scene2
――2――
空き教室の一部は控え室として利用されている。その中の一室で、私は自分の担当する子役――美海ちゃんに、向き直る。
「調子が悪いようだけれど、大丈夫? 気分が悪かったり、頭痛とかある?」
美海ちゃんは控えめだけどしたたかで、自分の言いたいことは、時間がかかっても伝えてくれる子だ。美海ちゃんの母親の夏都さんみたいに、「話を聞いてたはずなのに要求まで通されていた」みたいな離れ業もしてこない、人見知りはするけど芯のある普通の女の子。
そんな美海ちゃんがこんなに具合を悪そうにしているのは初めて見る。心配だ……。
「だいじょうぶ、だいじょうぶです」
「そうは見えないよ? 急ぎのシーンじゃないことは確認が取れているから、今日はもうゆっくりしてもいいんだよ?」
「わ、わたし――ほんとうに、だいじょうぶだよ、あかねさん」
美海ちゃんはそう、引きつった笑みを見せる。どう見ても大丈夫じゃないけれど……これはひょっとして、体調ではないのではなかろうか?
そう考えてみれば、ふわふわとした情報がぴかっと結びつく。まさかこれは――人間関係?
「美海ちゃん」
「な、なんですか?」
「友達と、なにかあった?」
「ッ」
ビンゴ。やっぱりそうだ。夕顔一家はなにかと人間関係のあれこれに巻き込まれる。巻き込まれて、結局、夜旗さんご夫婦に間に入ってもらうことが多い。
いつまでもあの二人に頼っているわけにはいかない。これでも私は美海ちゃんが生まれる前から(お酒の席で任命された)美海ちゃんのマネージャーだ。美海ちゃんの悩みの一つ、ズバッと解決できなくてなにがマネージャーか。
「そ、れは」
「うんうん。わかるよ。私にもそういうときがあった」
「あかねさん、も?」
うん、と頷く。私だって今年で二十八歳。あと二年で三十の大台によっこいしょと乗らなくてはならないというのに、BMIはなかなか落ちない不出来な女だが、色んなことを体験して生きてきた。
そんな私の拙い体験談が美海ちゃんの役に立つのなら、それに越したことはない。もうぜんぜんない。まったくない。
「相手は……凛ちゃん」
「……」
「珠里阿ちゃん」
「……」
「つぐみちゃん」
「……っ」
揺らぎ。ぎゅっと結ばれた唇。見つけた! やっぱりそうだ、私の判断は正しかった。うんうん、悩むのもわかるよ。私もそうだったから。
「わ、わたし――」
「ズバリ、恋だね?」
「――……」
美海ちゃんは、すん、と、表情を落とした。図星の表情だね? わかるとも。大学見学。夕暮れのキャンパス。銀杏の木にもたれかかり、小説本を眺める横顔。絨毯のように敷かれた紅葉に伸びる影。ああ、禁断の恋だ。あの日の真帆先輩の、すぅっと流れるような怜悧な横顔に、私は射止められてしまった。
しかし運命の糸は結ばれることなく、振り向いていただこうと努力する勇気もなく、ただただ増えるBMIに涙する日々。つらいよね。わかるよ。
「あの子、可愛いもんね。そっか、可愛い派なんだね。うんうん」
「わたし、あかねさんのそういうとこ、きらいじゃないよ」
「え? 本当? でもどういうところ?」
美海ちゃんは大きなため息をつくと、首を振ってそう言った。どういうことなんだろう? でも、褒められちゃった? やだ、どうしよう。
「ちょっと元気がでたから、わたし、もどるね」
「あら本当? でも、また気落ちしたらいつでも相談してね?」
「うん、わかった」
とぼとぼと歩く美海ちゃんの後ろ姿。とても元気が出たようには見えないけれど……吹っ切れたのかな? こ、告白、しちゃうとか? まぁまぁまぁ!
本当は誰にも言わない方が良いのだろうけれど……夏都さんにだけは、それとなーく報告しておこうかな。世間的には偏見がなくなってきたとはいえ、ご両親の協力は必要不可欠だろうしね!
――/――
美海ちゃんのシーンを除いても、大人の人たちのシーンがたくさんあるので、撮影自体はスムーズに進んでいた。みんなが慌ただしくする中、わたしたち子役は四つのテーブルを一つに寄せて、お茶を飲みながら出番待ちだ。
「そういえば」
「じゅりあちゃん?」
ふと、珠里阿ちゃんは思い出したように顔を上げる。
「おかあさんとごはん作ったよ」
「ほんと!? どうだった?」
「おおー。よくがんばったな、じゅりあ」
うれしい報告に、わたしと凛ちゃんは手を叩いて立ち上がった。そっか、うまくやってるんだ。良かったぁ……。
「おかあさん、ひさびさだからって、ハンバーグこがしちゃってさ。でも、すっごくおいしかった!」
「よかった……じゅりあちゃん、よかったね。ほんとうに、よかった」
「へへへ、なんだよ、泣くなよつぐみ。――ありがと」
思わず、ぼうっと目頭が熱くなる。お母さんとすれ違って、雨の中で喉をかきむしるように叫んでいた珠里阿ちゃん。そんな、珠里阿ちゃんがお母さんと仲良くできて、本当に嬉しい。
凛ちゃんが無言で差し出してくれたハンカチで、目元を拭う。わたしにできたことなんて、珠里阿ちゃんを止めることくらいだった。けれど、みんながすごく頑張ったから、笑顔で決着できたんだ。
「つぐみのほうは、なんかあったか?」
「ふふん。なんとつぐみは、ついにせんざい写真をさつえいしたんだぞ」
わたしが応える前に、凛ちゃんがすくっと立ち上がって返事をする。そういえば、撮影後すぐに、凛ちゃんに報告したんだった。
あのあと、虹君は大丈夫だったのだろうか。うむむ、ちょっと心配になってきたかも。
「なんでりんがジマンしてるんだよ……でも、そうなんだ? いつ?」
「きのうだよ」
「おおー。じゃ、まだホームページにはのってない?」
「のってるよ」
凛ちゃんはそう言って、SSTプロダクションのホームページを呼び出した。SSTのロゴは、星を咥えた鳥が羽ばたく姿だ。まずロゴが流れるように現れて、すぐに、会社概要のページが現れる。
それから凛ちゃんは瞬く間にメニュー画面を呼び出して、所属役者のページを開いた。どうやって操作したんだろうか。ぜんぜん、理解できなかったよ……。
「ほら、これ」
「おおー、かわいい!」
「は、はずかしいよぅ」
凛ちゃんがわたしの写真を珠里阿ちゃんに自慢げに見せる。なんだか、自分で見ても、こんな表情できてたんだ……というくらいよくできていた。ラギさんすごい。
「ほらここ、これ、さそってる」
「りん……おまえなぁ」
「そんな顔、してたかなぁ? どれ?」
「ほら、これ――」
と、凛ちゃんがわたしに写真を見せてくれようとしたとき、不意に、視界の端に人影を見た。すぐにその正体に感づいて、わたしは大きく手を振る。
「あ、みみちゃん!」
「っ……つぐみちゃん、みんなも? お、おまたせして、ごめんね?」
「ううん。でも、だいじょうぶ? ぐあいわるいの?」
「だ、だいじょうぶ。だいじょうぶ、だよ」
なんだろう。やっぱり元気がないみたいだ。鶫の記憶でいえば、役者は大きく三種類の人間がいるそうだ。体調不良で演技に不調が出る人、体調が演技に影響しない人、演技で体調が変わる人。鶫は二番目で、さくらちゃんは三番目から二番目に変化。鶫の呑み友達だった閏宇さんは一番目だったとか。
もしも美海ちゃんが一番目なら、演技にも不調が出てしまう。NGも多かったし、もしかしたらすごく体調が悪いのかも。
「ね、みみちゃん」
「な、なに? ひゃっ」
わたしは椅子をさっと並べると、美海ちゃんの肩を引き寄せて、膝枕をする。美海ちゃんは……凛ちゃんと珠里阿ちゃんと美海ちゃんは、わたしの初めての友達だ。友達が苦しかったり辛い気持ちでいるのは、やっぱり、イヤだ。
美海ちゃんは大きく目を見開いて、それから、眼鏡を外して目元を腕で隠す。やっぱり、ちょっと顔が赤い気がするなぁ。
「だいじょうぶだよ。すこし休もう? みみちゃん」
「っ」
「おおー、母せいだ」
「いいなぁ。こんど、おかあさんにやってもらおうっと」
二人に向かって唇に人差し指を立て、「しぃっ」と言うと、凛ちゃんも珠里阿ちゃんもむずがゆそうに静かにしてくれた。
「こはるさん、冷たいジュースを買ってきてもらってもいいですか?」
「承知いたしました。直ぐに」
小春さんにお願いすると、小春さんは直ぐに買いに行ってくれた。いつも機敏で気が利いて、すごく助けてもらっている。
「なんで」
「?」
「なんで、つぐみちゃんは、やさしいの?」
消え入りそうな声だった。茶化しちゃいけない、声だった。
「ともだちにやさしくするのは、あたりまえだよ」
柔らかい髪を撫でる。わたしは自分の、ダディと同じ色の髪が好きだ。でも時々、マミィみたいな柔らかい黒髪に憧れる。美海ちゃんの髪は、雀みたいにかわいくて優しい色だ。黒よりもかわいくて、銀よりも優しい。
「つぐみちゃんが――――なら、よかったのに」
「え? ごめん、みみちゃん、もう一回」
「ううん……なんでもない、なんでも、ない」
「そう?」
髪を撫でるのに夢中で、聞き逃してしまった。慌てて聞き返すも、美海ちゃんは首を振ってはぐらかしてしまった。確かになにか言ったと思うんだけど……追求はしない方が良いんだろうなぁ。
「あー、みんな、ちょっといいかな?」
美海ちゃんの助けになれば良いと髪を撫でていると、スタッフさんが入ってくる。どこかで見たことがある女性のスタッフさんだ。新しい人かな? でも、もっと前に見たことがある気がするんだよね。
一度視界に入れば覚えられるからね。きっと、人の補充があって、紹介される前に見かけたのだろう。
「凛ちゃんと珠里阿ちゃんのシーンを先撮りするので、準備をお願いします」
「はい、わかりました。いくか、じゅりあ」
「はーい。んじゃ、またあとでな!」
スタッフさんの声で、凛ちゃんと珠里阿ちゃんが退出する。わたしはもう少し待機なのかな? そう聞こうとしたら、先に、スタッフさんが口を開いた。
「それで、申し訳ないのですが、こちらの部屋は他に使うそうなので、つぐみちゃんは西校舎に移動してください。あ、美海ちゃんにはこちらから伝えておきますので」
それだけ言って、ぱたぱたと走り去ってしまうスタッフさん。というか、そっか、わたしが膝枕をしていたから、美海ちゃんが見えなかったんだ。
「えーと、いどう、する?」
膝の上の美海ちゃんに問いかけると、美海ちゃんはおそるおそる頷く。
「う、うん」
なんだかあんまり元気になっていないようだけれど、大丈夫かな?
今、わたしたちがいるのは、この大きな学校の東校舎。裏に西校舎がある。そっちまで移動するのはけっこう疲れるけれど、わたしは鶫の幼少期より体力があるみたいだから、そこまで気にならない。美海ちゃんは大丈夫かな? なんて、そっちの方が気になってしまう。
「じゃ、いこ?」
「うん、わ、わかった」
頷いてくれる美海ちゃんを連れて移動する。窓辺から見える空は、ゆっくりと、茜色に近づいていた。