scene3
――3――
あれよあれよという間に退院し、検査をしながら通院し、やっと家で一息吐いていた頃だった。天蓋付きのベットの上に腰掛けて、いったいどうおねだりして新聞記事を読ませてもらおうかと頭を捻っていると、ノックの音が響いたのだ。
「はぁい」
「失礼します、つぐみ様」
「みかどさん! おひさしぶりです」
「ええ、お久しゅうございます、つぐみ様」
ノックをしてやたら豪華な扉の向こうから現れたのは、お世話になっていた使用人(なんと純正メイド服だ)の、御門春名さんだった。確か、私が倒れた日は、ご実家の用事で故郷に帰省していたんじゃなかったかな。
お見舞いにいらしたときにとても後悔なさっていたご様子だったから心配だったけど、なんとか復活してくれたみたいだ。
「本日はお出かけの日とお伺いしております」
「へ? そうなの? どこへ?」
「ふふ、場所は秘密、ということでございました。さ、おめかしいたしましょう」
秘密の場所……サプライズかな?
たのしみだなぁ、と御門さんに告げながら、ちょっとだけ考える。そういえば退院祝いになんかするって言ってたなぁ。あんまりお堅いパーティーとかでないと良いけれど、今世のお金持ち具合がどの程度のものなのか、未だに把握し切れていないんだよなぁ。
このお屋敷の規模だって曖昧だし。やっぱり、子供のうちに知れることには限度があるな。今日、どこにいくにせよ、世間の基準をよく拝んでおこう。
「今日もお綺麗ですね、つぐみ様」
「そうかな? ありがとう、みかどさん」
鏡の前でくるりと回ると、白いワンピースの、フリルの付いたスカートがふわりと揺れる。ワンポイントにピンクのリボンと、上から羽織るのはふわふわのコート。白いつば広の帽子と、花のブローチのついた白いポーチ。白尽くめだ。洋館なので当然のように室内も靴かと思いきや、室内はスリッパだ。まぁ、母は日本人だもんね。
御門さんに付き従われて、部屋を出てリビングに向かう。やっぱり豪華で重そうな扉を御門さんに開けて貰うと、もう、そこには、上品なスーツを身に纏う両親の姿があった。ものすごい美男美女だけど、私、この二人の容姿のいいとこ取りなんだよね……。今更ながら、異国情緒深すぎて学校で虐められないか心配になってきた。
「おお、今日の格好も愛らしいね、ぼくの天使」
「素敵よ、つぐみ。さ、母にしっかり見せてちょうだい」
言われるがままにくるくる回ったり、頬にキスをしたりして戯れる。普通の親子ってわからないけれど、きっと、これが普通なんだろう。前世の私は大変ひどい状況だったのかも知れないと、今更ながらに思った。
「さ、行こうか」
「ええ、あなた」
上機嫌な二人と連れ立って、玄関ホールから大理石の玄関に出る。履き替えるのは、可愛らしい白のローファーだ。二月も後半、肌寒さにちょうどいい出で立ちといえばそうだろう。でも、こう、なにからなにまで少女趣味で、それがこの容姿にはとてつもなく似合うことがわかってしまい、どうにも気恥ずかしい。
洋館を出ると「……森かな?」みたいな素敵な庭を抜け、緑のアーチを潜り、上品で大きな柵を自動で開く。すると、白くて大きなリムジンが止まっていて、運転手の眞壁さん(老紳士)が扉を開けてくれた。ナチュラルにリムジンを自家用車にするのってすごいね……。
「ダディ、マミィ、今日はどこへ行くの?」
「はは、秘密さ」
「でも、つぐみの喜ぶようなところよ」
リムジンのソファーで横並びに腰掛けて、両親の話に耳を傾ける。どうやらサプライズなのは確定のようだが、さて、私の喜ぶようなところってなんだろう? 記憶が戻る前の私の趣味……ホラー映画鑑賞ができない、というか、ホラー映画を知りもせず魂だけが求めていたから、やたらと本を読んでいた気がする。
あとはなんだろう。蛙と鴉と蛇のミュージアムとか? 一般的な女性だと怖がると思うのだけれど、今世の母も平気なものだから、記憶が戻る前までは普通かと思っていたぐらいだし。
「そろそろつくようだ」
ノンアルコールカクテル(車内にあった。すごい)を飲みながらゆったりしていると、父が不意にそう告げた。私はそれに慌ててグラスを空にして、服の裾をきちんと直す。お金持ちの令嬢がぼさぼさの格好で現れたら、恥を掻くのは両親だからね。
微笑ましそうに手櫛で髪を整えてくれる母のされるがままになっていると、ほとんど音も揺れも無く、外の風景が停止した。どうやら、どこかのエントランスに到着したようだ。眞壁さんが扉を開けてくれるのでそれに続いて、母と父が私をエスコートしてくれる。すると、周囲にいたひとたちの視線が、私に集まった。
視線の種類は……好奇心、感心、驚き、不安、恐怖。ふふ、恐怖の感情はどこからくるのかしら? 前はこんなにはわからなかったけれど、今世はどうやらとてつもない才能を秘めているようで、こうして表情を見ずとも視線の種類だけで色々とわからせてくれる。いつか、この視線を全て恐怖に染め上げてくれるわ。ふふふふふ。
「たのしそうね、つぐみ」
「気になったものでもあったかい?」
おっと、漏れていたか。うっかりうっかり。
「ううん。でも、なにがあるのか楽しみ!」
私の言葉に、父は「そうか」と微笑んで、頭を撫でてくれる。ちょっと周囲の視線が変わった気がするけれど……なんだろう、これ。好意寄りの好奇心、とか?
まぁとにかく、父がさっと受付を済ませ、私と母を連れて歩いて行く。子供の歩幅にも完璧に合わせてくれる父は、きっと、とてもモテるのだろうな……。
エレベーターに乗って移動し、少し歩くと、大きな扉が見えてきた。会場名は扉の上の方に張り付けてあるのだろう。背伸びしてもよく見えない。そんな私を、母が柔らかく抱き上げてくれた。もう五歳だよ、重かろうに、申し訳ない……。
「んーと……しんしゅんれんぞくどらまこやくおーでぃしょんかいじょう……」
新春。
連続。
ドラマ。
子役。
オーディション。
会場……っ!?
「よく読めたね、偉いよ」
父の言葉で我に返る暇も無く、混乱から抜けきらないまま、扉が開け放たれる。中には複数人の親子のペア。これからオーディションを受ける――“ライバルたち”だ。
瞬間的に、意識の一部が切り替わる。私は今、役柄を勝ち取るためにいる。オファーが舞い込むようになったベテラン時代は前世に置いてきた。今は駆け出しのあの頃と同じ、自分の獲物は自分で獲得せねばならない状況なのだと、魂が思い出した。
「マミィ」
「? ええ、ほら」
「ありがと」
母の手から降り立つ。視線はまだ私に集まっていた。なら、今この瞬間が見せ場だ。表情に色づけるのはあどけなさ。子供であるというアドバンテージを最大限に放出する、必殺の一撃。スカートの端を撫でるように整えて、手を前に揃える。
大きな動きから目に入るように、観客の視線は、私の手から腰へ、腰から登って胸、顔と移りゆく。その動きに合わせて綻ぶように笑顔を浮かべ、勢いよく、頭を下げた。
「そらほしつぐみといいます! きょうは、よろしくおねがいします!」
まずは先制ジャブだ。次はどうくる? この場の支配者層は? どこからでもかかってくればいい。どの角度からでも……
「……(あれ?)」
顔を上げて、首を傾げる。てっきり今からマウントの取り合いかと思ったのだけれど、どこからも反撃はこない。ただ、熱をはき出すようなため息だけが、小さく耳朶を震わせた。
「もうみんなを虜にしてしまうなんて……さすが、ぼくの天使だ」
「素敵な挨拶だったわね、つぐみ」
もしかして、こう、やり過ぎてしまったのだろうか。でもみんな。テレビに出て役を任されるかも知れないなんて機会、もっと必死にならないのかな? テレビやラジオ以外に、認知度を広める手段なんかほとんどないんだし。雑誌とかも、テレビほどの影響力は無いもんね。
それとも、ローカル番組なのかな? とくに事前練習もなしで参加だから、規模の小さい局なのかも。いやでも、ビルは立派だよね。
……大人げなかったんじゃないかと言われたら、なにも答えられないけれど。でもなんだろう、以前に比べて歯止めが利かない。感情のセーブは女優の基本だ。ちょっと精神年齢が肉体に引っ張られているかも知れないので、これ以降は周りの様子を伺いながら行動しよう。
「あ、もうみなさんお集まりですね? それでは、これから一グループ五名に分かれてオーディション会場に移動していただきます。オーディションは面接と実技に分かれていて、実技は台詞テストや歌唱力などを行いますが、現段階では技術を問うものでは……みなさん?」
入室した若いスタッフさんが手早く説明を行う、が、どこか反応が鈍いことに気がついて顔を上げる。それでようやく私たち以外の全員がまばらに反応し始めて、スタッフさんはしきりに首を傾げていた。
「えーと、では、グループはこちらで年齢などを考慮し分けさせていただきました。ただ、参加人数の都合で一グループだけ四名で行っていただきます。今回は企画段階からキャストに合わせて脚本作りも行うスタイルですので、合格人数もはっきりとは決まっていませんので、お子さんにはのびのびとした演技ができるよう場を整えさせていただいております。……それでは、入口でプリントをお配りしますので、会場の、名前の書かれたブースへ移動してください」
なるほど、ライバルじゃなくて、協力しようというスタンスなのか。私は父と母からのサプライズだったから知らなかっただけで、他の人たちは知っていたのかな? それなら、先制ジャブを受け取らないのも理解できる。
……あからさまに喧嘩を売る形にしなくて良かった。協調性がないと判断されたらまずかったかも。
「なんだ、勝負ではないのか」
「ふふ、勝負では他の子たちが可哀想ですよ、あなた」
「それもそうだね」
……父よ、母よ、買ってくれるのは嬉しいけれど、まだ始まってないからね? 私が女優をやっていた時代も、時々とんでもない子役がいた。大人顔負けの演技力と子供らしい健気さを併せ持つような子だ。あの子だけが私との撮影で本気泣きしなかったから、何度も共演した。
私が今、目指すべきなのは、あの子のような子役だろう。今はちょうど三十路といったくらいかな? 早くビデオを買って貰おう。テレビデオももっと高性能になっていることだろう。お金持ちだし、レーザーディスクかも。あの子の活躍が見たい。
「Dグループだね。他の子たちも来ているみたいだよ」
「女優の、朝代早月がいますね。娘を出しているのでしょうか?」
「だとしても、つぐみの敵ではないよ」
周囲には聞こえない絶妙な音量で話す両親の声が気になって、視線の方向を見る。鮮やかな赤毛の女性と、その足下で朗らかに笑う少女。周囲には、元々友人同士なのだろう、仲の良さそうな女の子が二人いる。
一人は眼鏡に二つ結びの髪の、大人しそうな女の子。もう一人は、艶やかな黒髪に吊り目の、ちょっと気の強そうな女の子だ。明るい系、大人しい系、クール系と個性が上手に分かれている。私は小悪魔系で行こうかな? 悪霊でも可。私も挨拶して、輪に加わろうかな?
「ではDグループの皆さん。本日は当オーディションにご応募くださりありがとうございます。それではさっそく簡単な面接を行いたいと思いますので、お子さんたちに自己紹介をお願いします」
挨拶に行こうとした足を止めて、説明に来たスタッフさんに向き直る。若い男性のスタッフさんで、横にはカメラマンと音声さん。一応、撮影もするらしく、監督と思わしきひげ面の男性が一人付いていた。
周囲を見れば、他のグループも同じような感じで、一グループに四人がついているようだ。けれど、うん、おそらくこのグループだけ、他とは少し違う。
「それでは、君たちのことを教えてくれるかな?」
そう問いかけるひげ面の男性は、髭のせいで老けて見えるが実年齢はもっと若いことだろう。他のグループを横目で確認すれば、進行役は案内スタッフがやっているのに対し、このグループだけは監督役の人間だ。少し、特別な意図を感じる。
「あさしろじゅりあ、六さいです! よろしくおねがいします!」
「ゆうがおみみ、六さいです。あの、がんばります。おねがいしましゅ。あぅ」
「よるはたりん、六さい。よろしくおねがいします」
はっきりと答える三人に、迷いはない。この三人は他のグループとは違い、なんらかの経験か才能を持っているのだろう。ここになにをしに来たか、ちゃんと理解している。
なにより、やはりこの監督だ。にこにこと人好きのしそうな笑顔を浮かべているが、瞳の奥には炎のように苛烈な意志が見える。世に名作を送り出す監督はみんな、あんな風に瞳に熱を持っているのだ。
「さ、君のことも教えてくれるかな?」
私は他の参加者たちがそうしていたように、彼に向かって一歩踏み出す。私は今やホラー女優ではない。今は、親の期待を一身に背負って立つ、未熟な、そう――幼女なのだから。
必要なのはベテランの挨拶ではない。これから踏み出す少女の、健気な一歩だ。
「そらほしつぐみ、五さいです。どうぞよろしくおねがいします」
丁寧に頭を下げると、見学の両親がやたらと感動している姿が見えた。相も変わらず親ばかで心配になるが、手を振ってあげるわけにもいかないので、そっと目配せをするだけで許して欲しい。
ホラー女優、桐王鶫はもういない。
今日からは、新生子役、空星つぐみの第一歩だ。
こんな変な子供を愛してくれる両親の期待に応えるためにも、全力で、この役を勝ち取ろう。
――/――
「いやぁ、つぐみちゃんっていいましたっけ? 彼女には申し訳ないですね」
簡単な面接を終えて、次の準備に取りかかる間。オーディションスタッフが俺に話しかけてくる。今日のオーディションは、所謂二世子役のための出来レースだ。舞台を学校にするために多くの子役を集めるが、主要な子役は三人。
そうなるとやはり、今注目の女優・俳優の子供たちにスポットライトが当てられることになるだろう。どうせ、ずば抜けた才能を持つ子供が見つかる確率なんか、宝くじを当てるよりも難しい。居ればラッキーという程度のことだ。
そのために、オーディションは五人一組で、あの三人だけ個別のグループに当てはめ、顔合わせも兼ねて監督の俺が見ることになった。もちろん、酷すぎたら落とすつもりだが、受け答えを見るにその必要も無いだろう。子役は最悪、台詞を覚えて言われたことをやってくれたらそれでいいのだから。
朝ドラ女優、朝代早月の一人娘、朝代珠里阿。
母親似の鮮やかな赤毛の少女で、おそらくリーダー気質。
昼メロドラマの女王、夕顔夏都の一人娘、夕顔美海。
大人しそうな顔立ちだが、夏都の幼少期に似ている。将来は色気のある女優になるだろう。
月9の顔、俳優の夜旗万真とアナウンサー夜旗真帆の娘、夜旗凛。
母親同様気の強そうな顔立ちながら、父親似の優しげな口元。利発そうな子だ。
なるほど。粒ぞろいだ。出来レースと称すのもわかる。いや、だからこそ、だろうか。俺は気軽に告げるスタッフに、口角をつり上げて答えてやった。
「いいえ、まだわかりませんよ」
「え? でも」
「目があれば枠を減らすことも――増やすこともある。そういう約束でしょう?」
「え、ええ」
あの才能を前にして、出来レースなどと口に出来る厚顔さには恐れ入る。
視線の動き、状況把握、動じずに立ち向かう剣のような姿勢を、鮮やかな薔薇の下に隠して微笑んだ少女。飛び入りだったからこそ俺の見るグループに放り込まれて不運だと思っていたが、そうではない。試されているのは俺たちだ。
「次のテスト、自分もお題をやらせていただけるんでしたよね?」
「は、はい。簡単な台詞を用意しておくんでしたっけ?」
「いや。ちょっと趣向を変えてみようと思います」
「はぁ……?」
この仕事どうなることかと思っていたが、どうやら随分と楽しませてもらえそうだ。