opening
――opening――
『もっと意地悪そうにできるよね?』
『竜の墓ではあんなにやれたのに』
『君、悪役が一番できるんでしょ?』
『桐王鶫の後継なんだって?』
『いやぁ、うちの映画に悪役のイメージは困るんだよね』
『桐王鶫ならできたよ』
『桐王鶫なら、こんな悪霊片手間にこなしたんだけどなぁ』
『桐王鶫にできたことなのに?』
『桐王鶫だったなら』
『桐王鶫なら……』
『桐王鶫に……』
『桐王鶫……』
『私の実力なら、どんな役だってできるのよ!』
『サラさん。落ち着いてください。誰もあなたに――』
『桐王鶫なんて、悪霊しかできない女と比べないでちょうだい!!』
『――今、なんと?』
『桐王鶫なんて悪霊ばかりの、女優とは名ばかりのホラー女優じゃない!!』
『はぁ。しようのない人ですね。……聞きなさい、笠羽サラ』
『ッ後輩のくせに、なにを』
『あなたが鶫さんと並べているのは、鶫さんのおかげです』
『っ』
『鶫さんの恩恵に与っておいて、よくそんなことが言えますね?』
『それ、は』
『身の程をわきまえなさい。桐王鶫は、あなた程度とは比べものにもならないお人だった』
桐王鶫。
桐王鶫。
桐王鶫。
桐王鶫。
桐王鶫。
「私だって、好きで、あんな女の後釜になったわけじゃない」
叫ぶように目を開ける。こんな悪夢、しばらく見ていなかったのに。やはり、同じ名前の子役が出てきたからだろうか。
悪役のレッテル。悪役を演じきってしまうということ。その意味は、痛いほどに身にしみている。悪役を演じた人間には、悪役のイメージが張り付いてしまう。そんなこと、わかりきったことだったのだ。
「おかあさん?」
「……珠里阿」
先に起きていたのだろう、珠里阿が心配そうにベッドまで近づいてくる。セーターにジーンズに、黒いエプロン。
「だいじょうぶ?」
「ええ、大丈夫よ」
「そっか……あ、あさごはんできてるぞ!」
「まぁ、作ってくれたの? ありがとう。“良い子”ね」
「っ。えへへ、うん!」
言いつけどおり、火は使わずに作られた朝食。トースターで焼いたパンに、手でちぎって作られたサラダ。それから、ミキサーで作った果物のスムージー。こうして珠里阿を育てることが、私の生きがい。朝ドラ女優と呼ばれるようになれるところまでは這い上がった。次は深夜ドラマ、それからゴールデン。
映画にだって主演をもぎ取らないと。ドラマはともかく、朝代早月として出演した映画はどれも端役。そうでもなく、主演か、主演とタメを張れるくらいでないと意味がない。そうでなければ、追いすがる影を消すことなんかできない。
「おかあさん……おいしくなかった?」
「っ、いいえ。おいしいわ、珠里阿」
「っよかった!」
いけない、味なんて気にしていなかった。感想くらいは言ってあげられないと、珠里阿のモチベーションにならないわね。最近はネットショップの請求額も少ないし、せめてものご褒美に好きなものを買わせてあげないと。
……ああ、それよりも、珠里阿の次の出演作のオファーも取り始める必要があるわね。余分な邪魔が入ったようだけれど、悪役は免れた。これで善のイメージを固定させれば、もっと良い役も入ってくることだろう。
「今日も遅くなるから、好きなものを注文して食べなさい」
「うん……。あの、つぎはいついっしょに、ごはんたべられる?」
「さぁ。わからないわ。でもまた時間ができたら、昨日みたいにおいしいお店に連れて行ってあげる」
家庭料理なんてチャチなものより高級料亭の方が良いだろう。なにより、今のうちに珠里阿の舌を肥えさせておけば、食レポの仕事も来るかもしれない。バラエティになんか出ない女優に育てることが最良だが、出なければいけなくなったときになにもできないのでは話にならない。印象なんてものは、簡単に崩れるのだから。
あとはそう、もう少し大きくなったらピアノやバイオリンも習わせないと。幼少期の音楽は感性を育てる。役幅も大きく増える。良いことずくめだ。
「うん。わかった……でも、おかあさん、あたし、こうきゅうなおみせよりもおかあさんのごはんのほうが――」
「ああ、珠里阿、悪役の話はきていないでしょうね? と、ごめんなさい、なにか言ったかしら?」
「――ううん。なんでもない。わるい子は、やらないよ」
「そう」
珠里阿もしっかり覚えている。問題はない。大丈夫だ。悪役なんかやらずに済む。
「おかあさん、もし、もしもともだちがわるい子だったら、あたし、どうしたらいい?」
「切り捨てなさい」
「きりすて、る」
「そうよ。珠里阿に“悪い子”は必要ないわ」
「おかあさんも?」
「私?」
「おかあさんも、“わるい子”はいらない?」
「ええ、いらないわ」
もし、珠里阿の友達に悪人が出たら? 決まってる。スキャンダルの根は切り捨てなければならない。
「じゃあ私はもう行くから、磯崎マネ以外には扉を開けないように」
「うん、わかった……いってらっしゃい! おしごとがんばって!」
「ええ、ありがとう」
そう、そうよ。交友関係も整理しないと。夏都と万真さんのところは問題ないでしょうけれど、気になるのはやはり、空星……空星つぐみとかいう少女だ。裏でつながってるスポンサーによっては懐柔も必要だけれど……珠里阿のイメージが落ちるくらいだったら、関わらない方が良い。
今のうちに……いや、まだ早いか。スポンサーとつながりのある人間と健全に仲良くなっておけるのなら、それに越したことはない。珠里阿は私が、私一人の力であっても一流の女優に育ててあげると決めたんだ。
そうすると決めた理由は、なんだったか。いや、なんでもいい。結果がすべてなのだと、私の半生が告げている。かつて泥沼に沈んでいった、笠羽サラという子役が叫んでいるのだ。
社用車に乗り込んで、物言わぬマネージャーに車を出してもらう。いつものように集中する私のために気を利かせて、運転席と後部座席を隔てるカーテンを下ろしてくれた。
私は、誰にとっても格下だった。
誰にとってもただ蔑む対象で、あるいは、庇護の対象でしかなかった。
『もしかして、サラちゃんかい? 大きくなったね』
『おれがあんたを幸せにしてやる。一緒になろう』
『悪い、サラ。でも、おまえはもう一人で大丈夫だろ?』
『おれには、守らなければならねぇヤツができたんだ』
『もううんざりだ! 俺は家を出る。だから娘を子役にするのは嫌だったんだ!』
『そんな! あなただって喜んでいたじゃないの!』
『うるせぇ! 良い役かと思えばこんな悪役。おかげで俺の人生めちゃくちゃだ!』
『……早月、あなたは悪くないわ。悪くないの。大丈夫、大丈夫よ』
ああ、なんで。
みんなにとって、私は対等な人間ではなかった。常に、誰かの格下だった。
なのに、なんで。
『すごい! 今の表情、よかったね!』
『私も、サラちゃんに抜かされないよう頑張らないと』
『先輩後輩? この業界では大事だけど、でも、一人の役者としてはちょっと違うかな』
肩に置かれた手。
艶やかな黒髪から覗く、意志の強い黒い瞳。
『一人の役者として、サラちゃんも、私のライバルだよ』
ただ一人、私を、対等な役者として扱ってくれたひと。
『サラちゃん、ほら、このシーン』
『うーん。サラちゃんの実力なら、もっとできると思うよ?』
『ほら、やっぱり!』
彼女はまだ業界三年目。無名の役者だけれど、実力は高かった。対して私は、なんでもないデビュー作だ。ずぶの素人もいいところ。だというのに、あの人は、一度も私を見下したりはしなかった。
それは、もしかしたら、人にとっては冷たくも思われるかもしれない。それでも、私にとっては、あの力強い視線が心地よかった。
なんで、唯一、私を対等に見てくれたのがあなたなの?
なんで、唯一、私をライバルとして扱ってくれたのが、あなただったの?
「――なんで、死んじゃったの……鶫さん」
あなたが死んだあの日から、私の後悔は始まった。
影を追うことすら許されなくなった。最期に、ただ一言、謝ることもできなかった。