出した。
「つぐみは良いやつだ。つよくて、やさしくて、だれよりもえんぎがうまいんだ」
「話半分に受け取ってやる。で?」
「さいしょはただすごくて、次は、やさしくてつよくて、それでもやわらかくて温かかった。でも、このあいだから、ちょっとヘンなんだ」
「変?」
凛は、そういうと、自分の服の裾を掴む。言いたいことが見つからなくて、探す言葉が見当たらなくて、口に出すのが怖くて。演技の世界に身を置くからわかる仕草だ。凛は、こいつにとって大事なことを話そうとしている。
だったら、受け止めてやるしかねーよ。オレは、業腹だけど、こいつの兄だから。
「わたしのこと、きっと、“妹みたいなともだち”だって思ってて、それがきっと、いつからか“なかよしのしんゆう”になって、すごくうれしかった。けど、今は、また、“妹みたいなともだち”にもどってる、ん、だと、おもう」
つぎはぎの言葉。知ってる言葉をつなぎ合わせて形にしようとしている、拙い言葉だ。それでも、まぁいいさ。オレには伝わる。天才だからな。
「だったらまた、親友に戻れば良い。凛の努力次第だろ」
「うん……でも、それは良くて」
「良いのかよ! はぁ、じゃ、何が気に入らないんだ?」
凛の、固く結んだ拳を解く。爪痕で肌を傷つけていたら、オレがお袋に怒られるから。だから、とりあえず、オレの手を握らせてやった。
凛はよわよわの握力でオレの手を握って、それから、腹にたまった空気を抜くみたいに息を吐き出す。
「――つぐみが、泣いてる気がするんだ」
「あいつが?」
「うん。いつもたのしそうで、しんけんで、それでも、“あ”っておもったとき、心の中で泣いてる気がするんだ。なぁ、兄。どうやったら、つぐみをたすけられるかな」
目尻に涙を溜めて、凛はただ、そう零した。
「それ、あいつは気づいてんのか?」
「いいや、たぶん、気づいてない」
「なら、まずそれだろ」
「それ?」
ハンカチで、凛の目元をぐいぐいと拭う。頭が後ろに振られているが、構うもんか。
「助けってのはさ、助けてって言われないと、助けられないんだ」
「?」
「だったらまず、助けられたがってるあいつのかまってちゃんな本音を、暴き出してやれよ」
「でも、どうやって?」
どうやって、と来たか。オレはもう、それはもう、どでかいため息を一つお見舞いしてやる。それから、首をかしげる凛の額に、人差し指を突きつけてやった。
「テレビに一回しか出たことのないド素人とはいえ」
「む。三かいだぞ。ばんせん、ほうそう、ほうそうで」
「同じだバカ。じゃあド新人に変えてやる」
「むぅぅぅ」
むくれる凛の頬を指で突いて、無駄にふにふにな頬袋をぐりぐりしてやると、少しだけ涙目になってきたから離してやった。
「そんなド新人でも、おまえは既に役者だろ」
「……」
「で、あいつだって小生意気だが役者だ。だったら、演技で聞き出せよ。オレたちは、舞台の上なら王様にだってなれるんだぜ?」
「ぁ」
ひたすらこくこくと頷く凛を引っ張り上げる。
「じゃ、行くぞ」
「え?」
「即興劇だ」
奥襟を掴んで凛を運ぶ。こいつもこれで物わかりは悪くない。話を合わせるくらい、どうってことはないだろ。そのまま凛の部屋の前に立つと、凛は察したのか、表情をキリッと整えた。よし。
……にしても重いな。太ったか? くそ、菓子は制限させるか。気がつけばぬれせんべいばっかり食ってるからな。
「そこまでだ、悪ガキども」
「すまん、つぐみ、つかまった」
ぶら下がる凛を解放する。手が震えていることは、たぶん、ばれていないだろう。
「こーくん?」
そんなオレを、ただ、きょとんと見つめてくるつぐみに、無性に苛立ちを覚える。人が気をもませているってのに、のんきそうな顔しやがって。
「あ、りんのにーちゃんだ」
「おにいさん、こんにちは、おじゃましてます」
珠里阿と美海はいつもどおりだ。前に比べて雰囲気が変わった気もするが、今はこいつらはスルーだ。構ってられない。
「はぁ……ったく」
今更ながら、なんでオレが? なんて気持ちがわいてくる。けれどそれ以上に、久々のこいつとの演技対決に、気が逸る自分もいた。
「鍵のかかった父親の部屋に侵入させようって度胸は認める」
「あ、ごめんなさい、こーくん」
「で、なにさせようとしてたんだ?」
「“あくがのふち”が、みたかった」
つぐみの謝罪に続いて、凛がさっと答える。悪果の淵……って、成人向け一歩手前じゃねぇか。見せるわけないだろ。オレはベテランだから良いんだけど。
まぁ、でも、こいつらも一応プロだ。インプットを増やすのは悪くもないか? 同性恋愛だって今の時代は珍しくないんだ。価値観が増えるのも悪くはない。そして、オレの部屋にはこっそり作った親父の部屋の合鍵がある。
「じゃ、オレが開けてやろうか?」
「え?」
「おお、さすがりんのにーちゃんだ!」
「わぁ、おにーさんすごい! かっこいい!」
「ただし」
喜ぶ(何故かつぐみはそうでもないが)ガキんちょ共に、ニヤリと笑ってやると、大げさに肩を震わせた。ふん、煮て焼いて食ってやろうか。
「あの、おにーさん」
「なんだ、美海」
「えっちなのは、ちょっと」
「誰が要求するかマセガキ!」
耳年増だかなんだか知らないが、そんな目でオレを見るな。ただの六歳児になにかするとでも思ったか!?
「役者なんだ。演技勝負に決まってんだろ」
「あわ、あわわ、あわわわ、せんせいとせいとだいにだん!?」
「美海、だからおまえ――ああ、あれか。親父の」
油断した親父が幼女に負けるあのビデオは、親父には悪いが面白かった。ああ、でも、そう悪くもないか?
「じゃ、それで行こう」
「え? こーくん?」
つぐみは、オレに困惑の表情を向ける。親父が負けたからオレも負けるとでも思うか? はっ。舐めるなよ。オレはあの、霧谷桜架の再来だぜ?
「設定は、教師を誘惑する女を引き留めるダチで――」
「!! それはつまりおにーさんはほんとうはつぐみちゃんのことが好きだけど自分の気持ちにはフタをしてきんだんの恋をしようとしているつぐみちゃんをいっしょうけんめいひきとめようとするってコト!?」
「――は? おまえ、何言って……」
「でもでもつぐみちゃんもほんとうはイケナイ恋をしているって思っててそれでも気持ちはおさえられないんだけどそんなときにひきとめてくれるカッコイイクラスメートが自分のことを好きだって気がついちゃうんだよね?! でもでもでもつぐみちゃんはせんせいのことが好きで好きでしかたがないから気持ちにこたえられなくて苦しくて、恋と恋のはざまにゆれる乙女!!!!」
慣れた様子で、クッションで観客席を作った珠里阿が、美海の手を引いて隣に座らせる。とうの美海は肩で息をしているが、どこか恍惚としている様子だった。
凛もまた慣れた様子でスマホ用の三脚をセットして、激安ショップのマハ・ラジャで買ったおもちゃのカチンコを用意していた。
「あー、それでいいか、つぐみ」
「うん、いいけど……いいの?」
急展開だったこともあるからだろう。つぐみはそう、無駄に整った顔に不安げな表情を乗せる。気持ちはわからないでもないが――今は、邪魔だ。
「ああ……怖いのか? 下手な演技で恥をかくのが」
なら、しょうがない。そう続けようとしたオレを遮ったのは、満面の笑みだった。
「ううん。こーくんがだいじょうぶなのかな? って、しんぱいしただけ」
それはもう、良い笑顔だった。背後に雷が落ちていても、不思議ではないほど。
……挑発の仕方を間違えたかもしれない、なんて、少しも考えていないけれど、ちょっとノせすぎたかもしれない。
ま、まぁ良い。勝負は勝負だ。
それに――今日のオレは、いつもとは違う。
せいぜい、暴かれないよう、気をつけるんだな。