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scene4

――4――




 山奥の洋館。サンルームを離れ、大きな暖炉のある談話室に場所を変える。雨脚はどんどん強くなっているが、なんとかみんなのお父様やお母様もご到着なさった。


「落ち着いてくれ、早月さん。珠里阿ちゃん、尋常な様子じゃなかったぞ」

「夕顔さんには関係ありません。我が家の事情です」


 到着したばかりで訳もわからず首をかしげる真帆さん(凛ちゃん母)と、何も言わず私に寄り添い、頭を撫でながら小春さんの報告を受けている私の母。

 サラちゃん――早月さんをなだめているひげ面の大柄な男性が、美海ちゃんのお父さんの(てつ)さん、というらしい。ぶつかったことを謝ったら、「怪我がなくて良かった」と朗らかに笑ってくれた、優しい男性だ。美海ちゃんが良い子に育つのもわかる。

 緊迫した空気。誰も、告げる言葉が見つからないのか口を閉ざす。私の母はひとまず傍観しているようだけれど。


「はぁ、まったく」


 そんな中、母と一緒に小春さんから事情を聞いた真帆さんが、声に出してため息をついた。


「早月」

「っ、なによ」


 強い言葉。鋭く投げつけられた声に、震える肩。早月さんは、目に見えて気まずそうに視線を逸らす。


「うちの子もつぐみちゃんも美海ちゃんも、急に友達が泣いて逃げ出して傷ついて、困惑して、心配しているわ」

「だから、どうしたっていうのよ。悪かったとは思うわ。でも」

「でも、なに? ――いい、早月。珠里阿ちゃんじゃない。この子たちの痛みはあなたが引き起こしたことよ。自分で責任をとりなさい」

「っ」


 なんだか、格好良い……。びしっと言い放つ真帆さんは、白黒はっきりつける性格(タチ)なのだろう。早月さんとも長く交流があるのか、口調もずいぶんと砕けている。それでも、嫌われかねない言葉を言える人間というのは、とても強い方だ。

 意気消沈していた凛ちゃんも、美海ちゃんと一緒に緩く顔を上げる。その視線の先には、背筋を伸ばし、腕を組んですらりと立つ真帆さんの姿があった。


「さ、早月に聞きたいことはある? 今ならなんでも答えてくれるわよ」

「ちょっと、真帆、私は」

「なに、違うの?」

「ちが、わない、です」


 強い。さっと真帆さんが私たちを眺める。凛ちゃんと美海ちゃんは、うまく言葉にできず、それでも何かを言おうと口を開け、もどかしさに俯いた。だから、最後に射止められた私が、代表して声を上げる。


「じゅりあちゃんは」

「なに?」


 珠里阿ちゃん。明るくて、家庭的で、友達思いな珠里阿ちゃん。


「いつも、みんなをひっぱってくれて、おかたづけもだれよりもじょうずで、えんぎにもいつもいっしょうけんめいで、やさしい子です。なんで、じゅりあちゃんが“わるい子”なんですか? じゅりあちゃんは、わるい子じゃ、ないですよ?」


 私の中にあったのは、怒りでも同情でもない。どちらもゼロといえば嘘になるが、それ以上に、疑問が根強く心に張り付いていた。


「おかあさんといっしょにいるだけでいいって、さみしそうにわらうやさしい子です。なんで、なんでじゅりあちゃんは、わるい子なの?」


 お願い、教えて、サラちゃん(・・・・・)。あなたの人生に。前世で最後にあった後、生前死後含めて三十年も経ってしまった間に、あなたになにがあったの? そう、想いを込めて早月さんに語りかける。早月さんの中のサラちゃんに、どうか届きますようにと、願いを込めて。

 沈黙。答えは返らない。私の疑問に、早月さんは目を見張り、伏せ、頼りなさげに自分の肩を抱きしめ――後悔の滲む視線を落とした。


「悪役なんて、やるもんじゃないのよ」

「……(悪役)?」


 掠れて消えてしまいそうなほど、滲む言葉。他のひとには聞こえなくとも、私のハイスペックボディは、その言葉を正確に聞き取った。


「昔から、珠里阿には言い聞かせてきたわ。悪役を演じるなって。悪役なんてやったら、その次も、その次も、ずっと悪役ばかりやらされる。しまいには人格そのものが悪人であるかのように決めつけられて、陰口をたたかれるのよ」

「早月……」

「私もそうよ。私もそうだったわ。信じていた人間は離れていく。お父さんも、悪役の私から逃げていなくなった。あの人も、悪役を演じられる私が強い人間だからと、私と珠里阿を置いて他の女のところへ行った。わかる? ねぇ、わかるかしら? ――悪役を、わるい子の役を、楽しいだなんて言わせるわけにはいかないのよ!!」


 叫ぶような言葉だった。訴えるような言葉だった。泣いているような、言葉だった。あの日の小さなサラちゃんの姿が、声を荒げる彼女に重なる。心の奥底から響くような、悲痛な叫びだった。

 その剣幕に、真帆さんは目を見張る。きっと、早月さんはこんな風に曝け出すのが初めてなのだろう。自分でも、正しい言葉を見つけられていないように見えた。

 己をかき抱く早月さんに、私は何ができるのだろう。彼女に、どうやったら寄り添えるのだろうか。そう、思う気持ちを、なんとか振り払わなければならない。だって――だって、珠里阿ちゃんは。


「つぐみ」

「っ、マミィ?」


 声を上げようとした私を、そっと、母が止める。柔らかく微笑んで私の肩を抱き留めると、上品に背筋を伸ばして早月さんを見た。


「つぐみは、蛙と蛇と烏が好きで」

「へ? マ、マミィ?」

「スープは濃厚なものよりあっさりとした物の方が好みで、肉より魚の方が好きで、古い演劇や戯曲が好きで、好奇心は旺盛だけれど機械の操作は苦手」


 私がわたわたとみっともなく止めようとするのを、母は柔らかく受け流す。なんだろう、まったく勝てる気がしない。


「真帆様、凛ちゃんは?」

「ぇ、あ、ああっと。動物の好き嫌いはなかったけど、最近はお宅の子に影響されて烏が好きになってきた。食べ物は生野菜とか刺身とか生ものが好きかな。新しい物好きで、子役の初任給で課金するとかなんとか」

「鉄様、美海ちゃんは?」

「様って、照れるな……。美海は熊、パンダ、シロクマとやたら熊が好きだな。それから、生クリームだとかクリームシチューだとか、クリームとつけばなんでもいける。体力はないが、好きな物のためなら、意外とアグレッシブだ」

「では」


 一呼吸。困惑しながらも答えてくれた真帆さんと鉄さんに微笑みお礼を言い、改めて、早月さんを見た。


「早月様、珠里阿ちゃんの好きな物はなんでしょうか?」

「なに、って――――ぁ」


 言葉に詰まる早月さんに、母は、これ以上追求はしなかった。代わりに、私を含めた子供たち三人を見る。


「美海ちゃん、珠里阿ちゃんの好きな動物ってなにかしら?」

「ぁ、えっと、ワンちゃんがすきです。ドーベルマンとか、かっこういいって」

「そう。ありがとう、美海ちゃん」


 美海ちゃんは、「いえ、そんな」と訳もわからず手を振る。


「凛ちゃん、珠里阿ちゃんの好きな物とか苦手な物、わかるかしら?」

「……じゅりあはホラーゲームとか、ホラーえいががすきです。でも、ほんは、ねむくなるからむりだって。たべものは、なんでもたべる! っていってたけど、ブロッコリーはみみのさらにうつしてた」

「あら、そうなのね。ありがとう」

「いえ、あの、はい」


 さすがの凛ちゃんも、混乱から立ち直れず、ただ頷いた。


「つぐみ、珠里阿ちゃんのやりたいこととか、欲しいものとか、知っているかしら?」

「えっと……。じゅりあちゃんは、えんぎがすっごくすき。えいがをみるのもすきで、なにより、おかあさんのえんぎがすき」

「私、の?」

「おかあさんのデビューさくもすごくすきだっていってて、うん、そう――おかあさんがだいすきだって。たかいおみせなんかいかなくてもいいから、おかあさんのてりょうりが、たべたいって」


 そう、こぼしたときの珠里阿ちゃんの横顔を思い出す。今ならもっと、珠里阿ちゃんのことがわかる気がする。珠里阿ちゃんは、寂しかったのだろうし、辛かったのだろう。けれどそれ以上にいろんなことを我慢して、我慢するのに慣れてしまっていた。


「早月様。私もこの子に対して、まだまだ至らぬ親でありましょう。それでも、向き合うことをやめたいとは思えません」

「……」

「今一度、珠里阿ちゃんに向き合って見てはいかがでしょうか?」

「……私は、だめな親ね」

「いいえ。善し悪しは未だ判断しかねます。誰も、親であることを終えてはいないのですから」


 早月さんは、母の言葉に目元を覆う。真帆さんがそんな早月さんに近づいて、柔らかく肩を抱きしめた。


「奥様」

「いかがなさいましたか、小春」

「珠里阿様が見つかりました。今、至急マットの用意を――」


 無線機から漏れる音。

 珍しく焦りが見える小春さん。

 至急、マットが必要な場所。


「おくじょう……っ」


 母の手から抜けて走る。意識を研ぎ澄ませば、使用人たちがどちらに向かっていてどちらから帰ってきたのか、すぐにわかった。


「つぐみ! まずいわね。早月様、あなたも!」


 背後から聞こえてくる母の声。全部、振り払って階段を駆け上る。三階建ての洋館の、奥の通路。離れに向かう渡り廊下を走りながら窓の外を見ると、雨の中、屋上部分のテラスだろうか。手すりの前にたたずむ小さな影が見えた。


「もう、みうしなわない!」


 走って、走って、走って、使用人たちの合間を縫うように駆け抜ける。


「お待ちください、つぐみ様!」


 使用人たちも当然のように鍛え上げられた人間だ。だから、子供一人くらいどうということもないのだろう。私の進みたい方向に、壁のように連なっていた。

 でも――でも、ごめんなさい。通れないのなら、隙を作らせてもらうまで。かつて、前世で大道芸人がやっていたものを根性で習得した技術の一つ。


「あうっ」

「つぐみ様!?」


 まるで、なにもないところで壁にぶつかったように怯むと、使用人たちは驚いて身を乗り出した。その隙に、空いた空間に飛び込んで走ると、使用人たちを振り切れた。


 桐王鶫(たぶん)七つの秘術が一つ、パントマイムだ。


「ごめんなさい!」

「なっ、えっ、あれ!?」


 走る。

 走りながら、記憶を振り返る。


 さっき、早月さんの思いを聞いたとき、一つ思うところがあった。

 役者によって失った早月さんの思い。役者によって歪んだ珠里阿ちゃんの願望。でも、本当に、失った物ばかりだったのだろうか?

 少なくとも私は、役者を目指したから、珠里阿ちゃんに出会えた。役者であって良かったと思ったから、今、こうしてここにいる。



 そうだ。

 演技は、役者は、心を動かす。



 前世の私は、お世辞にも幸福な家庭とは言えなかった。お酒を飲んで暴れる父親、だんだんと家族を疎むようになった母親。貧乏で、いつも、部屋の隅で丸まっていた。

 そんな私でも、一度だけ、両親の優しい手に触れたことがあった。ブラウン管の小さなテレビ。チャンネルを回したら、たまたま放映されていた古いホラー映画。なぜだか時間の都合が合って、三人で肩を寄せ合ってテレビ画面にかじりついた。なにもかもが古い映画だったのだけれど、例えば明滅する裸電球の光や、ぎしぎしと軋む畳や、隙間にガムテープの貼られた窓の揺れや、ふれあうたびに震える両親の、じっとりと汗でぬれた腕が。



『うわぁっ』

『ひっ、悲鳴なんかあげないでよ』

『お、おまえだって』

『あなただって……ひぃっ』

『……く、くく』

『ふ、ふふふふ』



 私を挟んで怯える両親が、ばらばらだった一つの家族が、たった一個の映画に怯えて寄り添っていたあの日の、宝物のような二時間を、どうして、忘れていたんだろ。

 あの日に私は思ったんだ。恐怖であっても、気持ちを一つにすることができる。強い感情は、人間の心を動かして、絆を生み出すことができる。


(そうだ、だから、わたしは)


 私は、ホラー女優になりたかったんじゃない。

 演技で、人の心を動かして、絆を生み出す役者になりたかったんだ。


(たとえ恐怖でも、たとえ悪でも、人の心を動かすことができる)



 だから、ホラーは私の、始まりの演技だ。

 だから、ホラーでわたしの、友達を失わせたりはしない。



「じゅりあちゃん!」


 階段を駆け上がった先、屋上に飛び出る。


「……つぐみ?」


 降りしきる雨の中、表情をなくして佇む珠里阿ちゃんの姿。彼女は、強い雨に煙る屋上の端で、まるで、露と消えてしまいそうなほど、儚かった。



「かえろう? じゅりあちゃん」



 手を差し出す。

 ただ、この手を下ろすことはないと、強く心に誓って――珠里阿ちゃんと、対峙した。





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