opening
――opening――
寝ぼけ眼をこすりながら、小春さんに準備を手伝ってもらう。顔を洗って着替えて髪を梳いて、歯を磨いてあくびを一つ。ぐぅーっと背筋を伸ばせば、視界がぱっと明るくなった。
小春さんにお礼を言って朝食の席に座る。今日はダディもマミィもいなくて少し寂しいので、御門さん(小春さんのお母さん)と小春さんにも席についてもらった。
『昨日未明、連続女児暴行事件の――』
「物騒な事件ですね。チャンネルを変えますか?」
「ううん、だいじょうぶ」
大型モニターみたいなテレビを観ていたら、小春さんは柔らかくそう聞いてくれた。でも、ニュースくらいは見ていた方が良いだろう。ベーコンエッグを頬張りながら、小春さんに笑顔で返事をする。
『警察の見解は、現場に残された写真から、単独犯である可能性が――』
「なんだか、こわいね」
「はい。ですがご安心ください。つぐみ様の周囲には当家の使用人を配置しておりますので」
「うん、ありがとう、こはるさん」
食べ終わると、御門さんが口元を拭いてくれた。気持ちがふわふわするこの朝の時間が、一日の中で一番好きだ。今日はダディとマミィがいなかったけれど、いてくれる日の朝はもっと好き。
これで学校に通うようになったら、どうなるんだろう。桐王鶫の学校生活は生きるか死ぬかのサバイバルでずいぶんと怖そうな感じだったけど、わたしは大丈夫かな。凛ちゃんたちが同じ学年だったら、こんな心配はしなくて良かったのに。
「ふふ、眠そうですね。昨晩は夜更かしをなされたのですか?」
寝ぼけ眼をこすっていたら、御門さんに心配されてしまった。いけないけない。
「うん……マミィにごほんをよんでもらってたら、たのしいゆめばかりそうぞうしちゃったの」
「あら。では、午前の予定は見送りますか?」
「ううん。だいじょうぶ。しんぱいしてくれてありがとう、みかどさん」
色んな人が色んな風に頑張って予定を立てていると、桐王鶫の記憶が教えてくれたからわかるけれど、そうでなかったら眠気に負けて甘えていたかも。気をつけないとなぁ。
ところで、午前中の予定ってなんだろう? ここ最近は雨続きで、室内でできる撮影ばかりだった。今日の午後は久々にまた地方に赴いて、外でないと撮影できないリーリヤのシーンを撮影する手筈になっている。
「こはるさん、こはるさん」
「――はい、いかがいたしましたか?」
「んと、ごぜんのよてい、って?」
「おっと、ご説明がまだでしたね。申し訳ありません」
いつものように部屋に移動。今日はシンプルなワンピースに厚手のコートと、それから、かわいいカエルさんワッペンつきのブーツ。さっと用意をしながら車を準備してもらう道すがら、小春さんが今日の予定の確認に付き合ってくれる。
「昨日ついにプロダクション施設が整いましたので、本日は施設の簡単な説明と宣材写真の撮影を行います」
「プロダクションしせつ?」
「はい。旦那様は一から建造を執り行うおつもりでしたが、それでは間に合わないと言うことで、社屋は最新設備ながら経営破綻で倒産した会社のものを買収。スタッフは一から取りそろえました、つぐみ様の芸能プロダクションでございます」
「ほへぇ……」
桐王鶫は確か、親族経営の社長ご家族+マネージャーの辻口さんだけの小さな事務所だった。社長ご家族はご夫婦が経営者だが非常にのんびりとした方で、桐王鶫よりも十六歳年下の娘さんがせかせかと働いていた。所属俳優はちょうど引き抜きでゼロ人になったときに、桐王鶫が所属したため、実質一人だったみたいだ。
今回の一人は、桐王鶫の一人とは、状況がずいぶんと違う。なにせ、ダディとマミィがわたしのために作ってくれたプロダクションだ。親族経営という点だけが、じんわりと桐王鶫の比較対象となっている。
「あ、まかべさん、おはようございます」
「はい、おはようございます、つぐみ様」
運転手の眞壁さん(今日はおじいちゃんの眞壁さん)が、恭しく挨拶をしてくれるのでそれに答えて、社用車に乗り込む。小春さんも隣に乗り込んでくれたので、寂しくはない。
「ふわ……ぁ」
「プロダクションに近づいたら起こします。少し、お休みになってはいかがでしょうか?」
「……いいの?」
「はい。もちろんです。それにつぐみ様に膝をお貸しできること、望外の歓びに存じます」
「ふふふ、こはるさんはおおげさだよぅ。でも、ありがとう。おやすみなしゃい……」
「はい、お休みなさいませ、つぐみ様」
ふわふわとした幸福に包まれながら、ゆっくりと意識が沈んでいく。そうしたら、気を利かせた眞壁さんが、優しい音楽を流してくれた。
ああ、しあわせだなぁ。
――/――
SkyStarThrushProduction――スカイ・スター・スラッシュ・プロダクション。
SSTプロとでも呼べば良いのだろうか。東京の一等地にででんとそびえる未来チックなビルを前に、朝の幸福な夢心地感が軒並み吹き飛ぶ。さっきまでふわふわしていた感情も、驚きでどこかにいってしまったほどに。
スカイは空。わかるわかる。スターは星。うん、そうだよね。スラッシュって? 切り裂くスラッシュは確か……念のためスマートフォンで調べると、スペルはSlashだった。あとは、むち打つ、のはThrashと綴る。
「ふふ、画像読み取りで翻訳できますよ」
「ぇぇ……さいえんすふぃくしょん……」
言われるがままに画面をかざすと、直訳で翻訳される。なにこれこわい。
「thrush……鶫……つぐみ!?」
父よ……まさか娘の名前をプロダクションの名前にするとは……。どうしよう、これは恥ずかしい。前世で事務所の名前が珠美プロに変更されたときの、社長令嬢の珠美ちゃんの気持ちが、今はよくわかる。良い名前だね、なんて言ってごめんね、珠美ちゃん。これは恥ずかしいわ……。
すがるように見上げれば、そこには良い笑顔の小春さん。名前を変えるとなるとものすごいお金がかかりそうなのと、期待を裏切るのは申し訳ない。顔面が引きつりそうになるのを、私は女優魂で押しとどめた。
「いかがでしょうか? つぐみ様」
「わ、わぁ、うれしいなぁ」
「それは良かった。旦那様も喜びます」
良かった。私の選択肢は間違っていなかった。
「実は、奥様からはつぐみ様が恥ずかしがるようであれば即刻変えるよう指示をちょうだいしていたのですが、この様子では問題ありませんね」
……小春さんの心底ほっとした表情に、二の句を継げることができない。えー、変えられるの? それならぜひ――という機会を逸してしまったことだけは、否が応でも思い知らされる。
そっかぁ、空星つぐみプロダクションかぁ。はぁ……うん、人生諦めが肝心だ。前世から諦めるタチではなかったので、初めての諦観かもしれない。
「では、施設のご案内をいたしますね?」
「はい、おねがいします、こはるさん……」
落ちる肩を気合いでとどめて、小春さんについていく。せめて宣材写真くらい、心残りのないようばっちり決めようと、小さな誓いを立てて。
白く磨き上げられた美しい撮影スタジオに、一脚のカメラとスレンダーな影。ダークブラウンのベリーショート。ジーンズパンツにプリントロゴの黒いTシャツ。左耳をシルバーのイヤリングで彩る“かっこういい”女性。
彼女はカメラの調整をしていた手を止めると、夏の空を連想させるようなからっとした笑顔で、私たちに手を上げた。
「ああ、お待ちしていました。あなたがSSTのお嬢様ですね」
少し低いハスキーボイス。美青年といってもいいようなスタイルに、女性らしい脚線。長い足がこちらに向けられるのを、さっと前に出て阻止する。
「おまたせしてごめんなさい。そらほしつぐみです。きょうは、よろしくおねがいします!」
「いやいや、私が早く着きすぎてしまったのです。美奈子先輩の仕事だから緊張してしまったのかもしれません」
「みなこせんぱい?」
彼女の言葉に首をかしげる。美奈子とは私の母の名前だ。
「ええ。学生時代はよくお世話になりました。……と、失礼。私が今日からあなたの専属カメラマンに就任いたしました、志賀良木志津子っていいます」
「しがらぎさん?」
「はい。ただ、名字も名前も似合わないので、どうか私はラギとお呼びください」
見た目にそぐわない口調。いつも浮かべる笑みも、パンクな雰囲気とずれているし、名前も、言われてみればそうかもしれない。けれど、なんだろう。物怖じせずに向き合う姿勢と、ニュートラルで落ち着いた雰囲気は、絶妙に彼女を一つの生命体として神秘的に見せていた。
とても、生きている方だ。今世で出会ってきたどんな方とも違う、今という一瞬と自分という枠と、世間や世界という中を飄々と、大胆に生きている。
「はい、ラギさん。よろしくおねがいします!」
「はい、よろしくお願いします、つぐみちゃん」
というか、うん、専属か。専属かぁ。さすがに専属カメラマンみたいな方がついたことはなかったなぁ。でも、慣れないといけないだろう。どうせ、スタイリストさんとかも専属だろうしね……。今回は、何故か技術のある小春さんがさっと弄ってくれたのだけれど。
ライトアップされたステージに、白い紗幕(光質を柔らかくする薄い布)。着てきたワンピースをそのまま衣装として使う……というより、おそらく宣材用に仕立て上げられた服なのだろう。衣類はそのままに、足下だけかわいい白のローファーに履き替えた。
「緊張してる?」
「……ちょっとだけ」
「そっか、初めてだもんね」
撮影開始とともに、彼女は砕けた口調になる。傍目から見てもわかるスイッチ。より、彼女を中性的に仕立て上げるカーテンコール。
「まずは普通にしていて。いつもどおり。慣らしにシャッターを切るけれど、気にしなくて良いからね」
「はい」
「うん、いいよ」
かしゃ、かしゃ、かしゃ、とフラッシュを焚きながら切られるシャッター音。砂の入ったボトルを振るような軽快な音は、彼女の雰囲気と合わさってさざ波のようだ。
リズム良く聞こえてくる音色。テンポ良く通る声。海辺のステージで戯れているようなナチュラルな演出に、心が安らいでいく。
「落ち着いてきたね」
「……うん」
夢見心地に、まどろむような。
「じゃあ、今度は好きな物を想像して」
好きなもの。
「ダディとマミィ」
「そっか。なら、二人が君を抱きしめようと手を広げているよ。応えて」
「うん――わかった」
ダディとマミィがわたしを見ている。どうしたら応えられるのだろうか。まずは、わたしの気持ちを伝えよう。幸せだって教えよう。誰よりも幸福だって、見せよう。
どうか、この胸のぬくもりが伝えられますように。そんな、願いを込めて。
「つぐみちゃん?」
「ふぇ?」
「終わったよ、お姫様」
声をかけられて、はっとラギさんを見る。ラギさんはにこにこと優しそうに微笑んでくれていた。
「できあがったら送ります」
「はい! ありがとうございました!」
「良い返事ですね」
ラギさんに頭を下げる。そうしたら小春さんが手を引いてくれるので、少し、休憩を取ることにした。
撮影スタジオから離れて直ぐの小部屋に入ると、小春さんが紅茶とクッキーを用意してくれる。
「おいしそう!」
「はい。腕によりをかけました」
「こはるさんが作ってくれたの? たべさせて!」
「では、僭越ながら――あーん」
「あーん……んむ、おいひい!」
小春さんに手ずから食べさせてもらいながら、今日の予定を聞いておく。このあと、トレーニングスタジオなんかも見回って、身体測定をして、それに合わせてトレーニングメニューを作ってくれるそうだ。
「ゆっくり行いますので、ご安心ください」
「ほんと? あ、なら、りんちゃんにでんわしても良い?」
「ええ、もちろん」
レインで電話してもいいか聞いて、それから、返事が直ぐにきたのでかける。
「もしもしりんちゃん?」
『うん。つぐみのりんだ』
「そういうのなら、わたしだってりんちゃんのつぐみだよ?」
『!!! 兄、きいたか!? あに!!』
『うるせぇ! 電話越しなんざ聞こえるか!?』
電話の奥から声が響く。今、虹君もいるんだ。じゃあ家に居るんだね、凛ちゃん。
「いまね、せんざいしゃしんとったんだ」
『おお!』
「できあがったら、おしえるね?」
『さぞかわいいんだろうな』
「りんちゃんほどじゃないよ」
『むぅ。またそういうことを。ではカッコイイ、か?』
「こーくんほどじゃないよ」
『兄、兄! つぐみが兄のことカッコイイといってる!!』
『世辞だろバカ!』
相変わらず、賑やかで楽しそうだなぁ。虹君の声も良く通るから、電話越しでもどんな表情をしているのか、ありありと思い浮かべられる。
『せじぃ? ほら、兄、代わってみろ』
『押しつけんな! ちょっ』
「あ、こんにちは」
『よ、よう』
電話越し。きっと、スマホを押しつけられているんだろうなぁ。ドタバタとしている二人の様子を思い浮かべると、私も兄弟が欲しくなる。きっと、ダディとマミィに似て可愛いに違いない。今度、お願いしてみようかなぁ。
「おせじじゃないよ」
『は?』
「こーくんはカッコイイよ。すっごく!」
『な、は、おま、くそっ、もう切るぞ!』
あ、切れちゃった。ふふふ、きっと今頃、喧嘩だ。あとで謝っておこう。そう考えると、なんだか楽しくって胸が温かくなった。
「つぐみ様――いつもよりもずっと、かわいらしいご様子です。ああいえ、いつももちろんお麗しいのですが、なんといったら良いか」
「? えへへ、ありがと、小春さん」
「――――――――恐悦至極、感無量、色即是空」
こ、小春さん、なんで鼻を押さえているのだろう? 大丈夫かな?
と、不意にポップアップする画面を見る。凛ちゃんと虹君が取っ組み合いをしている写真だ。撮影しているのは……画面の奥で真帆さんが呆れているから、きっと万真さんだろう。
「ふふ、あははははっ」
なんだか、元気をもらっちゃったなぁ。
そう思うと、胸の奥がぽかぽかと暖かくなる。今日も、楽しい一日になるといいなぁ。
(すごい。呑み込んであげるつもりだったのに、こっちが呑み込まれる)
(やっぱり、美奈子先輩はすごい。あの狼との子供なんて聞いたときは驚いたけれど)
(……これから、楽しくなりそうだ)




