scene3
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映画やドラマのレビューをしてくれるというツナギチャンネルを視聴し終えた後も、私たちはyo!tubeの動画を見ていた。それはツナギチャンネルの過去の動画であったり、往年の名作名シーンであったり様々だ。
一人一人見たい動画の種類を挙げて、それを凛ちゃんがさっと検索してくれる。そうすると当然、珠里阿ちゃんの番になると、恐怖動画になるのは自明の理であったわけで。
「しんれいどうが見よう」
「むり!」
「そっか、みみはホンモノはむりか。なら、ホラーえいがのワンシーンにしよう。つぐみ、なにがいいかな?」
とっさに振られて困ってしまう。私にしがみついたまま震える美海ちゃんに悪いから、“紗椰”は勧められない。もう少しマイルドに、ええっと、竜の墓はもう見たし、うーん、そうするとやっぱり。
「え、“あくがのふち”は?」
「あ、しってる! おかあさんが、“ヘンなシュミにめざめてもこまる”って見せてくれなかったヤツだ!」
珠里阿ちゃんがそう言うと、凛ちゃんが目を輝かせて検索する。美海ちゃんは、震えながらも首をかしげていた。
というかサラちゃん、変な趣味ってなに? 普通の、こう、人情味溢れるホラー映画だと思うんだけどなぁ。
「つぐみ、つぐみ、あくがのふちでケンサクすると、ゆりって出るんだけど、ゆりって?」
「りんちゃんが知らないんじゃ、わたしにはちんぷんかんぷんだよ」
「ゆり、ゆり、あ、GLか。よし見よう」
凛ちゃんはなにかに思い至ったようで、嬉々として再生ボタンを押す。悪果の淵、切り抜きおすすめシーン集か。つまり、こういうので本編を見るための購買意欲を高めようと言うことかな? でも、前後の溜めなく見て、怖いかなぁ?
もっとも、今から再生するシーンは、怖いシーンではないけれどね。確か、女子大生の綾瀬泉はある日、女子高生の飯泉彩と偶然縁を持つ。美しく純真な心を持った彩と、名前が似ているという理由から会話が弾み、どんどん仲良くなっていくんだよね。で、このシーンは、泉が彩への禁断の恋を自覚するシーンだ。
この、綾瀬泉を演じたのが私。女子高生の飯泉彩を演じたのが、親友の閏宇だった。閏宇は私と同い年なのに、童顔で背も小さかったからね。
セーラー服姿の彩が、泉の部屋に転がり込む。何度も行われてきた、二人きりの逢瀬。グラスに注がれたオレンジジュースを飲み干してもなお、雑談に花を咲かせている。
『ね、泉はなにになりたいの?』
『私? 私は今、弁護士になるための勉強中』
このとき、泉は彩に尊敬されたい一心で嘘をつくんだ。法学部に通っていて、将来は弁護士になる。それは親の代から続く義務でしかなくて、泉は本当は司書になりたかったんだ。
場所は泉の部屋だ。昭和によくあった和洋折衷な小綺麗なワンルーム。障子の隙間から伸びる夕焼けのオレンジ。白い丸テーブル。空のグラスに差し込む橙色の陽光が、溶けかけの氷に吸い込まれる。からん、と、手遊びする泉のグラスに、愁いを帯びた彩の横顔が映り込んだ。
『そっか、泉はすごいね』
『そんなことないよ』
『ううん。すごい――私には、夢なんかないから』
細められた瞳の奥に、ただ空虚な自分が映り込んだような気がして、泉は息を呑む。励まそうと開きかけた唇が、逡巡の末に閉じてしまった。そんな泉に苦笑して、彩は慰めるように手を伸ばして、泉の手の甲を指先で柔らかくひっかくのだ。
子猫のじゃれつくような仕草。細められて、無邪気に笑う口元、大人びた愁いの表情が無垢な笑顔に変わったこのとき、泉は彩への恋心を自覚する。叶うことのない、禁断の恋を自覚する。
『今日は、帰るね』
『ぁ』
学生鞄を手に、セーラー服を翻して部屋を飛び出していく彩。追いかけようと腰を浮かした泉に、彩はくるりと振り返り、ひまわりのような笑顔でこう言うのだ。
『また明日!』
いつもの挨拶。いつもの笑顔。いつもの、彼女。そのはずなのに、泉の胸に残るのは、苦く疼く痛みだった。
『バカみたい。――なんで、彩なのよ。私たち、女の子同士なのよ?』
自嘲して、胸を押さえて、蹲る。テーブルの上に投げ出されたポケベルに、一、四、一と打ち込んで、振り払うようにポケベルを投げた。
『本当に、バカみたい』
許されない恋だ。きっと、彩にだって気味悪がられる。公開は一九八九年。映画の時代設定は八十年代。この時代の同性愛とは、本当に、厳しい扱いを受けるモノだった。人によっては、病気のように扱われるモノだった。
もしもその迫害を、彩も受けるようになったら? そう考えるだけで、指先が震えた。だから泉は、己の気持ちに蓋をするのだ。とうてい、蓋などできないことを知りながら。
ただ、二人で写した写真に口づけを落とす。もう、ただの綾瀬泉に戻れはしないことを、震える瞼と流れた涙が告げていた。
「……」
「……」
「……」
呆然と、シーンの終わりを眺める三人。ホラーを挙げておいてなんだけれど、ホラー映画のホラーじゃないシーンだよね、これ。
……ああ、でも、やっぱり思う。まだもう少しできるはずだ。だって、今ので本当はすべてを伝えられた。一緒に居るシーンで、引き留めるように声を震わせておけば、離れてく彼女の香りに、苛立ちを見せていれば。ふれあった指に、口づけの一つも落としていれば。
今なら、もっとやれるのに。
「えっ、なぁつぐみ、これじょうじゅするんだよな? な?」
珠里阿ちゃんの声で、我に返る。いけないいけない、かなり深めのスイッチが入るところだった。自重しないとまた、前世みたいに誰かを入院させちゃう。あとで気持ちをしっかり目に切り替えておこう。今日はもう撮影がなくてよかった。
「えーっと」
私の腕にすがりついて揺さぶる珠里阿ちゃんに、そっと視線を外す。これが、泉が彩に出会った最後のシーンなのだ。翌日、彩が来ないことに胸騒ぎを覚えた泉が彩を探すと、公衆電話から打たれたポケベルのメッセージに気がつく。少ないメッセージを頼りに廃工場に訪れた泉が見つけたのは、暴行を受け無残に横たわる彩の姿だった。
駆けより抱きしめる泉。彩は泉に気がついて涙を流し微笑むと、一言謝り、犯人が暴行に使ったナイフを拾い上げ、自分の首に突き立てる。目の前で彩が死んだ泉は、同じナイフを己の胸に突き立てるのだ。
「つ、つづき、ね、ねぇりんちゃん、つづきは?」
「ない……うぐぐ、どこにもない」
すがりつく美海ちゃんに、頭を振る凛ちゃん。続きはその、えっと、凄惨な復讐劇なので見ない方が良いんじゃないかなー、なんて。
「つぐみは、見たことあるんだよな?」
「えーっと、う、うん」
や、どこで見たことにしよう。最近、シアタールームで一人で映画を見られる機会もあったし、うん、その、そんな感じで。古今東西の映画を入れてあるって言ってたし、たぶんあったと思う。
「じゃあ、つぐみの家なら見られる?」
かわいらしく首をかしげる凛ちゃん。
「ダディとマミィ、きょういないからむりかなぁ」
「そっか……」
無理と言うこともない気がするけれど、どうにか回避できた。竜の墓以上に内容が凄惨だからね。頭を垂れて落ち込む凛ちゃんには悪いけれど、親御さんの許可なくあんなの見せられません。
もちろんあの映画に誇りはあるけれど、小学一年生の女の子に見せられるかと言われると話は別だよ。
「なら、やはり父か」
「かずまさん、きょういるの?」
「いない。でも、父のへやにはきっとある」
「あっ――」
そう言って凛ちゃんは、こちらの制止よりも早く部屋から飛び出してしまった。残された私と珠里阿ちゃんと美海ちゃんは、ただ、苦笑を一つ浮かべて顔を見合わせる。
「じゅりあちゃんは、さいきんは、どう?」
「どうって、あー」
私の聞きたいことに思い至ったのだろう。珠里阿ちゃんは手のひらを拳でぽんっと叩くと、控えめに窺う私と美海ちゃんに照れ笑いを見せてくれた。
「このあいだ、いっしょに出かけたよ」
「そ、そうなんだぁ。良かったね、じゅりあちゃん」
「どこへでかけたの?」
「えいがかん。人気のえいがだからって、ホラーえいが、見せてくれた!」
そっか……そっか。振り切れたんだね、サラちゃん。ううん、もうちゃんとした“お母さん”の早月さんなんだ。映画がどう、演出がどう、と語る珠里阿ちゃんは生き生きとしている。
もう、珠里阿ちゃんは好きなモノを嫌いと言わなくてもいいし、嫌いなモノを好きと言わなくてもいい。当たり前のコトかもしれないけれど、当たり前じゃなかったときがあった。そのときのことを思うと、心の奥底がほんわりと暖かくなるような、そんな気がする。
「でね、おかあさん、じょうえい中にえいがが十五きんだって気がついてあわてててさ」
「ん?」
「ふふふ――あわてるおかあさん、かわいかったなぁ」
「んん?」
あれなんか、雲行きが怪しい?
「もしもしょうらい、おかあさんがおしごと、イヤになったら……あたしが、やしなってあげるんだ」
「そう、なんだ?」
珠里阿ちゃんが、年不相応な艶のある笑みを浮かべる。その様子に、そっと、美海ちゃんが私の服の裾を掴んだ。あの、えっと、早月さん? 真帆さんにちゃんと話してる? 大丈夫? そう、聞きたくても聞けない自分の立場が恨めしい。
「だから、あたしの夢は、おかあさんよりもすごーい役しゃになること! そうしたら――つぐみも、やしなってやるからな?」
「あ、あはは……だいじょうぶだよ。わたしだって、すごい役しゃになるから」
「つ、つぐみちゃんはもうすでにスゴイよぅ」
美海ちゃんはそう言うと、少しだけ目を伏せる。けれど、あ、と、私が何か言うよりも早く、とても強い意志の込められた瞳で私を見た。
「で、でも――でも、わたしだって負けないよ。大じょゆうになって、つぐみちゃんに、“みみちゃんいじょうのじょゆうはいません”! って言わせてみせるから!」
「ふ、ふふ、それわたしに言っちゃうんだ? うん……うん。まってる」
握りこぶしを作って意気込む美海ちゃんの目には、力強さがあった。あのとき、振り払われた手と悲痛な言葉は今でも胸の奥に残っている。その無力感を、まるで、洗い流されてしまったかのような感覚だ。
嬉しい。良かった。嬉しい、本当に嬉しい。そう、泣き出したくなるほど打ち震えている心に、私自身が困惑するほどに。
「あぅ……そ、そういえばりんちゃんおそいね!」
そういえばそうだ。もしかして探しているのだろうか? 転んで怪我でもしていたら心配だな。うーん、探しに行った方が良いかなぁ?
逡巡は僅かに。よし、と頭を切り替えて立ち上がる。とはいえこの家の構造は知らないので、美海ちゃんと珠里阿ちゃんに手伝って――
「そこまでだ、悪ガキども」
「すまん、つぐみ、つかまった」
――勢いよく、音を立てて開かれるドア。猫のように奥襟を捕まれて持ち上げられている凛ちゃん。けれど体格的にそこまで楽じゃないのか、凛ちゃんを持つ手が震えている、少年。
黒髪に艶やかなキューティクル。天使の輪を被ったような整った顔立ちを彩るのは、呆れだろうか。
「こーくん?」
「あ、りんのにーちゃんだ」
「おにいさん、こんにちは、おじゃましてます」
「はぁ……ったく」
夜旗虹。凛ちゃんのお兄さんが、放り投げるように凛ちゃんを解放すると、うっとうしそうに額に手を当てたのだった。




