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scene2

――2――





『なんて愛くるしい』

『なんて愛おしい』

『なんて可憐な』

『なんて』

『なんて』




 ――あ、これ、夢だ。




『おお、おお、つぐみ様。どうか私のものに』

『どうしたらいい? どうしたら、私だけに微笑んでくれる?』

『ああ、そうだ。いっそ、私だけの世界に生きてくれたら』





 狂ったような笑みを浮かべる女性が、なにもわからない私を追いかける。やがて階段の上まで追いすがったとき、彼女は私の身体を押した。その狂笑は中々のものだ。病み系の女優を演じられる才能がある。

 彼女は……確か……そう、家庭教師だ。父が用意した家庭教師。小学校受験とかいう前世では聞いたこともないようなイベントのために用意された先生だ。有名大学出身で勉強一筋三十年のベテラン家庭教師。どうやら彼女は潜在的少女趣味だったらしく、それはもう愛くるしい北欧系美少女だった空星つぐみに恋をして、とち狂ってしまったようだ。で、幼い人格にはそこそこの負荷だったようで、前世の記憶が復活したのだろう。不運な。

 熱が出て眠ったおかげで、どうやら記憶の整理ができたらしい。白昼夢から起き上がるような気持ちで瞼を開けると、二度目の白い天井が視界に飛び込んできた。


「ふわ……ん」


 大きくあくびをすると、どうしても点滴が邪魔になる。うーん、点滴つけたままブリッジで四つん這いになるのは得意だが、それで見つかったらコトだ。軽い運動は諦めよう。

 ナースコールで呼び立ててしまうのは、流石に申し訳ないな。仕方なくベッドの周囲を見回すと、可愛らしいカレンダーが目に入った。私は記憶が戻らなくても好きな動物は同じだったようで、可愛らしい蛇と鴉と蛙のプリントが目に入る。禍々しい動物が好きでごめんね、両親よ。


「そういえば、今は何年なんだろう? ――二〇二〇年……えぇ」


 元号は……令和ってなに? 平成は? そういや、今世の記憶でもやけにテレビが薄いな、とか、携帯電話が小さいな、とか思っていたけれど……そっか、二十年か……。私が生きてきた時代からそんなに経つのであれば、私の知人や友人はもう老人も良いところだろう。私も、まぁ、若いとは言えなかったことだし。

 いや、でもそうなると、ホラー業界はどうなっているのだろうか? 私の時代に有名になったホラーが好きなんて言ったら、懐古主義もいいところだ、なんて囃し立てられてしまうのだろうか。


「テレビが見たい……」


 ホラーだけではない。携帯電話はどこまで進歩したの? インターネットは? それから、VHSは? 私の知らない世界。知らない価値観での娯楽に溢れているのだとしたら、それはどんなに楽しいことなのだろうか。これから、発展して進化し続けた映像に触れられることが、どれほど心躍るものだというのか。

 ベットの周囲をごそごそと探し回ると、何冊かの絵本を見つけた。グリム童話、アンデルセン、シェイクスピア。どれも、私の時代にも受け継がれてきた名作だ。その中から、私は、適当に手に取った絵本を開く。この興奮を収めるには、やはり、演劇しかないのだ。



「眠れる森の美女。うん、良いね」



 自分で美女と言うのには抵抗があるが、ちょうど眠ってばかりだったのだ。役に入り込むのは得意だとはいえ、入り込みやすい状況設定があるのなら、それに越したことはない。

 私は眠れる姫。誕生日にやってきた悪い魔女に呪いを掛けられ、百年の眠りにつく。そこに王子が現れて、彼の接吻によって、美しく目覚めるのです。



「『あなたが、わたしに口づけをくださったのですか?』」



 王子の頬に手を添えると、王子も、私の手を握り返してくれる。



「『わたしは、魔女によって眠りの呪いをかけられていました』」



 その優しい眼差しに、小さく、訴えるように。



「『孤独で寒い、氷のように冷たい呪いです』」



 王子は私の言葉に憂いを見せると、こう、告げるのです。



 ――もう心配は要りません。これからは、ぼくがあなたを守りましょう。



「『はい』」



 唇を震わせ、歓喜と情愛に身を委ね、見目麗しい王子に告げる。幸福が胸の裡を満たすと、闇に覆われた心に一筋の光明が差し込むような、雪解けの合図を抱きしめた。





「――天使だ」





 不意に、かけられた声に、役を降りる。やっぱりヒロインは性に合わないな、なんて思う間もなく、私は見慣れた美男子に膝を付かれた。


「おお、つぐみ、ぼくの天使。そのように愛くるしい眼差しでいったい誰を射止めようというのかい?」


 これ、適当な名前を挙げたら、そのひとが死ぬヤツだ。なんとなくそう思ったから、無難なところに落ち着くことにする。


「ダディとマミィ!」

「まぁまぁ、私は既につぐみの虜よ? ほら、ぎゅー」


 父の後ろからひょっこり現れた母が、私を抱きしめてくれる。呆気にとられた父であったが、あっさりと身を翻してその輪に加わった。


「ぼくは夢でも見ているのだろうか? ぼくの女神とぼくの天使が、こんなに可憐に戯れているのだなんて。ぼくも仲間に入れてくれないか?」

「ふふ、どうしましょうか。つぐみ、どうする?」

「んふふ、とくべつに、きょかします!」

「おお、なんと。ぼくのようなものにまでそのようなお心遣いを……さ、ぼくにも、我が天使の抱擁をくれないか?」

「うん!」


 無邪気な子供ってこんな感じであってるのかな。そんな風に思わないこともないけれど、なにも十割演技というわけではない。羞恥心を表に出さない演技はしているが、この暖かな両親と戯れたいと願う気持ちは、私の心の奥底から溢れ出たものだ。

 なにせ前世は虐待児童。暴力を振るう父がいなくなったと思えば、母から育児放棄。祖父母に助けられなければ死ぬところだった。演劇に目覚めて祖父母を養おうと思った矢先に祖父母は仲良く天寿を全う。家族というものへの憧れがあったことに、嘘はない。


「しかし、本当に素晴らしい演技だった。もしかして、つぐみは、演劇がしたいのかい?」


 問われて、少し考える。今は前世よりもきっと、ずっと多くの選択肢があるのだろう。それらに触れないのは、もったいないのではないか? そんな気持ちが、脳裏を過ぎった。

 だが、そんな考えも、胸裡から溢れる衝動に打ち消される。それでも私はきっと、役者がやりたい。前世で成し遂げられなかった、ハリウッドで人々を恐怖に陥れる女優になるという夢を、叶えたい。


「うんっ」


 だから、こう答えたことに後悔はない。きっと演劇の習い事でもさせてくれるのだろう。今から勉強すれば、今から鍛え上げれば、どれほどの実力を身につけることが出来るのか? そう考えるだけで、心躍るのは仕方がないようにすら思えた。



 だから。





「そらほしつぐみ、五さいです。どうぞよろしくおねがいします」





 まさか退院の翌週にオーディションの場に立つなんて、予想もしていなかったのだけれどこれもうほんと……どうしてこうなったの???

















――/――




「『あなたが、わたしに口づけをくださったのですか?』」



 病室のベットが、まるで、茨に覆われた寝台のように見える。



「『わたしは、魔女によって眠りの呪いをかけられていました』」



 濡れた瞳。紡がれる言葉。身を切るような痛みに、共感してしまいそうになった。



「『孤独で寒い、氷のように冷たい呪いです』」



 王子の声は聞こえない。そのはずなのに、彼女の手を取る美貌の王子の姿を、瞬きの間に幻視した。



 ――もう心配は要りません。これからは、ぼくがあなたを守りましょう。



 聞こえないはずの声が、共鳴した魂をなぞるように、響く。



「『はい』」



 そうして、待ちわびた言葉は、甘く、痺れた。








「愚かな魔女です。あの子を眠りで縛って、傍に置こうなど」

「……物語では、きっと、そんな意図はないと思うよ、ミナコ」


 病室の影。一緒に覗いていたミナコの言葉に我に返る。


「魔女は嫉妬したのさ。つぐみの美しさにね」

「ふふ、私たちのつぐみを主役にするのなら、それでは物語が破綻してしまいますね。一目見れば、格の違いなどわかりそうなものだというのに」

「空星だけだと思うよ、それは」

「ふふ、あなた様もでしょう?」


 夫婦の和やかな会話にも、つぐみは気がつかない。だからぼくがミナコに目配せをすると、彼女は柔らかく微笑んで、一歩下がってくれた。


「しかし、本当に素晴らしい演技だった。もしかして、つぐみは、演劇がしたいのかい?」


 幾つかのやりとりのあと、ぼくはつぐみにそう告げた。するとミナコはぼくの意図を察して、力強く頷いてくれる。


 否というのなら、最高の映画祭につれていこう。見る愉しみに飽きさせないように。

 わからないというのなら、君の行く末を見守ろう。将来、再び選択できるように。



 けれど、もし、首を縦に振るのなら――




「うんっ」




 ――君に、最高の舞台を用意しよう。ぼくの天使が、銀幕に輝けるように。





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― 新着の感想 ―
[一言] 一応訂正というか補足というか3話感想↓×2に対する反証というか。 貧乏寄りの我が家ではまだまだビデオテープが2000年時点では普通に現役で主流でしたよ?
[良い点] この章をありがとう
[気になる点] 2000年は既にDVDが普通だったからその時代の人が今更VHSとか言うのは不自然かと。 リング、呪いのビデオブームもあり、日本ホラー映画界のピークだった時代。
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