ending
――ending――
涙を拭って、体を拭いて、それからは親子の時間――とはならず。なにせずっと雨に打たれてくしゃみまでしてしまったので、当然ながら体調が心配される。まずはじっくりとお風呂に入ろうと、用意周到な使用人たちの手によって整えられた浴槽に、私たちはそろって放り込まれた。
私のお世話には小春さん、と思いきや、まさかの母だ。上機嫌に私の頭を洗ってくれた母と、まるで初めてのお風呂みたいに緊張する珠里阿ちゃん母子と並んで、今は銭湯よりも広い浴槽に並んでいた。
「あの、おかあさん」
「珠里阿、もう変なこと言わないから、なんでもやりたいことを言って」
「えっと、えっと、おかあさんのごはんがたべたい……あっ、でも、いそがしいよね?」
「遠慮なんかされたら、お母さん、悲しいわ」
「ええっ、じゃ、じゃあ、いっしょにゲームとかも?」
「ええ、良いわよ」
おそるおそる切り出す珠里阿ちゃんと、優しい笑みで頷く早月さん。その朗らかな笑顔には、確かに、サラちゃんの面影があった。
さて、そんな二人に対して私だが、ほんの数秒前に立ち位置が母の膝の上に移されると、湯船に浸からないようタオルで巻き上げた髪が崩れないように、抱きしめられて頬ずりをされておりまして、その。
「マ、マミィ?」
「心配したわ」
「あの、えっと」
「あなたが死ぬと言ったとき、胸が張り裂けそうだったわ」
うぐ、聞いていらっしゃったんですね。それはそうか、そうだよね。おそるおそる、怒っているであろう母の横顔を見る。するとそこには、怒るでもなく微笑むでもなく、真剣に私を見る母と目が合った。
「マミィ? あの、わたし」
「つぐみ。私のかわいいつぐみ。いい? あなたは、私たちにとってかけがえのない子供なの。大切な、宝物なの」
「……」
いいの、かな。
「珠里阿ちゃんたちがそうであるように、私だって、あなたのことは何でも知りたいし、願う物があれば与えてあげたいし、やってほしいことがあれば言ってほしい。何故か、わかる?」
「わたしが、マミィのこどもだから?」
「いいえ。あなたを愛しているからよ」
「っ」
わたしは、受け入れて良いのかな?
桐王鶫は、愛されて育てられなかった。だから、愛を育てる道を選んだ。
空星つぐみは、愛に包まれて育った。なのに、まだ、愛がよくわからない。
「忘れないで、つぐみ。私たちは、あなたを愛しているの」
「マミィ、あのね……」
愛を、受け入れても良いのかな? マミィの愛を、受け取っても良いのかな?
「なぁに? つぐみ」
「きょう、いっしょにねてもいい?」
「ふふ、もちろんよ。ダディに自慢しましょうね」
わたしは愛がよくわからない。
それでも、もしも、許されるのなら――この、溢れるような愛を受け取っても、良いのかな。
「さ、上がりましょう。のぼせてしまうわ」
「うん!」
お風呂から上がって、体を拭いてもらう。そうしていたら、どこかぎこちなく拭いてもらっている珠里阿ちゃんと目が合った。
「あのさ!」
「じゅりあちゃん?」
「その……ありがと、つぐみ」
俯いて、遠慮がちに伏せられた目。でも、体を拭くために万歳させられて、強制的に顔が上げられた。慌てる珠里阿ちゃんは、なんだかとてもかわいい。
「ううん。どういたしまして!」
「これからも、さ、ともだちでいてくれるか?」
どこか、怯えをはらんだ声だ。でも、そんなことを聞かれるなんて、ちょっと心外かもしれない。そんな気持ちを込めて怯えを吹き飛ばすように笑ってみせる。
「ふふ。もちろん! それに、ライバルだって、やめたらいやだよ?」
「っああ! つぐみはあたしのサイコーのともだちで、サイキョーのライバルだ!」
その笑顔は、今までのどんな笑顔よりも力強くてたくましい。それがなんだかうれしくて、わたしは、まるで自分のことのように胸が温かくなる。
(きっと、もう、大丈夫)
だから今はどうか、その笑顔が曇ったりしませんように、と――強く、願った。
――/――
夜の洋館。与えられた四人部屋ではなく、今日は、各々個室で眠ることになった。美海もまたその一人で、父親の大きな腕を枕にして、猫のように丸くなっていた。
眠れはしない。目をつむっても、羊を数えても、父の腕にすがりついても、睡魔は襲ってくれない。
――とても広い洋館。たくさんの使用人。
(わたしには、ないものだ)
――監督も唸る演技。大人も認める実力。
(わたしはあんなに、できない)
――そして何より。
『おわったら、えんぎのれんしゅーてつだってほしいんだけど?』
『いや、いつもみみにつきあわせてばっかりだから、きょうはつぐみでいいよ』
(それは、いつもわたしのやくだったのに)
『みみは?』
『っぁ、えっと、えと、その』
『うん、むりいってわるかった。じゃ、つぐみ』
『わるい子だったばあいを、やってみようか?』
『おおー、なるほど。さすがあたしのライバルだな!』
(じゅりあちゃんのしんゆうは、わたしなのに)
走り去る珠里阿。固まる美海。
――誰より早く飛び出した、つぐみ。
(わたしじゃ、じゅりあちゃんのちからになれない)
心配で近づいたお風呂場。
響いてきた、親友の声。
『つぐみはあたしのサイコーのともだちで、サイキョーのライバルだ!』
(さいこうのともだちは、しんゆうは、わたしだったはずなのに)
じくじく、じくじくと、美海の胸の奥が痛む。
(ずるい。ずるい、ずるい、ずるいずるいずるいずるいずるい)
やがて痛みは美海の全身を駆け巡り、花開くように、声となって零れ出た。
「つぐみちゃんが、いなければよかったのに」
あふれ出た声は、言葉にすれば楽になった。そのはずなのに何故か胸の奥がずっしりと重くなってしまったようで、美海は眠りに落ちようとする最中――鉛を飲んだような苦しさを、忘れてしまった。
――Let's Move on to the Next Theater――